閑話休題・返信

腐女子48」さんから、次のようなコメントをいただきました。
返信を書いていたら長くなりすぎてコメント欄に入りきらなくなったので、ここに載せることにさせていただきます。
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腐女子48
HIROMITIさんは、10月3日のエントリーのコメント欄にて、「大人と若者というジェネレーションギャップの問題として考えていたことが、男と女のジェンダーの問題でもあるかもしれない、と思い始めた」と書かれました。
正解です。
日本におけるホモソーシャルな社会は、1970年代にほぼ完成されました。もちろん、それ以前にも「女人禁制」の男文化のようなものがあったわけですが、そのような文化構造から来るものではなく、産業構造の要請としてホモソーシャルな世界が迫り出してきたのは、50年代から60年代にかけてのことで、それが完成したのが1970年代です。
日本において専業主婦がもっとも増えたのがこの高度成長の時代です。
日本においては、この時代に<近代家族>のモデルケースが想定されることになりました。それは、企業が給料を支払わなくてもいいシャドーワークを前提としたものであり、男が会社から給料をもらって仕事をする間に、シャドーワーカーとしての主婦が子育てや家事労働を行なうという<近代家族>のスタイルは、このとき確立されたものです。
この時代、不倫という言葉に異様な重みがあったのは、旦那を取られることで生活の基盤を壊されるという思いに追い込まれた女性が多かったからです。
しかし、日活でスターを張られた多くの男優さんたちも、文豪の方々も、みな<恋>が芸の肥やしなるとばっかりに、家庭外恋愛に励まれました。そして、それを男同士の社会では<手柄話>として交換しあいました。
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団塊世代というのは、このような<近代家族>がモデルケースとして固まっていくプロセスを、まさに忠実にトレースする形で育ってきた世代です。言葉を変えていえば、彼らはホモソーシャルな社会が産業構造の要請によって強化されていく、まさにその時代の<空気>を呼吸して成長していきました。彼らは、世間的には<近代家族>のモデルケースに反発したり、離脱したりすることで自己の存在を主張したように思われがちですが、結果的には、<近代家族モデル>をより強固に固定しただけに終わりました。
そういった意味で、HIROMITIさんがいみじくも指摘された「大人と若者というジェネレーションギャップの問題は、男と女のジェンダーの問題でもあるかもしれない」という観察は正しいのです。
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ただ、大枠としてのHIROMITIさんの整理が間違っているわけではありませんが、現実的には、かならずしも<大人/子供>、<男/女>の問題は、HIROMITIさんが鮮やかに整理するほどには、きれいに分け切れません。
HIROMITIさんは、<大人たちは世界と和解するふてぶてしさを持っており>、若者たちは、<世界と和解できない嘆きを共有しあっている>とよく書かれますが、むしろ最近は若者同士の距離が遠のいていることの方が、私には気がかりです。
たとえば、最近のアダルト・ビデオ(AV)の流れがどういう方向に向いているのか、HIROMITIさんはお判りでしょうか。
AV制作の現場はある意味で厳粛なものであり、仕事としては、敬意を表したくなるほどストイックなものです。
しかしながら、そこでは、現在極端なくらいの<女性の物化>が進行しています。昔のエロ映画やエロ本などでも、「レイプされた女性がだんだん快感に酔いしれていく」などというとんでもない<男の神話>が当たり前のように捏造されていましたが、最近のものはその比ではありません。女性が、男性の支配する<モノ>として、もだえ、よがり、泣き、ひれ伏すという設定があまりにも多くて驚くばかりです。
もちろんその大半は、男のファンタジーを助長するための演技でしかないわけですが、そのような企画を進めているのは、団塊の世代ではなく、若いスタッフです。
そして、それを享受しているのも若い男の子たちです。
そういった映像しか流通しない社会に生きている若者たちは、現在のAVを見て、複雑な反応を示します。
ひとつの流れとして、そのような形でしか女性と交わることができないのなら、一生女性とは関わるまいと、現実の女性から遠のいていく男の子たちがいます。
また一方では、女性との性交渉はあのAVのようにやればいいのだと思い込み、リアルな女性に対しても同様の振る舞いを行おうとする男の子たちもいます。
現実は、常に明快に断裁できるとはかぎりません。理念とは違い、現実は常に<まだら模様>です。
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<返信>
AVの問題は、やっと僕にも男として発言するチャンスが与えられたか、という気分です。
