内田樹という迷惑・むすぶ

古事記によれば、この世界のはじまりは、天に「むすびのかみ」が現れたことにあるのだとか。
「むすび」だなんて、変な言葉づかいです。
相撲の最後の取り組みのことを「むすびの一番」という。式の最後は「むすびの言葉」で締めくくられる。
「むすび」とは、「最後」という意味でしょう。
「産巣日神(むすびのかみ)」と書いて「産む」という字が使われているから、今日では簡単に「はじまり」のことだと解釈されてしまっているが、古事記が口移しで伝承されていた時代には、文字などなかったのです。「むすび」ということばは、あくまで「おわり」という意味だったはずです。
どうして最初の神が「むすびのかみ」なのか。
日本列島においては、「はじまり」は「おわり」のことでもあるらしい。「はじまり」のことを「おわり=むすび」という。
つまり、「むすびのかみ」とは、原初の混沌の「おわり」を告げる神である、という感慨がそこにこめられている。
「おわり」がなければ「はじまり」はやってこない。
日本列島の住民は、「おわり」にこだわる。
いつの間にか春が終わり、いつの間にか夏が来る・・・・・・それでは、困る。春には春の味わいがあり、夏には夏の味わいがある。春は春として完結していなければならない。夏とは違うのだ。もちろん夏だって、春にはない季節のかたちを持っている。
日本列島の住民は、終わりがあいまいであることに耐えられない。「はじまり」のことを「おわり=むすび」と言ってしまうくらい、「おわり」を確認せずにいられない。
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氷河期が空けて大陸から切り離された日本列島に立った縄文人は、海の水平線の向こうにはもう何もないと思った。
水平線の向こうには何もないという認識は、人間の普遍的で根源的な感慨であろうと思える。水平線は、断念の気持を呼び起こす。ことに、海上交通のなかったころの人類は、世界中の誰もが水平線に対してそんな感慨を抱いていた。
われわれ現代人だって、感覚的には、水平線を眺めながらそこが世界の果てだという感慨になっている。だから、失恋すると海にやってきて、「あきらめる」という気持を持ち帰る。
縄文時代においては、誰も水平線まで舟を漕いでゆくことなどできなかった。
しかし大陸の地平線の場合、大昔からその向こうから人がやってきていたし、こちらからも行くことができた。だから、その向こうには何もない、という感慨にはならない。
古代の中国人は、海のそばで暮らすのを嫌がった。それは、地平線の向こうにはもうひとつの世界があると知っているだけに、水平線から抱かされる「何もない」という感慨がことさら不快だったのだろう。
古代の中国人は、海が嫌いだったのだ。だから、日本列島に攻め入って領土にしようとすることは考えなかった。領土はあくまで、地平線の向こうへと広がっていった。
地平線の向こうの世界を意識する民族と、水平線の向こうはもう何もないと思い定めた民族とのメンタリティの違いは確かにあるだろう。
水平線の向こうはもう何もない、ここが世界のすべてだ、という感慨。「おわり」ということをどうしてもはっきりとさせたいメンタリティは、もしかしたらそこからはじまっているのかもしれない。
水平線は、世界の果てであり、「おわり」なのだ。そこが「おわり」であると深く認識することによって、ここが世界のすべてであるという感慨もより確かで充実したものになる。ここが世界のすべてであるという感慨は、「おわり」という認識からはじまる。
この国では、「おわり」を確認しなければ何もはじまらない。「終わり」を確認せざるを得ないから、新しもの好きな国民になった。
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二本のひもを結ぶ。それによって一本につながるが、結び目によってもともとは二本であったことがわかる。
春と夏の結び目はどこにあるのか。そんなものはない。しかし、春が終わりかけているという感慨と、夏がはじまりかけているという感慨はたしかにある。そしてこの二つの感慨は同時にやってくる。春が終わりかけているという感慨は、夏が始まろうとしているという感慨でもある。これが、春と夏の結び目である。
五月の初鰹は、晩春の食べ物か、それとも初夏の食べ物か。どちらでもない、「結び目」の食べ物なのだ。「初(はつ)」とは、「果(は)つ」であり、すなわち「結び目」である。夏の初めとは言わない。春の終わりともいわない。季節が果てるところ、そこが「はつ」である。
初鰹それじたいが、「結び目」なのだ。
初夏は、もう夏である。そして晩春は、まだ春である。どちらでもない。「はつもの」には、どちらでもないことの「結び目」としてのめでたさがある。
終わりのはじめとしての「結び目」が現れることのめでたさ、それが「むすびのかみ」という名になった。
「おわり」という感慨と「はじまり」という感慨がからまり合うこと、それが、「むすぶ」という言葉が表現していることの本質だ。
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日本人は、新しもの好きである。それは「終わり=果て」という感慨を深く抱く民族でもある、ということを意味する。終わって空っぽになってしまうから、新しいものにとびつくことができる。
大陸の地平線は、世界の終わりではない。だから中国人は、何ごとにつけても「終った」という感慨が薄い。そして、日本人のようにむやみに新しいものにとびつくということもしない。彼らは「普遍性」を信じて生きている。
たとえば中国は、19世紀にイギリスの植民地政策が押し寄せてきたとき、西洋文明にあまり興味を示さなかった。いっぽう日本は、懸命に西洋を追いかけていった。
新しもの好きの日本人は、そのときどきの間に合わせの価値観で生きている。そのつど終って、空っぽになってしまう。「結び目」をつくってしまう。
しかし、中国4千年の歴史に「結び目」はない。
結び目のない中国人の人生は、成熟してゆく。
それに対して、いつも新しいものにとびついてそのつど生まれ変わってしまう日本列島の住民は、いつまでたっても成熟できない。
日本列島の住民は、季節の「おわり」と「はじまり」を「結び目」として、いつも確認しながら生きてきた。
「あなた」と「私」のあいだにだって「結び目」を持とうとする。だから、「縁を結ぶ」という。「あなた」と「私」は、一心同体なのではない。「縁」という「結び目」でつながっているだけなのだ。言い換えればそれは、「あなた」と「私」のあいだには「縁=結び目」という断絶がある、ということでもある。
縁は、切ることができる。親子の縁でも、切ることができる。しかし、だからこそ、縁で結ばれた関係の危うさをいつくしみもする。われわれの関係には、中国大陸や朝鮮半島儒教的人間関係のような、先験的につながっているという「一体感」はない。
われわれには、「世のため人のため」に働くというような普遍的で儒教的な公共心はない。つまり、共同体との一体感などというものはない。ただもう一緒に働く仲間との「縁」を大切にしたいと思っているだけだ。
「むすぶ」という言葉は、いろいろ考えさせられて、一筋縄ではいかない。その縄には、「結び目」がある。