「ぬばたまの」・起源としての枕詞 10


枕詞の語源は、「感慨の表出」にある。やまとことばは、そのように生まれ育ってきた。そして古代人は、それをちゃんとわきまえながら枕詞を使っていた。。
「ぬばたまの」という枕詞も、万葉集にはたくさん出てくる。辞典には「ヒオウギの実」のことだと記されてある。それはまんまるの黒い実で、だから「ぬばたまの」は「黒」とか「夜」にかかるのだとか。
しかし「ぬばたま」の「ぬば」は「黒」とか「夜」という意味ではない。「ぬばたまの」といってすぐに黒い実のことを思い浮かべるのなら、「ぬばたまの黒」ということは、たとえば「黒い黒馬」といっているのと同じである。
普通は、「美しい黒馬」とか「たくましい黒馬」というような言い方をするだろう。
枕詞は、具体的な事物を表す言葉ではない。
まあ「りんごのほっぺ」というような言い方はある。このとき「赤い」という言葉は隠されている。それと同じように、もし枕詞が具体的な事物の名称なら「黒」や「夜」という言葉は隠されていなければならない。「ぬばたまの髪」といっても「ぬばたまの黒髪」とはいわないはずだ。「ぬばたまの夜の静けさ」とはいわない、「ぬばたまの静けさ」という。
ともあれ最初から「ヒオウギの実」のことを「ぬばたま」といっていたのではない。「ぬばたま」という枕詞があったから、ヒオウギの実のことを「ぬばたま」というようになっていっただけのこと。
もともとの「ぬばたま」には「ヒオウギの実」という意味はなかった。
「ぬばたま」は、「ヒオウギの実」という意味ではないのだ。
「ぬば」は、「黒」という意味でも「夜」という意味でも「ヒオウギ」という意味でもなかった。
起源においては、「ぬばたまの」という音声を発する感慨があり、それがやがて枕詞として機能していった。
「ぬば」の「ぬ」は、「ぬーっと現れる」の「ぬ」、「ヌルヌル」の「ぬ」、すなわち「とらえどころがない」こと。「塗る」「抜く」「盗む」は、もとの状態を否定することを表している。
「ば=は」は、「はあ?」といぶかる。「はかない」の「は」、「空虚」「空間」の語義。
「ぬば」とは、否定して消すこと。
「たま」は、「胸に満ちてくる思い」。「ヒオウギの実」でも「霊魂」のことでもない。
「ぬばたま」とは、事態が否定的なものになってゆくことに対して途方に暮れている心。
途方に暮れているから、「黒」や「夜」にかかる。
ヒオウギの実」から「ぬばたま」という言葉が生まれてきたのではい。
起源においては「ぬばたまの」という音声を発する「心のあや」があっただけだ。
「ぬばたまの」という枕詞のいちばん有名な歌はこれだろうか。磐之媛(いわのひめ)が夫の仁徳天皇に贈ったといわれている歌。
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■居明かして君をば待たむ ぬばたまの わが黒髪に霜は降るとも……(ここで朝まで待っています、たとえ私の黒髪が白くなっても)
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起源としての「ぬばたまの」という枕詞には、「ヒオウギの実」という意味などなかった。あとの時代になって、「ヒオウギの実」が「ぬばたま」という言葉を連想させるようになっていっただけのこと。
このように「ぬばたまの実」と、ひとつの意味に限定してしまうべきではない。
この歌を詠み上げるとき、「ぬばたまのわが黒髪」と続けることはしない。「ぬばたまの」でいったん切って、あとにかかる言葉との意味の連続性はないことを示し、それから「わが黒髪に」と詠ってゆく。
「ぬばたまの」のあとに「黒」や「夜」という言葉が続くことはお約束ではあるが、意味の連続性はない。
作者は、「ぬばたまの実のように黒い」といいたかったのではない。ただもう「ぬばたまの」という音声の響きがまとっている絶望や喪失感があっただけである。あえていうなら、この「ぬばたまの」は、「霜は降るとも」という絶望にかかっている。
ヒオウギの黒い実は「黒」や「夜」を意味しているが、「ぬばたまの」という言葉は、ただただ絶望や喪失感をその「音声」のニュアンスとしてまとっているだけである。
このとき作者は、その絶望や喪失感を「黒髪が白くなってしまう」まで嘆ききった。この態度が、古代人の胸を打った。彼女は、神や霊魂という概念にすがらなかった。ひたすら嘆ききった。
古代人の暮らしが神や霊魂という概念を中心にして動いていたと考えると間違う。彼らがそんな暮らしをしていたのなら、万葉集の豊かさは生まれなかった。
「ぬばたまの」という枕詞は、「わけがわからなくなってゆく感慨」や「心細くなってゆく感慨」を表している。そういう感慨の「音声」なのだ。
