もういちど『初期歌謡論』から・起源としての枕詞 12


吉本隆明氏の『初期歌謡論』における次の文章は、僕にとってはとても気味悪い文章である。
これは、彼の個性だろうか。それともこれが、一般的に合意されている歴史認識なのだろうか。

なぜ<歌>は直裁に<心>の表現で始まり<心>の表現で終るところに成立しなかったのだろうか?
なぜ自然(事物)をまず人間化して<心>のほうに引き寄せ、つぎに<心>の表現と結びつけるという、一見すると迂遠な方法がとられたのだろうか?
いま、こういう疑問をもちだすとすれば、応えはおおよそ二つありうる。
もともと歌の成立には、発生のときから事物(自然)の描写が本質的になければならないものだった、というのが、ひとつの応えである。
かれらには自然もまた依り代として<心>の一部とかんがえられていたのであった。
もうひとつの応えは、古代人(あるいはもっと遡って未開人)は、<心>を心によって直接に表わせなかったので、まず眼に触れる事物(自然)の手ごたえからはじめて、しだいにじぶんの<心>の表わし方を納得してゆくよりほかなかった、とかんがえることである。 


僕は、ふつうに「歌は心の表現で始まり心の表現で終わる」と思っているから、こういう言い方をされると驚いてしまう。
枕詞ほど「直裁に心を表現している」言葉もないのである。
言葉の起源だって心の表現としてはじまり、現代人にとっても言葉を扱うことの究極の醍醐味は心の表現にあるのだろう。
「あなた、好きよ(アイ ラブ ユー)」のひとことが男の一生を決めてしまったりするのだ。言葉の起源と究極は心の表現にあるに決まっているじゃないか。
この人は、どうしてこんなことがわからないのだろう。
原初の人類は、「やあ」とか「おーい」とか「おお」とか「わあ」とか、そんな心の表現として言葉の歴史をはじめ、その延長上に歌が生まれてきた。こんなことはあたりまえじゃないかと僕は思ってきた。
人間が事物(自然)を描写できるようになってきたのは、ずっとあとの時代である。
最初は、リンゴの名前などなかった。きれいだとか、かわいいとか、おいしそうだという印象=心を原始的な音声のニュアンスで表出し合っていただけだろう。もちろんそのときはまだ「かわいい」とか「おいしい」というような言葉があろうはずもないが、「ああ」とか「うう」という音声のニュアンスで表現し合っていたにちがいない。何はともあれそれは「心の表現」だったはずである。
その音声のニュアンスが「歌」になり、やがてはさまざまな「言葉」になっていったのだ。
まず音声のニュアンスを聞き分ける、という体験がなければ、さまざまな音声を使い分ける人間的な「言葉」というものは生まれてこなかった。
同じ「ああ」という音声でも、さまざまなニュアンスの「ああ」があり、そこから「いい」とか「うう」とか「おお」という音声が生まれてきて、さらには「ううん」とか「きゃあ」とか「へえ」とか「おーい」という音声を発したり聞き分けたりするようになってきたのだろう。
それらの音声は事物(自然)を表現しているのではなく、事物(自然)に対して反応している「心のあや」が表出されているだけであり、その心のあやに気づいてゆくことによってさらに音声の幅が拡大していった。
その音声を聞き分け、その音声がまとっている「心のあや」に気づいてゆく体験とともに言葉が生まれ育ってきたのだ。
「心のあや」に気づくという体験なしに言葉の歴史はありえないし、音声が「心のあや」を表出するものだったから「歌」が生まれてきたのだ。
「事物(自然)の描写」が歌になることなどあり得ないのだ。
「事物(自然)を人間化する」などとかんたんにいってくれるが、そんなことは人間が事物(自然)を支配しているということの上に立ってはじめて生まれてくる心の動きなのだ。
人間は人間、自分は自分、リンゴはリンゴじゃないか。リンゴを人間化するなどということが、そうかんたんにできるものか。僕だってようしない。
この世界は分節化されてあるからこそ、事物(自然)に対する感慨が生まれ、その感慨に気づいてゆくこととともに言葉が生まれ育ってきた。



この人は、自分の心に気づかないのだろうか。
たとえば、目の前の人間に対して、この人間はどんな人間かと分析・吟味する能力は発達しているのだろうが、自分が今この人間と一緒にいてどんな心の動きになっているのだろうかという感触はあまりないのかもしれない。
世の中には、しゃべり方や表情に「心のあや」の起伏があまり表れない人がいる。ただ無表情というだけでなく、いつも薄笑いを浮かべている相手だって、あまり気持ちのいいものではない。
