別れの作法・かなしみとときめきの文化人類学13


人が生きてあれば、「別れる」という体験はどうしてもついてまわる。別れは悲しいし、そんな体験はしたくないのだが、どうしてもついてまわる。
僕は、縄文人の男と女がなぜ一緒に暮らすことをしないで出会いと別れを繰り返す関係を選択していたのかということがずっと気にかかっていました。
まあ「選択した」というより、自然にそうなっていったのでしょう。そうであるはずです。人の心は、別れのときにこそもっともきらきら輝いている。その「かなし」の感慨を抱きすくめてゆくのが別れるという体験です。そうやって人は死んでゆく。
縄文人は、当然のように「別れる」ということができた。現代人には、そんな芸当はできない。われわれはもう、いろんな局面で「別れる」ということができないで、いろいろと人生がややこしくなったりしんどくなったりしている。
恋人と別れたり離婚したりして気持ちの整理がつかなくなってしまっている人はたくさんいる。何より、「死ぬ」という「別れ」の事態を迎えるにさいして、多くの人がうろたえたり悪あがきしてしまっている。現在の介護の現場では、わがままで騒々しく手に負えない被介護老人がたくさんいるらしい。ぼけてしまっているから、ですませられることではない。それはもう、「死ぬ=別れ」という事態を受け容れられなくなっているひとつの現代的な現象だろうと思えます。



吉本隆明という人は、昔の人は信心深く死んだら天国や極楽浄土に行けると思っていたから死を怖がらなかった、などいってが、おそらくそういうことではない。彼は「死は怖いものであっていいのです」などとよくいっていたが、いいはずがない。むやみに怖がるのは病的なことであるはずです。怖がってまわりにあたり散らしてもいい、というものでもないでしょう。
死んでゆくことをちゃんと体験しきる、というのはどういうことだろう。
浄土真宗では「死んだら極楽浄土に行けるなどと思ってはいけない。そんなことはすべて阿弥陀如来にお任せしない」と諭している。つまり、そんなこと以前に死と和解できる心を持て、持つしかない、といっている。
なんのかのといっても、日本列島では、宗教以前のところで死と和解してゆく文化を紡いできた伝統があるのです。だから浄土真宗では、極楽浄土を当てにすることも死を怖がることも認めなかった。それは、宗教としての教義ではなく、日本列島の伝統の心の作法の問題なのです。
昔の日本人は、そういう心の作法を持っていたのです。
べつに、のどかに他愛なく極楽浄土を信じきっていたのではない。
まあ、仏教伝来以前は、極楽浄土などというものは知らなかった。死んだら何もない「黄泉の国」に行くだけだ、と思っていた。それはつまり「死後の世界などというものはない」ということであり、宗教以前のところで死と和解していたということです。
 日本人は伝統的に、死んでゆくことは心がきらきら輝いて消えてゆくことだ、という無意識のイメージを持っている。そこから「黄泉の国」というイメージが生まれ、縄文人はそうやって人との別れや死を受け入れていた。
外国人はよく「日本人は死を名誉なこととしているから死を怖がらない」などというが、そういうことじゃない。そんなことは武士の世界のほんの一部で通用していただけのことであって、日本列島の伝統の「死の輝きの文化」は、そんな単純なものではない。



縄文時代の男と女が別々に暮らしていたということもまた、「別れ」と和解してゆく心の作法であり、死と和解してゆく心の作法であったはずです。
男たちは山道を旅しながら暮らしていた。
女たちは山の中の小さな定住集落をいとなみながら、旅する男たちの来訪を歓待したり別れたりしていた。
これはもう、その後の歴史の、村に旅の僧や乞食や旅芸人がやって来て歓待されるという習俗の伝統につながっているはずです。
日本列島の「おもてなし」の文化は、縄文以来1万年の伝統なのです。
それに対して宗教の歴史は、仏教伝来たったの1500年です。
縄文時代に宗教(アニミズム=呪術)などというものはなかった。
それはまあいいでしょう。
とにかく、彼らはなぜ男と女が一緒に暮らさなかったのか。
べつに、それが合理的だと判断し選択していったわけではない。自然にそうなっていっただけでしょう。
ネアンデルタール人だってそうだったように、「乱婚」は、人類史における男と女の関係の普遍的なかたちです。「家」という私有財産を持って一夫多妻制や一夫一婦制をいとなむのは、共同体(国家)の発生以来の数千年の歴史にすぎない。たぶん、夫婦の関係にならないほうが人間性の自然なのです。
古代人や原始人は、別れや死に際して心がきらきら輝くということをちゃんと知っていた。



