「たまきはる」・枕詞の起源 15


現代人がいちばん「たま=霊魂」という連想をしやすいのが、「たまきはる」という枕詞である。
「たまきはる」とは、「きはる心」ということ。「たま」はべつにつけなくても「きはる」だけでそれを表しているのだが、ひとまず枕詞の「姿」を整えるために「たまきはる」といった。
「たまきはる」は「命」とか「吾」とか「今」とか「昔」にかかるのだとか。
これはほんとに問題の多い枕詞である。ほとんどの研究者はこの「たま」を「霊魂」だと解釈し、「たまきはる」は「霊魂が極まる」であるという。
すなわち「命の永遠」を表しているのだとか。だったら、どうして「吾」とか「今」とか「昔」にかかるのか。何にかかるかということなどたいした問題ではないのであり、おそらく古代人は、そういう意味で「たまきはる」といったのではない。
「たまきはる」という独立した感慨がある。この場合の「たま」は、「きはる」のたんなる接頭語にすぎない。そして「きはる」は、「きはまる」ではない。
「たまきはる」の既成の解釈など、ぜんぶ違う。
まあ「古代人は霊魂の永遠を信じていた」と考えたがるのは、賀茂真淵以来引き継がれてきた古代文学研究の悪弊である。
賀茂真淵はこういう。
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多麻は魂(たま)なり、岐波流(きはる)は極(きはまる)にて、人の生まれしより、ながらふる涯(かぎり)をはるかにかけていふ語なり。(『冠辞考』)
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この言い方はおかしい。
「魂」も「極まる」も、どうでもいいのだ。
万葉集に「たまきはる」という枕詞は十九回出てくるが、この「きはる」に「極」という字が当てられた例はひとつもない。「極まる」という意味だったら、きっとこの字が使われているはずだ。
「極まる」という意味なら「極む」とか「極み」といえばいいだけではないか。万葉人がその言葉を知らなかったわけではない。
「きはる」と「きはむ」は違うのだ。「擦(す)る」と「住(す)む」とでは違うだろう。それと同じこと。
どちらも「果て」を表すが、「きはむ=極める」という言葉に達成感の充足があるとすれば、「きはる」には「これでおしまい、あとはもう何もない」というさっぱりした気分がこめられている。そういうニュアンスの違いがある。そしてこの違いは、けっして小さくはない。この枕詞の正味の姿を考える上で、あだやおろそかにはできない。
「きはる」は「極める」ではない。



この場合の「たま」は「たまくしげ」や「たまかづら」と同じように枕詞のお約束でかぶさられているだけだろう。そう考えるのがいちばん自然であるにちがいない。
ここまで挙げてきた「たま」がかぶさっている枕詞の「たま」にはとくに意味などなかった。
ともあれ「たま」という言葉には、「充足感が胸に満ちてくる」というニュアンスがある。日本列島の充足感は、身体が充実して熱く燃え上がってゆくというようなことではなく、身体がすっきりさっぱりと「からっぽの輪郭」になってゆくことのカタルシスにある。それが「みそぎ」の感覚である。
「きはる」という言葉に「たま」をかぶせれば、すっきりと枕詞のかたちになる。
「たま」は、霊魂のことではないし、「きはる」と「きはむ=極まる」とは違う。「きはる」は、物事が終了したことのさっぱりした気持を表している。
「きはる」に似た言葉として、「気張(きば)る」などという。それは、ありったけの気力を吐き出してしまうことだ。「きはる」と「きばる」はようするに同じ言葉だが、大げさにいうと「きばる」になる。
「きはむ」の「む」は、「むむっ」と気持ちが立ち止まり動かなくなること。それは、そうやって充足感が胸に満ちてくることでもある。
それに対して「る」は、「ルンルン気分」の「る」、いやなことをさっぱり忘れて終了している状態のこと。「留守(るす)」とは、からっぽの状態のこと。「む」とはまったく逆のニュアンスなのだ。
「きは」とは、端っこのこと。最終段階。その先はもう何もない、ということ。その「何もない」ことのせっぱつまった気分やさっぱりした気分から「きは」という音声がこぼれ出る。
「き」は「完了」「完結」の語義。「は」は「はかない」の「は」、すなわち何もない空間のこと。
