いざなう性といざなわれる性

縄文時代は、それほど安定した食糧生産をしているのに、ほとんど人口が増えなかったらしい。それは、彼らの寿命が平均30数年ときわめて短かったことに加え、女が一生のあいだに産む子供の数が比較的少なかったからでしょう。
つまり男たちは、子供のいるややこしい女よりも子供を産んだことのない女を相手にしたがる傾向があったのか。それとも女が受けつけなくなっていったのか。あるいは、セックスするために平気で堕胎していたのか。
子供をかわいがることと、堕胎することとは、また別の問題です。それは、母性愛がどうのという問題ではない。僕には、よくわからない問題が含まれている。どこかの国の権力者が、女でもないくせして中絶の倫理を語るなんて、お門違いだと思う。
女は、自分の体に干渉してゆく習性を持っている。化粧をしたりダイエットをしたりすることと、堕胎をすることとのあいだにどれほどの違いがあるのか、僕にはよくわからない。
「産む」ことも「おろす」ことも、つまりは自分の体と戦うことでしょう。戦わなければ、産めるものではないでしょう。よく知らないけれど、自分の体に対する悪意がなければ、あんな恐怖や苦痛に耐えられるはずがない。
自分の体に悪意があるから、女は、死ぬことが怖くないのでしょうね。怖くないことはないかもしれないけど、男よりはちゃんと死と向き合うことができる。だから、看護婦が勤まる。
話が脱線してしまいました。とにかく縄文時代はあまり人口が増えなかったのであり、女だけの集落が育てられる子供の数は限られていたにちがいない。
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縄文時代の男と女の関係は、けっして安定して約束されたものではなかった。
彼らにとって男と女の関係はもう、家の中で始まって家の中で終わるというかたちで、そこで完結していた。その女が何人の男と関係しているかということは、女だけが知っていることだった。
縄文時代の男女の関係は、けっして平等でも、予定調和的に安定したものでもなかった。つねに不平等で不安定で、男と女は、ひたすら異質だった。
ときどき、縄文美人はどんな顔かたちをしていたのか、というようなことが語られたりするが、縄文の男たちは、女であることそれじたいに驚きときめいていたのであり、そんなことをあれこれ吟味するような趣味は、おそらく弥生時代以降の、定住して共同体が生まれてきてからのことでしょう。
もちろんそれは、彼らの知能が原始人レベルだったからとか、そういう問題ではない。美人か否かと問うことなど、定住することの鬱陶しさを紛らわせるためのたんなる手続きというか、生活の知恵であって、漂泊する者には興味がないことです。
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山野をさまよってきた者に必要なのは、何をさておいても食事です。女たちは、まずそれをもてなしてから、それぞれの家に引きこもる。
夜になる。
そこでやっと、ツマドイの歌がはじまる。
とにかくこの国のツマドイは、一日待たせるのがセオリーだったわけで、それは、夜になってからなされた、ということを意味する。
昼間にしていたら、夜に出直してきます、ということになってしまう。出直すことのできない夜だからこそ、一日待たせる、ということが成り立つ。
顔を合わせて歌垣をしていれば、その場で話が出来上がってしまう。しかし、古事記にも出てくるように、まず歌だけを交換し、次の日あらためて出かけていってやっと入れてもらえるのです。それが、この国で、縄文時代以来続いている、男と女が関係を結ぶときの流儀です。現代にだって、細かくつつけば、その「痕跡」はいくらでも見つけられるはずです。
一日待たせるということには、深い意味がある。その一日で、男と女は、恋する仲になる。縄文人の場合は、恋する仲じゃないと、会う意味がなかった。そのあと夫婦になって、日々の暮らしをともにするわけではないのです。大げさに言えば、一晩だけで燃え尽きようとする出会いだったのです。おたがい、明日は死んでしまうかもしれないという予感を抱きながら、長く添い遂げようとか、そんな発想ができる身ではなかった。
まさか、歌だけで恋ができるはずもない。歌は、あくまで準備運動であり、そのあとの「一日」で恋焦がれる仲になるのだ。
原始人が恋愛するはずがない、と思いたい人は、そう思っていればいい。恋愛は、知能でするのではない。生きてあることの切実さでするのだ。三十数年しか生きられない縄文人より切実に生きていると、いったい現代人の誰がいえるのか。
男は、一日待たされて、なお会わずにいられなくなり、女もまた一日懸命に心と体の疼きをこらえる。それが、ツマドイの精神(エスプリ)であり、じっさいに中世まで引き継がれていったこの国の男と女の関係のかたちだった。
原始人の一日なんてたいしたことなかったのだ、と思うのだとしたら、頭悪すぎる。彼らの一日は、この一日しかないという一日だった。われわれ現代人より、はるかに高価な一日だったのだ。その一日を、支払うのだ。それはもう、永遠かと思えるほどの一日だったのかもしれない。
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男が押しかけてゆくのではない、一日たって女が「誘う(いざなう)」のだ。
イザナミイザナギの神の名にしても、その当時の男と女の関係の本質が「いざなう」ことにあったからでしょう。
いざなう性としての女、いざなわれる性としての男。
西洋では、女が色気で誘惑するが、この国の古代の女たちは、社会の構造において男たちを「いざない」続けていた。
われわれが旅に出るとき、たしかに、風景や人にいざなわれている、という気分はある。そして縄文の男たちもまた、女たちにいざなわれながら山野をさまよっていた。
旅に出るとは、この世界の果てからいざなわれることだ。男にとって女とは、この世界の果てである。そして男もまた、この世界の果てとして、女の前に立っている。
僕は女の前にそういう顔をして立ってみせた経験はないけど、女というのはそういう存在かな、と思わないでもない。