吉本氏がどんな人だったかは知らないが、少なくとも晩年は、人の前でいつも薄笑いを浮かべている人だったらしい。そうやって穏やかな感じのよい老人を演じながら、腹の中では容赦なく他人を分析・吟味している。彼には、他人を前にしたときの「胸に満ちてくる思い」などなかった。だから彼は「老人になるとは観念的な存在になるということです」といっている。
原始人は直裁に心の表現をすることができなかった、というその思考は、ほんとに気味悪いと思う。それは、「表現するような心の動きを持っていなかった」といっているのと同義なのである。
言葉の起源においてはまず、心の動きが音声になって思わず口の端からこぼれ出るという体験があった。そうして、その音声を聞くことによって、はじめて心の動きがあったことに気づいていった。
人間は、さまざまな心の動きがさまざまな音声となってこぼれ出てしまう生き物である。何はさておいてもまずそれが言葉のはじまりであり、その体験とともに言葉が育っていった。その体験がなければ、言葉の歴史なんか存在していない。
原始人や古代人は、どのようにして自分の心を表現しようかというような文明人的自意識など持っていなかった。心が動かないから、そんなことをしようとするのだ。心が動けば、そんなことをする前に言葉=音声が自然に口の端からこぼれ出てしまう。彼らは、何はさておいても表現せずにいられない心の動きを持っていたのであり、それを表現するものとしてそこに言葉が存在し機能している社会だった。
彼らにとって自分たちの社会にさまざまな言葉が存在するということは、自分の中にさまざまな心の動きが起きているということに気づかせてくれることだった。そうしてそのときの自分の心にしっくりくる言葉を選択して吐き出していった。
原始社会には心の表現の言葉があっただけで、事物(自然)を描写する言葉など存在しなかった。
人間は、他者に対しても世界に対しても胸がはちきれそうな思いを抱いてしまう存在であり、言葉はその感触にせかされて生まれ育ってきたのであって、事物(自然)を描写するための道具だったのではない。
原初の言葉は、事物(自然)を描写するための言葉だったのか?そんなはずがないじゃないか。人間的な「ああ」とか「おお」という音声は、事物(自然)を描写するための言葉だったのか?
人間はまず、言葉によって事物(自然)を描写することを覚えていったのか?吉本氏は、ここで「そうだ」といっているのである。そして彼がなぜそんなことを発想するのかというと、心の表現は高度な芸術行為であるというナルシスティックな思い込みがあるからで、高度な芸術行為でしか表せないほどに胸に満ちてくる思いが希薄な人だったからであろう。彼にとって心および心の表現は、高度な芸術行為としてつくりだすものであって、思わず音声がこぼれ出てしまうようなはじめからあるものではなかった。彼は、高度な芸術行為として心の動きをつくりださねばならないほどに、心の動きが希薄な人だった。「<心>を心によって直接に表わせなかったので、まず眼に触れる事物(自然)の手ごたえからはじめて、しだいにじぶんの<心>の表わし方を納得してゆくよりほかなかった」……この言い方はもう、おそらく彼自身の人生の原体験なのだろう。彼は、心が現れるような声や表情やしぐさを持っていなかったのであり、それはそういう心の動きが希薄だったということだ。たぶん乳幼児のころの原体験として、そういうことがあったのだろう。
まあ、それで彼の芸術的な才能が花開いたのならそれはそれでけっこうなことだが、それを物差しにして言葉や歌の起源を語ってもらっては困る。原始人は直截的に心を表す言葉を持っていなかった、などということは真実ではないし、そういう思考は気味悪いと思う。
直截的に心を表す機能こそ原始人の言葉だったのであり、そういう原始的な機能を洗練させてきたのがやまとことばなのだ。



吉本氏をはじめとして多くの研究者は、枕詞は「事物(自然)を描写する言葉」だと考えている。
そして僕はこの枕詞論で、現代人の誰もが事物(自然)を描写しているように見える「ふゆごもり」とか「あさつゆの」という枕詞だってじつは「感慨のあや」の表出だったのだと書いた。
語源としての「ふゆ」とは、思いが震えて揺れながら胸にたまってゆくことだった。そこから派生して後世には、寒くなって外に出てゆかなくなる季節のことを「冬」というようになった。
「あさ」とは、語源においては心が二つの方向とに裂けることだったのであり、そこから闇の世界と光の世界が裂けてゆく時間帯のことを「朝」というようになっていった。
