「たま」・起源としての枕詞14


今や、古代以前の人々の暮らしをアニミズム(霊魂信仰)で語るのは世界中の通説になっている。この倒錯した合意の壁は厚い。
とくに欧米などのキリスト教圏の人々は、人間の歴史を信仰の歴史に回収して考えたがる傾向がある。
だが、そういうことではないのだ。人類の原始時代や日本列島の古代以前の人々は、霊魂などというものを知らなかった。
霊魂を信仰することは、言葉に意味が宿っていることに対する信仰(思い込み)でもある。
言葉の根源的な姿においては、その音声に人間的な感慨のあやがこめられているだけで、「意味」は後世になってから付与されてきた。これは、人類史の法則である。それはつまり、言葉に霊魂=意味など宿っていない、ということだ。
「ことだま」といっても、言葉の霊魂のことではない。まあ、言葉を発するよろこび、というようなニュアンスだ。
原初においては「たま」という音声を発する感慨のあやが意識されていただけで、「たま」という名称の具体的な事物があったのではない。
古代人は、「言葉」のことを「ことのは」といった。「こと」は「コトンと音がする」の「こと」、すなわち「生起する」こと。「口から音声が発せられる(こぼれ出る)」こと。そして「は」は「はしくれ」の「は」、すなわち「音声」。
「ことのは」とは「口から発せられた音声」のこと。すなわち、心が動いて言葉=音声が口の端からこぼれ出る感触のことを「ことのは」といったのだ。それはもう、げんみつには「言葉」という意味ですらなかった。音声が口の端からこぼれ出るその「感触」のことを「ことのは」といっただけである。
そしてその音声は「感慨」をまとっているだけで、霊魂を宿しているのではない。古代以前の人々は、霊魂などというものは知らなかった。
彼らには、「言葉」という意識すらなかったのだ。それでも「ことだま」といっていた。それは、「胸に満ちてきた思いを吐き出してほっとする感触=カタルシス」のことをいっただけである。それ以上の妙な意味などなかった。
まあ、古語としての「たま」とは「カタルシス」のことである、というくらいはいえるかもしれない。
何はともあれ、原初、言葉は「感慨の表出」だったのだ。
原始人は、意味の表出として意図的に言葉を発したのではない。
人間的なさまざまな感慨は、知らず知らず口の端からさまざまな音声をこぼれださせた。これが、原初の言葉である。
そしてその音声は「感慨の表出」だから、自然に「歌」になってゆく。
人類は、歌を歌おうとして歌いはじめたのではない。気がついたら歌を歌っていたのだ。
最初に音声を発したことだって、それ自体歌を歌うことだった。
言葉は最初から伝達の手段ではなかった。人と人の出会いの場におけるときめきの表出であり、別れの場における嘆きの表出だった。そういう歌が言葉だった。
人類は、言葉を完成させてから、その言葉を使った遊びとして歌を生み出したのではない。
「感慨の表出」としての歌が、人類の言葉を彫琢し造形していったのだ。
日本列島では、早くから男と女の「歌垣」を基礎とする歌の文化があった。
縄文社会はほとんど小集落ばかりだったというのはひとつの謎だが、その形態を支えていたのは、おそらく男と女が集まる歌垣の習俗がさかんだったということだろう。そんな小集落で近親相姦ばかりしていたはずがない。
そして歌の習俗が盛んだったということは、原始的な言葉の感性を濃く残している社会だったということを意味する。
やまとことばは、歌とともに洗練してきた。やまとことばが完成してから歌が生まれてきたのではない。
人類の言葉の歴史は、歌としてはじまったのだ。感慨の表出の歌として。
そしてそういう原初の歌=言葉の歴史を継承するように枕詞が生まれてきた。
おそらく縄文初期の歌垣は、枕詞を交歓するのが歌の作法だった。
純粋な感慨の表出としての枕詞を差し出す。言葉は時代とともに具体的な事物の意味をまとってゆく。それはもう歴史の流れとして仕方のないことであるのだが、それでも歌においては純粋な感慨の表出の言葉がなければ歌にならない。古代人は、言葉が感慨の表出であることのよりどころとして枕詞を守り育てていった。
