内田樹という迷惑・イギリスの高慢と偏見

人類が最初にイングランド島にやってきたのは、約50万年前の氷河期である。海面が低下して陸続きになったドーバー海峡を渡ってきたらしい。
氷河期になると、気温が低くなって雲がわいてこないから雨が降らなくなり、そのために気候が乾燥化して、海面が200メートルくらい下がるといわれている。
人間というのはおかしな生きものだ。
寒くなれば南に行けばいいのに、逆に、北に生息域が広がっていった。
このことが何を意味するのかというと、原始時代に集団の移動などなかった、ということだ。
集団なら、住みよい土地を目指す。しかし傷心のものたちは、逃げるようにさいはての北の地へと旅立ってゆく。
住みよい土地は、すでに人が住んでいる。だから、行っても追い返されるに決まっている。追い返されないでその群れに紛れ込んでゆけるような人間なら、もともと追い出されはしない。
追い出されて、あるいは逃げてきて、誰も住んでいない土地に最初は一人か二人で暮らし始める。それがやがて5人になり10人なりしてゆく。
原始時代の群れの飽和状態は100人くらいだっただろうといわれている。それまでは、人を吸い寄せながらふくらんでゆく。
寒い土地では、人がたくさん集まることも重要な寒さ対策である。
たぶん、原始時代の人類の群れは、北に行くほど規模が大きくなっていったのだろうと思える。
群れで移動するのではなく、群れの外に新しい群れができる。そういうことを繰り返して、人類は、地球の隅々まで拡散していった。
現在でも、群れで移動生活をしている民族は、アフリカにもアマゾンにもアジアの草原にもいる。しかし彼らは、一定の地域をぐるぐる回っているだけである。人類の地球拡散は、そういう習性によってではなく、そういう群れからはじき出されたものたちによる、少々住みにくくてもここに住み着いてゆこうという試みによって実現されていったのだ。
そこのところを、人類学者の先生方も、少しは考えていただきたい。安直に「群れで移動していった」ということばかり言っていないでさ。
群れが、知らない土地に移動してゆくことはない。それは、群れとしての自殺行為である。群れからはじき出されたものたちが、知らない土地にさまよいこんでいったのだ。
つまり、そういうこと繰り返しながら200万年前に生まれ故郷のアフリカを出た人類が、さらに150万年くらいそういうことを繰り返していった果てに、ようやくドーバー海峡を渡っていった、というわけだ。
人類の地球拡散は、群れからはじき出された「あぶれもの」たちによって実現されていった。
あぶれものが、ドーバー海峡を渡っていったのだ。
人類の群れは、北に行くほど「あぶれもの」の性格が濃くなってゆく。
イギリスは、そういう「あぶれもの」の末裔たちによって建国されたのだ。
50万年前の氷河期、ヨーロッパ大陸の北部は、人も動物も住まない氷原だった。わずかに大陸の西の方とイングランド島の周辺だけが海流(暖流)の影響で氷結から免れていた。
イングランド島に住み着いた人びとは、当時の最北端の人類だった。そしてそれは、もっとも「あぶれもの」の性格の濃い人びとだった、ということを意味する。
北では、大きな集団を組まないと生き延びることができない。つまり、そういう「あぶれもの」たちが、皮肉なことに人類でもっとも大きな集団をつくって暮らしていた、というわけだ。
おそらくこのパラドックスの上に「イギリスの高慢と偏見」が成り立っている。
彼らは、大きな群れをいくつかの集団に分け、それクッションにしながら、大きな群れを維持することの困難を克服していった。これが、現在の階級社会の原型になっているのだろう。
彼らは、他者に対する関心と無関心を調和させて生きてゆかなければならなかった。
高慢は、他者に対する無関心から生まれてくる。そして偏見は、無関心のくせに関心を持ちたがるところから生まれてくる。
イギリスの高慢と偏見は、イングランド島50万年の歴史の上に成り立っている。