内田樹という迷惑・労働という概念の発生

700万年前に直立二足歩行をはじめた人類にとって、生きることはただの「遊び」だった。
生きるといういとなみをただの「遊び」に変えてしまったのが、直立二足歩行だった。どんなにつらくても、それは、ただの「遊び」だった。生きるいとなみとしての食うことより、近くのものと仲良くしたりセックスしたりすることの方が大事になっていった。そういう「遊び」のついでに仕方なく食うことに対処していった。
食うものなんかなんでもよかった。ときに木の根だけをかじって生きてゆくことさえいとわなかった。
食うものなんか、目の前にあるものですませた。
食うことよりも大事なもの(=遊び)がある、というのが、基本的な人間性のかたちであろうと思えます。
直立二足歩行をはじめていらい、人間は、生きることが食うことだけではすまないものなってしまった。
「生きること=食うこと」から逸脱することが「生きること」になってしまった。
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直立二足歩行は、自然の動物として生きることから逸脱してゆく行為である。
たがいの身体がぶつかり合うほどに群れが密集してくれば、自然の動物は、余分な個体を追い出す。すくなくともチンパンジーはそうしている。
しかしそのとき原初の人類は、そうはしなかった。
みんなでいっせいに立ち上がって、たがいの身体のあいだの「空間」を確保し合った。
もともと四足歩行の生きものが二本の足で立ち上がれば、戦闘能力はいちだんと減衰する。
慣れない姿勢で足元はおぼつかないし、しかも、まるで無防備に胸・腹・性器などの急所を晒してしまっている。
もしも群れの中の一頭のオスがもとの四足歩行のままでいたら、まちがいなくボスになれる。
なのに、みんなで立ち上がっていった。
彼らは、仲間どうしで戦うよりも、仲良くすることを選んだ。
なぜか。
そのときはまだ、食い物が潤沢にある環境であったし、一頭のオスがメスを独占するのではなく自由な乱婚の習性をすでに持っていたからだろう。
密集した群れの状態になってしまったら、ボスもすべてのメスの面倒を見切れなくなり、あちこちで勝手な交尾が起きてくる。おそらく、すでにそういう状態だったのだろう。
そのとき、争う必要が何もなかった。
仲良く立ち上がるのが、もっとも賢明で自然な方法だった。
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それは、仲間と競争したり敵と戦ったりして勝つための方法ではなかったし、食料をより効率よく得るための方法でもなかった。すなわち「労働」という行為ではなかった。
あくまで、仲間と仲良くしてゆく「遊び」の行為であった。
その「遊び」で生きてゆくことに、原初の人類は決めた。
だから、食い物がないときは、木の根でもかじった。そのために顎の骨や臼歯が発達する、という人類史の段階が300万年前ころにあったわけで、そういう段階を経て、250万年前ころに森からサバンナに出て行ったのだ。
そのころの中央アフリカの気候は大いに乾燥化し、もはや群れをいとなむことのできる森がなくなっていった。で、追われるようにしてサバンナに出て行った結果、木の根をかじることも仲間と仲良くして大きな群れをつくることもやめ、気の合う女(男)と子供だけの小さなグループで移動生活をしながら生きてゆくようになっていった。
これが「家族をつくる」という、最初の「労働」の発見だった。
いや、この時点の「家族」は、仕方なくそうなってしまっただけだから、「労働」とはいえないのかもしれない。
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しかしそのとき、すべての人類がサバンナの暮らしに適合していったのではない。何しろ森の暮らしとは180度違うのだから、とうぜん適合できない者たちもいた。彼らは、あくまで仲間との群れの暮らしにこだわり、歯が抜けるようにして森が消えてゆく状況においても、わずかに残った森に移動してゆきながら、しだいにアフリカの外へとはじき出されていった。
アフリカを出て行った人類は、群れの暮らしを維持しつづけた。
群れは、生存が困難な状況に置かれたときほど結束する。だから、生存が困難な北に移動してゆくほど、群れの規模は大きくなっていった。
言い換えれば、生存が困難な環境に置かれたときのほうが、仲間と仲良くしてゆくという「遊び」のよろこびが深くなる。セックスの恍惚もダイナミックになってゆく。そうやって人類は、住みにくい北へ北へと拡散していったのだ。
人類学者のいうような、狩の獲物を求めて移動していったというのは、おそらく嘘っぱちなのだ。北に行くほど大型肉食獣の数は減ってゆく。それは、北に行くほど狩の獲物は少なくなってゆく、ということを意味する。ただ、北では、そのぶん大型肉食獣に煩わされることなく狩ができる、という恩恵がある。しかしそのことにしても、北に住み着くようになったから狩に精を出すようになったのであって、狩をするために北に移動していったのではない。温暖なところにいれば、木の実などの植物資源も豊富だから、あまりがんばって狩りをする必要もないし、温暖だからあまり食わなくても生きてゆける。
だが、寒い北で暮らせば、植物資源などほとんどないし、脂の乗った大型草食獣の肉をたくさん食っていかなければ生きていられない。北に移動していった「結果」として、がんばって狩りをするようになったのだ。
さらには、「知らない土地への好奇心による」などという俗物の小説家を喜ばせそうな仮説も、何の説得力もない。原初の人類は、知らない土地が「存在する」などとは思っていなかったのである。そのころにテレビや新聞や「地球の歩き方」という本などなかったのだ。何をくだらない妄想をしてやがる。
原初の人類は、住みにくい土地に住む、という「なげき」を携えながら住みにくい北に拡散していったのだ。その「なげき」が、仲間と仲良くするというよろこびやセックスの恍惚を深くしていったからだ。
原初の人類の群れが住みにくい北へ北へと拡散していったことは、人間の本性が、食料を求めるという「労働」にあるのではなく、仲間と仲良くしたりセックスしたりする「遊び」にあるということ、そしてその「遊び」のよろこびがひとつの「なげき」の上に成り立っていることを意味する。
直立二足歩行を開始した人類は、密集した群れの中に置かれてあることを「解消」したのではない。いぜんとして群れは密集していたのだ。そのとき彼らは、その状況と「和解」したのだ。そして密集した群れの中に置かれてあることの「なげき」の表現として二本の足で立ち上がり、そこから仲間と「仲良くする」というカタルシスをくみ上げていった。
そういう「遊び」だったのだ。