「はしっこい」とは、「危なっかしい」ということだろう。「危なっかしい=不安・心配」という感慨から「はし」という言葉が生まれてきた。昔の「橋」は渡るのも危なっかしいし、いつ壊れるかもわからなかった。二本の棒の箸で食い物をつかむのは危なっかしい作業だ。端っこの断崖絶壁は危なっかしい。
原初においては不安や心配のことを「はし」といっていただけで、とうぜんそのときにはまだ「橋」も「箸」もなかった。
吉本氏は「なぜ自然(事物)をまず人間化して<心>のほうに引き寄せ、つぎに<心>の表現と結びつけるという、一見すると迂遠な方法がとられたのだろうか?」というが、上の例でもわかるように、古代人や原始人は、心の表現を自然(事物)の表現に寄り添わせていっただけである。心の表現の延長として自然(事物)の表現が生まれてきたのだ。
自然(事物)の表現の方が先にあった、などという思考は気味が悪い。それはきっと、吉本隆明というその人が、思わず言葉=音声がこぼれ出てしまうような胸に満ちてくる思いを持っていないからだろう。
だから彼は、死ぬまで「本当の言葉は<沈黙>の中にある」と言い続けていた。そういえばなんだか深い意味がありげだが、ようするに彼には、人に対しても世界に対しても「思わず音声がこぼれ出るような胸に満ちてくる思い」がない人だったということだ。そうやって人も世界もなめきって生きた人なのだ。



現代人からは枕詞が具体的な事物の表現のように見えても、じつは「感慨の表出」の言葉だった。
心の表現でなければ、「歌」なんか生まれてこない。心のあやが「歌」になる。
原初の歌は「音声のあやの表出」だったのであり、音声=言葉の意味としての「自然(事物)の表現」だったのではない。
日本列島の歌の歴史においては、おそらく最初は5音の枕詞の音声のあやがまとう心のあやの表出だけだったが、やがてそこに自然(事物)の表現が加わって31音の短歌になっていったのだろう。
はじめに「自然(事物)の表現」があったのではない。
われわれは、美空ひばり石川さゆり都はるみの歌を、その声や節回しが表現する「心のあや」を聞いて感動している。歌は最初「音声のあや」とともに「心のあや」を表現するものだったし、現在の美空ひばり石川さゆり都はるみがどれほど具体的な事物(自然)を歌詞として歌っても、つまるところ人々は、彼女らが表現する「音声のあや=心のあや」を聞いて感動している。
原初においての歌は、言葉からすでに「感慨の表出」だった。
歌は、起源においても究極においても「感慨の表出」である。
声を出すことの醍醐味に気づかないで、誰が歌など歌うものか。
事物(自然)を表現するためだけの理由で歌が生まれてくることなどあるはずがないじゃないか。まったく、この人は何をとんちんかんなことをいっているのだろう。
歌は、根源的には、自分を表現するためでも事物(自然)を表現するためのものでもない。言葉がまとっている「感慨のあや」を表現するものだ。そういうことを美空ひばり石川さゆり都はるみはよく知っているが、吉本隆明というインテリは知らないらしい。
吉本氏のようなインテリの芸術家と違って庶民は、子供のときからすでに心を直截的に表現するタッチを持っている。なぜなら、それが言葉=音声となってこぼれ出てしまうような胸に満ちてくる思いを持っているからだ。
津軽海峡冬景色」という言葉の意味が心を表現する前に、すでに「ああああ〜つがるかいきょうふ〜ゆげ〜しき〜」という音声のあやが「心のあや」をまとっているのだ。
万葉人が歌を詠み上げるときの音声はわりと単調で、現在の歌謡曲の歌手の歌い方や音声はさまざまな色合いを持っている。それは、万葉集では言葉そのものがすでに感慨の表出でもあったが、現在の歌の歌詞は「事物(自然)の描写」になってしまっていて、歌手の音声のあやが加わらないと上手く「心の表現」になりにくいからだ。
吉本氏も多くの万葉集の研究者も、人類の言葉が完成してから歌が生まれてきたと思っている。
そうではない。人類の言葉は、「感慨の表出」の「歌」として生まれてきたのだ。人間的なさまざま感慨のあやを表出する歌だったからこそ、さまざまな言葉になってゆき、単語と単語をつなげる「文」にもなってゆくことができた。「歌」であったからこそ言葉として完成されていったのだ。
吉本氏のこの書きざまなら、古代人や原始人は事物(自然)に名称を付けそれを口にすることが好きだったことになるが、言葉はそうやって名称を付けることとして生まれてきたのではないし、名称を口にすることが彼らの言葉を発することのよろこびだったのではない。原初においては、「感慨の表出」だけがあって「事物(自然)の名称」などはなかった。
