縄文社会の誕生

縄文社会は、いつから、なぜそういう構造になっていったのか、ということについて考えてみます。こういう問題を、想像力だけで「追体験」してゆこうとすることが、いかにしんどく、いかに得られるものが少ないかを思い知らされるばかりですが、かといって歴史の真実に触れるためには、学者先生のように証拠(データ)集めだけやっていればいいというものでもないだろう、とも思うわけで。
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原初の日本人は、日本列島がまだ大陸とつながっていた氷河期のころ、シベリアあたりから樺太を伝って下りてきた人たちだったらしい。
そのあと氷河期明けの一万年前に、つながっていた陸地部分がすべて水没して日本列島が孤立してしまった。そこからが縄文時代の歴史です。
縄文人のほとんどが内陸部の山間地に住んでいたのは、この日本列島では、山間部しか移動できる地域がなかった、ということが考えられます。海に近い平地は、ほとんどが移動を阻む湿地帯だったらしい。
原初の日本人は、海の民ではなく、山の民だったのです。
そして、日本列島は細長い地形で、しかも山間部しか移動できるところがなかったから、群れの拡散がゆっくりまわりに広がってゆくというかたちではなく、川の流れのように一方向に急かされ続けながら動いてゆくほかなかった。
日本列島が細長い帯状の地域であったこと、はじめは北側にしか大陸からの入り口がなかったこと、そして山間部にしか移動できるスペースがなかったこと、これらのことが重なって縄文人の生体がつくられていったのだろうと思えます。まず、これが基本です。
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群れが拡散してゆくということは、群れごと大移動してゆくのではない。アフリカのホモ・サピエンスだろうと、そんなことをした原始人など、どこにもいないのだ。
群れが拡散してゆくときは、まず群れからとび出した小グループが、いちばん外側に小さな群れをつくることからはじまる。そこに、ほかの群れからとび出した者たちも集まってきたりしてそれが大きい群れになってゆくと、またその外に小さな群れが生まれる。この繰り返しで、群れが拡散してゆく。
こうして、とりあえず氷河期の日本人の生息域がつくられていった。
これが、ふたつめの基本原則です。
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氷河期の日本列島には、マンモスやオオツノジカなどの大型草食獣がいました。それらが氷河期明けとともに絶滅してゆくと、それらをチームワークで狩をして食料とすることによって維持されていた大きな群れはもう、存在することができなくなっていった。
つまり大きな群れが存在意義と存在する能力を失っていった縄文初期の時代には、当然それにともなって、群れを飛び出す男女の小グループがつぎつぎに生まれていったはすです。
大きな群れからとび出した者たちは、大きな群れがいやだったのだから、基本的に他の大きな群れに身を寄せてゆくということはしない。いちばん外側の小さな群れと合流するか、さらにその外に自分たちの小さな群れをつくるかしかない。
群れからとび出した者たちは、つねにいちばん外側に向かう。
氷河期明けは、そういう行為をうながすように環境が良化していった時期であったし、南下するということじたいが、そういう環境に入ってゆくことでもあった。
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原初の日本列島を拡散してゆく者たちにとってのいちばん外側は、つねに、南下する一方向にしかなかった。
しかも、海沿いの平地はほとんど湿地帯なのだから、山越えのルートしかなかった。
群れを飛び出した若い男女は、とりあえず、いちばん外側を目指した。しかしそれは、南北に伸びた日本列島特有の環境の変化が好奇心を刺激する一方で、つねに過酷な山歩きでもあったわけで、身体能力のない女たちは途中で脱落していった。疲れ果ててか、ふてくされてかは知らないけれど。
脱落した女たちは、おそらく、他の群れに吸収されるか、脱落した女どうしで小さな群れをつくって生き延びようとしたりしたのでしょう。
そのころの日本列島は、女だけの小集落でも何とか生きてゆける環境であったらしい。
そのようにして、日本列島に、女だけの小集落が、少しずつできていった。
同時に、男ばかりの、山歩きしながら女だけの小集落を訪ね歩くグループも生まれてきた。
縄文人の男たちの山野をさまよい続ける性格は、移動のさいに女を振り落としていった結果としてつくられていった。そしてじっとして動かない女たちだけの集落は、男たちから振り落とされた結果として生まれてきた。
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単純に食性だけのことを考えても、なおも大型草食獣の肉ばかり食いたがる旧人類にたいして、若者たちの関心はすでに、氷河期明けとともに生まれてきた山の豊穣な木の実を採集することや、繁殖の勢いが増した小型獣を追いかけまわすことに向いていた。
日本人は、とても雑食性がつよい民族です。それは、狩の能力に限界のあった縄文人の女たちが、工夫してさまざまなものを子供たちに食わせていたことからはじまっている。
それにたいして氷河期明けにもそれほど動物の分布も社会の構造も変らなかった欧米人は、いまだに肉食中心の食生活をしている。肉は、栄養豊富で腹いっぱいになるから、雑食の傾向は生まれにくい。ネアンデルタールは、べつに知能が低かったわけではないが、大型草食獣の肉をたらふく食っていたから、魚や木の実を食事に取り込むことにあまり興味がなかった。
日本列島は、氷河期明けに島として孤立してしまったために、動植物の生態が大きく変わってしまった。平原がなくなったから大型草食獣はあっという間に滅んでしまったし、また、大陸とつながっていたときにはまったく伝わってきていなかった中国や朝鮮の植物の種が、新しく生まれた海流に乗って続々漂着して根付いていった。まあこれを、研究者たちは、人が運んできた、と言っているのですがね。あるわけないじゃないですか。
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縄文時代初期は、氷河期以来の大きな狩猟集団が解体されていった時代だった。
あちこちに女だけの集落ができてくれば、それを目指して、そうした旧集団から若い男だけでとび出していったりするようになっただろうし、また、女だけでとび出してみずから小さな集落をつくろうとする試みもあったかもしれない。
そうして若者がどんどんいなくなってゆく集落はもう、消滅してしまうまで衰弱の勢いを止めることができなかった。
氷河期明けとともに生まれた縄文時代の出現は、ひとつの世代交代であり、社会の構造を根底から変えた「革命」でもあった。
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ひとまずこれが、僕の類推です。異論がある人はどうぞ。もっと先を考えている人は、教えてください。