女どうしの連携・「漂泊論B」70



日本列島の歴史における国家の発生というメルクマールをひとまず大和朝廷の成立に置くとすれば、それ以前の弥生時代奈良盆地に国家は存在しなかった、と考えることができる。つまりその集団は、共同体の制度や規範で運営されている集団ではなかった、と。
あなたは、そういうかたちの社会をイメージすることができるか。できるはずである、支配者も制度や規範もなく「なりゆきまかせ」で運営されていた社会を。少なくとも日本列島には、そういう「なりゆきまかせ」の傾向が伝統として色濃く残っている。
「ものあはれ」も「はかなし」も「わび・さび」も、「なりゆきまかせ」の世界観であり美意識である。
古墳時代は、おそらくその過渡的な時代である。
日本列島の歴史の13000年のうちの11500年は、「なりゆきまかせ」で社会が動いてきた。
人類の歴史の700万年のうちの699万年は、「なりゆきまかせ」で社会=集団がいとなまれてきた。
では、共同体(国家)の発生の契機となる人類の意識(観念)や人類集団の状況はどのようになっていたのか。
共同体(国家)を持とうとする発想が生まれてきた、などというような安直な思考をするべきではない。
そんなことではないのだ。
人類史の起源論を、単純に目的論で語られると困る。
言葉を話そうとする「目的」を持ったから言葉が生まれてきたのではない。それでは考えることがあまりにも安直ではないか。
原初の人類は知らぬ間に言葉のようなさまざまな音声を発するようになっていたのであり、あとになってそれを言葉だと気がついたにすぎない。
人間は、知らぬ間にさまざまな音声を発してしまうような存在の仕方をしている。そういう「思い」が胸に満ちてくるような存在の仕方をしている。
人間は、そういう音声が発せられるような圧力を受けて存在している。そこのところが語られねばならない。
べつに、言葉を発しようとする「目的」を持ったのではない。
言葉が存在しない状況で言葉を発想することは不可能である。
同様に、人類が共同体(国家)や規範=制度や階級などを持つようになったことの起源にしても、あるときそれらを持とうとする目的が生まれてきた、というようなことではない。人類は「生き延びる戦略=目的」としてそれらを持ったのではない。気がついたらそれらを持ってしまっていたのであり、知らぬ間にそれらが生まれてくる何かしらの圧力が個人にも集団にもはたらいていたのだ。
目的を持ったのではない、そういう「なりゆき」になるような因果関係があったはずだ。
そのとき人々は、そうした政治意識に目覚めたのではない。政治が存在しない社会で政治を発想することなんか不可能なのだ。
政治が発想されるような状況があったのではない。いつの間にか政治が生まれてしまっていたから政治を発想するようになってきただけのこと。
政治が存在する社会で政治が発想されるだけのこと、政治が存在しない社会で政治が発想されることは絶対にない。
すべての起源論は、この法則の上に成り立っているのではないだろうか。
そういう目的を持ったからそれが生まれてきたのではない。これは、直立二足歩行の起源だって例外ではない。



