「たま」と「霊魂」・ネアンデルタール人と日本人・65


古代人は、霊魂のことを「たま」と読んだりしていたらしい。
しかしこの「たま=霊魂」という意味関係が日本人の暮らしに定着しているとは言い難い。われわれは、「たま」というよりも、もっぱら霊とか霊魂という外来語をそのまま使っている。守護霊・背後霊・霊園・死霊・幽霊・怨霊……等々、「霊(れい)」といわないと、どうもしっくりこない。
霊魂という概念はもともと日本列島にはなかった借りものにすぎないから、どうしても漢字の音読みにした方がしっくりする。
語源としてのやまとことばの「たま」に霊魂という意味はなかった。それは、心やこの世界が「満ち足りている」ことをいっただけで、そこから球体のことも「たま」というようになっていったわけだが、仏教伝来以前の日本人は霊魂などというものを知らなかった。
「たましい」という。これは、現在では「固有の心」というようなニュアンスと「霊魂」という意味の両方に使われている。「死んだ人のたましい」といえば霊魂のことだが、「やまとだましい」といえば日本人の心とか気迫とか根性というようなニュアンスの方が強い。
枕詞の「たま」はすべて「心」というニュアンスで解釈できるのだが、世の研究者は、じつに安直に「たま=霊魂」と解釈してしまう。
たとえば「たまきはる」という枕詞は「霊魂が極まる」という意味だといわれているのだが、この場合の「きはる」は「極まる」ではなく、「消えてゆく」というようなニュアンスで、「たまきはる」とは「心がさっぱりする」ということだ。「極まる」という意味なら「きはむ」というはずだ。
枕詞の「たま」に、「霊魂」という意味はこめられていない。
日本列島では仏教伝来以前から男女が歌を交わすという習俗を持っていて、その場から「たま」がつく枕詞が生まれてきた。それは「感慨=心」をあらわす言葉だったのであり、男女の心のやりとりに「霊魂」という意味を込めなければならない必然性もなかろう。
「たま」とは「確かな心」とか「満ち足りた心」というようなニュアンスだったわけで、だから「たまる」ともいう。「たまたま」とは「一回きりの」ということ。「たまう」とか「たまわる」といえば、「胸いっぱいの心でありがたくちょうだいする」ということ。
もともとの「たま」という言葉に「霊魂」という意味があったのなら、わざわざ霊魂と言い換える必要はなかった。「たま」といって、それは霊魂のことだと合意されている社会ではなかった。
霊魂という概念は日本人になじみのない外来のものだったから、その言葉をそのまま使う慣習が残っていったのだ。



日本人は、仏教伝来のころにはじめて霊魂という概念と出会った。
そうして「死んだら霊魂が極楽浄土に行く」という仏教と「死んだら何もない黄泉の国に行く」という神道の二つの世界観・生命観をやりくりして生きてゆかねばならなくなった。
まあ普通に考えて仏教の教えのほうがずっと都合がいいはずなのに、それを信じ切ってしまうことはできなかった。もともと霊魂という概念を持つ風土だったらかんたんにできただろうし、仏教伝来を待つまでもなくすでにそういう世界観・生命観になっていたはずである。
古代人がなぜ「死んだら黄泉の国に行く」というこの上なく不安定な世界観・生命観をあえて捨てなかったのかといえば、「死後の世界」をどうしてもイメージできなかったからであり、彼らは、あの山の向こうもあの水平線の向こうも「何もない」と思ってしまう心の動きをしていた。このことは、日本列島にはもともと霊魂という概念はなかったということを意味する。
日本人が山の姿を愛着するのは、山の端(輪郭線)の向こう側を「何もない」と感じてしまう心の動きを持っているからだ。そうやって、この世界は「今ここ」で完結している、と感じることにカタルシスを覚えている。
つまり、この生は「今ここ」で完結しており、この世に生れ出てきたことは最終段階である、と思っている。「今ここ」はこの世の果てで、この先はもうない……そう思うことにカタルシスを覚える民族なのだ。
しかしそれは、どこにも行かない、ということではない。どこに行っても「ここでおしまい」と思える、ということだ。原初の人類は、そうやって地球の隅々まで拡散していった。ネアンデルタール人であれ日本人であれ、もっとも遠くまで拡散していった民族は、そのような「ここでおしまい」という意識が強く、死後の世界などイメージしない。「黄泉の国」とは、そういう世界観・生命観である。
