祝福論(やまとことばの語源)・「せつない」

古代人にとっての旅は、つらく困難なものだった。
それでも彼らは、旅にあこがれ、旅の歌を多く残している。
旅は、故郷の人や景色や暮らしとの別れであった。しかしその「せつなさ」に、旅立つことのカタルシスがあった。
日本列島の住民は、せつない別れの歌が好きだ。
「せつない」という感慨は、ただ悲しいというのとは少し違う。
「やるせない」ということとも違う。やるせない、といえばどこかうつろだが、胸がきゅんとなるせつなさには、今ここの一点を見つめている何かいじらしいような緊張感がある。
未来のことも過去のことも忘れて、今ここの一点を見つめている。それが、「せつない」という感慨らしい。
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「せつない」という感慨は、ほかのことばでは説明できない。せつないは、せつない、なのだ。
「瞬間」を意味する「せつな(刹那)」は、サンスクリット語の「クシャナ」から来ているといわれているが、その「クシャナ」を「せつな」という音声に変えてしまったのは、やまとことばのタッチだろう。
日本列島の住民は、「せつな」というと、「瞬間」を感じる。「クシャナ」ではない。「せつな」といって、はじめて「瞬間」を感じるのだ。
日本列島の住民にとっての「瞬間」は、「クシャナ」ではない、「せつな」なのだ。
クシャナ」から転化してきたことばであろうとあるまいと、「せつな」は、やまとことばなのだ。
なぜなら、「せつな」といって「瞬間」を感じるのは、日本列島の住民だけだからだ。
つまりその「瞬間」を、「せつない」という感慨とともに気づいてゆくのは、日本列島の住民固有の心の動きかもしれない。
日本列島の住民にとっての「瞬間」は、「せつない」ものであるらしい。
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「せつなや」「せつなき」の「せつな」。それは、「瞬間」を意味する「せつな」であると同時に、ひとつの深いカタルシスの感慨でもある。
「せ・つ・な」、あるいは「せつ・な」。
「切(せつ)に願う」の「せつ」、これは、やまとことばだろう。
「せつ」とは、「一心に」とか「ひたすらに」というような意味だろうか。
「せつ」の「つ」は、「付く・着く」の「つ」。
「せつ」とは、「せ」に「つく」こと。この「せ」が問題なのだ。
なぜ「背中」のことを「背(せ)」というのだろう。
反対がわのことを「せ」というのだろうか。
たぶん、違う。「競(せ)る」「急(せ)く」「関(せき)」「堰(せき)」「瀬(せ)」、これらの「せ」に「反対がわ」という意味はない。
「競る」は、どちらが優勢かわからないこと。
「急く」は、先が見えないで焦ること。
「関・堰」は、行き止まりのこと。
「瀬」は、水深が浅くて流れが早いために水が白く泡立ち、かえって水底が見えなくなっているところのこと。
これらの「せ」は、すべて「不可能性」を意味している。
とすれば、背中の「せ」は、自分では見ることのできないからだの部分、ということになる。
古代では、夫のことを「背(せ)」といった。当時は通い婚だったから、その夫は、一緒にいたいけどいない人だった。そういう意味というか感慨を込めて「せ」といったのだろう。背中の「背」は、文字を覚えてからのたんなる当て字で、あまり関係ない。
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「せつ」とは、気持ちが不可能性につくこと。つまり、かなわないことを懸命に願うことを「切に願う」という。
「せつな」の「な」は、「なれる・なじむ」「な」で、「親愛」の語義。
「せつな」とは、いま目の前にいない人や物事のことを親愛の情を込めて懸命に思うこと。そうして、胸がきゅんとなること。たしかにこれは旅の感慨であり、同時に、未来の気がかりなことも過去のわずらわしさも忘れて「今ここ」の瞬間を体験している、ひとつのカタルシスにほかならない。
「せつない」とは、「瞬間」の感慨である。そして、「不可能性」に身をひたすせつなく悩ましい心の動きである。
未来の「可能性」を夢見ることと、今ここの「不可能性」にせつなく身をひたすことと、どちらが生きてあることのカタルシスになるのだろう。少なくとも古代人は、後者を選んだ。
いや、いつの時代であれ、じつは人間なら誰だって、そんなところでカタルシスをくみ上げながら生きているのかもしれない。
人間は、「不可能性」の「不幸」を生きようとする生きものであり、「せつない」の「せ」は、そうした「不可能性」の中に身をひたす感慨からこぼれ出てきた音声なのだ。
中西進氏は、背中の「背」は「頼りになる」という意味があり、だから夫のことを「背」といった、というようなくだらないことをいっているのだが、もうそろそろそんな程度の低い学問研究は清算してもいいのではないだろうか。