道が尽きてその先は断崖絶壁になっているような場所のことを「きは」という。「山の端(は)」とは、山の稜線のことで、「は」は、その先は何もない空ばかりだという空間感覚の表出でもある。
「きは」は、そういう「充足」と「解放」をもたらす。
同じ最終段階でも、「きはる」は、物事が完成したことの「充足感=極める」とは違う。その先はもう何もない、というさっぱりした気分を表している。
達成感の充足と、終了したことの安堵。われわれが何かをやり遂げたとき、この両方の感慨を味わう。
「たまきはる」とは「からっぽ」の身体になっている心地のことだ。そういう身体とともに人は生きている。だからそれは「命」にかかる枕詞にもなっている。
古代人にとっての生きてあるこの命は井戸の底をのぞきこむような「間(ま)」の空間であり、その「間(ま)」の中に溶けて消えてゆくような心地を「きはる」という。
「きはる」とは、からっぽの身体になる心地のこと。そういうすっきりさっぱりした心地のことだ。
「たまきはる」の「たま」は、万葉集では最初は「玉」という字を当てていたが、やがて「霊」という字になり、最終的には「多麻」という字になっていった。もともと霊魂というものを知らない人々が一度は「霊」という字を当ててみたが、どうもしっくりこなかったのだろう。
「きはる」とは「からっぽ」になることだから、体に宿っている霊魂を意味させるわけにいかない。しかしまあ、仏教や陰陽道などの普及によってまた「霊」という言葉を使いだして、しだいにもとのニュアンスが失われていった。江戸時代になると、あたりまえのように「たまきはる=霊魂が極まる(賀茂真淵)」と解釈されていた。
しかし古代人は、命とは身体がからっぽになってさっぱりする心持ちになるいとなみのことだ、と思っていた。これが「みそぎ」であり、日本列島にこの言葉があるということは、仏教や文字などの大陸文化が入ってくる前の時代の人々は「霊魂」という概念を知らなかったことを意味する。



これは、皇后が天皇に贈った歌らしい。
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■たまきはる 宇智の大野(おほの)に馬並(な)めて 朝踏ますらむその草深野(くさふかの)
(……訳・あなたは宇智の広々とした野に馬を連ねながら朝を駆け抜けておられるでしょう、その草深い野を)
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魂が極まってわが世の春を謳歌する天皇を賛美しているのだろうか。それとも、けがしないで無事に帰ってくることを祈っているのだろうか。草深野といっているのだから、おそらくそこは荒野なのだ。その言葉をわざわざ最後の句に持ってきたということは、やっぱり心配して案じているのだろう。
「たまきはる」は「内=宇智」にもかかるらしい。
中西進氏も「<たまきはる>は<魂が極まる=永遠の生命>を表している」とさかんに力説しておられるが、「うち」と「永遠の生命」と、どこが同じなのだろう。変ではないか。
まあこの枕詞は、何にでもかかるのだ。かかる言葉なんかなんでもよかったらしい。ただ「たまきはる」という言葉から連想される言葉なら何でもよかったのだ。じつはそれが、枕詞の歌の基本的な作法のはずである。
取りあえず「たまきはる」と詠み上げる。その「気持ちがさっぱりする」という感慨から連想される言葉なら何でもよかった。
では、なぜ「うち」という言葉を連想するのか。
「う」は「うっ」と息が詰まる感慨からこぼれ出る音声。
「ち」は「血」の「ち」、「ちぇっ」とふてくされる。ほとばしり出るもの。
「うち」とは、胸が詰まる感慨がにじみ出ること。「うちあけばなし」の「うち」。「うち驚く」「うち騒ぐ」「うち鎮まる」「うちくつろぐ」「うち捨てる」「うちなびく」……これらの「うち」は、あとに続く言葉の現象が現れてくることを表す接頭語である。内側にあるから、現れてくる。そこから「内」という意味が派生的に生まれてきた。厳密にいえば、もともとは、「内側から現れ出る」というニュアンスの言葉で、古代人はまだそうした原初のニュアンスを知っていたからその言葉を連想していった。
この歌の作者はそのようにして心配ごとを吐きだし、天皇は馬駆けしながら日ごろのストレスを発散している。「たまきはる」とは、そのようなことの結果としての心がさっぱりするカタルシスのことをいう。さっぱりと消えてなくなることを「たまきはる」という。
