内田樹という迷惑・階層社会

人間社会の「階層」というのは、どのようにして生まれてきたのだろうか。
最近この国でも「階層化社会」などということがさかんに言われてきているらしく、ひとまずこのことを考えてみます。
人間が共同体をつくって生きてゆくとき、階層間の緊張は、生きてゆくためのいい刺激になっているのかもしれない。
階層、といっても、いろんなカテゴリーがある。
男と女、という階層。
老人、大人、若者、子供、という世代的階層。
職業的階層。
身分的階層。
知的趣味的階層。
人種的階層。
ようするに、おまえと俺とは違う人間だ、という意識を持ちたいのでしょう。
共同体という枠の中でひしめきあって暮らしていれば、そういう違いがあいまいになってきて、どうしても何かでそれを確認したくなってしまう。
つまり、密集した群れの中に置かれていると、どうしても体と体がぶつかり合ってしまう。たがいの身体のあいだにほどよい空間を保とうとすること、これは、直立二足歩行をする人間の本能のようなものです。
自分と他者の違いを確認しようとすることは、たがいの身体のあいだの空間を保とうとする意識でしょう。
西洋人は「他者の差異性」ということをいつも議論している。それは、そういうことを確めようとする彼らの欲望の激しさと根深さを意味している。
日本列島の住民は、伝統的にそんなことはあまり意識しない。それは、「差異性」に気づいていないからではなく、他者であることそれじたいが「差異性」の根拠だと思っているから、あらためて確めるまでもないのだ。この国では、そういう先験的な「差異性」を止揚してゆく作法を生活習慣として洗練させてきた。
それはたぶん、言葉の問題でしょう。
やまとことばは、「伝達」の機能があいまいです。「神」「髪」「紙」「上」「噛み」「加味」「守」、ぜんぶ「かみ」と読む。声に出しただけでは、なんのこっちゃ、ということになってしまう。しかしそれでもわれわれは、そのことにたいした不自由も感じないで暮らしている。これらの言葉の発声にはすべて「本質に気づく」という感慨が共有されているのであり、同時にそれぞれの「差異性」も確認されている。
たとえば「髪(かみ)」は、男と女、大人と子供、職業や身分、それぞれに髪型が違う、ということから来ている。その髪型が、その人の正体(本質)を表している。べつに髪の毛そのものの色やかたちを説明し、伝達しようとしているのではない。
伝達の機能があいまいだということは、伝達の機能がいくぶんか断念されている、ということです。つまり、「あなた」と「私」はくっ付きあわない、という態度が根本にある。
「伝達」することは、象徴的には、体と体がくっつき合う行為です。伝達することには、体と体がくっつき合うのと同じような安心と鬱陶しさをともなっている。
日本列島に住民はそういう「安心」を止揚することを断念してゆくことによって、くっ付きあう「鬱陶しさ」を回避している。それが、やまとことばの作法(機能)です。
それに対して西洋人の言葉は、伝達しくっつき合うことの「安心」を止揚してゆくことと引き換えに、「鬱陶しさ」から逃れられないでいる。
その「鬱陶しさ」を和らげる装置として、「階層」が生まれてくるし、和らげようとして「他者の差異性」という違いにこだわってゆく。
「伝達」という機能が濃い英語は、人と人をくっつけてしまう言葉だ。だから彼らは、「差異性」ということにものすごくこだわる。
ソシュールは、言葉の本質的な機能は「差異化」にある、と言った。だったらやまとことばを使う民族として、われわれはこういうしかない。そんなことはただの「労働」であって、われわれの言葉には、いくつもの言葉にアナログな連続性を持たせてゆく「遊び」の機能を第一義的に持っている、と。
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階層は、他者と自分との「差異性」にこだわる意識から生まれてくる。
イギリスと日本は同じ島国で共通点も多いが、英語と日本語、階級社会と非階級社会という決定的な違いもある。
ドーバー海峡は泳いでも渡れるが、朝鮮半島とのあいだの玄海灘の荒波はそう簡単なものではない。
イギリス人はつねにヨーロッパ大陸を意識しているが、この国の庶民は、江戸時代まで大陸などほとんど意識しない歴史を歩んできた。
本居宣長は「からごころ(=大陸的意識)」と「やまとごころ」の違いをしつこいくらい説いた人だったらしいが、その「やまとごころ」とは、大陸などまったく意識していない心だという意味だった。
世界中に、英語ほど伝達の機能を濃く持っている言葉もない。そしてやまとことばほど伝達の機能があいまいな言葉もない。
この違いは、なんだろう。
イギリス人の高慢と偏見、と誰かがいっていた。
それは、大陸との違いを強く意識するところからきているのだろうか。
イギリスに比べれば、ヨーロッパ大陸は、豊饒の地である。美味い食い物はたくさんあるし、豊かな芸術も花開いている。
イギリスなんか、なんにもない。気候はじめじめして薄ら寒いし、食い物も芸術文化も、大陸に比べたら貧弱なかぎりだ。それでも、その「高慢と偏見」が彼らの歴史を支えてきた。
