「たまかづら」など・起源としての枕詞 13


起源としての枕詞は、「感慨の表出」の言葉である。
「たまかづら」という枕詞は、蔦などのつる草のことだとか、あるいは玉をつないだ髪飾りだともいわれている。しかしそれらの名称は、おそらくこの枕詞にちなんであとからつけられたのであって、枕詞より先にあったはずがない。
やまとことばは、感慨を表す言葉が先で、それがやがて具体的な事物(自然)の名称になってゆくことが多い。たとえば「くま=怖い」から派生して「くま=熊」になってゆくように。
起源においては、「たまかづら」あるいは「かつら」という音声を発する「感慨のあや」があっただけなのだ。
「たま」は、辞典によれば「美しい」という意味らしい。まあそれがつる草やかつらなどの具体的な事物ならそういう形容にもなるが、語源における「感慨の表出」の言葉として考えるなら、心を表す言葉の接頭語だったにちがいない。すなわち「かつらという心」、「かつら」だけなら三音だから「たま」をつけて五音の枕詞のかたちにした。
起源としての枕詞は、具体的な事物(自然)の名称ではなかった。
「かつら」という言葉は、つる草や頭にかぶる「鬘(かつら)」だけでなく、人の名や地名にも使われている。まず感慨の表現としての「かつら」という言葉があり、そこからそれらの名称に派生していった。
最初に具体的な事物の名称としてあったのなら、そうそうべつの事物の名称になったりはしない。
たとえば「箸(はし)」と「橋(はし)」と「端(はし)」は、まったく違う事物の名称である。それらはもともと「危なっかしい=不安・心配」を表す言葉で、意味は違っても、そういう感慨のニュアンスは共通している。
はじめに「かつら」という音声の語感があった。日本列島の住民はその語感が好きで、その音声がまとっている「感慨のあや」をかつては誰もが知っていた。
その語感を考えてみよう。
「か」は、「カッとなる」の「か」、気づくこと。
「つ」は、「付く」の「つ」、「接着」「到達」の語義。つまり、関係すること。
タイトに関係することを「かつ」という。だから「自由かつ平等」などと二つの言葉をつなげることに使われるし、限界(底)にぴったりくっついていることを「かつかつ」という。
「ら」は、「あちらこちら」「我ら彼ら」の「ら」、たくさんの方向のこと。
「かつら」とは、あまねく行き渡ること。誰からも好かれている人や場所として「かつら」という名称がつけられた。そして、思いが時空を超えて到達してゆくことを「かつら」という。遠距離恋愛をしていても心はつながっていたい、とか、そいう心模様もまあ、「かつら」である。
願い・祈り・ひたむきな心。
つまり「かつら」とは、胸の中がある思いで覆われてしまうこと。まずそのような「感慨の表出」として生まれ、その「覆う」というニュアンスから、這って広がる蔦などの植物や頭を覆うものを「鬘(かつら)」というようになっていった。



おそらく古代以前に「かつら」という植物の名称などなかった。
心が気になることに覆われることや一途に思いつめることを「かつら」といっただけだろう。
あとの時代になって、その「覆う」というニュアンスを延長して、蔦のように這って広がってゆく植物のことを「かづら」というようになっていったにすぎない。
研究者は誰もが、これらの枕詞のもとになる植物があったと考えているが、そうじゃない。起源としての枕詞はあくまで「感慨の表出」だったのであり、あとの時代になってつる草やかつらという具体的な事物の呼称にもなった。
起源としての「たまかづら」は、純粋な「感慨の表出」の言葉だった。
「たまかづら」の「たま」は「心」、すなわち「心はかつら」ということ。あまねく行き渡るひたむきな心、というニュアンスだろうか。
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■人はよし 思い止むとも たまかづら 影に見えつつ 忘れえぬかも
……崩御した天皇に皇后が捧げた歌(訳・たとえほかの人が忘れても私はあなたの面影を抱いてけっして忘れません)
■ たまかづら 絶えぬものから さ寝(ぬ)らくは 年の渡りにただ一夜(ひとよ)のみ
……(訳・彦星と織姫の心はずっと繋がっているが、共寝ができるのは年一度の夜だけだ)
■ たまかづら 懸(か)けぬ時なく恋ふれども 何しか妹に逢ふ時もなき
……(訳・いつもいつも恋しいと思っているけれど、その人に逢えるときはない)