おそらく、「きはる」が転化して現在の「消える」になったのだろう。「消ゆ(る)」は、だんだん消えてゆくこと。「きはる=消える」消えてなくなること。現代人はもう、消えてゆく過程をしみじみと味わうような「あはれ」の感慨は希薄になってしまったのかもしれない。
「草(くさ)」は「くさくさする」の「くさ」で、もともとそれは「ストレス」を表す言葉だった。「草深野」という荒野にあえて行きたがるのは、日ごろにたまっているストレスがあるのだろうか。「荒ぶる心」というか。皇后は、それを心配している。
それで、私も天皇も何もかも忘れてさっぱりできたらいいのになあ、という思いを込めて「たまきはる」といった。
ただお気楽に天皇を賛美しているだけの歌ではない。
「たまきはる」は、命を賛美しているのではない。むしろ「命なんかどうでもいい」というニュアンスの言葉なのだ。
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■我妹子(もこ)に恋ふるに吾は たまきはる 短き命も惜しけくもなし
■かくのみし恋しわたれば たまきはる 命も我は惜しけくもなし
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他愛ないといえば他愛ない歌だが、ようするに「たまきはる」とは「いまここ」のことで、そこにさえ充実があれば命なんか惜しくない、と詠っている。
この場合の「たまきはる」は、あえていうなら「惜ししけくもなし」にかかっているのであって、「たまきはる命」といって「命の永遠」を詠っているのでは絶対にない。「たまきはる短き命」というのなら、「命の永遠」とはまったく逆の意味ではないか。
どんな歌であれ、「たまきはる」と詠んで、いったん切っているのであって、べつに「命」と同じ意味であるのではない。「命」という言葉を連想させる枕詞である、というだけのこと。そして古代人は、命なんか短くても惜しくもなんともない、といっている。「いまここ」の充実があれば、と。
「たまきはる」は「命の永遠」なんか意味していないし、上の二つの歌はそんなことはどうでもいいといっているのだ。そのとき古代人は、深い井戸の底のその「間(ま)」をのぞきこむような感慨で「いまここ」のこの命を見つめている。その感慨の切実さや豊かさは、「永遠」などという未来の時間を欲しがってあくせくしている現代人にはわからない。
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■たまきはる 命は知らず 松が枝を 結ぶ心は 長くとぞ思ふ
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いつ終わるかもしれない命のはかなさはともかく、松の枝を結んだあなたと私の心のつながりはどうか末長くと願わずにいられない……と詠っているのだろう。この「長く」という言葉は、命のはかなさとの対比でなければ生きてこない。霊魂や命よりも、「いまここ」で松の枝を結んだ心のつながりのほうがずっとたしかで大切なのだと詠っている。それが、「たまきはる」の感慨なのだ。
命なんかどうでもいい、と歌っているではないか。研究者たちはこれらの例は無視して、何がなんでもこの枕詞を「命の永遠」だの「霊魂が極まる」という意味にしてしまおうとする。
また本居宣長は「たまきはる=あらたま来経(ふ)る」すなわち「年月が経過する」という意味だといっている。彼らはどうしてこんな愚劣なこじつけばかりするのだろう。古語の研究は、現在にいたるまで、こんなことばかりしている。
「年月が経過する」ことと「うち」とどうつながるのか。
ひとまず古代人の発音する通りのところを考えてみてもいいではないか。「たまきはる」は胸の中がさっぱりすることだから「うち」という言葉が連想される。胸の中がさっぱりすることだから、命なんかどうでもいい、という連想にもなる。



中臣郎女(なかとみのいらつめ)が大伴家持に贈った歌。こちらは、もうちょっと格調が高い。
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■直(ただ)に逢ひて 見てばのみこそ たまきはる 命に向かふ わが恋止(や)まめ
