祝福論(やまとことばの語源)・「辻が花」11

今日は、少し雨。
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古代の日本列島においては、太陽という「もの」が神であったのではない。太陽が照り輝く「こと」を「かみ」といったのだ。だから「アマテラスオオミカミ」という。太陽の中には、太陽を輝かせる神の力が宿っている、と思った。
それに対して西洋では、太陽が神だ、と思っていた。
日本列島の神の「こと=空間性」に対する西洋の神の「もの=物性」……というふうに図式化してしまっていいのかどうかよくわからないが、やっぱりそうした対照性はあるのかな、と思ってしまう。
果てしなく陸地が続いている西洋では、さまざまな人種や民族が一か所に集まってきて、人と人が関係してゆく社会だった。
それに対して四方を海に囲まれ孤立している日本列島では、すでに寄り集まっている人と人の関係をいかに処理してほどよいものにしてゆくかというコンセプトで暮らしが成り立っていた。
その違いが、世界観の違いになり、「神」のイメージの違いになっていった。
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2万年前の氷河期、ヨーロッパ大陸のクロマニヨンの社会では、寒さに震えながらできるだけ大きな集団で寄り集まって生きてゆこうとしていた。
集団が大きくなれば、チームプレーが発達する。だからそのころ、マンモスなどの大型草食獣の収穫高が飛躍的に増大した。
そうして氷河期があけてからは人の往来が盛んになり、異世界の住人との友好や衝突が起きてきて、異世界の住人を奴隷にして支配してゆくという制度も生まれてきた。
ヨーロッパで奴隷制度がいち早く生まれ定着していったのは、そうした条件のうえに牧畜の発達もあり、「支配する」という関係にいち早く目覚めていったからだろう。
ヨーロッパでなぜ「支配する」ことや「サディズム」が発達したかといえば、早くから大きな集団を形成して、それだけ他者の身体の「物性」にたいする強迫観念が強くなってしまう社会だったからだろう。彼らは、その補償作用として、「支配する」ことや「サディズム」を覚えていった。そういう衝動を吐き出す機会がないと運営してゆけない社会だったのだ。彼らは、日本列島より5千年以上も前から戦争をしていた。
そのようにヨーロッパ大陸は、つねに人と人が関係してゆこうとする社会であったわけで、ことばも「伝達機能」という「物性」がどんどん増していった。
ヨーロッパ大陸は、世界の「物性」の上に成り立っている社会だった。
彼らは、2万年前からすでに「神」という概念を持っていた。そのとき寒さに震えていた彼らは、寄り集まって温まってゆこうとしていた。つまり、身体の「物性」を信じていなければ生きてゆけない状況に置かれていたのだ。また身体は、空腹とか痛みとか暑さ寒さとかの危機的状況において「物性」を知らせてくる存在であるわけで、そういう意味でも「物性」に対する意識がいやおうなく発達していった。
そういう人たちが出会う世界の不思議とは、どんなものだったのだろうか。
この世界の圧倒的な物性をそなえた「神」、それはやはり、暖かさをもたらしてくれる「太陽」だったったのだろうか。
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一方日本列島では、1万3千年前に氷河期が開けたとき、大きな集団で寄り集まって暮らすということが、いったん解体された。
それには、いくつかの偶然が作用している。
まず、大型草食獣が次々に絶滅していって、大きなチームを組む必要がなくなった。
氷が溶けて広い平原がすべて湿地帯になってしまったために、山間地などの狭い地域で暮らすことを余儀なくされ、大きな集落がつくれる場所がなかった。
そうして、大陸から切り離されて孤島になってしまったために、異世界の住人が入ってくることもなくなり、狭い地域でひしめき合って暮らしていることのうっとうしさが募っていった。
そんなわけで、必然的に集団は解体され縮小してゆくほかなく、ついには男女が一緒に暮らすということもしなくなっていった。
ヨーロッパではこの時期に男と女が一緒に暮らす「家族」という単位が生まれてきて、日本列島ではそのかたちを解体していった。日本列島の歴史は、男と女が別々に暮らすというかたちで始まっている。