縄文時代の女たちは、男の来訪を心待ちにしていたことでしょう。
女子供だけで山の中で暮らすことの危険や不便さや閉塞感は、並大抵ではなかったはずです。それでもその暮らしに耐えることができたのは男たちとの出会いのときめきもそのぶんひとしおのものがあったからだろうし、ネアンデルタール人が原始人の暮らせるところではないはずの氷河期の北ヨーロッパに住み着いていたように、人間は住みにくさを厭わないメンタリティを持っている。
住みにくいところに住み着いているものほど、世界や他者との関係に豊かにときめいているし、死との和解も深く豊かに果たしている。彼らは、われわれよりももっと豊かに深く「心がきらきら輝く」という体験を知っている。それは、ただ「愉しい」ことだけの中にあるのでははない。もっと深く豊かなそれは、「かなし」という嘆きとともにある。
女たちは、危険で不便な暮らしにけんめいに耐えていた。そして男たちは、過酷な山歩きの旅で疲れ果てていた。
その嘆きを携えて両者は出会っていたのです。
ともに、人生の秩序からはぐれてしまっている存在だった。どうしてそんな生きにくい生き方をしないといけないのかといっても、人間はそうやってはぐれて途方に暮れているところからカタルシスを汲み上げてしまう存在だから仕方ありません。原初の人類は、そうやって二本の足で立ち上がった。
男たちにとってそこは砂漠のオアシスであり、女たちはオアシスとしてもてなしていった。
そこでそれぞれパートナーを選んでセックスしていった。けっきょく、男と女関係というかセックスが人類史の生態をつくってきた。
それは、慣れ親しんだ男女の馴れ合いのようなセックスとはまるで違うくるおしいいとなみになっていったことでしょう。



彼らは、そのようなセックスをして、いったいどこにたどり着いたのか?
「もう死んでもいい」という地平でしょう。
いまどきは「元気をもらった」という言葉がよく聞かれるが、深い快楽の行き着くところはそういう生きようとする希望ではなく、この命が尽き果てる地平であるに違いありません。生きてあることのいたたまれなさを抱えた存在である人間は、そうやって滅んでゆこうとしている。その、滅んでゆこうとするいとなみに、人間の生のダイナミズムがある。
人間は、極限まで行ってしまおうとする。そうやって女にはオルガスムスがやってくるし、射精した男だって、ひとまず命を使い果たしたような気分になっている。
けっきょくセックスもまた、この生からはぐれてしまういとなみであるのでしょう。
まあ、そうやって出会った縄文人の男女は、セックスをやりまくるのでしょう。やりまくったら、いずれは「もう気がすんだ」という心地に浸されてゆく。やりまくったからこそ、そういう心地になる。
縄文人の男と女は、現代の一緒に暮らしている男女よりも、はるかに濃密なセックスをやりまくっていた。
とくに雪に閉じ込められる山の冬は、セックス以外にすることなんかない。
そうして春になれば、男たちは旅立ってゆく。
冬を一緒に過ごす男たちの集団は決まっていたのかもしれない。
というわけで、縄文社会は、冬場の楽しみが豊かな中部・東北地方がいちばん人口密度が高く、文化のレベルも高かった。
今でも東北は「出稼ぎ」というかたちで夫婦が別れて暮らすこともあるが、ただ経済的な事情というだけではなく、そういうかたちを受け入れる歴史的な意識もあるのでしょう。もともと「亭主元気で留守がいい」という風土の国なのだし、「別れる」ということと和解してゆく文化の伝統がある。