おまえらとは違う、という意識。
それは、国内の階級間にもある。
階級社会は、上の階級のものがみずからの既得権益を守るためという力学だけでつくられたのではない。
誰もが上流階級でいたいのなら、その椅子を取り合って、けっきょくは階級社会にならない。
イギリスでは、労働者階級の方にだって、貴族階級に対して「おまえらとは違う」という「高慢と偏見」を抱いている。そうやって階級社会が形成されていったのだ。
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たとえばイギリスでは、ラグビーは上流階級の子弟のスポーツで、サッカーは労働者階級がやるものだという区別がある。
イギリスのプロサッカー選手は、99パーセントが労働者階級出身だといわれている。それは、ただそういう区別があるというだけでなく、労働者階級の子弟の方が圧倒的にうまくなってしまうという現実があるからだ。
イギリスの貴族の子供は、自分だけの理念や嗜好を持て、と教育されて育つ。たとえば、ぜったいにあやまってはいけないとか、コートはバーバリーしか着ないとか、彼らにはものすごくこだわりがある。しかしそういうこだわりは、サッカーというスポーツとはなじまない。だからうまくなれない。それに対して貧しい家のものは、つねに困難な事態を「やりくり」しながら暮らしている。そういうメンタリティが、サッカーの上達を助けるのだ。
サッカーはもともと上流階級の娯楽だったが、産業革命で地方からたくさんの労働者が集まってくるようになり、そういう見ず知らずどうしの集団にチームワークを持たせるために資本家がやらせたことからはじまっている。そうして、たちまち上流階級のチームを凌駕してゆき、労働者のスポーツとして定着していったのだった。
で、上流階級の方だって黙って引き下がりはしない。そのサッカーに「こだわり」を止揚してゆく要素を加えて、ラグビーというスポーツを生み出した。これならもう、労働者には負けない。
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イギリス貴族は、それなりに社会に対する責任や義務を負わされている。騎士道精神とかジョンブル魂などといって、戦争のときは最前線に立って指揮しなければならない
そうして労働者階級は、そんな面倒なことはやつらに任せて俺らはもっと自由に生きてゆくのだ、と思う。貴族の誇りと労働者の心意気、そんなものが対立し調和しているのが、イギリス社会の伝統らしい。
彼らは、たがいに相手のことをよく知らない。知りたがらない。ともに「高慢と偏見」で対立し調和していた。
ザ・フー」は、60年代から70年代にかけて、イギリスでもっとも人気のあるロックグループだった。国内では、ビートルズよりも人気があった。しかし、アメリカでは、さっぱり売れなかった。それは、彼らが、あまりにもイギリス的だったからだ。
彼らの初期の代表作に「マイ・ジェネレーション」という曲がある。ストリートにたむろする労働者階級の若者の鬱屈を歌ったものだ。
その若者たちが大人に対してどんな意識を持っていたかというと、「うるさいから、あっちに行ってろ。消えてしまえ」というものだった。これが、イギリス的反抗の流儀なのだ。
そのころフランスの若者は「大人はわかってくれない」といい、日本の若者は大人に取って代わろうとする全共闘運動を盛り上げていた。
イギリスでは、学生運動がほとんど盛り上がらなかった。「大人なんか関係ない」という、その「高慢と偏見」がイングリッシュ・キッズの心意気だった。
そしてそれは、そのころのロンドンが世界でもっとも成熟した「都市」であったことを意味している。「大人なんか関係ない」というのは、都市の人間関係のタッチなのだ。
同じころのパリもニューヨークも東京も、ロンドンに比べれば、まだどこか村落共同体的な人と人のもたれあいの空気が残っていた。
イギリス人は、「異質な他者」を理解しようとしない。徹底的にやっつけるか徹底的に無視するかのどちらかだ。なにしろ、19世紀の東インド会社を拠点にして、中国人を阿片漬けにしてしまった民族なのだ。アメリカのように、戦争を仕掛けてやっつけるというような単純なことはしない。
幕末から明治維新のころに日本にやってきた欧米列強の中で、イギリスがもっとも日本人を理解しない国だった、といわれている。とうぜんである。言葉の構造が正反対の国なのだから。
同じ侵略にしても、日本は朝鮮人を同じ日本人にしようとしたが、イギリスは、植民地の民を徹底的に「異質な他者」として扱った。良くも悪くも、の話であるが。
イギリス人は奴隷を「差別」などしない、「区別」するだけだ・・・・・・と言っている人もいる。つまり、奴隷を人間として差別するのではなく、奴隷なんか人間だとは思っていてない、と。それはたぶん、階級社会だからだろうし、ヨーロッパ大陸をやせ我慢しながらにらんできた歴史にもよるのだろう。
彼らの言葉は、「差異化」の機能を本領としている。