縄文時代の女たちは山間の狭い地域に小さな集落をつくり、男たちは小さな集団で山野をさすらいながら女たちの集落を訪ね歩くという暮らしをしていた。
人と人の関係をいったん解体し、人と人のあいだに「すきま=空間}をつくってゆくことが、氷河期明けの日本列島における社会形成のコンセプトだった。
また、狭い地域で暮らしていると、必然的に「すきま=空間」を見つけようとする意識が発達する。
狭い山あいの場所で暮らしながら、山の「物性」をいちいち感じていたら、息苦しくて生きてゆけない。
「やま」の「や」は、辿り着いたという感慨からこぼれ出る音声。「矢(や)」は、遠くまでたどり着くもの。「ヤッホー」の「や」も同じ。物事がようやく終われば、「やれやれ」という。「ま」は「まったり」の「ま」。視線がたどり着いた先の山の稜線を眺めていれば、「ここで世界は完結している」とほっとする気持ちになる。だから、「やま」という。それは、「空間感覚」である。
「やま」ということばが空間感覚の上に成り立っているということは、日本列島の住民は山の物性を神としていたわけではない、ということを意味する。
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「海(うみ)」というやまとことばは縄文時代にもすでに使われていたのだろうが、彼らは、海を眺めていると、海の「物性」を感じて怖くなり、さらには、遠い水平線の果てまで行くことのできない絶望が募ったりもしたらしい。
「うみ」の「う」は、「うっ」と息が詰まる感慨からこぼれてくる音声。「み」は「やわらかいもの」のこと。「うみ」とは、「気味悪いやわらかいもの」という意味。だからそれは、できものの「膿(うみ)」と同じ意味なのだ。
日本列島の最初の「神」は海だった、という説が歴史家のあいだでは有力らしいが、「海(うみ)」ということばの語源を考えるなら、それは、海に対する親愛感ではなく、畏れの深さによるだろう。
いや、日本列島の神の起源を考えるのに、何が神であったとかという問題の立て方自体が正確ではない。
「海の神」というとき、「海に宿る神」といっているのであって、「海が神だ」といっているのではない。
「いわしの頭も信心から」といっても、いわしの頭が神になるといっているのではなく、いわしの頭にも神が宿っている、といっているだけだ。
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古代人だから、安直に「もの」を神にしていた、と考えるべきではない。それでは、古代人をばかにしすぎている。
「神」に気づくことは、とても高度な抽象化の思考である。
その時点で、すでにもう、形のない「空間」にこの世界の森羅万象を動かす「力」が宿っている、というイメージくらいは持つことができたのだ。
その「力」を「かみ」と呼んだ。
海が神だとか、太陽が神だとか、この国の「かみ」の起源を語るのにそういう議論はナンセンスであり、最初からすべての森羅万象に「神」が宿ると思っていたのだ。
あえていうなら、「空間」が「かみ」だったのだ。
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日本列島では、関係を解体することが、関係をつくることだった。つまり、その関係にほどよい「空間」をつくってゆくことが、関係を成り立たせることだった。
この世界は「空間」として成り立っている。空間の生成、それが、日本列島における世界の生成でもあった。
すなわち、空間が出現すること、それが、世界の生成であった。「空間が出現する」といえばなんだか言語矛盾のようだが、花が咲くという現象は、たしかに新しい空間が出現することに違いない。
春から夏になることは、たしかに「新しい空間の出現」だろう。
夜から朝になることも、「新しい空間の出現」だ。
古代の日本列島の住民は、そうした「空間の出現」にときめいて生きていた。
とすれば、つぼみが裂けて花が咲くという現象は、もっとも「かみ」を感じる体験のひとつであったに違いない。
花が「かみ」だったのではない。花が咲く、という現象に「かみ」を見い出していった、ということだ。
「花」は、日本列島の歴史を通じての美意識の象徴になっている。(つづく)