やまとことばと原始言語 25・やまとごころとしての連携

「みんなで貧乏しよう」というのが、江戸時代の農民の連携・結束のコンセプトだった。
良くも悪くもこれが、日本列島の伝統的な文化であり、すなわち「やまとごころ」である。
大陸の自己主張の文化に対する、日本列島的な「自分を消す」文化。
膨張・拡大に対する「衰弱・洗練」の文化。
すなわち「伝達」の文化に対する「共有」の文化。大陸の人々にとって連携することは「伝達」することであるが、この国では「共有」しあうことによって連携してゆく。
「世の中目立ったやつが勝ちさ」ということは、たしかにある。どんな社会であろうと経済の繁栄は、そのようにして実現される。正義を振りかざして目立った人間が社会的地位を上げてゆく。
しかしこの国の文化においては、第一義的には、自分が目立つことよりも集団の連携をつくってゆこうとする。
はからずも、聖徳太子が「和をもって尊しとなす」といったことは当たっている。そしてそのためには、衰弱・洗練のかたちが止揚されなければならない。洗練しようと思えば、衰弱してゆくことは避けられない。たとえば冬になって木の葉が落ちて裸の木になってゆくようなもので、洗練とは衰弱の別名なのだ。
そして、裸の木だからこそ、芽がふくという生命の充実を体験することができる。
深く感動すれば、ことばも出ないだろう。「感動した!」と絶叫することと、どちらが深く感動し、生命の充実を体験しているだろう。
病気になれば、自然の草木に対する思いもひとしお深くなる。
「貧乏人の子沢山」というように、貧しく弱いもののほうがダイナミックに欲情しペニスが勃起する。
衰弱するとは、ひとつの生命の充実なのだ。日本列島の住民はこのことを本能的に感じ、「衰弱=洗練」の文化を育ててきた。
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1万3千年前に氷河期が明けて日本列島が完全に大陸から切り離されたとき、そのときの縄文人はもう、海の水平線の向こうにもうひとつの世界があるということがイメージできなくなっていった。
水平線の向こうとはいっさい交渉がないのだから、イメージしようがないし、すれば頭は混乱する。であれば、「何もない」と思い切ることは、ひとつのカタルシスだった。「何もない」と思うことの充足があった。
そのとき縄文人は、「消失する」というイメージを獲得した。
「この世界は消失する」、「この生(=身体)は消失する」、というイメージ。
すべての事物は消えてなくなる……という世界観・生命観、そこから「衰弱=洗練」の文化が生まれ育ってきた。
「あはれ」「はかなし」「わび」「さび」の文化は、縄文以来のこの世界観・生命観の伝統から生まれてきた。単純に平安時代はとくべつな末法の世だったからというような、いきなり生まれてきた世界観・生命観であるのではない。日本列島の歴史を通じての世界観・生命観なのだ。
そして江戸時代の農民の「みんなで貧乏しよう」という合言葉も、この「衰弱=洗練」の世界観・生命観から生命の充実を汲み上げてゆこうとするコンセプトにほかならない。そうして彼らは、どの階層よりもタフで緊密な連携を築いていった。
日本列島の住民の連携は、この「衰弱=洗練」の世界観・生命観を「共有」してゆくことによって生まれてくる。
日本列島には「目立つ」という文化は希薄であり、それは「伝達」というコンセプトの文化ではない、ということだ。
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生きることが命を拡大させてゆくことであるのなら、それはたのしく価値のあるものでなければならないだろう。しかし衰弱し洗練してゆくことであるのなら、逆の感慨を携えていなければ成り立たない。日本列島の住民は、命を無価値なものとして嘆きながら歴史を歩んできた。そうでなければ、「衰弱=洗練」の文化は育ってこない。
日本列島の住民は、この「嘆き」を「共有」し、連携してゆく。
誰もが「いやいや生きている」という思いを「共有」していた。そういう流儀の文化なのだ。
しかしいやいや生きて嘆いているからといって、微笑み合っていたのである。古代以来の農民たちは、開放的だったのだ。だから、見知らぬ旅の僧や旅芸人や乞食を神の遣いとしてもてなした。彼らの連携は、そういう「出会いのときめき」というコンセプトの上に成り立っていた。
旅人は、旅に疲れ果てていた。そしてその「嘆き」を、「生きてあることの嘆き」として村人たちと共有していった。