世の歴史家がどうしてそのような安直な思考をしてしまうのかといえば、生き物の生は「生き延びようとする戦略」の上に成り立っている、という前提を持っているからだろう。
しかし原初の人類が二本の足で立ち上がったことは、生き延びる戦略を放棄する行為だった。それは、きわめて不安定で、胸・腹・性器等の急所を外にさらしてしまう姿勢であり、そうやって生き延びる戦略を放棄したのだ。放棄することによって、猿社会のような順位を争う緊張関係から解放され、無邪気にときめき合う関係になっていった。
猿の社会は、階級社会なのだ。
生き物は、基本的に死んでしまう存在なのだから、生き延びようとする衝動を本能として持っていることはあり得ない。息をしなければ、いまここで死んでしまう存在なのだ。生きていたくても死んでしまう存在なのだ。であれば、死ぬことを受け入れる意識のはたらきこそ生き物にそなわった本能にちがいない。
では、生き延びようとして息をするのか?
そうじゃない。息をすることくらい、意識を失った植物状態の患者だってしている。それは、体が勝手にやってくれていることだ。生き物はそういう体のシステムを持っている、というだけのこと。
われわれは、「すでに生きてしまっている」存在なのだ。生きようとする戦略で生きているのではない。そして意識は、そこからはたらきはじめる。そこかから死ぬことを受け入れてゆくことによって、この生がよりダイナミックにはたらく。
生きることは、死ぬことを受け入れるいとなみである。たとえば、体が動くことは、「いまここ」から消えることである。そうやって死ぬことが生きることになっているのが、命のはたらきなのだ。
「生き延びる戦略」としては、「いまここ」にとどまり続けることである。しかし生き物の体は、「いまここ」から離れて動いてしまう。生き物の体が動くことは、「生き延びる戦略」を放棄することなのだ。放棄することによって、よりダイナミックな生のいとなみが生まれる。
まあ、「死んだ気になってやれ」というこの世の常套句も、生き物の自然の上に成り立っている。死んだ気になって人間の歴史がはじまったのだ。
原初の人類は、生き物としての自然(本能)のままに、死んでしまう状況を受け入れながら二本の足で立ち上がっていった。
人間は、死んでしまう状況に立とうとする衝動を持っているし、それ自体が生き物の生きてある状況なのだ。よりダイナミックに死んでしまう状況に立つことによって、人間の知能というか文化や文明が発達してきた。原初の人類はそうやって地球の隅々まで拡散していった。それは、生きにくいところ生きにくいところへと拡散してゆくムーブメントだった。
人間が「生き延びる戦略」を第一義の問題として生きている存在であるのなら、人類拡散など起きなかったし、文化や文明の発達もなかった。
人間は、生き延びる戦略として共同体(国家)や政治意識を持ったのではない。そういう「なりゆき」があっただけなのだ。
その「なりゆき」は、「生き延びる戦略」としての政治意識を持ったことによるのではない。根源的には、人間は、そういう戦略を持つような存在ではないのだ。「生き延びる戦略」として他者とのむやみな緊張関係を持つことをやめて無邪気に無防備にときめいてゆく存在になったところから人間の歴史がはじまっているのであり、そのようにして地球の隅々まで拡散していったのだ。



人間はなぜ、無邪気に無防備にときめき合うという関係を失ってしまったのだろうか。そこかが問題であり、そこにこそ共同体(国家)の発生の契機がある。
ようするに、集団のかたちがそのようになってきた、ということだ。人間が政治を発想したのではない。いつの間にか集団が勝手に政治的になっていただけのこと。
集団のかたちがそのようになってきたということは、人と人の関係がそのようになってきた、ということだろう。
人と人の関係が、政治をするような緊張関係を持ってきた、ということだ。
もともと人間は、猿社会のような他者との緊張関係を解いて二本の足で立ち上がったのだから、原始時代に「生き延びる戦略」としての政治とか階級などはなかったはずだし、そういう戦略を持とうとしないのが人間の本性なのだ。
それでも、そういう集団のかたちになってしまった。そういうかたちになってしまうような人と人の関係が生まれてきた。
けっきょく、人類がかつて体験したことのないような大きな集団が生まれ、そこで人と人の関係が変質してきたところからはじまっているのだろう。



トルコ西方の「チャタル・ヒュユク」という地域に、9千年前にすでに1万人近い規模の都市集落がつくられていた遺跡がある。これはおそらく、弥生時代奈良盆地と同様に、西洋や中東における共同体(国家)の起源前夜の大集団である。
そこは、すべての家がくっついたかたちのひとつの集合住宅になっており、家の出入りは屋上からするようになっていた。
なぜそのようなかたちにしたのかはわからないのだが、すべての家は女系家族だったらしい。
その集団は、ひとりの族長がいて全体を支配していたとか、そういうシステムの社会ではなかった。住宅の大きさはどれも似たようなものだった。
もし階級ができていたのなら、上のものは自分の権威を誇示するように、ほかの住宅とは離れて建てようとするはずである。
どの家もくっついていたのはつまり、どの家も自分だけでは完結できずに連携協力してゆこうとしていたからだ。
それは、共同体(国家)の発生前夜の階級のない社会だった。