何から書いていいのかわからないのだけれど、とにかくこの世界のことはよくは知らないけど。まったく知らないわけでもありません。
とにかく僕が普通に「若者」というとき、大人たちに追いつめられている若者たちを指していて、そうでもない若者のことはひとまず除外して考えています。たとえば、内田先生の言説に共感して行くような若者群があって、むしろこちらがマジョリティかもしれないのだけれど、ひとまず除外して考えています。あくまで、追いつめられている若者と何かを共有したいとか何かことばを差し出したいとか、そういう動機で書いています。
「大人」という場合も同じで、あくまで「ホモソーシャルな男世界」の住人としての大人を指しています。
大人だろうと若者だろうと、人それぞれだということは承知しているつもりだけれど、ひとまずそのように限定的に「大人と若者」ということばを使っています。
しかし、まったく除外しているかというとそうでもなく、あなたたちにだって、追いつめられているものたちのような心の動きはどこかしらにないわけではないでしょう、人間なんておおむねそんなものではないのですか、という思いで書いているときもあります。
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そこで、AVのことなのですが。
まず、男の子は、心身の発育が遅いから、いつだって同じ年ごろの女の子に置き去りにされて育ちます。中学高校のころだって、めぼしい女子は、たいてい年長の男たちに持っていかれます。以前、町田市だかで15歳の同級生の女子を包丁でめった刺しにして殺してしまった、という事件があったけど、男子は、いちばん性的に身近な対象であるはずの同年代の女子に置き去りにされっぱなしで成長してゆかなければならないのです。
もちろん女子からしたら、同年代の男子なんか子供っぽくて恋の相手になんかならないのはよくわかります。それよりは、ロックスターやテレビアイドルや高校大学のお兄さんのほうがずっといいに決まっています。
まあ、そんなわけで、男は基本的に女に対してコンプレックスとルサンチマンを抱いています、少なくとも恋愛も含めた性的な部分においては。
そういう屈託がないのは、一部のよほど恵まれた男子だけです。
AVは女を物化しているというのはたしかにそうですが、そういう屈託の多い男たちが主たる購買層だから仕方ない面もあると思います。
いまAV業界が花盛りというわけでもないのは、購買層が限定されてしまっているということもあると思います。新しい購買層を広げるような作品が出てきていない。
それは、つくるがわの才能の問題もあると思います。その辺のところが、払底してしまっている。イマジネーションの貧困なAVが多すぎます。まあそこがものすごく儲かる業界なら、優秀な才能も現れてくるのだろうけど、いまのところそうでもない。
男優だって、魅力的な男が少ない。だから鷹さんの一人勝ちになってしまう。視聴者にとっても女優にとっても魅力的な男が、なかなか現れてこない。
きれいな女優がいくらでも見つかるから、それだけで売れるものは売れる、ということもあるから、製作のアイデアがあまり重要ではなくなってきている、という現状もある。アイデアよりも女優探しが勝負だ、みたいな。
そしてそういうきれいな女優たちは、きれいだからこそみんな、男にとっては、ロックスターやアイドルや年長の世代にかっさらわれた女たちの相貌を持っている。女なんか、たいていそういう相手と初体験するわけじゃないですか。男にとってAV女優は、身近な存在であると同時に、身近な存在ではないのです。
そういうきれいな女優を物として扱って移してくれたら、そりゃあ、いくぶんかはコンプレックスもルサンチマンも晴れるでしょう。どうせ、自分たちには手の届かない女なのだもの。
映画スターの女優なら最初からあきらめているけど、AV女優は、自分たちのところからかっさらわれた女なのです。
まあ、女優たちは素直に「物」になりきって、それでもちゃんと感じまくっているのだから、たいしたものです。
そしてそういう女優たちが物になりきり感じまくっているから何もストレスはないかというと、そうでもないはずです。たいていの場合、物になりながら感じまくりながら、しだいに無意識のところが壊されていってやめてゆくのでしょう。
ある意味で、残酷な世界だと思います。
最初から物にされることに傷つき、後味の悪いセックスをしてしまったなあ、と思ってやめてしまう女優だっているはずです。
オルガスムスがあればそれでいいというものでもない。終わったあと、体も心も何か「澱」のようなものが残って少しもさっぱりしない、という場合はあるはずです。
一部のAV男優は、女なんかセックスの技術だけでたらしこめると思っているかもしれないけど、「ジェンダー」の世界の「セックスアピール」というのはそれだけではすまない。
女は、男の性的能力にわりと寛容なところがあると思っています。
ちんちんが小さくてもセックスが下手でも、結婚できるときはできる。
女は、男に深く幻滅する存在であると同時に、その幻滅で男のことをかわいそうだと思う快感を覚えるときもある。そのへんの構造の計算式はよくわからないのだけれど。