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この三首の「たまかづら」がかかる言葉は、「影」「絶えぬ」「懸けぬ」になっている。研究者はあれこれこじつけて「つる草」という意味とつなげて説明してくれるが、そんなことよりもこれらの歌はすべてひたむきに会いたいと思って相手のところまで這って伸びてゆくような心を表しており、それが「たまかづら」の感慨である。つまりこれらの歌の「たまかづら」は、歌の主題であり通奏低音になっている。どの言葉にかかるとか、そんなことはたいした問題ではない。「たまかづら」と詠み上げれば、そのあとにひたむきな心が表現されてゆくことを予感させる、ということが大事なのだ。
そしてこれらの歌の主題である「たまかづら=ひたむきな思い」は、植物の生態を見て発想されていったのではない。はじめにそのような「感慨のあや」に気づく体験があり、歌の歴史とともに何度も何度もそういう感慨を表そうとしているうちに、いつの間にか「かつら=たまかづら」という言葉=音声に落ち着いていったのだ。
次の歌は源氏物語の中に挿入されている。初恋の相手である夕顔の娘が源氏を訪ねてきたときに詠んだ一首。
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■恋ひわたる 身はそれなれど  たまかづら いかなる筋を 尋ね来つらむ
(訳・私がこの娘の母親の夕顔を恋慕い続けているのは昔のままだが、このひたむきな心の娘はどのような筋をたどって私を訪ねてきたのだろう)
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ここでの「たまかづら」は「いかなる」にかかっているといってもしょうがないだろう。それとも研究者は、蔦のつるに関連して「筋」にかかっている、というのだろか。しかし、そんなことはどうでもいいのだ。それでもこの「たまかづら」は、光源氏を訪ねてきた娘の無垢なひたむきさを表すのにみごとな効果を与えていると同時に、最初の「恋ひわたる」とも照応している。もう、「たまかづら」がどの言葉にかかっているかと詮索することなど、野暮なだけである。
この「たまかづら」は、この歌の主題であり全体に流れる通奏低音なのだ。
たぶん紫式部は、「たまかづら」が「ひたむきな心」を表す言葉だということをちゃんと知っていた。
つる草が「ひたむきな心」を代弁しているのではない。「ひたむきな心」の連想としてつる草が「かつら」という名称になっていっただけのこと。



「たまかづら」と似た枕詞として「さねかづら」がある。
実際にそういう名の植物がある。しかしそれだって、もともとは枝に脂分が多くてぬるぬるしていることから「滑(なめ)りかづら」といわれていただけで、「さねかづら」という枕詞が定着したことによってそう呼ばれるようになっただけだともいわれている。
語源としての「さね」という言葉=音声は、「玉」とか「実」とか「核」というような意味などなく、これもまたあくまで「感慨のあや」を表出する言葉だった。
「さ」は、「さっさと済ませる」の「さ」、早くなめらかで鮮やかなさま。
「ね」は「ねっとり」の「ね」、「ねえ」となついてゆく。なついて和んでゆくこと。
まあ「寝(ね)る」ことは、死ぬことになついてなごんで体がとけてゆくような感覚なのだろう。
「さね」とは、素早く鮮やかに気持ちが向くこと、すなわち敏感なこと。
だから女性の敏感なクリトリスのことを「さね」という。
「さねかづら」とは、心の中が敏感な好奇心でいきわたっているさま。
ちょっとおもしろい「さねかづら」の歌がある。
人の愛人に横恋慕した男の歌らしい。
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■たまくしげ みむまど山の さねかづら さ寝ずはつひに ありかつましじ
……(訳・こんなにも好きで好きでたまらないのだから、あなたと共寝ができないということなど考えらない)
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なぜおもしろいかというと、この「たまくしげ みむまど山の さねかづら」の三つの言葉は、すべて枕詞なのだ。
しかし枕詞はほんらい「感慨の表出」なのだから、三つ並んでいてもルール違反ではないし、相手にちゃんと伝わるものがある。
この「さねかづら」は「さ寝ず」にかかるといっても、意味のつながりは何もない。「さねかづら」と詠み上げながら、「さ寝ず」という言葉が連想されただけのこと。
「たまくしげ」とは、焦る気持ち。
「みむまど山」は、思い悩んで身動きできなくなっている気持ちが山のようにふくらんでいること。いちおう通説では特定の山のことだということになっているが、たぶんそうではない。それではかえってつじつまが合わなくなってしまう。古代人は、勝手な山や川の名をつくってしむことをよくする。「カチカチ山」といっても、べつにそれが固有名詞であるわけではない。まあ、そんなようなこと。