氷河期が明けて、女が自分の家を持って、自分で子供を育てようとするようになってきた。
それまでは、子供は集団で育てていた。
氷河期は、生まれた子供がかんたんに死んでしまう厳しい環境だった。だから、その介護の手間も死んでしまったことに対するかなしみも、女がひとりで負うには重すぎた。
しかし氷河期が明けて子供がそうかんたんには死ななくなれば、とうぜん女は自分で育てようとするようになり、それぞれの女が自分の家を持とうとするようになってきた。
最初はただやみくもに女の家が増えていったのだ。そして家と家をくっつけていったのは、その方が効率よく助け合うことができるからだろう。女は、助けてやろうという気持ちも助けてくれとすがる気持ちも、男よりもラディカルに持っている。たぶん、ただそれだけのために無造作にくっつけていっただけのことで、支配者がいて共同体(国家)を発想し計画していったというのではないはずだ。
おそらく、北の端の家に住んでいる女は、南の端の家にどんな女が暮らしているかを知らなかった。ただもう「向こう三軒両隣」が協力し合う、というかたちでふくらんでいったのだ。友達の友達はみな友達だ、というような連鎖の動きがあっただけだろう。
弥生時代奈良盆地だって、まあこのようにして大きな集団になっていったわけで、そこではまだ、ひとりの支配者がいて共同体を発想し計画していたのではない。



世界中どこでもそうだが、原初の人類が遺跡に残している彫像は、ほとんどが女性像である。
それはまあ女が中心の社会で、女を祀り上げる社会だったからだろう。
この「チャタル・ヒュユク」の遺跡でも、たくさんの女性像が出土している。
そして考古学者はこれを「女神像」といっているのだが、「神」であったかどうかはわからない。
ようするに考古学者たちは、たとえば五穀豊穣とかの守り神だった、と考えている。
しかし遺跡の人々が、神という概念を持って何かの御利益を願うことをしていたかどうかはわからない。していたと決めつけるのは、現代人の物差しで考えているだけの安直な発想に過ぎない。
共同体(国家)の成立前夜の社会に神は存在しない。その女性像はたぶん神ではなく、ただもう無邪気に自分たちのあこがれを造形し祀り上げていっただけなのだ。
その遺跡の女神像でいちばん有名なのは、両脇に豹のような動物をしたがえて椅子に座っている豊満な女性の像である。
豊満だからまあ立派といえば立派で、研究者からすれば「神」ということに解釈したくなるのだろうが、その女性は、おっぱいがすっかり垂れていて、しかも子供をたくさん産んだ痕らしい腹のしわが深く刻まれている。
これはきっと老女だ。老女といってもそのころの通念では40歳くらいで、その歳まで生きることができるのはまれだった。
そのようにたくさんの子を産んで人生をまっとうするのがその遺跡の女性たちの願いだったのか、あるいは、若い娘がその像を眺めて出産の不安をなだめていたのか。
それは、その社会の女たちの「あこがれ」あるいは「理想」のの女性像だった。
べつに、「五穀豊穣の神」だったわけでもあるまい。
人類史の起源としての彫刻という芸術は、御利益を得ようとする俗物根性から生まれてきたのではない。それはあくまで、生きてあることの「嘆き」を癒そうとする、「あこがれ」や「美意識」の表現だった。人類はそのようにして芸術表現を覚えていったのであり、そんなことはあたりまえだろう。
とにかく、そうやって女が祀り上げられる社会だったのだ。
おそらく男たちだって、女を祀り上げて暮らしていた。
そこは、女たちが連携しながら集団運営の主導権を握っている社会だった。
働き蜂も働き蟻も、みんなメスである。オスはただ、生殖のときだけ借りだされるにすぎない。それと同じこと、その女性像は、女たちの連携の形見(形代)としてのいわば女王蜂あるいは女王蟻のような姿をイメージし表現したにすぎない。
安直に「神」などといってくれるな。
働き蜂や働き蟻がメスであることにせよ人間の女たちの井戸端会議にせよ、女とはほんらい連携する生き物である。