現在においても、植物や虫や動物の語彙などほんの数種類しかないという未開社会はいくらでもある。彼らの言葉には草とキノコの区別などなかったりするが、区別ができていないのではなく、その区別を言葉として発することに興味がないだけだ。つまり、事物(自然)を表現することには興味がないということ。それでも、彼らだって歌も踊りも持っている。
したがって吉本氏がここで解説しておられる「もともと歌の成立には、発生のときから事物(自然)の描写が本質的になければならないものだった」ということなど大嘘だといえる。もともと歌の成立には、発生のときから言葉に事物(自然)を描写するための名称も意味もなかったのだ。語源としての「くま」には「怖い」という感慨のニュアンスを表す意味があったでけで、「熊」という生き物の名称だったのではない。「くま」という音声に「毛むくじゃらの黒い生きもの」という意味などどこにも表現されていない。熊と出会って何度も怖い思いをしたから、あとの時代になって「熊」という生き物のことを「くま」と呼ぶようになっていっただけのこと。
現在の未開人だけではない、日本列島の歌の発生においても、「事物(自然)の描写」など興味がなかった。事物(自然)を描写するための「意味」や「名称」など、「感慨の表出」の延長としてあとの時代になってから生まれてきたにすぎない。
事物(自然)を「人間化」していったのではない。人間を「事物(自然)化」していっただけのこと。それは、自分を捨ててひとまず他者になってみる、という想像力である。そうやって熊という事物(自然)に「くま」という名称を与えていった。自分たちが持っている心の表現を事物(自然)に当てはめていっただけのこと。初めに「怖い」という感慨を表す言葉があり、その言葉で歌っていた。そんなこと、あたりまえじゃないか。熊という事物(自然)を描写することではじめて「怖い」という心の表現を覚えたのではない。



吉本氏のいうことなんかくだらないことばかりだということを、どうして多くの人がわからないのだろう。彼は、「枕詞はあとにかかる言葉を修飾する同義異語である」という通説をジャーナリスティックに展開して見せる能力にはたけていたが、その通説を疑って枕詞の本質や構造を問うという能力はなかった。
起源としての枕詞は「事物(自然)の描写」のための言葉ではなかった。ここにおいて、僕の歌や枕詞に対する認識は、吉本氏のそれと決定的に逆立している。
吉本氏のいうことなど信じていたら、歌や枕詞の真実には永久に届かない。
歌は「直裁に<心>の表現で始まり<心>の表現で終る」ものだったに決まっているじゃないか。吉本氏はどうしてこんなことがわからないのだろう。どうしてこのことを「そうじゃなかった」と否定するのだろう。
吉本氏のいい方を借りれば「もともと彼自身が胸に満ちてくる心の動きが希薄な人だった、というのが、ひとつの応えである」となる。そして「もうひとつの応えは、彼は枕詞は事物(自然)の名称(描写)であるという俗説からどうしても逃れられなかったから、そういうかたちで納得してゆくよりほかなかった、とかんがえることである」となる。
枕詞は「事物(自然)の描写」ではなかったし、あとの言葉のただのお飾りという無駄な言葉だったのでもない。枕詞こそが歌の主題であり、歌全体の通奏低音だった。
彼らはどうしてこんなかんたんなことがわからないのだろう。それはあまりにも愚かなことだと思えるが、かんたん「すぎる」からわからないのだろうか。
断っておくが、僕には本質を見抜く目があるとか、そんなことがいいたいのではない。自慢したくてこんなことを書いているのではない。
あくまで「万葉集における枕詞とは何か」ということが知りたくて書いているだけである。
僕自身は愚劣な人間の屑である。しかし愚劣な人間の屑にだって、真実とは何か問う心はある。愚劣な人間が問うたらいけないのか?吉本氏が高潔な人格だからといって、そこに歌や枕詞の真実があるわけではない。僕が愚劣な人間の屑だからといって、歌や枕詞の真実が変わるわけではないし、僕の視線の先にないとはいえない。
吉本氏は、「原始人は心を直截に表現することはできなかった」というが、そんなことくらい、美空ひばり石川さゆり都はるみという無学でいけすかない女たちだってみごとにやって見せてくれているのである。どうして原始人にはできなかったといえるのか。
吉本氏が提出する「原始人は心を直截に表現することはできなかった」という「解答」は、はたして真実に届いているか?