枕詞に具体的な事物の意味が付与されていったのはあとの時代になってからのことで、起源としての枕詞は、人間的な「感慨のあや」をまとっていただけである。やまとことばは、そういう原始性を引き継ぎながら洗練発達してきた。
起源(本質)としての枕詞に具体的な事物の意味を付与して語るべきでない。
古代人や古代以前の人々にとって音声=言葉を発することの醍醐味は、胸にたまった感慨を体の外に吐き出すことにあった。そうして、体の中が「からっぽ」になってゆくさっぱりした心地を「カタルシス=みそぎ」として体験していった。そのようにして枕詞が生まれてきたのであり、それは、純粋に人間としての感慨のあやの表出だった。



人間は、身体(胸の中)にまとわりついている感慨を引きはがして「からっぽの身体」になろうとする衝動を持っている。
ほかの動物は、人間ほどには、胸の中にまとわりついている感慨を持たないし、体の中の肉体としての肉や骨や内臓に対する鬱陶しさも持っていない。だから、人間ほどには、切実なからっぽの身体になろうとする衝動は持っていない。そんなふうに思わなくても、すでに肉体のことなど忘れて「からっぽの身体」になっている。
人間は、からっぽの身体になるためのよりどころとして「衣装」を着る。文明人はもう、衣装を着ないと「からっぽの身体」にはなれない。つまり「肉体」のことを忘れて身体を扱ってゆくということができない。
肉体のことなど忘れて身体が「「からっぽ」の「空間の輪郭」になっていなければ、身体はうまく動かない。
「からっぽの身体」になることは、生き物の生きるいとなみの基本である。
人間が言葉を持っているのは、それだけ身体にさまざまな感慨がまとわりついているからであり、「からっぽの身体」になろうとして思わずその感慨を音声とともに吐き出してしまう習性を持っているからだ。それはもう、生き物としての習性である。
人間が言葉を持っていることも衣装を着ることも、ひとつの「からっぽの身体」になろうとする衝動である。
原初、そのように胸の中にまとわりついた感慨を身体から引き剥がそうとして吐き出された言葉として枕詞が生まれてきた。
口から吐き出された言葉はいわば肉体がまとっている衣装であり、歌においてもっとも音声的な言葉である枕詞は歌の衣装である。
衣装とは、からっぽの身体における「身体の輪郭」である。
原初の歌は、からっぽの身体になるために胸の中の感慨を身体から引き剥がす行為だった。そのようにして最初にただもう感慨の表出というだけの枕詞が生まれ、そのあと具体的な事物の描写という「肉体」も加わった31音の短歌になっていったとき、枕詞は歌の衣装の役割を果たしていた。
衣装、すなわち歌の主題であり通奏低音だということ。
衣装をまとっていないと、人間の身体も歌も成り立たない。それはもう生き物としての本能的な衝動であると同時に、それこそが日本列島の伝統の「姿」の美意識になっていった。
古代人にとっては、「肉体」よりも「からっぽの身体=衣装」こそがこの生のよりどころだった。それが「姿」の美意識である。
そしてそういう「姿=からっぽの身体」の美意識においては、「身体に宿る霊魂」という概念が生まれてくる余地はない。
枕詞において「たま」という言葉はよく使われるが、古代以前の人々にとっての「たま」とは、「からっぽの身体になってゆくことのカタルシス=みそぎ」の表出だったのであって、べつに「たま=霊魂」という意味で使っていたのではない。
心や体がさっぱりすることを「たま」といった。それだけのこと。それだけのことだが、人間が生きてあることにおいてそれ以上に大切なこともないともいえる。それこそが人間の生きるいとなみで、さっぱりしたくて言葉が生まれ、文化・文明が発展してきた。



普通に考えて、われわれがものを思うとき、体の中で思うというより、思いは体の外のどこかで浮かんで、それで胸がざわざわしたり息苦しくなったり胃がきりきり痛んだりしている。