この生をせいいっぱい生きるために死後の世界はないといったとか、そういうことではない。とにかく死後の世界などないと思ってしまう心の動きを人間は持っている、ということだ。べつに無駄に生きようとがむしゃらに生きようと同じことで、泣いても笑っても「ここでおしまい」ということだ。
「もう死んでもいい」と思うカタルシスがある。「死後の世界」を設定しないことの方がカタルシスは深い。「死後の世界」を設定しないのが人間の自然であり、そのカタルシスの深さをよりどころにして人間的な文化が発展してきた。
日本人は、どうしても「霊魂=死後の世界」という概念になじみきれない心を持っているし、じつは人間ならどこかしらにそうした心の動きを持ってしまっている。
四本足の猿が危険で不安定な二本足の姿勢になって猿としての身体能力を喪失することは、「もう死んでもいい」という状態になることであり、そこに深いカタルシスを覚えてゆく体験でもあった。人間は、歴史のはじめからすでにそういう心の動きを持った存在だったのだ。
日本人の「黄泉の国」という世界観・生命観は、たんなる極東の島国のドメスティックな観念にすぎないともいえない。
むしろ、神だの霊魂だのという概念に執着することの方が、人間としてずっと不自然なことであり、人類史における一過性のことかもしれない。



死というのは、いわばこの生の輪郭線である。この輪郭線の向こうは何もないし、この輪郭線は美しい、というのが日本的な「姿」の美意識である。
姿の美意識は、死後の世界など思わないし、中身の肉体も問わないし、さらにはその中身の霊魂も見ていない。
この生の正味は、「もう死んでもいい」という生と死の輪郭線の上にある……これが「姿」の美意識である。
このようなことを日本人は、観念的な思想としてではなく、無意識的な心の動きとして携えながら歴史を歩んできた。
このような精神風土は、仏教の思想にそぐわない。それでもそれをフェイクしデフォルメしながらでも受け入れてゆくのがこの国の伝統である。そのそぐわないものを、「もう死んでもいい」という生と死の輪郭線の上に立って受け入れてゆくことのカタルシスがある。
仏教は「いかに生きるべきか」という教えである。だから、この生の延長としての「死後の世界=極楽浄土」という概念が生まれてくる。
それに対して日本列島の伝統的な精神風土は、「もう死んでもいい」という生と死の輪郭線の上に立ち、そこで消えてゆくことにある。生の延長などというものはない。「いかに生きるか」ではなく「いかに死んでゆくか」がテーマの精神風土である。この生の中身など問わない。この生それ自体が、「死んでゆく」体験として存在している。
「死んでゆく」体験を際立たせる対象として「いかに生きるべきか」というテーマの仏教を受け入れていった。
そうやって仏教を受け入れてゆくことのよりどころというか防波堤として、たんなる祭りの習俗にすぎなかった神道を宗教のようなかたちにしていった。
神道が「死んだら何もない黄泉の国に行く」というのは、そうやってこの生を充実させてゆくためではなく、生と死の境目をより鮮やかに浮かび上がらせるイメージである。
そのとき古代人は、いったん「いかに生きるべきか」という仏教のテーマを受け入れつつ、それはこの生と死の境目に立つことだと認識していった。
原初の人類がより住みにくい土地住みにくい土地へと拡散していったのは、そこで生と死の境目に立つことのカタルシスを汲み上げていったからであり、その果てにネアンデルタール人は氷河期の極北の地に住み着いていった。彼らは、「もう死んでもいい」というカタルシスをもっとも深く体験している人々だった。その体験が洗練されながら日本列島に引き継がれていったのだ。
とにかく仏教と出会った日本人は、大いに混乱した。だから、神道をもうひとつの宗教として持っていなければ生きられなかった。
ひとまず古い文献にはそのとき仏教によって疫病の流行が鎮まったとかというようなことが書いてあるらしいが、そんなことはただの作り話で、民衆支配のための制度的な観念を植え付ける装置として仏教が必要だったのだ。
