縄文社会の構造Ⅱ

縄文人の社会の構造は、この生の身体生理的なかたちをそのまま外化している。
山野をさすらう男たちが、家でじっと待つ女をたずねてゆくという構図は、男と女の身体性およびセックスの関係性そのものだった。
縄文人は、この生の根源をそのまま社会の構造として生きていた。
それは、人類史の奇跡のような出来事です。
原始人の社会の構造は、けっきょく環境との兼ね合いでつくられてゆくほかなく、この生のかたちそのままを社会の構造にしてゆくことができた人類なんて、おそらく縄文人のほかにはいない。
女が、繭を紡ぐように家の中でじっとしている。それは、女の身体生理に根ざした根源的なかたちであるのだろうが、そんなふうに女が一生を生きられた社会は、世界の歴史で、もしかしたら縄文時代だけだったのかもしれない。
女だけで食料のすべてを調達できる環境なんてそうはないし、それができなければ、この暮らし(=人生)は成り立たない。
一時的に女が自分だけの家を持っていても、けっきょくは、安定的なセックスの機会と食料調達の担い手として男がやってきて共同生活になってゆくのが、一般的なかたちです。しかし縄文社会での男たちは、訪ねてくることはあっても、女との共同生活はしなかった。させてもらえなかったし、しようとしなかった。そしてそれが、女にとって幸せか不幸かは、現代人のものさしで問うても意味がない。縄文人の女たちは、とにかくそういう人生を生ききったのです。
そして男たちもまた、男という性などただの非生産的な根無し草に過ぎない、という人生を生ききった。
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アフリカのサバンナの民(ホモ・サピエンス)は、200万年前から、すでに移動生活をしていた。移動は、とうぜんその能力を持った男が主導してゆくから、彼らの「家」は、男の持ち物だった。
それは、女にとっては過酷な社会だった。女が性的快感を必要以上に持たないように、子供のうちにクリトリスを切り取ってしまう、という「割礼」の習俗を持っていた部族もあったくらいです。つまり、性的快感を必要以上に持ってしまうと、身体的にも精神的にも行動的にも、いろんな意味で繭を紡ぐようにじっとしてしまうからです。
一方北ヨーロッパネアンデルタールは、定住し、極寒の環境を洞穴にじっとして生きていた。それは、じっとする女の生理には合っていたかもしれないが、食料を生産しなければならない男たちは漂泊を制限されていた。
極寒の空の下だから、女たちの取ってくる木の実だけですますなどということはできない。つねに脂肪のある肉を食っていなければ生きられなかった。
ホモ・サピエンスの移動生活は男の生理と合致し、ネアンデルタールの定住生活は、女のじっとして生きようとする生理に支えられて成り立っていた。つまり、どちらも、男女の性の両方と合致していたわけではなく、であれば、それぞれの合致しているほうの性も完全に合致してゆくことはできなかったはずです。
縄文社会のように両方の性に合致していることによって、はじめてそれぞれもまた、より深く合致してゆく条件を得ることができる。
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ネアンデルタールの女たちは、年中孕み、産み続けていたがゆえに、子供を育てるという行為はもつことができなかった。子供は群れで育て、しかも産んだ子がすぐ死んでしまうことも少なくなかった。
ネアンデルタールの女は、自分だけの「家」を持つことはできなかった。だからセックスも、縄文人の女が「ひめごと」であったのに対して、ネアンデルタールはフリーセックスだった。どちらが女の性の本質に沿ったものであるのかは、僕は女ことはよく知らないからひとまず保留しておきますが、「ひめごと」であるほうが行為に集中しやすいでしょう。
西洋の女と日本の女の、セックスのときに出す声の大きさの違いがよく語られたりするが、西洋には、そうしないと集中できなかった歴史があるわけで、快感の深さの問題ではない。
まあ、女の性の本質に根ざして、繭を紡ぐようにじっとしているということに関しては、ネアンデルタールより縄文人の女のほうがずっと本格的だった。
そして、男が非生産的にさすらうということにおいても、女を連れていない縄文人の男たちは、ホモ・サピエンスのほとんど定期的な移動よりはるかに徹底してあてどがなかった。
縄文人の男女が幸せだったのか不幸だったのかはよくわからないが、彼らの行動や文化や社会の構造が、他に例を見ないほどきわめて身体生理的だった、ということだけはいえると思います。