禊ぎの文化

縄文時代は、まだ稲作農耕ははじまっていなかった。狩猟採集の社会では、群れのテリトリーを広く持たなければやってゆけない。したがって、縄文時代の集落間の距離は、ひとやま、あるいは峠をひとつ越えるくらい離れていたはずです。だから、ふだんから顔見知りということはありえないが、それでも女たちは家を守って男がたずねてくるのを待ち続けていたし、男たちもまた外に出て婚姻の相手を探すほかない状況と、探そうとする狂おしいほどの意欲を持っていた。
そういう知らないどうしが出会うのだから、何か挨拶のひとつでもしないわけにいかないでしょう。
また、旅人を「まれびと」として迎える社会なのだから、たずねてゆくことをためらう理由はない。大陸なら、おたがいに敵意がないことを確かめ合うのがその挨拶になるのだろうが、そんな必要がなかった縄文人の場合は、何をさておいてもまず、出会ったということの感慨を表現することにあったはずです。
歌垣はすでに縄文時代から習慣化されていたという説があり、僕はそれを支持します。なにしろ文字のなかった時代だから、証拠はない。しかし、そういう風習が生まれてくるような社会の構造になっていた、ということは言えるような気がします。
・・・・・・・・・・・・・
しかし、そうやって人と出会ったとき、出会ったことの「ときめき」は、入っていったものより、迎え入れたがわで、より純粋に、より濃密に体験される。
出会いのときめきは、迎え入れる者のためにある。
旅人とは、それを捨てて旅立っていった者にほかならない。
旅をすることは、「断つ=絶つ」ことであり、また「経つ」とは時間が経過することであると同時に、その時間を喪失することでもある。
旅立つとは、「穢れる」ことなのだ。
だから、入ってゆく旅人は、旅の「穢れ」をいったんそそいでから入らなければならない。
神社の入り口には、かならず手を洗うところがある。
家の木戸口は、かがんで入るようにできている。
旅のやくざは、「おひけえなすって」と口上を言う。
日本では、「ごめんください」と謝って、家に入ってゆく。外国では、こんなことはけっして言わない。言ったとしても、それは敵意がないことの表現であって、「穢れをそそぐ」という意味合いはない。
歌垣は、旅人である男が、みずからの「旅の穢れ」をそそぐ手続きでもある。
・・・・・・・・・・・・・・・
「禊(みそぎ)の旅」、などという言い方がなされます。
旅に出れば、それだけで「穢れ」をそそぐことができるでしょうか。
おそらく、そうじゃない。
旅人になるということは、穢れをそそがねばならない身になる、ということです。
旅に出ることは、穢れた身になって、穢れをそそぎ続けることだ。
旅に出ることじたいが穢れをそそぐことなのではなく、旅に出れば、穢れをそそぐという行為をしてゆかねばならない。それが「禊ぎの旅」の実質的なかたちなのではないでしょうか。
ふだんの暮らしでは社長でございとふんぞり返っていられても、たとえば御遍路の旅に出れば、一介の老人として、人にも仏にも頭を下げて生きてゆかなければならない。旅をすることが禊ぎなのではなく、頭を下げることが禊ぎなのだ。
旅に出ることは、あくまで「穢れる」ことなのです。
旅のやくざが「おひけえなすって」と口上を言うことも、われわれが「ごめんください」ということも、ひとつの禊ぎであるはずです。
つまり、日常生活それじたいがひとつの禊ぎの旅であるという意識が、「ごめんください」といわせる。
そして日常生活で禊ぎができなくなった者が、禊ぎの旅に出る。