原始社会は、女どうしの連携が中心になっていとなまれていた。ここのところは大事だ。世の歴史家は、ここのところをちゃんと考えていないから、多くの歴史解釈でつまずいてしまっている。
弥生時代縄文時代はそういうパラダイムで再考されるべきだし、アフリカのホモ・サピエンスが世界中に拡散してことごとく先住民を滅ぼしてしまったという仮説(単一起源説)がいかに幼稚で愚劣かということも、おまえら少しは気づけよ、といいたい。
人間は連携する生き物だし、ほんらい女はことにそういう人種なのだ。原始人が、目の前の人々が滅んでゆくのを平気な顔をして眺めているというようなことをするものか。
単一起源説の連中は、原始人が大集団で旅をしていったなどというが、女が中心の社会で女がそんな道なき道を分け入ってゆくようなしんどい旅をしようとするか。子供や赤ん坊や妊婦は、ぜんぶ振り捨てていかないといけないのだぞ。
終戦直後に中国大陸から徒歩で引き上げてきた人々がどんなしんどい旅をしたかということは、誰でも聞いたことがあるだろう。そんな人々に先住民を滅ぼしてしまう余力があると思うのか。そしてその集団の中心になっている女が、先住民はぜんぶ滅ぼしてしまえ、と命令すると思うのか。
死にそうな人を見れば必死に生きさせようとするのが人間の本性だ。先住民のそういう人間としての本性をたよりにしないと原始時代の旅なんか成り立たなかったのだぞ。
かんたんに滅んだとか滅ぼしたなどというなよ。ほんとにどいつもこいつもアホなんだから。文句があるなら、誰でもいいからかかってこいよ。



では、その社会の男たちは、どのようにして暮らしていたのか。
おそらく、それらの家にそのつど一夜の宿を借りるというように行動していたのだろう。
集落全体が、ひとつの大きな娼館になっていた、ともいえる。
そしてその中には、ひとりの男に決めている女もいれば、どんな男でも受け入れる女もいたことだろう。
また、複数の男と約束を交わしている女もいたにちがいない。これがいちばん多いかたちだったのだろうか。
とすれば、男たちは、そのつど話し合ってその夜の宿を決めていたのかもしれない。たとえば、十人の男が十人の女を共有していれば、誰もはぐれることはない。そのようにして、男たちが語り合う「サロン」のような場が生まれていったのかもしれない。男たちの「サロン」は、今でも残る人類の伝統である。
男たちが10人の女を共有していたのか、それともひとりの女が10人の男を所有していたのか、まあどちらともいえるし、どちらともいえない。
あの女には手を出してはいけないという取り決めとか、今夜はおまえがこの女の家に行けとか、そんなことを語り合いながら規範=制度を発想する意識が育っていったのかもしれない。



まあ人間の自然として考えるなら、人類史においてひとりのパートナーを独占しようとしたのは、女が最初にちがいない。女が主導権を握っている社会だったのだから、そういうかたちで移行してゆくのが自然のなりゆきだろう。
基本的には、人類は乱婚社会の歴史を歩んできた。
なぜ一夫一婦制を発想をするようになってきたのだろうか。
ただ「女の生理がそうなっている」というだけではすまない。
それまでは、女が男を独占しない社会を歩んできたのだ。
女がセックスを習慣化したがる生き物だとすれば、その相手は誰でもいいはずである。同じ相手でない方が、習慣化しやすい。同じ相手なら「今日はやめておこう」ということも起きてくるし、現代の夫婦のようにだんだんしなくなってゆくことも多い。
それは人間の自然というわけではないが、それでも男を独占したがる女があらわれてきた。それはきっと、女のセックスの生理の問題とはちょっと違う。そうして、やがて男もひとりの女を独占しようとするようになってゆき、一夫一婦制の制度が生まれてきた。
毎日やりたいのなら、毎日相手が違う方がずっとセックスの生理にかなっている。
なぜ独占したいのか。それは、ひとりの相手がいいのではなく、ほかの人間に渡したくないからだ。そういう「所有」の意識が芽生えてきた。本質的にはセックスがしたかったのではなく、とにかくひとりの男を「独占」したかったのであり「所有」したかったのだ。
これは、男女関係といっても、セックスの生理の問題ではないし、オスとメスという自然な生理の問題ではない。
自然な生理の問題としては、鳥の求愛行動でもわかるように、オスが「やらせてくれ」とお願いして、メスがしょうがなく「やらせてあげる」というのが普遍的なセックスの関係である。
メスは、本能のレベルにおいては、セックスがしたいなんて思っていない。それでもオスが「やらせてくれ」とお願いしてくるから、自然界の普遍としてセックスをするようになっているだけのこと。
そのとき女としては、セックスなんかしなくてもいいから男を独占したかったのだ。セックスをしたいという生理(本能)を根源的には持っていない存在だからこそ、男を独占したいという衝動が芽生えてきたのだ。
いったいこの衝動は、人類史のどの段階で、どのようにつくられていったのだろうか。それが問題だ。