縄文人の女たちが山の中に小集落をつくっていたのは山道を旅する男たちを追いかけていった結果かというと、そうでもないような気がします。
生き物のメスは、男を追いかける本性を持っていない。男が女を追いかけるのが普遍=自然です。
氷河期が明けて平地が湿原化し、狩の獲物の草食獣もどんどんいなくなっていったとき、女たちはさっさと山の中に入ってゆき、木の実などの採集生活をはじめた。それを追いかけて男たちも、平地での暮らしを捨てて山の中に入っていった。
縄文人の女は、男を置き去りにしてしまうメンタリティを持っていた。彼女らは、男たちが持ち帰るわずかばかりの狩の獲物を当てにせず、さっさと女だけの採集生活を確立していった。で、男たちは、何か置き去りにされて途方に暮れた心地になり、旅立っていった。
現在でも、家でごろごろしている定年後の亭主なんか粗大ごみと一緒です。女は、男を置き去りにしている存在です。
男が逃げてゆき女が追いかけるという関係なら、女もがんばって一緒に旅をしていただろうし、逃げていった男が別の集落の女に歓待されるはずがありません。その集落の女たちだって、心は逃げていった男たちを追いかけているのだから。
男たちは、女から置き去りにされて旅に出て行った。そうやって女たちは男を置き去りにしてしまった存在だからこそ、新しい男たちが訪ねてくれば歓待したのでしょう。
一緒に暮らしていても、いつだって男の心は置き去りにされてしまっている。だから、その落ち着かなさから、どうしても旅心が湧いてきてしまう。そして女たちは、男を置き去りにしてしまっているから、その旅心を許した。
けっきょく、新しくやってきた男たちだってやりまくったあとにはやっぱり置き去りにされた心地になって、また旅立ってゆこうという気になったのでしょう。そうして、置き去りにしている女は、それを許した。
女が男を追いかけるとか、ましてや男を飼いならそうという気になっているのなら、こういう関係は生まれません。
縄文人の女たちは、男を置き去りにしていた。彼らの「別れる」という関係性は、人間としても生き物のオスとメスとしてもきわめて自然な生態だった。



セックスをする女は、死という非日常の世界に入ってゆく。そうやって嘆きつつ、心はきらきら輝いてゆく。そうして男は、置き去りにされながらそれを追いかける。
毎日やりまくっていれば女は、「もう死んでもいい」という気分の世界にどんどん入ってゆく。
縄文人の女の男に対する世話は、よく気がついてとても細やかだったのだと思います。山の中で暮らしていれば、自然に対しても人に対しても、ふとした気配にとても敏感になる。そんな女たちの世話を受けながらも男たちは、どこか落ち着かない気分になって、新しい風を吸いたくなってくる。
男にとって女の「もう死んでもいい」という気分は、あこがれはするるがよくわからない世界でもあります。男は、そこまでは入ってゆけない。女のそんな気配を見せられると、どうしても落ち着かなくなってくる。怖くなってくる、といってもいい。非日常の世界に入っていった女は、山の中という閉じ込められた世界と和解してしまっている。男は、和解したくても和解できないで、旅立ってゆきたくなる。
死ぬということは、たとえば洞窟の中に入っていって行けば行くほどだんだん空間が狭くなってゆき、そこに向かって消えてゆくようなことなのでしょう。世界がどんどん閉じられてゆくということ、女はそういうことと和解してゆくことができるが、男はどうしても怖がって引き返したくなってしまう。
女とやりまくっていると、そういう世界に引きずりこまれていってしまう。縄文人の男たちは、そういう関係になってゆく体験をしていたのではないでしょうか。男だって死がそういう体験であることはなんとなくわかるが、それでもそれと完全に和解してゆくことができなくて、けっきょく山の中をうろつきまわっているしかなかった。そうして「疲れ果てる」というかたちで死と和解していった。
男は、「疲れ果てる」という体験をしないと「もう気がすんだ」という心境になれない。疲れ果てないと、死という非日常の世界に入ってゆけない。縄文人の男たちは、死と和解してゆくいとなみとして、ひたすら山道を歩き回った。
セックスをやりまくれば人はバカで動物的になるとか、そういうものじゃない。やりまくったからこそ人間的な感慨が深くなって、けんかをしたり別れたりすることも起きてくる。
やりまくっていれば、人間であることの真実や深淵が見えてくる。
とにかくそうやって関係がしんどくなってくる。
女はそこで死と深く和解してゆく。
男はそれができなくて、だんだんさめてくる。それまでは「もうここで死んでもいい」という気分でやりまくってきたくせに、未来のことを考え、今ここに閉塞感を覚えるようになってくる。そうして、旅立ってゆきたくなる。もう一度「もうここで死んでもいい」という地平を目指して旅立ってゆく。
そして縄文人の女たちは、男たちのそういう気持ちを理解していたのでしょう。だから、そのまま旅立たせてやった。彼女らがそうやって当たり前のように「別れ」を受け入れていったということはつまり、心がきらきらと輝いて死と深く和解していたということです。



