祝福論(やまとことばの起源)・「辻が花」14

伊勢神宮の杜(もり)は荘厳である」というとき、いったい何が「荘厳」であるのか。
そのとき人は、高い杉の木の「重量感=物性」に、「荘厳=かみ」を感じているのか。
それとも、高い杉の木に囲まれた空間の「気配」が「荘厳=かみ」として迫ってきているのか。
両方だといえばたしかにそうかもしれないのだが、原始人が鳥が空を飛ぶことや小さな花が咲くことにも「かみ」を感じていたということは、原初の「かみ」体験は、その存在感よりも、第一義的には空気の気配を感じることにあったといえるはずだ。何はともあれ、そこに別世界の気配を感じることが原初の気分であるのだろう。
存在の物性から解放されて、この世界を「現象」としてとらえるその「空間性」に浸される体験こそが、「かみ」との出会いだったのだ。
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生きものとしての限度を超えて密集した群れの中に置かれている人間の心は、先験的に他者の身体の「物性」にまとわりつかれている。
そして、まとわりつかれて、みずからの身体の物性もいやおうなく意識してしまう。
身体が物性として感じられることのうっとうしさ。身体が「非存在の空間」であるのなら、腹がへったとか暑いとか寒いとか痛いとか、そんなうっとうしさを感じることもない。言い換えれば、そんなうっとうしさを感じないとき、身体は「非存在の空間」になっている。
他者の身体にまとわりつかれていないとき、みずからの身体は「非存在の空間」になっている。
この世界の「物性」を感じることは、われわれの「嘆き」である。
原初の人類は、その「嘆き」を契機として「かみ」に気づいていったのだ。
この世界の「物性」から解放されて、この世界の「空間性」に身を浸すとき、みずからの身体もまた「非存在の空間」になる。
その浄化作用(カタルシス)が、原初の人類にとっての「<かみ>と出会う」という体験だったのだ。
「感動」とか「ときめき」というような体験は、おおむねそのような心の動きであり、そのような心の動きがわれわれを生かしているのだろうと思う。
原初の「神の起源」を問うことはこの生の基礎を問うことであり、べつに「原初に帰れ」とか、そういうことではない。
僕はただ、世界が存在することを証明したり止揚したりすれば人間が救われるかのように言い立てる思想が気に入らないだけだ。そんなものはくだらない、といいたいのだ。
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原初の人類は、神のはたらき、すなわち「空間の生成」に気づいたとき、なんといったか。
「あ」といった。
「あ」は、「空間」に気づいたときにこぼれ出る音声。
「物性」に気づいたときは、「「おお」という。あるいは、「う」と息を詰まらせる。
「あ」と発声するとき、「空間」が信憑されている。
「あ、思い出した」というとき、思い出した対象とのあいだの「空間」が実感されている。
「お、これはすごい」というとき、その「空間」が消去され、意識は対象に張り付いている。あるいは、対象にまとわりつかれている。
「う」「ううっ」という音声が漏れるときは、さらに切迫して「空間」を喪失し、ことばも出ない。
「あ」は、「空間」に気づく音声。
「お」「う」は、「物性」にまとわりつかれたときの音声。
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古代人は、自分のことを「吾(わ)」といった。
「割(わ)れる」「忘(わす)れる」の「わ」。
これらはすべて、「空間の出現」がイメージされている。
「輪(わ)」は、中が空っぽのまるい輪郭のこと。
「和(わ)」は、親密な空間が生成していること。
「あなた」に気づいたとき、「わたし」という意識が生まれる。「あなた」に気づかないかぎり、「わたし」という意識は生まれてこない。
そして、意識は二つのものを同時に意識できないのであれば、「あなた」に気づいているかぎりにおいて、「わたし」は空っぽである。
「あなた」に気づいて「あなた」を消去してゆくことによって、「わたし」があらわれる。
また、わたしの身体は、その「物性」にわずらわされることなく「空間の輪郭」として感じられるときにこそ、健康なアイデンティティを持つことができる。
古代人が自分のことを「わ」といったということは、彼らはみずからの身体の「物性」をアイデンティティとはしていなかった、むしろその「空間性」をアイデンティティとしていた、ということを意味する。
「吾(わ)」は、「輪(わ)」であり、「和(わ)」でもある。「空間」を意味する。
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「吾子(わこ)」というとき、子供を自分という輪郭の中に囲い込んでいるニュアンスがある。
それに対して「吾子(あこ)」というときは、自分を消している。
「あ」というほうが、思いは深い。
「あ」のほうが個人的で、古いかたちなのだろう。「わこ」というと、家族制度ニュアンスが混じってきている。
「わ」は、「空間の輪郭」。
「あ」は、「空間それ自体」、といえるのかもしれない。
つまり、「吾(わ)」は、多少の自我意識が混じっていて、「吾(あ)」というときは、ひたすら「あなた」に気づいているだけの空っぽの自分がイメージされている。
「編(あ)む」の「あ」は「すきま(空間)」、「む」は「むむっ」の「む」、「複雑」「混沌」の語義。複雑な「すきま」をつくってゆくことを「編む」という。
「飽(あ)く」は、気持ちの「すきま」ができること。
「開(あ)く」「空(あ)く」「明(あ)く」は、新しい「空間」が生まれること。
「逢(あ)ふ」の「ふ」は、「ふるえる」の「ふ」、「あなた」と「わたし」のあいだの空間がふるえること。すなわち、ときめくこと。
つまり、これらのことばは、この世界の「物性」に対してではなく、「空間」に対する視線の上に成り立っている、ということだ。古代人は、「空間」を眺めて暮らしていた。
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古代人は、世界の「空間性」にときめき、「物性」がまとわりついてくることを嘆いていた。
彼らの世界は、そのようにして現前していた。
「あ、花が咲いた」というとき、その花は、つぼみというみずからの身体の「物性」から解放されて、新しい「空間」になっている。
「花」とは、現れ出た「新しい空間」のこと。古代人は、そこにみずからの身体意識を投影していったのであり、これが、日本列島の歴史を通じての「花」に対する意識になった。
たとえば、「ひらがな」の発明は、漢字という「つぼみ」を解きほぐして(解体して)、「新しい空間」を出現させる行為だった。日本列島の住民の「花」に対する意識が「ひらがな」を生み出した。
この世界の「物性」が解体されて「空間の生成」が出現する。これが原初の「かみ」のはたらきだったのであり、原始人だろうと現代人だろうと、この生のカタルシスの根源はそこにある。
日本列島の美意識の基礎は「花」にあり、その源流は、原初の「かみ」に気づいていった体験にまでさかのぼることができる。