体の中で思いが浮かぶのではなく、体の中が体の外で浮かんだ思いに反応しているだけである。
「浮かぶ」ということ自体、体の外のどこかで浮かんでいるのだなあ、という認識からきている。
体の中に宿っているものが「思い」を生むのではない。体の中は、体の外で浮かんだ「思い=意識」に反応しているだけなのだ……原始人はたぶん誰もがそう思っていた。
森の木を見てそこに何かが宿っていると思うのは文明人の観念であって、原始人や生まれたばかりの子供の心ではない。
アマゾンやボルネオ奥地の現代の未開住民だって、すでにそうした文明の観念の洗礼を受けてしまっているから霊魂がどうのこうのというのだ。
それは、原始人の世界観や生命観ではない。
人間の観念と遺伝子は、たちまち地球の隅々まで伝播していってしまう。
しかし海に囲まれた日本列島では、縄文時代の一万年のあいだ、世界の文明の観念が伝播してこなかった。そうして原始時代そのままの世界観や生命観を洗練発達させてきた。そのような霊魂などというものを知らないまま、純粋に心のあやを表出する作法として枕詞が生まれてきた。
胸がドキドキしたり息苦しくなったりしたら、それを吐き出さずにいられない。そのようにして枕詞がうまれてきた。そしてそれは、思いが浮かんだもとの場所に戻してやることであり、それが言葉=音声を発するということの根源のかたちなのだ。
胸の中の違和感を音声とともに吐き出す。吐き出して、はじめてそれが「思い」だったことに気づく。
原始人が気づいていったのは、「霊魂」ではなく、純粋に「感慨のあや」だったのだ。
その「感慨のあや」とともに、やまとことばが洗練発達してきた。
それは、体の中を「からっぽ」にすることなのだから、体の中に宿る「霊魂」などというものは発想しようがない。
人間だろうと環境世界の自然だろうと、中身がからっぽの「姿」として見るのが、霊魂を知らない歴史を歩んできた日本列島の伝統の美意識である。
やまとことばは、「霊魂の表出」ではない。いまどきの研究者は、枕詞が持っている豊かな「感慨のあや」に気づかないで、そこに具体的な事物の意味=霊魂を付与することばかり躍起になっている。



人間の視覚の基本は、それを「画像」としてとらえることにある。そのときその対象が質量をもった「物体」であることはまだ知らない。たんなる色や形が見えているだけである。
この「画像」が「からっぽの身体」である。人間はまず、そのようにして世界を認識する。
たとえば、歩きはじめたばかりの赤ん坊を外に連れ出したとき、転んだら痛いからという理由で、歩くことを怖がるかといえば、そんなことはない。赤ん坊はまだ地面が硬いということも自分の身体が物体であるということもよく知らない。転んで痛い思いをしても、すぐ忘れてしまう。そうして、また転んで泣く。そんなことをずっと繰り返してゆく。
彼らは基本的に、地面が物体であることを知らない。つまり、地面は、たんなる「画像」として見えている。何度も転んで地面が物体であることを学んでも、意識の基本においては、それはたんなる「画像」なのだ。だから、知っていながらすぐ忘れてしまう。
忘れてしまうから、はしゃぎまわって動くことができる。
忘れることは大切なことだ。
なぜ忘れることができるかといえば、人間の視覚の基本が世界をたんなる「画像」として見ることにあるからだ。われわれ大人だって、基本的には世界をそのように見ている。基本的には。
その中に何かがつまっているとは思わない。
「原始人や子供のイノセントな心は雲や木を見てもその中に何かが宿っていることを感じる」などとよくいわれるが、これは嘘だ。そう感じるのは大人の観念のはたらきであり、それを子供に吹き込むから、子供もそのように見えてきたりするだけである。
子供は、「見えないもの」を見ているのではない。そんな見方をしたがるのは大人の世間ずれした観念のはたらきであって、子供は見えるものを見えるように見ているだけだ。純粋な「画像」として。