野蛮な原始人を支配するのはかんたんではない。制度的な観念を植え付けてゆくことによってはじめてそれが可能になる。つまり「いかに生きるか」というテーマを持たせなければならない……支配者のそういう意図のもとに仏教が輸入されていった。それはあくまで支配者による支配の道具として日本中に広まっていったのだ。
民衆は、自分の家の庭や村のはずれにお稲荷さんなどの社を祀るというようなことは歴史を通じてずっと続けてきたが、村にお寺が必要だというような発想はほとんどしなかった。
仏教は、つねに上から下に下りてゆくものだった。まず僧侶がその村にやってきて民衆を扇動しながらそこに寺を建てる。村の寄り合いで決めることは、いつだって神道的なモニュメントとか行事のことで、お寺のことはお寺に行って語り合った。
仏教伝来のそのとき日本列島の民衆は大いにとまどい混乱したにちがいないのであり、疫病が退散してめでたしめでたしなどという話ではなかったはずである。
そのとき民衆としては、制度は制度として受け入れはするものの、生と死の境目に立つ「姿」の美意識を捨てるわけにはいかなかったし、この美意識はけっきょく日本列島の歴史全体に流れているものになった。
まあ現在は、何かと仏教的な「いかに生きるか」というテーマが語られる風潮になってはいるが、それでも歴史の無意識としてのそうした通奏低音が消えてしまったわけではない。
「いかに死んでゆくか」といっても、ようするに神も霊魂も知らない心のことであり、あの山やあの水平線の向こうは「何もない」と思う心のことだ。われわれはそのようにこの生やこの世界を思いながら生きて暮らしている。
「いかに死んでゆくか」というテーマは、観念的な思想の問題ではない、われわれ日本列島の住民の美意識であり、日常感覚の問題なのだ。
いいかえれば、日本列島の住民にとっての「いかに生きるか」とか「神」や「霊魂」について考えたり語ったりすることなど、ただの借り物の観念的な思想の問題に過ぎない。この日本列島の土に根を下ろした心の動きでは断じてない。



最初の問題に戻ろう。
日本列島の伝統文化の基底には、「姿の美意識」がはたらいている。
やまとことばの「たま」はたんなる「心」のことをいうのであって「霊魂」という意味ではない。
「心」とはひとつの「輪郭」であって、その中心に「霊魂」など存在しない。ひとまず存在しないという前提でわれわれは「心」と向き合っている。
日本列島において、中心は、空っぽなのだ。「姿=輪郭」だけが問われる。
人の心の奥には怒りや憎しみや恐怖が渦巻いているなどといわれるが、そんなものなどないのが「たま」であり「心」なのだ。べつに、良い心や優しい心が詰まっているというのではない。ほんとうに「空っぽ」なのだ。だからこれは、性善説性悪説かというような問題ではない。
日本列島の住民は、善か悪かということはよくわからない。
それが善か悪かという判断などしない。そこに心のはたらきがある、という「輪郭」を感じているだけなのだ。
心の中身の善も悪も霊魂も知らない。ただもう心の「輪郭=姿」が気になるだけだ。もしかしたら外国人にこんないい方をしても通じなくて、彼らは、中身こそ問題だ、というのかもしれない。
しかし日本列島の住民には、なんとなくこの「姿」というニュアンスがわかる。心の中身よりも、中身が空っぽの心の姿こそ大切なのだ。中身がないというわけではないが、中身は問わない。
「たま」とは、「心の輪郭=姿」のことをいう。
「たまきはる」の「きは」と「際(きわ)」であり「輪郭」のことである。輪郭がさっぱりした姿の心になることを「たまきはる」という。
その「姿」には、内側も外側も「何もない」のだ。その「輪郭」そのものの鮮やかさを「姿」といい「たま」という。
性格がいいとか悪いとか、良い心と悪い心を選別するのはその人の道徳観かもしれない。しかし人は、それ以前に魅力的な心かどうかという感想も持つ。これは美意識だろうが、その心はもう中身がどうのこうのという問題ではない。悪人だって魅力的な悪人はいるし、善人だからといって退屈でつまらない人もいる。それは、心の「姿」の問題なのだ。
そしてこれは、美意識の問題であると同時に、意識のはたらきの根源の問題でもある。
たとえば、ものを食うことは食物の物性とかかわることだが、意識はその物性を確かめること以上に、どんな味がするか、ということに向いている。「味わう」ということは、物性を確かめることとはまたちょっと違う次元の意識のはたらきである。そのとき意識は、「味」という食い物の「輪郭=姿」を追いかけている。



