内田樹という迷惑・五人に一人

内田氏はこういう。もしもロックスターやセレブな人種になりたければ、そうなったときのことを微に入り細に入り徹底的に妄想しつづけることだ。そうしたら、夢はかならずかなう、と。
現代を代表する思想家が、こんな低俗なことを本気で信じているのですからね。なんなのでしょう。
こういうメンタルトレーニングの啓発本というのですか。いっぱい本屋に出ていますよね。そして、ちょいと頭のいかれたOLとか女子大生が、すぐ飛びついて買う。
いまさら内田氏がいわなくても、こんなことを書いて本を売っている俗物の評論家なんか、いくらでもいる。
そういう連中と、おんなじレベルのことを、大真面目でいってやがる。
世の中、なんにつけてもガツガツしているやつが、五人に一人はいるものです。
ロックスターやセレブになりたいとガツガツ妄想しているやつ。
がんばって大学教授になろうとしているやつ。
なにやらむずかしい本をガツガツ読みまくって、知識をひけらかすことに精を出して悦に入っている知識オタク。
世のため人のためとか何とか、使命感に燃えてガツガツ仕事をしているやつ。一所懸命仕事をせずにいられないやつがこの世の中には五人に一人はいる。そしてあとの四人は、まああいつに任せとこうや、と眺めている。それですんでいるあいだは平和だが、そのガツガツしているやつが残りの四人にプレシャーをかけてきたりする。そうして仕事がうまくいかないときは、いちばんだめな者を徹底的に責める。ガツガツしているやつは、おおむねそういう習性を持っている。
ニートやフリーターが生まれてくるのは、世の中にはそういうガツガツしたやつが五人に一人はいるものだという状況も大きな原因のひとつになっている。
そんなやつのいる職場でなんか、怖くて俺は働けないよ、と彼らは思う。
しかし世の中は、だいたいガツガツしているやつの意見がまかり通ってしまう。
一生懸命その気になればロックスターやセレブな人種になれますよ、という啓発本が、ばかばか売れる。だって、ガツガツしているやつは、勢い込んでその本を買うもの。
そうしてその本がたくさん売れれば、若者はみんなそう思っているかのような風潮が生まれてくる。
ほんとうは、五人のなかの一人が勢い込んで買っているだけなのにさ。
五人のギャルが、居酒屋で飲み会をやっている。
一人が、勢い込んで言う。私、ぜったいにセレブナお金持ちになるわ。一生懸命思いつづければ、きっと夢はかなうのよ。こないだ読んだ本にもそう書いてあったし・・・・・・と。
あとの四人は、なんだかしらけてしまう。その中の一人は、「そうなのかしら」と、ちょっと不安になる。もう一人は、「負けそう・・・」と苦笑いする。さらにもう一人は、「ばかだなあ」とあきれる。そうして最後の一人は、「こいつ殺してやろうか」と一瞬思う。
おおよそ、そんなところでしょう。
内田氏の言説は、インテリっぽい層のそういうがつがつした人たちに向けて語られている。そういう人たちに自分を正当化する理路を与えつづける。だから、たくさん本が売れる。そういう人たちこそ、もっとも熱心に本を買う人種なのだ。
じっさい内田氏は「私はそういう五人の中の一人に向かって書いている。誰にでも読んでもらいたいとは思っていない」と言っているのです。
つまり、世のため人のために役立っている、あるいは役立ちたいと思っている五人の中の一人、というわけです。
しかしだったら、五人の中の四人であるニートやフリーターなんか、ほっときゃいいじゃないですか。なにも「おまえらも働け」と言うこともないでしょう。そうやってニートやフリーターを人間のくずのように言って、五人の中の一人に自己正当化の根拠を与えてやる。そうすれば、本が売れる。
この世の中は、五人の中の一人であるあなたたちのものなのか。
そうやって誰もが、ガツガツして生きなきゃならないのか。
世のため人のためなんか、おら知らん、と思ったらいけないのか。
まあ、そんな五人の中の一人を励ましてやるのはあなたの勝手だが、そのためにあとの四人を人間のくずのように言うこともないだろう。
何が「人間の本性は労働することにある」か。
あなたの言うことは、根底において倒錯しているのだ。
そんな倒錯した論理が真理であるかのように言われることに、僕は耐えられない。