つまり、基本的に人間は、身体の中に霊魂が宿っている、というような意識は持っていないということだ。基本的には、この世界はたんなる「画像」である。そういう見え方の上に、体を動かすなどの、人間の生きるいとなみの基本が成り立っているし、そういう見え方から生まれてくる「心のあや」もある。原始人は、そういう「心のあや」の上にこの生を成り立たせていた。
この身体には、霊魂どころか心さえもつまっていない。心は、身体の外の身体の輪郭で生成している。
「身体の輪郭」こそ、意識がはたらいている場所である。人間の意識が発達しているということは、「輪郭」に対する意識が発達している、ということだ。そのようにして意識はまず、世界を「画像」としてとらえる。そして、世界を「画像」としてとらえているということは、人の「意識=心のあや」に対する意識が敏感で発達しているということである。
犬だって、近づいてくる人間が犬好きかそうでないかちゃんとわかる、といわれたりする。それは、「身体の輪郭=姿」にそういう気配が現れている、ということだ。べつに体の中に宿っている霊魂やら心やらをのぞきこんでいるのではない。
言い換えれば、人の「心のあや」に鈍感な人間ほど身体の中に宿っているものとしての「心」や「霊魂」がどうのこうのといいたがる。
「心のあや」は、その人の「身体の輪郭=姿」がまとっている。人の「心のあや」に敏感で自分も「心のあや」が豊かな人は、言葉も表情も豊かに違いない。
人の「心のあや」に気づくということは、その人の胸の中をのぞきこむということではない。それは、人の「姿」に対して反応する、ということなのだ。
枕詞は、「心のあや」をまとっている言葉の姿である。そして古代以前の人々がそんな枕詞を生み出し愛着していたということは、「彼らは体の中に宿っているもの」というような視線は持たなかったということであり、「霊魂」など知らなかったということを意味する。
彼らは、霊魂などというものを知らないぶんだけ、「心のあや」に対する感受性が豊かな人たちだった。
枕詞は具体的な事物の名称だったといっている現在の研究者たちは、枕詞がまとっている「心のあや」の豊かさを知らない。



「たま」がつく枕詞はたしかに多い。
しかしそれは、「たま=霊魂」という意識でそういう体裁にしているのではない。折口信夫はそうだといっているが、そうではない。折口信夫が枕詞の研究をゆがんだものにしてしまっている。彼は、「霊魂」という概念を持ってこなければ枕詞は半分もわからないといっているが、「霊魂」という概念を持ってくるからその解釈が陳腐で底の浅いものになってしまうのだ。
「たまかづら」「たまかぎる」「たまくしげ」「たまどこの」「たまだれの」「たまきはる」等々、なぜ「たま」という言葉をかぶせるのかといえば、べつに「霊魂」という概念を付与してもったいをつけるためではない。
原初のやまとことばは、霊魂を表出する言葉だったのではなく、あくまで「感慨のあや」の表出にその本質的な機能があった。
古代以前の「たま」という言葉には、「心がすっきりさっぱりする」というニュアンスがあっただけだ。
たとえば「たまかづら」は、「かづら=かつら」だけでは五音に足りなくて枕詞になりえないから「たま」という音韻を便宜上付け足しただけだろう。ひとまずそれで調子が整うし、もともと「感慨の表出」の言葉だから、それ以外の言葉は足しようがなかった。
「た〜ま〜……」と詠い出せば、これは「感慨の表出です」という挨拶(宣誓)になる。枕詞の枕詞。
ほんとは「かつら」だけでもいいのだが、枕詞としての「姿」を整えるために「たま」をかぶせた。枕詞を歌い出すにあたって、二音か三音の短い音韻には「たま」をつける習慣になっていった。その感慨を詠うためにはほかの言葉をつけるわけにはいかないし、「たま」といっておけば、強調の接頭語、というような機能にもなる。
「たま」には、とくに意味はない。枕詞が「感慨の表出」であるという性格から生まれてきた接頭語で、その二音なり三音の言葉を枕詞の姿にする機能としてそこに置かれているにすぎない。