「枕詞はあとの言葉を修飾する同義異語である」というような愚かな解釈が通説になり教科書や辞典にも記述されているなんて、ほんとにおかしな事態ではないか。僕の人格を問う暇があったら、まずそのことを問うていただきたい。
「かんたんすぎる」ことは、頭のいい人たちには見えにくい。彼らはつねにそこから「解答」を導き出すことに熱心で、「そこに問題(謎)が横たわっている」と立ち止まって問うことはしない。
「かんたんすぎる」から、はなから「同義異語」という「解答」を鵜呑みにしてしまって、そこに問題の本質や構造が隠されているということに気づかない。それはもうあまりにも「かんたんすぎる」見かけをしているから、「疑う」という心が起きてこない。「かんたんすぎる」ことを疑うのはかんたんではない。中学生でも知っていることを疑っていたら、「おまえは中学生でも知っていることを知らないのか」と思われてしまう。
まあ、吉本氏の思考は「言語の発生」のところですでにつまずいている。彼には、人に対しても世界に対しても、原始人のような、思わず音声が口の端からこぼれ出てくるような胸に満ちてくる思いがないのだ。
そしてこれは、現代社会が共有している病理的な心模様でもある。現代人は、世界や他者とはこのようなものだという「解答」を導き出す能力にはたけているが、世界や他者という問題(謎)を前にして胸に満ちてくる思いは希薄であるらしい。
おそらく、そういう現代社会の病理的な心模様が、歌や枕詞の真実に迫ることを阻んでいる。
原初、言葉は感慨(胸に満ちてくる思い)の表出だった。なんでそんなかんたんなことがわからないのか?かんたん「すぎる」からわからないのだろう。それは「解答」ではない。それはあくまで「問題=謎」の姿にすぎない。
原初の人々は、まずはじめに言葉という「解答」が頭の中に浮かんだから言葉を発したのではない。思わず言葉=音声を発してしまってから、その現象の発端に「胸の中に満ちてくる思い」という「問題=謎」が存在することに気づいた。そして、このかたちをそのまま洗練させていったのがやまとことばであり、そこから枕詞が生まれてきた。
古代人にとって枕詞を歌のはじめに置くことは、「胸に満ちてくる思いという問題=謎」を表出することであった。そこには、あとの言葉を修飾する「同義異語」という「解答」は存在しない。胸に満ちてくる思いをそのまま「問題=謎」としてさしだしているのだ。だから「つぎねふや」とか「さねさし」などという、謎めいた響きの言葉にもなる。それは、心という謎が謎のままあらわれた言葉=音声であり、「具体的な事物(自然)の名称」などという「解答」ではない。
現代人は、すぐ「解答」を欲しがる。それは、「胸に満ちてくる思い」が希薄だからだ。「解答という知識」を差し出して説得し合うことが現代社会の人と人の関係の流儀であろう。
胸に満ちてくる思いを抱えて立ち止まる(問う)ということをしないで、すぐ「解答」に飛びついて安心してしまう。これは、吉本氏ひとりの思考のくせ(限界)というよりも、現代人の誰もが共有している病理的な心模様なのだ。だから吉本氏は、戦後社会のカリスマになることができた。べつにあの人のいうことが真実に届いていたからではない。あの人のいうことが真実に届いていないことは、「原始人は直截に心を表現することができなかった」というその倒錯した思考にすべてあらわれている。
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