心がはぐれていってしまうということは、広い世界に出て行くということではない。まあ、袋小路に迷い込んでしまうようなこと。そこで「消えてゆく」という体験ができないといけない。そうやって人は死んでゆく。女は、それができる。男は、なかなかうまくできない。
世界は、きらきら輝きながら消えてゆく。火のゆらめきはまさにそういう現象であり、そこに人間の火に対する親密感の根源がある。
縄文人の男と女は、そういう関係を体験していたのだろうと思います。
女たちは、これ以上男を引き止めておくことはできない、となんとなくわかった。
彼らは、夫婦ではなかった。あくまで「主(あるじ)」と「客」の関係です。いちおう引止めはするが、無理強いができる関係ではない。
人と人は、どうしてもはぐれてしまう。縄文人の男と女のあいだでは、おたがいにはぐれてしまっている存在だというかなしみが共有されていた。
夫婦になると、どうしても相手を所有しようとしてしまう。相手を飼いならそうとしてしまう。
男と女がたがいに主と客として振舞う関係になるということは、現代社会では難しい。けっきょく「私有財産」の意識が発達してしまっている世の中だからでしょう。恋人どうしのあいだから、すでに所有し合ってしまっている。相手を飼いならそうとしてしまう。
現在のように、女が男を追いかけたり飼いならそうとしたりしている世の中では、男の女に寄ってゆこうとする衝動は減衰してくる。そんなとき、多くの男は逃げ出したくなる。
縄文人の女は、男を置き去りにしていた。
人と人は、この生の秩序(現実=日常)からはぐれてしまった存在として出会い、向き合っている。
死という非日常の世界に引き寄せられる男はあくまで「客」であり、女は、死という非日常の世界に浸りながら客をもてなす。
男は、女から学びながら死と和解してゆく。日本列島の伝統としての死と和解してゆく文化は、そういう関係から紡がれてきたのだと思います。その関係は、縄文時代からすでにはじまっていた。
縄文人がただアニミズムの呪術で幼稚な社会運営をしていたなどと、そんな人をなめたような歴史解釈をするべきではない。彼らは、宗教以前の純粋なかたちで死と和解してゆく心の作法を持っていたのであり、それがその後の日本列島の文化の伝統の基礎になっているのです。「あはれ」とか「はかなし」とか「無常」といったって、縄文以来の伝統があればこそだったのです。
「もう死んでもいい」という「かなし」の感慨……日本人は世界中のどこよりも宗教心が薄いのに、それでもちゃんと死と和解していた。その宗教以前の、心がきらきら輝いてゆくような原始的な死との和解の仕方こそ、現代人が学ぶべき死の作法になるのかもしれない。
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