もしも村人たちが、生きてあることのよろこびや価値を共有していたのなら、昔の旅人なんかうっとうしいだけである。旅館も土産物屋もない時代なら、旅人がお金を落としてゆくということなど何もなく、あくまで村人がもてなし「喜捨」をするという関係だった。高野聖とか盲目の三味線引きとか琵琶法師とか、そういう「喜捨」の文化は、つい最近までずっと引き継がれてきた。それは、あくまで生きてあることの「嘆き」を共有してゆく文化だった。
生きてあることの「嘆き」を共有しつつ、彼らは微笑み合っていたのだ。
それは、弱いものを「助けてやる」という行為ではない。たがいにひざまずき献身し合うのだ。深くお辞儀をして挨拶することだって、まあそのような関係の行為であるといえる。
そのように、たがいに「衰弱」してゆくことによって関係が「洗練」されてゆく。
日本列島の「女将」とか「芸者」の客に対するサービスは、世界でもっとも洗練されたサービスの文化だと外国人がいう。これもまた、「衰弱」しながら「献身」してゆく作法である。
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コレクティブ・ハウスの試みも、まあこのようなコンセプトを内包していなければ成功はおぼつかないにちがいない。
上野千鶴子氏の「おひとりさまの老後」は、家族というしがらみから離れた個人どうしが老後を寄り添い合ってどう生きてゆくかという話だから、これもまたひとつの「コレクティブ・ハウス論」かもしれない。
でも、家族という集団よりこちらのほうが心地よくて楽しい、といってしまったら、あれこれほころびもでてくる。
人間は、楽しく充実して生きたいわけではないのである。そんなふうに生きようとするのは「命の価値」とかそういう社会の制度的な合意に縛られ強迫されているからだ。
生きてあることなんかうっとうしいばかりだ。それをなんとかやり過ごすことができればいいだけである。「命の価値」などという制度性に縛られていない人間は、楽しく充実した生き方なんか目指さない。そんなことはたんなる「結果」であって、「目的」ではない。ただやり過ごして生きていられたらいいだけだ。「自由」というなら、そういうところにある。そんな目的など持たないのが「自由」なのだ。
「おひとりさま」を選んだ、などとスケベったらしい言い方はするな。「おひとりさまになってしまった」と嘆け。他者との味わい深い連携は、その「嘆き」を「共有」したところから生まれてくる。
どんな生き方をしようと、生きてあることはしんどくてうっとうしいことなのだ。その「嘆き」を「共有」してゆくことによって、その「嘆き」が浄化され、そこから微笑みが生まれ、豊かな会話が生まれてくる。
「嘆き」を共有していない集団からは。味わい深い連携は生まれてこない。「嘆き」を携えて「衰弱」してゆくことのできない者からは、「献身」という態度は生まれない。
家族だろうとコレクティブ・ハウスだろうと、生きてあることの「嘆き」が共有されていなければ、崩壊するほかない。
「嘆き」がないのなら、他者との出会いなんか必要ない。生きてあることの「嘆き」が人と人を連携させるのだ。
先験的な「愛」などというものはない。
「嘆き」が共有されているところで微笑みが生まれ、おしゃべりがはずむのであって、幸せや正義が共有されているところにおいてではない。
大陸的な会話が「私にあってあなたにないもの」を「伝達」してゆく行為だとすれば、日本列島のそれは、「共有」しているものを汲み上げてゆく行為である。
そういう「大陸=からごころ」と「日本列島=やまとごころ」の違いというのはたしかにある。
コレクティブ・ハウスを模索している人たちは、それが人類史的な実験であるということを自覚するべきであろう。
それは、「目立てば勝ちさ」とか「ことばは伝達の道具である」という「からごころ=近代的自我」を清算する試みでもあるのだ。
「おひとりさまでござい」といううぬぼれがコレクティブ・ハウスを成功させるのではない。「おひとりさまになってしまった」という「嘆き」をみなが持ち寄って、はじめてコレクティブ・ハウスの連携がつくられてゆくのだ。
そんなうぬぼれで「伝達」しあっているおしゃべりなど、たかが知れている。それでは成功はおぼつかない。
「おしゃべり」の空間の豊かさは、コレクティブ・ハウスの生命線だろう。それは、生きてあることの「嘆き」を持ち寄っているところから生まれてくる。
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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
よかったら。

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