つまり、これは何度でもいいたいのだが、古代以前の人々は「たま」という言葉に「霊魂」という意味を付与するような思い込みはなく、ただもうそのまん丸のかたちが好きだっただけであり、彼らはそこにこの生やこの世界の「完結」を見ていた。だから、字足らずの言葉には「たま」という音声をかぶせて完結した枕詞の姿にしてやった。
もともと「たま」とは心や体がさっぱりすることであり、そこに「たま」という音声をかぶせれば枕詞としてすっきりしたかたちになる。
「たま」という音声は、体の中がからっぽになってゆくような心地とともに発せられる。
心は、体の外の「体の輪郭」で発生する。古代人にとって言葉を吐き出すことは、心をそこに戻して、体の中をさっぱりとした空っぽの状態にすることだった。
身体の中をからっぽにすることは、生き物であることの根源の問題である。そういう原始性=根源(本能と言い換えてもよい)においては、「霊魂」などというイメージは浮かんできようがないのである。
やまとことばは、そういう原始性=根源を残しながら洗練してきた言葉である。
「霊魂」という概念に人間性の普遍が宿っているのではない。
生き物の根源(本能)としての「からっぽの身体」という意識は、「霊魂」という概念とはなじまないし、まあ単純に考えて「霊魂の永遠」という意識があったら、「あはれ」とか「はかなし」という美意識なんか生まれてくるはずがないじゃないか。
本気で霊魂を信じていたら「たまのをよ 絶えなば絶えね……」などという表現が生まれてくるはずがない。
そりゃあもう今や、「霊魂」という概念は世界中の人間の心を覆っている。それでも、心の底からで霊魂を信じきれないのが日本列島の伝統的な風土なのだ。
「たま」といっても、それで5音の枕詞のかたちにするために便宜的にかぶせただけである。



化粧箱としての「玉櫛笥(たまくしげ)」の「玉」は、「美しい」という意味らしい。
「玉すだれ」は「美しいすだれ」、「玉床」は「美しい寝床」、「玉垣」は「美しい垣根」、美しいものに「たま」という接頭語をかぶせる習慣があった。
そして日本列島の「美しい」は、ただ華やかできらびやかというだけのことではなかった。
万葉集のころの「うつくし」は、「いとおしい」というようなニュアンスだった。つまりそれはまだ事物(自然)を描写するモダンな言葉ではなく、あくまで古風な「感慨の表出」の言葉だった。
なぜ美しいということを表現するのに「たま」という言葉を使ったかといえば、彼らにとって美しいものは、中身をからっぽにして「みそぎ」を果たしている「姿」だったからだ。
中身がからっぽでさっぱりしている姿、そういう「清浄」なものが美しいものだった。
もちろん色が鮮やかなものだって、その鮮やかさに心が奪われて中身に対する意識が消えてしまうから、それも美しいもののひとつになる。
ともあれ原初においては「さっぱりする感慨(カタルシス)」のことを「たま」といった。
「たまらない」とは、良くも悪くも心がさっぱりしないことである。
日本列島の住民は、「さっぱりする感慨」の延長で「きれい」という。「美しい」という表現はわりと新しいいい方で、「ビューティフル」の訳語として定着してきたのだろう。
「きれい」と「美しい」とはちょっと違うし、日本列島の住民はどちらかというと「きれい」という言葉の方になじんでいる。「きれい」を「美しい」という意味で使っている。
「きれい」とは、もともと「清浄(クリーン)」というニュアンスの言葉である。
「き」は「完結」の語義。「れ」は「あれ」「これ」「それ」の「れ」、「方向」の語義。「い」は、その強調。
「きれい」とは、完結していっているさま。ここで大事なことは、最初から完結しているのではないということだ。この生の「けがれ」をそそいで「みそぎ」が果たされるように、それは最初から清浄だったのではなく、「清浄になった」姿である。つまり「けがれをそそいでいる姿」のことを「きれい」という。掃除が行き届いている部屋のことを「きれい」というのはその典型だが、美人のことを「きれい」というときだって、われわれはそこに「けがれ」をそそいだ「清浄」のかたちを見ている。肌が白くてすべすべしているということはひとつの「清浄」であり、端正な目鼻や唇のかたちだって、ようするに「ゆがんでいない」ということの「清浄」を見ている。