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あなたに逢って(=抱かれて)命もろとも燃え尽きてしまいたいと願いつつ私の恋は終わらない……というような意味だろうか。逢えないことには何も終わらないし何も始まらない、そういうやるせなさを詠っている。
命は終わっても私の恋は終わらない、と詠っているのだ。中西進氏のいうような「わが恋止まめ=命の永遠」という意味ではない。命がはかないものだからこそ、恋が燃え上がるのだ。「いまここ」で燃え尽きてしまいたい、と。
「たまきはる」とは、命のはかなさを受け入れている言葉である。
ともあれ、この歌に「たまきはる」という言葉があるのとないのとでは、歌に込められた思いの深さも豊かさもまるで違う。
そしてこの歌もまた、中西進氏をはじめ一般的にいわれているような「たまきはる命」と歌っているのではない。「たまきはる」でいったん切っているのだ。
「たまきはる」とは、カタルシスのこと。べつに「霊魂の永遠」のことでもなんでもない。「霊魂の永遠」は、「吾」や「今」や「昔」にはかからない。「いまここ」で体がからっぽになってゆくカタルシスのことを「たまきはる」といったのだ。「たまきはる 命に向かう」とは、あなたに抱かれて体がからっぽになってゆくようなオルガスムスを体験したい、と直接訴えているのだろうか。
古代人にとっての「命に向かふ」ことは、「さっぱりと消えてなくなってしまう心地に向かう」ことをいったのであって、「永遠に向かう」ことだったのではない。
なのに中西進氏は、この「たまきはる」を説明した文章で「万葉びとは命の無限への信頼をとりでとして、有限にあらがいつつ作歌したのだった(『万葉時代の日本人』)」と語っている。
そうじゃないのだ。古代人にとっては有限も無限もなかった。「いまここ」のカタルシスとともに生き、そして死んでいったのだ。それが、「たまきはる」という感慨である。
「たまきはる」とは何かが終わってさっぱりしたカタルシスのこと。そうやって「命の洗濯をした」という感慨は、誰でも体験しているではないか。ようするに、そういうことだ。
古代人は、「きはむ」のことを「きはる」とはいわなかった。「きはむ」といったり「きはる」といったりしていていたのではない。「きはむ」のことはすべて「きはむ」といっていた。
なぜなら、「きはる」といってしまったら、まったく別のニュアンスになってしまうからだ。それがやまとことばである。
「極める」という意味なら「たまきはむ」といえばいいだけである。
「きは」は「永遠」ではない、「端っこ」のことだ。「ここでおしまい」というニュアンス。
「きはむ」は端っこに到達して充足することで、「きはる」はさっぱりすること。そういう違いは、われわれ現代人でもなんとなくわかるではないか。
古代人は、永遠がどうのというようなことは考えなかった。毎日毎日を、「これで終わり」と点を打ちながら生きていた。そういう気持ちで眠りについていた。それが彼らの死生観だったのであって、「命の無限への信頼をとりでとして、有限にあらがいつつ」生きていたのではない。
無限だか有限だか知らないが「終わる」ことのさっぱりとしたカタルシスがある。これが、日本列島の古代以前の人々の生きてある作法であり、死んでゆく作法でもあった。
永遠を思うことは、死に対する親密さではない。ようするに霊魂とともに永遠の生を生きようとすることで、死を忘れてしまうことだ。忘れてしまえば死ぬことも怖くないだろうが、それは、死に対する親密さではない。
死に対する親密さは、何もかも終わってさっぱりすることにある。古代人は、そのカタルシスを汲み上げながら生きていた。それは、死ぬことであると同時に、生きることでもあった。
そういうカタルシスを体験できないで永遠を夢想しながら生きるなんて、不幸なことだ。
霊魂の永遠が存在するかどうかということ以前に、古代以前の人々は霊魂そのものを発想しなかった。
霊魂の永遠があろうとなかろうと、人は、何もかも終わってさっぱりするというカタルシスがなければ生きられない。現代人はそういうカタルシスを知らないから不眠症になってしまう。
「三時間後に起きないといけない」と気にしてばかりいると、なかなか眠りにつけない。いったんさっぱりと忘れてしまって眠りがやってくる。
未来に向かうスケジュールが現代人を不眠症にしている。
