縄文時代の男と女の関係

1・・・・・・・・・・・・・・
歴史は、人間がつくたのではない。人間の顔をした人間の運命です。
縄文人の知能はこんなものだから、こんな社会をつくっただろうというような理屈では答えになっていないのです。
それは、縄文人の「運命」だったのです。縄文人がつくったのではない。歴史が縄文人をつくったのです。縄文人が、われわれよりはるかにせつなくはげしい恋をしていたとしても、それは縄文人の知能とはなんの関係もなく、そういう歴史のめぐり合わせに置かれ、そういう社会の構造になっていたからです。
彼らは、恋がしたかったのではない。そういう歴史=社会の構造に投げ入れられ、恋をしてしまっていたのです。
研究者なんてみんな、現代人がいちばんえらいと思っている。そこから逆算して歴史を見ようとする。だから「知能」などという安っぽい言葉で原始人を勘定して、何もかもわかったようなつもりになっている。知能でしか語れないお寒い脳みそしか持っていないだけなのに。
かつてこの地球上にネアンデルタールが現れたことも、縄文人がツマドイ婚をはじめてせつなく熱い恋をしていたことも、さまざまな偶然が織り成すひとつの「運命」なのです。
そうして、人間の知能が歴史をつくってきたのではなく、すべてひとつの運命だったのだから、人間なんて1万年前からそうたいして変わっていないはずです。現代の日本人の恋に対する感受性なんて、縄文時代にすでに出来上がっていた、と思えることがたくさんある。
日本人が「秘めたる恋」に惹かれる傾向があるとすれば、それはもう縄文時代からそうやって恋をしてきたからであり、そういう恋の仕方に関してなら、おそらく縄文人のほうがもっと熱くせつなかった。
2・・・・・・・・・・・・・・
「入ってゆく」ことは、男がする行為だ、というフロイド的解釈をすることもできる。
縄文時代のつまどい婚からはじまった「漂泊の文化」は、そういう意味でも、男と女の関係の文化である、といえるのかもしれません。
たずねてゆく男は空間(地理)にさまよい、ひたすら待ち続ける女は、時間にさまよい時間に追いつめられている・・・それが、つまどい婚のかたちだった。
縄文の男たちは、血縁集団的なみずからの集落内に婚姻のパートナーを探すことができなかったから、もう集落の外の空間(地理)をさまようほかなかった。彼らは山野を駆け回って狩をすることが大好きだったこともあり、そのように男たちが糸の切れた凧のような習性を持っている社会での女は、ひたすらじっとして家を守るしかなかった。
縄文の男たちほど空間(地理)をさまよい続けた民族もちょっといないし、縄文の女ほどひたすら時間やこの世界の気配と対話し続けた者たちもいない。
アフリカのサバンナで家族的小集団を組みながら移動生活をしている人たちは、もう何十万年、もしかしたら2百万年以上そんな暮らしを続けているのだが、彼らの移動ルートはおおよそ決まっているし、決まっているから定期的に他の家族的小集団と出会い、そこで女を交換することができる。しかも、そのことに女たちの意思は、ほとんど斟酌されていない。男たちが勝手に決めることができる、というか、その長い歴史の水に洗われて、自然に交換が成立してしまう仕組みになっている。彼らは、精神的にも行動的にも、けっして縄文の男や女のように「さまよって」はいない。
3・・・・・・・・・・・・・・・
縄文人は、すでに「神」という概念を持っていた。彼らにとって「神」と出会う体験は、現代人のような観念的なものではなく、もっと無意識的情緒的なものであり、それは、世界や人にたいするある「感慨」として体験されていたはずです。
彼らは、人が神になってしまうぎりぎりのところで、つまりその可能性と不可能性の微妙な間隙でそれを体験していた。だから、後世、かんたんに天皇を神として奉る習慣が生まれてきたのでしょう。
縄文人にとって、男と女の差異は、人と神ほどの隔たりがあった。どちらが神でどちらが人か、というような問題ではないですよ。それほどにどうしようもなく人種が違っていた、ということです。女はじっとして家を守り、男は糸の切れた凧のように山野をさまよっていた。そういう生きかたや暮らしの違いから生まれてくる世界の感じ方の違いはもう、ほとんど人と神くらいの隔たりあったに違いない、ということです。
だから彼らは、「人間ではない」ところの神を発見したし、人間のような存在として神を見ていた。そういうかたちで「神」を畏れ憧れていたし、男(女)にたいしても、同じような感慨を抱いていたはずです。
男女同権の西洋では、こうはいかない。いったいどちらが本質的かということは、今ここではひとまず保留しておきます。とにかく、縄文時代の男と女は、そういう関係として向き合っていた。
古事記」における男と女の関係を象徴する神といえば、イザナミイザナギの二柱でしょう。
あるときイザナミは、へそを曲げて天岩戸に引きこもり、かたくなに出てこようとしなかった。
そのころ女は、男の思う通りになるような存在ではなかったらしい。女がじっとして家を守っていたということは、家は女の持ち物だった、ということです。竪穴式住居、というあの頑丈な建物は、女の許しがなければ、男は入ってゆくことができなかった。
男は、家もなく、山野をさまようだけの存在だった。そのかわり、女に気に入られれば、たくさんの家に入っていって女と契ることができた。
源氏物語も、まあそういう伝統から生まれてきた話なのでしょう。
弥生時代の日本列島のことを記した中国の古い書物によれば、そのころ一夫多妻のような婚姻形態だったそうです。で、それを受けて一部の研究者などは、男の人口が少なかったのだといっているのですが、そうじゃないと思います。たぶん女だって、たくさんの夫を持っていたのですよね。もちろん、男に見捨てられて母子家庭になってしまったケースや、女に見限られて途方に暮れている男もいただろうし、そういうさびしい者どうしがくっつくということもあったでしょう。そうやって世の中は、うまく回っていたのだろうと思います。
だから、そういう婚姻形態や歌の交換という風習が、何千年も続いた。
男の人口が少ない理由についての研究者の説明なんて、苦しいこじつけばかりです。
縄文人には、「父」という概念はなかったらしい。つまり、女たちは、誰の子かわからない子供を産んでいた、ということです。
これは、ネアンデルタールと一緒です。ただ、ネアンデルタールは、物心がついた子は群れで育てていたが、縄文人は母親が最後まで面倒をみた。したがって縄文の男たちに、人の子の親であるという意識も、自分の子孫を残そうという意識も、まるでなかった。あれば、自分も家に入って女を独占してゆこうとするはずですからね。ただもうやりたい一心で女の家を訪ねていったのであり、ひたすらこの生もこの世界も「これがすべてだ」と思い定めて山野をさまよっていた。
そして縄文の女たちは、集落のまわりに落とし穴をつくったりして自分たちも簡単な狩りをしており、食糧生産に関しては男を当てにしないでもやっていけるだけの能力を持っていたらしい。そしてそういう状況だったからこそ、男たちも、食用の家畜を飼うことなど見向きもせずに、ギャンブルのような狩ばかりに耽っていられることができた。
女がじっとして家で待っているだけの存在だったから、女の地位が低かったということは決してない。イザナミが天岩戸にかくれたことは、そのような古代における女の立場を語っているのだろうと思えます。
男がさまよっていたということは、いつも女のいる家に入って行きたがっていた、ということです。そうやって目を血走らせて入ってきたがる男ばかりの社会だったから、女が家でじっと待つ形態が定着していったのでしょう。