古代の家族

ある評論家によれば、原初的な共同体は「家族」がだんだん大きくなってつくられていったのだ、などというのだが、それは違うと思う。
親族で共同体をつくっても、すべて近親相姦になってしまう。また家族や親族は、性衝動の上に成り立っているのではなく、親子やきょうだい関係を基礎とする「順位」意識によって成り立っているために、自然な性衝動が希薄な集団になってしまう。
親族が共同体に拡大してゆくことなど不可能であり、共同体の中から家族や親族が生まれてくるのです。
家族という単位がだんだん大きくなっていって共同体になったのではない、人が寄り集まってしまった「結果」として、共同体が生まれてきたのです。それは、歴史という「結果」であり、逃れることのできない人間の運命だった。そして、寄り集まってしまった集団の混乱を収拾してゆくかたちで「家族」が生まれてきた。家族という単位は、人間の根源でも本質でもない。大きくなりすぎた集団を収拾するための装置として、あとからつくられたものです。
人が寄り集まってきて大きな集団になってしまうこと、そこから「人間という制度」の歴史が始まり、そのあとに「家族」という単位が生まれてきた。
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文字による支配のかたちの基礎は、おそらく親が子をしつけ育ててゆく行為にあるのだろう、と思えます。何のためにしつけるのかといえば、社会の中で暮らしているからです。つまり、まず社会があって、そこから、「しつける」という行為が生まれてきた。そしてそのモチベーションが、文字が生まれてくる原動力になっていった。
日本列島の歴史で、律令制度から本格的な文字による支配が始まったということは、その時期にやっと「家族」というかたちが定着してきたことを意味しているのではないでしょうか。
何はともあれ、歴史の始まりにおいて、まず社会という大きな集団が発生してしまったのです。それが、日本列島においては弥生時代のことであり、しかしそのころ男たちはまだ、ツマドイ婚の風習を残しながらふらふらしていていたのだから、家族の一員になりきれていなかった。
ツマドイ婚に必要なのは、「約束」ではなく、その場の「ときめき」です。約束を必要としない社会では、文字もまた必要ではない。それでも大きな集団が生まれ、維持されていたということは、その社会もまた、上が下をしつける(支配する)という家族的関係ではなく、集団それじたいにおいてすでに結束していた、ということでしょう。
結束させていたのは、おそらく「山」です。山に囲まれて、誰もが「ここが世界のすべてだ」という感慨を持っていた。彼らは、すでに結束していた。したがって、上からの支配によって結束させられる必要がなかった。「ここが世界のすべてだ」という感慨とともに寄り集まっていったのだから、寄り集まるということじたいがすでに結束になっていた。
すでに結束していたから、文字を必要としなかった。ただ、すでに結束していたから、支配されていなかった、というのではない。すでに、「山」という自分たちを支配する対象を共有していたのであり、それがやがて天皇をまつり上げるというかたちに進化していったのでしょう。
古代人にとって、巨大古墳は、ひとつの「山」だった。山は、「世界の果て」であり、この世界この生を完結させてくれる対象です。そして巨大古墳に祀られた天皇もまた、そうした「世界の果て」としての存在だったのであり、人々のこの世界この生は、すでに完結していた。彼らが天皇をみずからまつり上げていたということは、すでにみずから支配されてゆくというかたちでこの世界この生が完結し、いまさら文字によって支配される必要がなかった、ということでしょう。
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そして文字による支配がなかったということは、「家族」というかたちもまだまだあいまいだった、ということです。
縄文時代以来のツマドイ婚の習性が色濃く残っていた古代においては、「母子関係」があっただけで、父のいる家族のかたちになっていなかった。弥生時代に男も定住するようになったといっても、男なんて居候みたいな存在でしかなかったのです。男が主人の「家族」になっていったのは、鎌倉時代以降のことです。
文字による支配のない古代の日本列島においては、子供のしつけ、などというものもまたなかった。論理的には、そういうことになります。世界はすでに完結しており、しつけの必要がなかった。おそらく、言葉の機能そのものにおいて、「ここが世界のすべてだ」と認識してゆくしつけの機能が備わっていたのだろうと思えます。
しつけとは、親が子に、世界を認識するすべを身につけさせる、という行為です。しかしそれはもう、目の前に「山」が存在することと、話し言葉の機能でじゅうぶん足りており、文字を代替して親がしつけるべきことはなかった。というか、親がしつける習慣がなかったから、なかなか文字による支配が定着しなかった。
われわれは、「生きてゆく」ことによってこの生を完結させるのではない。この生は、「今ここ」においてすでに完結しているのだ。「人生」などというものはない。確かなことは、「今ここ」に生きてあるということだけだ。すくなくとも、文字による支配のなかった古代の人々は、そういう認識で生きていた。
結論を急ぎすぎて説明不十分なのは承知していますが、ひとまずそう書いておきます。