古代以前の人々に、永遠に向かうスケジュールなどあったはずがないではないか。だから彼らは、死んだら何もない「黄泉の国」に行く、といった。
「たまきはる」とは、何もかも忘れてさっぱりする、ということだ。「霊魂の永遠を極める」ことではない。
「たまきはる」という枕詞もまた、「命」という言葉に着せられた「衣装=姿」にほかならない。それは、霊魂など宿っていないからっぽの身体=姿になること。そういうカタルシスであり、かなしみのこと。



枕詞に潜む古代人の心模様について考えるとき、安直に霊魂だのアニミズムだのを持ち出すべきではない。
古代人の枕詞に対する愛着は、人類の原始的な心性とは何かという問題でもある。
言葉は意味の表出すなわち伝達の道具として生まれてきたのではない。思わずさまざまな音声が口の端からこぼれ出てしまう人間的な感慨があり、それを、他者が聞いて自分も聞いた。そうして人類は、その音声が「感慨」からこぼれ出たものであることに気づいていった。
枕詞とは、そういう感慨の人類史を引き継いだ言葉の作法だった。
言葉をどのように支配し操作するかというテーマで生まれてきたのではない。
そのとき古代人は、言葉が語られてゆく「なりゆき」に身をまかせようとした。
あとの言葉に霊魂を付与するとか、そんな作為的な作法ではない。それは、即興で詠われていた。つまりそこには、言葉の流れの「なりゆき」があった。まず枕詞を差し出し、そのあとはもう「なりゆき」に身をまかせて言葉を紡いでいった。
言葉が自然に口の端からこぼれ出るとき、それは「感慨の表出」の言葉になる。
まあ現代人がお気楽に口から出まかせをいうなら「真っ赤なリンゴ」というような決まり文句になるのだろうが、それは「意味」に慣れ過ぎた現代人の習性で、言葉のプリミティブなかたちを残していた古代以前の人々には「意味」以前の「感慨」を表出しようとする切実な思いがあった。
「意味」を表出するという作為性にこだわっていたら、言葉の即興性は生まれてこない。心の動きに身をまかせることによってそれが可能になる。
原初の祝詞は、神に対する「想い」を即興的に詠い上げてゆく作法だった。
彼らには、現代人のような「意味」に対するこだわりはほとんどなかった。だから、「たま」という言葉ひとつとっても無数の意味があった。
「意味」にこだわる現代人は、言葉をひとつの「意味」に限定してゆく。そうしないと伝達がスムーズにいかないからだ。それによって現代社会が成り立っている。
しかし古代人の集団性は、「感慨」を共有してゆくことにあった。
「たまきはる」は、「魂が充実して極まる」とか「霊魂の永遠」というようなこと説明しているのではなく、気持ちがすっきりさっぱりすることのカタルシスや終わる(果てる)ことのかなしみなどの胸に満ちてくる感慨をその5文字で表すことができたから枕詞になっていったのだ。
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■たまきはる いまはとなれば 南無佛というより外に みちはなかりけり(貞心尼)
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これは万葉集ではないが、ひとまず「命」のことを詠っている。
いまは=いまはのきは、すなわち臨終のとき。しかしその命という言葉は省かれている。
枕詞とあとの言葉は同義異語だとか、そういうことではないのだ。上の歌はべつに「いま」にかかっているのではない。「たまきはる」と歌いはじめて「いまはのきは」を連想していっただけだ。文字がなかった時代の歌の作法は、即興的に言葉から言葉へと連想してゆくことにあった。
貞心尼は良寛に愛された女性として有名だが、この時代でも即興的に歌を交歓するということをさかんにしていた。歌で会話していていたというか、相手が詠みあげた歌に合わせてその場で返してゆくのだから、最初から用意しておくことなどできない。即興で言葉から言葉へと連想してゆくことの豊かさこそ、歌の教養だった。
即興性こそ日本列島の伝統的な歌の作法だった。
即興性とは、未来を思わないということだ。ひたすら「いまここ」に反応してゆく。これは、日本列島の住民の世界観・生命観であり、身体感覚である。その身体感覚が「たまきはる」という枕詞をどのような感慨で発するかということを考える必要がある。そしてその感慨は、江戸時代後期を生きたこの尼僧にもちゃんと引き継がれていた。