意識は根源において、対象の物性よりも表面の「姿=輪郭」に向いている。対象の物性は、見ただけではわからない。触ってみてはじめてわかる。だから、意識はまず対象の物性に向かうのではなく「姿」に向かう。これが、意識の根源のはたらきなのだ。意識は、その本質・根源において、「姿」に向かうようにできている。その「姿」に向かう意識に比べれば、「物性に」向かう意識はあんがいあいまいなのである。
男の女に対するフェティシズム=欲情は、おっぱいや尻のふくらみだけでなくハイヒールやストッキングに向かうこともある。ハイヒールやストッキングは、べつに物性としての興味でもあるまい。このとき男のフェティシズムは何を見ているかというと、たとえおっぱいや尻だろうと、その物性ではなく、平均的普遍的にいうなら、女の「気配=姿」としての「娼婦性」のようなものを見ている。それはまあ、猿がメスの充血した性器を見て欲情するのと同じようなもので、その充血した性器は、ひとつの娼婦性である。女の娼婦性をおっぱいや尻に見る男もいれば、ストッキングやハイヒールに見い出す男もいる。たとえおっぱいや尻でも、それは物性ではなく、「娼婦性」というそのかたちが持っている「輪郭=姿」であり、男はそれに欲情しているのだ、
この場合の「輪郭=姿」は、「気配」と言い換えることもできる。男のフェティシズムが追いかけているのは、おっぱいや尻やストッキングやハイヒールが持っている「娼婦性」という「気配」である。
基本的に女は、男のような性欲もナルシズムも持っていない。ただ「やらせてあげる」という「娼婦性」を持っているだけである。これはもう犬や猫や猿や鳥やカブトムシの世界でも同じで、おそらく雌雄の発生段階までさかのぼることができる問題である。そしてこの、男の性欲と女の娼婦性との関係を、われわれは「官能性」といっている。男の性欲だって、じつは女の肉体の「物性」に向いているのではなく、「娼婦性」という「気配=輪郭=姿」に向いている。
その「やらせてあげる」という「娼婦性」に気づいて男は勃起しているのであり、その「娼婦性」に鈍感な男から順番にインポになってゆく。
美意識は、物性よりも「姿」に向かう。意識は根源において、対象の中身としての物性よりも、輪郭としての「姿」に向いている。
心や身体の中身としての「霊魂」に向かうなんてたんなる制度的な観念性であって、人間の自然な心の動きでもなんでもない。そんなインポチックな観念のどこが素晴らしいのか。
人間の自然な心の動きは、霊魂を知らない。日本人は、大陸文化に教えられてはじめて知った。
日本人は「たま」とい言葉に「霊」という字を当てることを試みたりしたが、霊という字を見るまでは霊というものを知らなかった。「輪郭=姿」としての「たま」と「中身」としての「霊魂」とは、決定的に違う。それは、「いかに死んでゆくか」ということと「いかに生きるか」ということくらいにちがう。
「いかに死んでゆくか」ということはつまり人間の自然な心の動きとして身体の物性を忘れてゆくことであり、「いかに生きるか」は制度的な観念性として身体の物性に執着してゆくことである。
人は、そういう制度的な観念を肥大化させながら神や霊魂という概念を見い出していった。
それに対して日本列島の「姿」の美意識は、人間の自然としての神や霊魂を知らない心とともに洗練してきた。
「いかに死んでゆくか」という問題がある。女がなぜ「やらせてあげる」という「娼婦性」を持つかといえば、「いかに死んでゆくか」という生き物としての根源の問題がはたらいているからであり、生き物はそういう問題を抱えた存在だから雌雄が発生してきたのだ。
女にとって男にやらせることは生き物としての死の体験であり、生と死の境目(輪郭)に立つことである。
「娼婦性」とか「官能性」というのはおそらく「姿」の美意識の問題である。
「たま」とは、「娼婦性」のことだ。「霊魂」のことじゃない。それはもう人間性の普遍のみならず、命のはたらきの根源の問題ともかかわっている。そしてそれが日本文化の基礎的なコンセプトであり、われわれにとっては「娼婦性=たま」という言葉のほうが「霊魂」などというよりずっと美しく優雅で、しかも根源的である。
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