彼らは、嘆きは嘆ききり、泣ききった。万葉集の情趣は、そこにこそある。霊魂をどうするこうするというような作為が彼らの生きる作法だったのではない。
彼らは、嘆きを嘆ききって生きていた。
深く豊かにときめき、深く豊かに嘆く作法として枕詞が生まれてきたのだ。
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■ぬばたまの その夜の梅を た忘れて 折らずに来にけり 思いしものを……(その夜もまた梅の枝を折って持ち帰るのを忘れてしまった、いつも思っているのに)
■ぬばたまの 黒髪変はりて白髪(しらけ)ても 痛き恋には逢ふときありけり……(白髪のこの歳になってもまだつらい恋をするときはあるものだ)
■児(こ)らが家道(いへぢ)やや間遠きを ぬばたまの 夜(よ)渡る月に競いあへむかも……(子供らの待つ家はちょっと遠いから、あの月が沈む前に帰りつけるだろうか)
■ぬばたまの 昨夜(きそ)は還(かへ)しつ 今夜(こよひ)さへ われを還すな 路の長道(ながて)を……(昨夜は帰されたが今夜こそは帰れといわないでおくれ、この遠い帰り道を)
■現(うつつ)には逢ふよしもなし ぬばたまの 夜の夢にを継ぎて見えこそ……(現実にはもう逢うことができない、せめて夜の夢でいつも逢えたらいいのにと思ってしまう)
■ぬばたまの 夜霧の立ちて おほほしく照れる月夜の見れば悲しさ(夜霧の中で途方に暮れながら空を見上げれば、その向こうに月の光がかぶさるように輝いている、それがかえって悲しい)
■相思はず 君はあるらし ぬばたまの 夢にも見えず 祈誓(うけ)ひて寝(ぬ)れど……(あなたは私のことを想ってくれていないらしい、その証拠に夢で逢うこともできない、いつもそれを祈って寝るのだけれど)
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例を挙げればきりがない。これらの歌はすべて「途方に暮れる感慨」を詠っている。それは、「ぬばたまの」という枕詞を使っている歌に共通の主題なのだ。
これらの歌の作者はみな、程度の差こそあれ、誰もが、嘆きを嘆ききろうとしている。それが、古代人の生きる作法だった。



枕詞の語源は、「感慨の表出」ということにある。具体的な事物の名称として生まれてきたのではない。
語源を考えるなら、まずその音声がまとっている「感慨のあや」を問うてみる必要がある。
語源としての「たま」は、「宝玉」のことでも「霊魂」のことだったのでもない。
「たま」という音声を発する「感慨のあや」があった。
古代人は、「霊魂」の世界に浸って生きていたのではない。
古代人には古代人の現実があった。
つまり彼らは、「霊魂」という概念のアニミズムでこの生につじつまを合わせながら生きていたのではなく、つじつまの合わないこの生をそのまま受け入れ嘆きながら生きていたのだ。
彼らは、そのつじつまの合わないこの生の嘆きをカタルシスとして汲み上げながら生きていた。
万葉集でいちばん目立つモチーフは、「逢えないつらさ」と「別れのかなしみ」である。それがつらいのならそういうことがむやみに起きない社会をつくればいいものを、あえてそういうつらさの中で生きていた。
いろんな場面で、つねに「別れのかなしみ」が起きている社会だった。しかしそれは、同時に、「出会いのときめき」が豊かに起きている社会でもあった、ということだ。そのようにして「歌垣」や「妻問い」の習俗が盛んに行われ、歌が生まれていった。そしてその「即興」の歌の交換に枕詞が有効に機能していた。
枕詞は、彼らの暮らしの「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」とともにあった。
親しい人との別れはかなしいことだから、別れないで一緒に暮らしていたほうがいい。それでも、生きていれば必ず別れはやってくる。誰もが死んでゆく。
古代人は、別れのかなしみを受け入れて生きていた。それはつじつまが合わないことだが、それでも受け入れていった。だから、むやみに人と人が一緒に暮らすということはしなかった。縄文時代はとくにそうだったし、奈良時代になってもそれほどタイトな婚姻制度や家族制度は持たなかった。
彼らは、人と人のあいだには別れが生まれるという現実世界の現象を受け入れていたし、その嘆きの体験からカタルシスを汲み上げていった。これも生きてあることの味わいだ、と思った。
そういう生きてある作法から万葉集の歌が生まれ、その歌に枕詞が機能していった。
「別れのかなしみ」を受け入れるということ、それが彼らの死生観であり、そこから歌が生まれてきた。
「別れのかなしみ」は、彼らの生の通奏低音だった。
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