始祖の地

古事記で語られている、初代の神武天皇から9代目の開化天皇までは架空の存在である、というのが通説になっています。そしてそれらの天皇は、奈良盆地で生まれ育ったのではなく、列島中のいろんな地域からやってきたことになっている。研究者はこれを、大和朝廷による列島支配の正当性を補強するためにつくられた話だ、といいます。しかし古事記は、大和朝廷がつくった話ではないのです。あくまで、民間の伝承なのです。古代の民間人が、大和朝廷の列島支配を強化するためにどうのと、そんな現代の役人みたいな政治向きの話を夢中になってしていたはずがないでしょう。たぶん、奈良盆地にはいろんな地域からやってきた人が集まっていて、誰もが自分たちの出自と天皇を結び付けたがっていた、その結果ではないかと思えます。
出身地が違えば、先祖代々から信じている神も違います。そういうさまざまな神を、いったん「天皇」という存在に収斂させてしまう機能として、そうした架空の天皇の話が生まれていったのでしょう。どの地域からやってきた天皇も、それぞれみな神の末裔として語られているのです。
奈良盆地の人々は、誰もが根無し草だった。実際のところは、自分たちがどこからやってきたのか、誰も知らなかった。そういう不安が、出自の地にこだわらせた。古事記は、人々の始祖を語る話でもあるのです。
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古代における奈良盆地の人々は、根っからの定住民ではなかった。山野をさすらっていた縄文時代8千年の歴史と伝統を抱えながら住み着いていったのです。彼らは、さすらいびとだった。さすらいびとが、さすらう心で住み着いていったのです。そこは、さすらいびとでなければ住み着くことのできない場所だった。
さすらいびとでなければ住み着くことができないとは、けっして住みよい場所ではなかった、ということです。端的にいえば、さすらい人とは景観にいざなわれてゆく者であり、定住民は住みやすさを求める。奈良盆地は、そういう景観があっただけで、ほとんどが水浸しの沼地に過ぎなかった。住み着くべき理由としてあったのは、四方をたおやかな姿の山なみに囲まれているという景観だけであり、それは、さすらい人にはようやくたどり着いたという安堵をもたらすが、定住民にとっては、どこにも行けないという息苦しさを与える対象でしかない。
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弥生時代後期の日本列島において、もっとも人口の多い地域は、奈良盆地だった。それは、奈良盆地がもっとも住みやすい地域であったからではなく、あくまでさすらいびとにとって、もっとも魅力的な景観を持っていたからです。
古代の日本列島において、人が多く集まっている地域は、ほとんど内陸部にあった。とくに弥生時代までは、海辺の地域から山間部にやってくる人はいても、逆の例はほとんどなかったらしい。彼らは、海辺で暮らす心もとなさから逃れて山にやってきた。山に囲まれた景観こそが、古代人の心を和ませた。
古代においては、誰もがさすらいびとだった。そして山間部の人が集まる地域は、海にたいする絶望と山にたいする感動が交錯する場になっていった。さすらいびとだからこそ、誰よりも水平線を眺めることの絶望を深く体験しているし、山にたいする感動もより深いものになる。そうしてその離れがたいほどの山の景観と出会って人が集まってしまえばもう、そこに住み着くことが試されてゆくことになる。
日本列島をさすらっていた人々を山に囲まれた平地に定住させていったのは、水平線の向こうを望むことへの絶望だった。だから、山の民の伝承にもかかわらず海の話がたくさん出てくるし、じっさい海辺の地域からやってきた人たちがたくさんいたということでしょう。現在においてか過去においてか、誰もが海にたいする絶望を体験していた。だからこそ、四方を山に囲まれたその景観が、いっそう心にしみたのだ。
しかし、彼らがそこに住み着くことは、さすらうことの延長でもあり、心はより深くさすらってゆくことであった。四方を山に囲まれていることにたいするさすらいびとならではの感慨があってこそ住み着けるのであって、住みよいことを求める定住民の意識では住み着くことのできない土地だったのです。
古事記は、漂泊の物語なのだ。主人公たちは、誰もが悲劇的終末に向かってさすらってゆく。あるいは、さすらいの果てに住み着いてゆく。歴代の天皇だって、さまざまな運命を背負っていろんな地域からやってきたことになっている。
奈良盆地の人々は、誰もがさすらいびとだった。彼らは、そこに住み着くために、漂泊の心を語り合っていた。そういう二律背反を超えてゆこうとする狂気が、かくも荒唐無稽な話に仕立て上げていった。
彼らは、大和朝廷の支配がどうとかこうとかというような、そんなしらじらしく覚めきった俗物根性で語り合っていたのではない。
日本人だろうと西洋人だろうと、研究者という人種は、政治や経済を語れば、それがすべてを明らかにする正義であり真実だと思っている。しかし歴史というのはそれだけではすまないのであり、人間は、そんなことのためだけで生きてきたわけではないのだ。