祝福論(やまとことばの起源)・「辻が花」12

この世界の「空間」は「生成」している。
原初の人類はそれを、昼間と夜の交代・反復の中から気づいていった。
この世界は、はじめに「昼と夜の交代・反復」としてあった。
「原初、世界は<混沌>としてあった」……古事記にそう書いてあったからといって、古事記よりももっと前の時代の弥生人縄文人も「世界のはじまり」をそう思っていたとはかぎらない。
少なくとも縄文人はたぶん、「世界のはじまり」のことなんか考えていなかった。「今ここ」だけがあった。「今ここ」の世界の生成だけを感じながら暮らしていた。彼らにとっては、「今ここ」が世界のはじまりであり、「今ここ」において世界は完結していた。
「世界のはじまり」を考えることは、ひとつの制度性であり、世界を「物性」としてとらえることだ。「物性」がなければ、「はじまり」もない。「空間」に、「はじまり」も「おわり」もない。
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日本列島の住民の世界観は、縄文時代に原型がつくられている。
やまとことばに、日本列島の歴史がこめられている。
縄文人は大陸からやってきた弥生人に吸収された、とよくいわれるが、だったら、その時点でやまとことばは滅び、大陸的なものに変っていなければならない。
大陸からやってきた弥生人がやまとことばをつくっていったなんて、そんなことがあるはずがない。
人類は、100万年前からすでにことばらしきものを使っていたという説もある。ことばの歴史は、一般的にいわれているよりもずっと古い。しゃべるだけならオウムだってしゃべるのだから、100万年前の人類が何もしゃべらなかったということのほうがかえって不自然だ。
縄文時代にことばがなかったわけでも、縄文時代のことばがやまとことばとは別のものであったのでもない。
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「花(はな)」の語源は、「愛らしい空間」ということ。そこで愛らしい空間が生成している……という感慨から「はな」という音声がこぼれ出てきた。これが、縄文時代いらい受け継がれてきた日本列島の住民の世界観であり、やまとことばのタッチだ。
花を、花びらという「物質」としてではなく、花びらの綾なす「空間」としてとらえる。日本列島の美意識は、この世界を「空間」としてとらえることにある。
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人類が最初に「神」に気づいた体験は、何も、遠い過去の地球のはじまりと遠い未来の地球の最後に思いを馳せたことにあるのではない。
そういうことは、共同体のアイデンティティのために考え出されてきた「物語」にすぎない。
「神の起源」は、共同体の物語としてあるのではない。
したがって、ギリシア神話古事記の神ですら、根源としての「神」の姿からはずいぶん変質してしまった、たんなる「共同体の物語」にすぎない。
原始人にとって、この世界のはじめは「今ここ」にあり、「今ここ」において世界は完結していた。これが、彼らの基本的な世界観であり、そういう暮らしの日常感覚の中から「神」に気づいていったのだ。
彼らにとってのこの世界のはじめと終わりは、昼と夜の交代・反復としてあっただけだ。その「空間の生成」が、世界のはじめと終わりだったのであり、そこから「神」に気づいていったのだ。
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季節の移り変わりもまた、「世界=空間」が変化し生成してゆく現象にちがいない。
縄文時代の日本列島には、「空間の生成」に強く意識が向いてゆくさまざまな条件がそなわっていた。
そのころ、大きな集落をつくれる広い場所はすべて湿地帯になっていて狭い地域にひしめき合って暮らすしかなかったから、「空間=すきま」を祝福していこうとする意識も切実だった。
もともと人類が直立二足歩行をはじめたのも、他者の身体とのあいだに「空間=すきま」を確保してゆくというコンセプトだったわけで、人間は、先験的にそうした「空間=すきま」を祝福してゆこうとする心の動きを持っている。
しかしその後、寒いヨーロッパ大陸に移動していった人類は、「抱きしめあう」ことによって温まってゆくという文化を持った。それは、その「空間=すきま」を埋めて(消去して)他者の身体の「物性」を確認してゆく、という文化だった。