また、性的能力を問わないから、金さえあればいい、という理由で結婚することもできる。
それは、女が、ある期間セックスなしで暮らすと、もう一生なしでもいいや、もうぜんぜんしたいとも思わない、という境地になれる存在だからでしょうか。その代わり、短い間隔で定期的にセックスしていると、毎日でもしたくなってしまうこともある。
一方男は、ある一定期間セックスなしで過ごすことはできるが、それを過ぎると、やりたくてたまらなくなってしまう。
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それはともかく、たしかに現在のAVは、女を物として扱いすぎです。そしてそれは、男の女に対するコンプレックスとルサンチマンが深くなってしまうような社会構造があることも一因だ思います。しかしこの構造は入り組んでいて、一つや二つの結論ではすまない。
そして男のがわからいわせていただくなら、女だって、男の金とか容貌とかセックスの技術とか、そんなものを過剰に求める時代になってきている、ということもあると思います。少女漫画なんか、ほとんどそんなことの上に恋愛が成り立っていて、今どきの女の子は、ものすごく早い時期から男の金とか容貌とかセックスの技術とかの価値に目覚めてしまう。だから、同年代の男子たちは、昔以上に残酷に置き去りにされてしまう。僕は、同級生の女子をめったざしにしてしまった15歳のあの少年の気持ちはわかなくもないし、そういう衝動の上に現在のAVが成り立っている、という部分もあると思います。
そこで、女の根源とは何か、ということを考えれば、
女が男の性的能力に寛容であることができるのは、ひとつは、一生セックスなしでもかまわないという境地になれるメンタリティを持っていること。そして、もうちんちんであればなんでもいい、というせっぱつまったものも持っている、ということでしょうか。自分の身体というか膣の中がうっとうしくて、とりあえず「異物」を埋め込んでしまいたい。異物さえ埋め込んでおけば、異物のことが気になって膣の中のことが忘れていられる。女の、みずからの身体に対する違和感は、そういう究極のセックスのイメージをどこかしらに持っている。だから、男の性的能力に寛容にもなれる。
直立二足歩行の起源とか、地球の隅々まで生息域が拡散したこととか、言葉を生み出したこととか、それらの人間の歴史は、「うまいものが食いたい」という「経済」の問題として起こってきたのではない。「食い物なら何でもいい」というせっぱつまったものを存在の根源において持っていたからだと思っています。
同様に女は、「ちんちんなら何でもいい」というせっぱつまったものを、身体に対する違和として根源において抱えている。
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あんな、女を物として扱うようなイメージ貧困なAVをなくしたいのなら、女にももう少し男に対して寛容になっていただきたい。ほんの少しでもいいから、どこかしらで「ちんちんであればそれでいい」と思っていただきたい。これは、男の切なる願いです。
まあ、恋する男女というのは、いくぶんかはそういう地平に立っているのだと思いますよ。そうでなければ、恋なんか成り立たない。
男だって、女に対するコンプレックスやルサンチマンを体中にたぎらせている時期もあれば、そうでもない時期もある。世の中全体でも、たぎらせている若者もいれば、そうでもない若者もいる。
とりあえず、誰もが「男と女」が出会う現場に立つことができる世の中であって欲しいと思っています。そしてそこで、「男と女の世界」は必ずしもその通りにはなっていないということを学べる世の中であって欲しい、と願っています。
男と女のおたがいが、金だの容貌だのセックスの技術だのやさしさだのと要求しあっている社会であるかぎり、女を物として扱うAVもなくならないと思います。「金」も「容貌」も「セックスの技術」も「やさしさ」も「命の尊厳」も、ぼくからしたら、ぜーんぶただの「経済」の問題にすぎない。「経済」でしかものを考えられなくなっているのが、現代社会でしょう。
でも、この世のどこかしらには、「ちんちんであればそれでいい」と思ってもらえてほっと胸をなでおろしている若者もいるのですよね。今でも若者の世界にはそういう関係がある、と僕は思っています。人間の歴史は、そういう位相で動いてきた。つまり、じつは生きものとしての根源の問題に動かされてきたのだ、と思っています。
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しばらくのあいだ、本の宣伝広告をさせていただきます。見苦しいかと思うけど、どうかご容赦を。
【 なぜギャルはすぐに「かわいい」というのか 】 山本博通 
幻冬舎ルネッサンス新書 ¥880
わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
よかったら。

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