そして「さねかずら」は、心がとても敏感になって好きな人のところまで這って伸びていっていること。焦って身もだえして思いつめている、というようなことだろうか。まあ、好きで好きでたまらない、ということ。
江戸時代には「おっと合点承知の助」とか「その手は桑名の焼き蛤」とか、そのような言い方が大いに流行したらしいが、ニュアンスは違っても同じような言葉の扱い方だ。
日本列島の住民はこんな言い方を万葉の昔からずっと続けてきた。
ともあれ枕詞があとにかかる言葉を修飾するだけの言葉なら、こんな表現はありえない。同じ意味を持ってあとの言葉にかかるのではなく、そこからあとの言葉を連想してゆくだけのこと。
この歌は、女が「たまくしげ」という枕詞で男が最初に贈った歌に対するつれない返事をしてきたから、もういちどその「たまくしげ」を使って贈り返したものだった。
で、その前の女の返歌はどんなものだったかというと、「たまくしげ」の「焦る」ということに「大いに困る」というニュアンスをこめたものだった。



「たまくしげ」とは「焦る」こと。枕詞は、必ずしも「祝福」の言葉ではない。ときめきの表出になることもあれば、嘆きの表出にもなる。むしろ、嘆きの表出として使われることの方が多い。研究者は、枕詞の表現の豊かさをちゃんととらえていない。
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■たまくしげ 覆うを安み 開けていなば 君が名はあれど わが名し惜しも
……(訳・困って焦ります、人目がないことをいいことに朝まで家の前にいられたら。あなたはともかく、私は浮名を立てられたくないのです)
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この恋の顛末がどうなったかということはどうでもよい。
とにかくこれは、必死の拒絶の歌である。男が朝になってから帰ってゆけば、それを見かけた人は、女の家に泊ってきたと解釈してしまう。女としては、それは大いに困る。ほんとに好きな男から捨てられてしまう。
辞典によれば、「たまくしげ」とは、「玉櫛笥」と書いて、きれいな化粧道具の箱なのだとか。そういう「祝福」の言葉だといいたいのだろうか。だったら、最初にこの枕詞を差し出したとき、「念入りに化粧をしてあなたを待っています」という意味にとられてしまう。
まずこの枕詞を差し出したということは、この枕詞に女の精一杯の思いが込められている、ということだ。必死の拒絶の歌である。「きれいな化粧道具の箱」などというお気楽な意味しかないのなら、この言葉を差し出すはずがない。この女は、こんな稚拙な歌のつくり方しかできないのか。そうではあるまい。稚拙なのは、現在の研究者たちの枕詞に対する理解の方だ。女に対して失礼である。
「くしげ」は「苦(くる)しげ」であり、そうやって焦っているのだ。
「く」は、もちろん「苦しい」の「く」、「組む」の「く」、「複雑」「混乱」の語義。気持ちがもやもやしてこんがらがってしまうこと。
「し」は「しーん」の「し」、「静寂」「孤独」の語義。この場合は追いつめられること。
「げ=け」は「蹴る」の「け」、「分裂」の語義。気持ちが分裂し定まらないこと。
「くしげ」とは、わけがわからなくなってうろたえること。すなわち、焦ること。
起源としての枕詞には、具体的な事物に限定された意味などなかった。それはあくまで「感慨のあや」を直裁に表す言葉だったのだ。
それは、「櫛笥(くしげ)」という化粧道具の箱を意味していたのではない。おそらく、化粧道具の箱の名前の方があとから生まれてきたのだろう。もしかしたら、出かけるときや男が訪ねてきたときにあわてて化粧するから、枕詞の「焦る」にちなんでそう呼ばれるようになっていったのかもしれない。だとすれば、この命名の仕方はちょいと粋である。
次の「たまくしげ」の歌は二つとも「二上山」にかかるかたちになっているのだが、「化粧道具の箱」と「二上山」は関係ないだろう。
箱には「蓋(ふた)」が付いているからだというが、そういうこととはちょっと違う。
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■たまくしげ 二上山に 鳴く鳥の 声の恋しき 時は来にけり
■ぬばたまの 夜は更けぬらし たまくしげ 二上山に 月かたぶきぬ
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両方とも平明な情景描写だが、どちらの「たまくしげ」にも、ひとまず「気もそぞろ」というニュアンスがこめられている。春が近づいて気もそぞろになってきた。月が隠れてしまいそうで気もそぞろだ。これだって「焦る」の「感慨のあや」だろう。万葉人は、枕詞にそういうニュアンスをちゃんと自覚していた。なにげないようでいて、ちゃんと思いを込めてこの「たまくしげ」という枕詞を置いている。