そこで作者は、「霊魂の永遠」とかそういうことはよくわからない、ただもう「南無佛」と唱えて「いまここ」に消えてゆくことしかできない、という。何もわからないし、何も思いようがない、といっているのだ。まるごと自分を捨てて、すべてを「南無佛」にお任せするしかない。そういう「まるごと自分を捨てる」カタルシスとともに死んでゆければそれでいい。そういう感慨になったときに「たまきはる」という言葉が浮かんできた。おそらくこれが、日本列島の伝統的な死んでゆく作法なのだろう。
「命の永遠」も「霊魂」も、どうでもいいのだ。とにかく臨終のときになれば、この世から消えてゆき、この世の人々との別れを果たさねばならない。そのことに対する胸に迫る思いを「たまきはる」という。
「たまきはる」とは「消える」ということだが、しかしそれは、身体が消えるということではない。身体=肉体のことをきれいさっぱり忘れてしまうという、あくまで「心」の問題である。「忘れてしまう」という心の動きのカタルシスがある。このカタルシスを知らない人は不幸だろうし、このカタルシスを汲み上げてゆくことこそ伝統的な日本列島の住民の生きる作法であり、死んでゆく作法だった。
「たまきはる」とは、そういう感慨を表す言葉なのだ。「霊魂が極まる」とか「命の永遠」とか、そんなことを表しているのではない。



古代人は、枕詞に込められた「感慨」を共有していた。だからその5文字で、言葉に尽くせぬほどの胸にあふれる思いを伝えることができた。
ただの飾りではない。枕詞こそが歌の主題なのだ。
「あをによし」に続く「奈良の都は咲く花の匂ふがごとく今盛りなり」という言葉の連なりはもう「あをによし」というやみがたい望郷の念を際立たせるための修辞というか装飾にすぎないのであり、べつに奈良の都の絢爛たる栄華を詠んだ歌ではない。「奈良の都は素晴らしい、それにつけても早く奈良の都に戻りたいものだ」と歌っているのであり、この「それにつけても早く奈良の都に戻りたいものだ」という感慨が「あをによし」という枕詞にこめられている。そのニュアンスを汲みとらなければ、この歌を理解したことにはならない。
古代には、枕詞のなかに共有された感慨があった。そして多くの歌人が、その感慨を詠おうとした。
言葉の根源の機能は「感慨の表出」にある。そういう原始性を洗練させていったのがやまとことばの歴史である。
枕詞は「意味」として機能しているのではなく、「姿」すなわちその音声がまとっている「感慨」を表している。言葉がそのように存在し機能しているときのほうが、言葉のニュアンスはより豊かに深くなる。
枕詞は、歌の「霊魂」ではなく、「衣装」である。そして、身体を身体たらしめているのは、肉や骨ではなく、「衣装」なのだ。そしてその「衣装=身体の輪郭」こそが「心」の正味をまとっている。
その人の心は、その人の表情やしゃべり方や着る物のセンスがまとっているのであって、その人の体の中にあるのではない。体の中に心があるはずないじゃないか。
体の中を心も霊魂もつまっていな「からっぽ」にしようとして、表情があらわれ、言葉が吐き出され、衣装をまとっている。
体の中を「からっぽ」にしようとするのは、生き物としての本能的な衝動である。
日本列島では、伝統的に、肉や骨の鬱陶しさを「けがれ」と嘆き、「からっぽの身体」になることの「みそぎ」を願いつつ歴史を歩んできた。
とすれば枕詞は、言葉における「意味という穢れ」をそそいだ「みそぎの姿」だともいえる。
「たまきはる」は、霊魂=命の永遠を表しているのではない。その「たまきはる」という音声には、別れのかなしみから恋の成就のカタルシスまで含まれている。そうやって身体が「からっぽ」になってゆく心地を「たまきはる」という。
日本列島の「姿」の美意識は、「からっぽの身体」になってゆくカタルシスの上に成り立っている。
この体の中の肉や骨や内臓の鬱陶しさ忘れて「からっぽの身体」の状態になりたいというのは、生き物の普遍的な願いであり命のはたらきである。そういう生き物としての普遍性の上に枕詞の「姿」の美意識が成り立っている。
「たまきはる」とは、「からっぽの身体」になってさっぱりすること。
賀茂真淵折口信夫のいうことをありがたがって「霊魂」だの「極まる」だのといっていたら、この枕詞の正味の「姿」には届かない。
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