古事記における海の底の世界

沖は、奥(おき)ともいうらしい。そこに、竜宮城がある。古事記でいえば、海幸山幸の山幸が下りていったという、トヨタマヒメが住む海の底の宮殿ですね。
で、古代人にとってそこは、この世にはない異世界だったのか。たぶん、そうじゃない。きっとある、と信じられていた、この世界の「果て」だったはずです。沖はあくまで「奥(おき)」であって、奥の向こうではない。
われわれは、沖=奥に行くことはできるが、その向こうには行けない。というか、その向こうは「ない」のです。古代人は、竜宮城がないと思っていたのではない。僕だって、半分はあると信じている。僕の科学的知識がそんなものはないといっても、どこかしらで、どうしようもなく信じてしまっている。
身内に、沖に出たまま帰らなくなってしまった人がいる家族なら、なおそれを信じてしまうでしょう。その人は、帰れなくなったのではなく、帰りたくなくなったのだ、と。魚や亀が生きて暮らしている世界なのだもの、死の世界であるはずがない。
この世の向こうがわの世界などというものはない、「果て」の世界があるだけだ。日本列島の人間は、水平線の向こうがわ、すなわち観念的な死の世界(たとえば天国や極楽浄土)を思い描くことができない。あくまで身体的な「見る」という体験にもとづいた世界だけを信じた。つまり古代人は、竜宮城を見たのです。そして怖くなって(何しろそこは、地上の300年がたった3年で過ぎてしまうのだから、行って戻ってきたら、浦島太郎のようにたちまちおじいさんになってしまう)、逃げ帰った。南の海の底には、そのように見える景観が、いくらでもある。
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本居宣長は、古代人には「カミ」の姿が見えていたのだ、といった。それはきっとそうでしょう。日本列島の人間が、見えもしない神の物語など、語るはずがない。
やまとことばにおける「見る」という体験からもたらされる感慨は、もしかしたら大陸の言葉よりずっと濃密であるのではないか。
「かみ」という言葉はもちろんのこと、「やま」とか「うみ」とか「あま(天=空)」というときの「ま」や「み」も、すべて「目」とか「見る」というニュアンスなのだろうと思えます。
「やま」というときの「や」は、「やあ」という感じで、懐かしさとか親しみをともなっている。つまりそれは、山の何たるかではなく、山を見たときの心のかたちを表現している言葉なのだ。「やま」とは、「やあ」という感慨とともに「みる」こと。「そうしてやりたいのはやまやまだけど」というときの「やまやま」は、親しみの表現でしょう。
それにたいして「うみ」というときの「う」は、「うっ」と息が詰まったり「うーん」と途方にくれてうなったりする感じがある。日本列島の人間は、海に対して親しみがあるのではなく、体がこわばってしまうようなあるとまどいを、根源において抱えている。
そうして「あま」というときの「あ」は、「あっ」と驚いたり、「ああ」という嘆きや憧れや喜びや、さまざまな感嘆になる。
やまとことばは、身体的な世界観の上に成り立っている。であれば、古事記においても、観念的な「異世界」などというものはないはずです。
つまり「見る」という体験を離れて「カミ」も「竜宮城」もないのだ、ということ。
海の底に竜宮城があるという話は、ただの想像とか異世界であるというようなのんきな認識ではなく、海にすむ人たちのもっと切実で身体的な「ヴィジョン」なのだ、と思えます。
したがってそれは、山に囲まれた奈良盆地の人たちの発想ではない。ただ彼らは、それを自分たちの出自の話に取り込んでしまうほどに、海からやってきた人たちと親密に語り合っていた。
海の人たちは、竜宮城を想像したのではなく、「見た」のです。奈良盆地の人たちは、「アマテラス」の神を見たかもしれないが、竜宮城を見てしまうような暮らしはしていなかった。
竜宮城は、けっして異世界ではない。海に囲まれた日本列島で暮らす人間は、異世界などというところには行けないから、さすらうほかないのです。
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海の神の宮殿で釣り針を見つけてもらった山幸は、自分の国に帰ってきます。
しかしそのとき、宮殿のトヨタマヒメは山幸の子を身ごもっており、後を追いかけてきます。で、山幸も歓迎して夫婦になろうと思う。ただ、そこでヒメは、子を産むときの私の姿はけっして見ないでくれと頼むのだが、山幸は、ついのぞいてしまう。すると、子を産んでいたのは、じつは鰐(サメ?)だった。
あんなに見ないでくれといったのに、と落胆したヒメは、海の宮殿に帰ってしまう。
このエピソードを、異世界の者どうしの断絶がどうのという、もっともらしい理屈をつけて語ることにはうなずけません。出産するときの女なんて、みんな鰐みたいな顔をしてぎゃあぎゃあわめいてしまうものでしょう。古代の女たちは、そんな姿を男に見られたくなかったし、男も見ないようにしていたはずです。なぜなら、ツマドイ婚の歴史において、女たちは、男のいないところで子を産むという習慣をずっと続けてきたからです。
ただ、庶民の女が天皇の子を宿した場合だけは、天皇家に行って産み、その子を天皇家に置いてこなければならなかった。そういう社会の構造が反映されているだけの話ではないのか。
つまり、トヨタマヒメが海に帰っていったのは、彼女がそれほどに誇り高い女だったというだけのことであり、じっさい古事記にも、そういうふうにしか書かれていないのです。誇り高いということは、わがままである、ということでもある。ようするにこのエピソードは、男と女の関係の機微の上に成り立っているのであって、海の底の他界性がどうのということではない。あくまでこの世界と、この世界の果ての話なのだ。
古代社会において、男と女が死ぬまで添い遂げるというかたちが、いったいどこまで定着していたのか。現代社会より、ずっと流動的だったのではないか。
いずれにせよ、古事記は、古代人の生活感情が反映された物語のはずであり、その漂泊性もそこにこそあるのであって、異世界との往還がどうのという理屈をつけて語るような内容ではないと思えます。漂泊とは、この世界の果てをさまようことであって、この世界と異世界を往還することではない。
たとえば、奈良盆地の人と海辺の地方からやってきた人が一緒になったものの、気質や生活習慣の違いから別れてしまう、そんな事柄が、神の世界に拡大されているだけではないのか。海辺で育った人間の気持ちというのは、どうもよくわからないところがある。奈良盆地の人々には、たぶんそんな感慨があった。
釣り針を探して海の底に下りていったのは、いつも海で釣りをしている海幸ではなく、気まぐれを起こして兄と役目を交代してもらった山幸であるというところが、この話のみそなのだろうと思えます。