「清浄」とは「けがれ」がそそがれている姿のこと、それを「きれい」という。
言葉だって、胸の中にたまっている「思い=穢れ」を体の外に吐き出したものである。言葉が清浄であるのではない。言葉=音声を吐きだすことの「清浄=カタルシス」がある。
古代人にとって言葉を吐き出すことは、ひとつの「みそぎ」だった。



「みそぎ」を果たした姿のことを「きれい」という。
枕詞は、まさにそうした「みそぎ」を果たしている言葉だった。「感慨のあや」をまとった枕詞を吐き出すことによって、体の中(胸の中)を掃除するのだ。そうして、体の中(胸の中)をからっぽにする。
古代人が枕詞を愛着していたのは、霊魂の問題ではない。美意識の問題であり、身体感覚の問題なのだ。
彼らは、胸の中にたまった思いを枕詞とともに吐き出していった。そうして「からっぽの身体」になる。それは、思いが消えることではない。思いは「身体の輪郭=姿」がまとっている。
心は、身体の中に宿っているのではない。「身体の輪郭=姿」がまとっている。
まあ、ふつうに考えて、身体の中に心や霊魂が宿っているというのは、実感からは遠い。そう考えるのは、制度的な観念である。この世の中にそういう決めごとができ上がってしまっているだけで、心というのはその存在の場所を実感できるものではないだろう。身体の外側でありながら、環境世界の空間に漂っているのでもない。そういう微妙なとらえどころのない場所で生成している。
心がはたらいている場所なんかわからない。考えれば考えるほどわからなくなってくる。その「わからない」という嘆きとともに、人間の言葉が育ってきたのだ。
心や霊魂が体の中に宿っていると実感できるのなら、かんたんなことさ。しかし本当は、誰もわかっていない。実感していない。「体の中に宿っている」と現代人が勝手に決めつけているだけだ。それは現代社会の制度性であり、たんなる観念上のことで、実感ではない。
われわれに実感できることはただ、体の中がからっぽになる心地があって、それを願いそれとともに生きているということだけだ。そういう実感は、は気づいていないようでいて、じつは誰もがどこかしらで実感している。心や霊魂が体の中に宿っていると合意されている社会であるなら、その実感はどうしても心の奥に隠されてゆく。しかしじつは、誰もがどこかしらで実感している。
そして、このような制度的な合意のない古代以前の社会においては、現代人よりもずっとたしかに「からっぽの身体」が自覚されていたのであり、そこから枕詞が生まれ、「姿」の美意識が育ってきた。
「きれい」という美意識は、体の中がからっぽになってゆくことのさっぱりした心地(カタルシス)を水源にしている。そしてそういう身体感覚は世界中の原始人のものだったのであり、その原始性をそのまま洗練させてきたのがやまとことばだった。
「からっぽの身体」には心も霊魂も宿っていない。心は、「身体の輪郭=姿」において生成している。現代人だって、素直になれば、そのようにしか実感できない。
日本列島の「姿の美」には、「霊魂」など宿っていない。
古代人は、「たま」という言葉を愛していた。しかしそれは「霊魂」としてではない。
あえて具体的なことでいえば、まん丸いかたちが好きで、それを「たま」といっていただけのこと。身も心もさっぱりすることの象徴としてのまん丸いかたちが好きだっただけである。それは、完結したかたちであり、「いまここでこの生もこの世界も完結している」という感慨の表出として「たま」といったのであり、それが古代人の世界観であり生命観だった。
彼らは、「たま」という言葉を現代人よりもっと深く豊かに、自由自在に使いこなしていた。ただ単純に「宝玉」とか「霊魂」という意味に限定していたのではない。
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