そこで彼らは、「物性」というものに目覚めていった。
そうして、ほんらい感慨の表出であったことばが伝達の機能としての記号性へと変質してゆき、共同体が生まれ、文明が生まれ、人が人を支配することや戦争をしたりすることを覚えていった。つまり、「パンドラの箱を開ける」とは「この世界の物性に目覚める」ということだったのだ。
それに対して日本列島では、直立二足歩行をはじめたときの「空間=すきま」を止揚してゆこうとする意識がそのまま純粋培養されていった。だから、文明の発達や共同体の建設や戦争を覚えるということが遅れてしまった。
しかしそのぶん、彼らにはない美意識や人と人の関係が洗練されていった。
もちろん日本列島でもやがて「パンドラの箱」が開けられることになるのだが、純粋培養され育ってきたことばや人と人の関係がヨーロッパ大陸ほどすっかり変質してしまうということもなかった。
パンドラの箱」を開けて共同体をつくり戦争を覚えていっても、ことばはすでに完成されていたし、海に閉じ込められた島国で人と人は相変わらずひしめき合っていたし、四季の移り変わりも鮮やかだったから、その「空間の生成」にときめいてゆくという心の動きもすっかり滅びてしまうということはなかった。
われわれ現代人はいまやもうすっかり世界の「物性」にとじこめられてしまっているとしても、少なくとも辻が花の「空白の花」は、「空間の生成にときめく」という心の動きの上に成り立っている美意識であった。
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西洋人は、花が咲くことはつぼみが成長することだ、と思った。
それに対して原初の日本列島の住民は、つぼみが裂けて新しい空間が生成してゆくことだと思った。
西洋人が「もの(物質)」の生成をつかさどる「力」に「神」を見出していったのに対して、日本列島の住民は、「空間の生成」をつかさどる「力」に「神」を見出していった。
「柿の木に実がなる」という。この「なる」という言い方は、西洋人はしない。彼らは、「柿の木に実がついている」という。そして、この言い方のほうが論理的である、と一般的にはいわれている。
つまり、そこに柿の実が「ある」といっているのだ。
それに対して「なる(=成る)」とは、数ヶ月前の花が実に変ったという「現象」をいっているのであって、「実がある」といっているのではない。あくまで「そこで<こと>が起きている」といっているのであって、「実という物質の存在感」を表現しているのではない。
「実がなる」とは、「<こと>が起きている」といっているのであって、「実がある」といっているではない。
やまとことばでは、「なる」と「ある」を使い分ける。
「柿の実なり」は、「柿の実である」という意味ではない。しいていえば「柿の実に成(な)っている」ということだ。
「われなり」は、「われである」ではない。「われになっている」である。
「なり(なる)」は、「あり(ある)」ではない。
「われなり」と「われあり」は、ぜんぜん意味がちがう。「われなり」は、そこで「われ」が生起しているという「現象=こと」をいっているのに対して、「われである」とは、「われ」に「物性=もの」を与える言い方だ。
「われなり=われになっている」とは、「われ」という現象がここで起きている、ということ。それは、「空間感覚」なのだ。
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「われである」といいたければ、「われである」というさ。わざわざ「われなり」とはいわない。「あり」ということばがちゃんとあるのだもの。
辞書によれば、「われである」の古語のかたちは、「われにあり」というのだとか。だから、このときの「にあり」が変化して「なり」になった、といわれている。「われにあり=われなり」。
そうだろうか。
「さびしき思いのわれにあり(=さびしい思いのわれである)」……こういう言い方は、明治・大正時代まで残ってきた。ということは、「なり」は、ただたんに「にあり」がつまったというだけのことばではない、ということを意味している。
「なり」というようになって「にあり」という言い方がなくなってしまったわけではないのだ。
「なり=なる」ということばは、もしかしたら「にあり」という言い方をするよりももっと前からあったかもしれないのであり、そんなやまとことばの住民が、安直に「にあり」を「なり」に代えてしまうようなことをするだろうか。それはつまり、古代人は「あり」と「なり」の違いをよくわかっていなかった、といっているのと同じなのですよ。