上の歌は、出世の機会を待ちわびているのか、また心ときめく恋がしたいと気持ちがはやるのか。そして下の歌は、没落貴族の悲哀を詠っているらしい。いずれにせよ、そういう「焦る」という感慨を込めた「たまくしげ」なのだ。
で、上の二つの「たまくしげ」のあとになぜ「二上山(ふたかみやま)」が続くかというと、古代においては胸が「ふさぐ」ことを「ふたぐ」といったからだ。
「ふ」は「伏す」の「ふ」、低いところのさま。「ふう―」と息を吐く。「やれやれ」という感じ。
「た」は「たたむ」の「た」、「完結」「終結」の語義。
「ぐ=く」は、「組む」「苦しい」の「く」、ややこしくなってしまうこと。
「ふたぐ」とは、思い悩んで気持ちが沈んだまま動かなくなってしまうこと。気持ちが、発散できなくなってしまうこと。そこから具体的な事物としての「蓋ふた」という言葉が生まれ、「塞(ふさ)ぐ」という言葉も派生してきた。もとはといえば「ふたぐ」という「心の表現」の言葉だったのだ。
「たまくしげ」とは出口が見つからなくて焦る気持ち、そこから「ふたぐ」という言葉が連想され、さらには「二上山(ふたかみやま)」が連想されていった。
したがってそれは、ほんとうの「二上山」かどうかはわからない。「三笠の山に月かたぶきぬ」といってもいいのであり、作者は実際には三笠の山を見ていたのかもしれない。それでもこの歌には「二上山」と詠まずにいられないわけがあった。
胸がふさがれる思いで山を眺めていたのなら、その山は「二上山」といったほうが似合う。いやもう、「二上山」でなければならない。そのようにして「たまくしげ=焦る=ふた(さ)ぐ」という連想として、「二上山」と続けるのがお約束になっていった。「たまくしげ」の歌は、「三笠の山」と詠むわけにはいかないのだ。
そしてこの場合は、研究者たちのいう枕詞とあとにかかる言葉との関係が逆になっている。あとの言葉が枕詞を修飾している。
二上山」は奈良盆地の代表的な山のひとつではあるが、これらの歌においては、固有名詞であると同時に、そこから離れて「胸がふたぐ山」とか「気もそぞろになる山」とか、そういう「たまくしげ」の感慨の象徴的な表現にもなっている。
次の歌は南北朝時代のものらしいが、それでも「くしげ=焦る」という感慨を自覚して詠まれている。
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■たまくしげ 二上山(ふたかみやま)の雲間より いづれは明くる夏の夜の月
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この歌の「二上山」も固有名詞であって固有名詞ではない。ここでの「二上山の雲間」は、たぶん南北朝の対立という「胸ふた(さ)ぐ状況」の象徴表現になっている。
語源としての「たまくしげ」は、「焦る」という感慨を表現する言葉だった。そしてそのことは、古代人だけでなく中世の歌人だってちゃんと自覚していた。
ここは、どうしても「二上山」でなければならない。歌はもともと「心の表現」だったから、事物の具体的な意味を無視してしまうことがよくある。それはもう、万葉の昔から歌人たちがずっとやってきた手法である。
人類は、事物(自然)の表現として言葉を覚えていったのではない。
言葉は「感慨の表出」として生まれてきた。
古代人がこのように「二上山」という事物の表現を無視して「感慨の表現」にしてしまうのは、事物の表現から感慨の表現を覚えていったからではなく、もともと感慨の表現を事物の表現に代用してゆくという歴史を歩んできたからだ。
二上山」という名称だって、語源においては、感慨の表現だったのだ。
「ふた」は、「ふたぐ」のニュアンスとして、心が低いところでしいんとしてゆくことであり、すなわち見とれてしまうこと。
「かみ」は「噛む」、その思いをかみしめること。
「ふたかみ」とは、見とれて立ちつくしてしまうこと。
古代以前の人々はそういう思いで「二上山」を眺めていた。そういう思いの長い歴史があって、あとの時代に名前をつけようかということになり、だったら「二上山(ふたかみやま)」だな、ということになっていった。
二上山」から「ふたぐ」という言葉を連想することは、必然的ななりゆきである。
歌においてそれが固有名詞であることを無視するのは、その言葉の語源に遡行することだった。古代人はまだ、そういう語源のニュアンスを誰もが承知していた。枕詞は「感慨の表出」の言葉であるということを、誰もが自覚していた。
なのに現代の研究者たちは、それが具体的な事物を表現している言葉だという。彼らはもう、完全に古代人の心から遊離してしまっている。そうやって枕詞研究は遅々として進まない。
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