わかっていたら、とてもそんな乱暴なことばの使い方はできない。
「にあり」といいたければ、「にあり」というさ。「なり」といってしまったら、意味が変ってしまうのだ。古代人の「なり」というときのニュアンスをろくに探索しようともせずに、現代人の「である」という気分を安直に当てはめて、そんな解釈をしているだけのことだろう。
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「花なり」は、「花にあり=花である」ではない。「花になっている」という意味だ。このへんのニュアンスは、世界の「物性」に閉じ込められている現代人にはわかりづらい。それは「花になる」という「現象=こと」であって、「花である」という「物性=もの」ではない。そういう違いを、古代人は「なり」と「にあり」というかたちで、当たり前のように使い分けていた。べつにそこで「にあり」という言い方が滅んだのではない。
「なり」と「にあり」は、別の姿をした表現なのだ。
「花なり」というときの「なり」は、ただ単純に「なる」の体言であるとはいえない。このかたちを文法用語でなんというのか知らないが、このときの「り」には、ただ体言に置き換えるというよりももっと積極的な自立した意味がある。
「なる」の「な」は、「親愛」の語義。「成るべくして成る」の「な」。
「り」は、「栗(くり)」「瓜(うり)」の「り」。「くり」の「く」は、「苦しい」の「く」。すなわち栗は、いがいがの痛い「殻」を持っているから「くり」という。「うり」の「う」は、「うっ」と息が詰まる感慨。実がぎゅっと詰まっている「袋」のようなかたちをしたものを「うり」という。
すなわち「り」は、「輪郭」の語義。「毬(まり)」は、丸い輪郭を持っているから「まり」という。「輪郭」すなわち、「決定」とか「腑に落ちる」というような感慨からこぼれ出てくる音声。
「なり」とは、「成るべくして成ったことをすっきりと腑に落ちている(決定している)」こと。そういう感慨をこめて、「なり」という。ある意味でそれは、神に気づく感慨かもしれない。だから「神がなりませる」という。「陛下のおなり」という。
ともあれ「なり」は、そういう決定的な「現象=こと」をいうのであって、「あり」というような「物性=もの」をあらわしているのではない。
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この世界は、「空間の生成=現象(こと)」としてある。原初の日本列島の住民はそこから「かみ」に気づいていったのであって、この世界の「物性(もの)」に心を動かされたからではない。
「なる」は、「現象=こと」であって、「ある」という「物性=もの」のことではない。
この世界の夜と昼が交代・反復し、季節は流れてゆく……それは、この世界の「空間が変ってゆく」と気づくことであり、この世界の「空間が生成している」と認識することだ。
原初の人類はそうやってこの世界に気づいていったのであり、その現象を生み出す「力」を「かみ」と呼んだのだ。
おそらく、そうした原初的な世界観においては、ヨーロッパ大陸も日本列島も、そう大差はないに違いない。
人間はほんらい、「空間」にときめき、「空間」を祝福してゆく生きものなのだ。
日本列島では、そうした原初の世界観が純粋培養されてきた。
冬枯れの野原に花が咲いているのを見れば、そこだけ春の「空間」になっているように見える。新しい空間が出現することのときめき、これが、基本だ。この体験が契機となって、原初の人類は「かみ」に気づいていった。
つぼみが裂けて花が開くことは、新しい空間が出現することであり、それは、辻が花の、縫い締め絞って染め残した部分をほどいて開いてゆくと「空白の花」が出現することと同じ体験であろう。
また、「あなた」と「私」のあいだの空間に投げ入れられた「ことば」もまた、ひとつの縫い締め絞った「空白の花」であり、その「空白の花」を共有してゆくことが「語らふ」という行為だ。
「空間が出現することのときめき」、それこそが人間としての根源的な世界体験であり、その体験から「なる」というやまとことばがうまれてきた。
「花なり」の「なり」という音声にこめられた古代人の「ときめき」に気づくなら、かんたんに、「にあり」がつまったものだなんていってもらっては困るのだ。そんな解釈は、学者連中のしゃらくさい言葉遊びなのだろう、と思う。