10
そのとき女は、セックスのためにひとりの男を独占しようとしたのではない。
一夫一婦制は、セックスの相手を確保するために生まれてきたのではない。
女は、根源的にはセックスをしたいという衝動を持っていない。男が「やらせてくれ」とお願いしてくる環境の中に避けがたく置かれてあるから、したいという気にもなるだけである。それは、男から「やらせてくれ」とお願いされたい衝動であって、セックスがしたいという衝動とはちょっと違う。
いまどきの女のセックス依存症だって、本質的にはたぶんそういう衝動なのだ。性器がむず痒くなる体質だからセックスがしたくなるのではなく、男からお願いされたい気持ちが募って性器をむず痒くさせているだけのこと。
それは、男と女の「関係」の問題であって、女の本能的な生理の問題ではない。
いつもお願いされている女は、お願いされたいなどとは思わない。お願いされなくなった女も、いまさらお願いされたいとは思わない。
女は、お願いされたいと思う存在ではなく、お願いされてしまう存在なのだ。大きな集団になって、そういう関係が崩れてきたのだろうか。お願いされる女とお願いされない女が出てきた。お願いされるときとお願いされないときが起きてきた。
原始時代のように個人の家を持つこともなく、そう大きくもない集団で暮らしていれば、それなりにバランスの取れた関係を保つことができる。しかし女がそれぞれ自分の家を持ち、しかも大集団になれば、そのバランスは崩れてくる。
女が自分の家を持ってそれぞれ自分の子供を育てるような暮らしになれば、女は孤立しがちな存在になってくる。それで、女全体が、ひとりの男を確保しておこうとするようになってきたのだろうか。
セックスがしたいというより、女には自分の世界をできるだけ狭く閉じておこうとする傾向がある。そのためには一夫一婦制の方がよかったのだろうか。
何はともあれ原初の男と女の関係は、女の主導で動いていたはずである。なぜなら男は「お願いする」立場であり、女がいやだといえばセックスの関係は成り立たなかったし、女は基本的に男と違ってどうしてもセックスがしたい存在ではなかった。だから、男がお願い(求愛)するという習性になっていったのだ。
自然状態の集団においては、どうしても女が主導権を持つかたちになってゆく。
そのチャタル・ヒュユクの都市集落においても、女どうしの連携が盛んな女権社会だった。
女たちが連携しつつ、男たちを「放し飼い」にしている社会だった。世界中どこでも、共同体(国家)の成立前夜の社会はそういうかたちになっていたのだ。それが、歴史の必然であり、人間の自然なのだ。


11
おそらく共同体(国家)の発生と、一夫一婦制の起源は、並走して起きてきたのだろう。
そのような男と女の関係になっていった。いいか悪いかはわからないが、恋愛という関係もここから生まれてきたのかもしれない。
しかし男と女の関係がそのように変質してきたということは、集団の中の人と人の関係そのものが変わってきたということだろうし、それにともなって集団と集団の関係も変わってきたにちがいない。
もともと人類は、世界や他者に対して無邪気に無防備にときめいてゆく存在だった。それが、ときめいてゆく対象と排除しようとする対象を選別するようになってきた。これが共同体(国家)の起源であり、そういう心の動きを持たなければ一夫一婦制にもなってゆかないはずである。
つまり、そのとき人類に、三角関係の意識が芽生えてきた。すべてはここからはじまっている。この意識とともに、共同体(国家)が生まれてきた。
共同体(国家)を持とうと思ったのではない。人と人や集落どうしの関係で三角関係の意識が強くなってきて、いつの間にか規範=制度を持った共同体(国家)という集団になっていたのだ。
そういう関係で大きな集団になっていったのではない。大きな集団になったからそういう関係が生まれてきたのだ。


12
人間はもともとそういう関係を持つような存在ではなかった。
それは、猿の社会の関係なのだ。
猿社会には、ボスの支配や順位制など、個体どうしのあいだに緊張関係がある。そして群れどうしのテリトリーもくっつき合って緊張していて、よくいさかいが起きる。その緊張関係が、猿の暮らしを成り立たせている。
原初の人類は、そういう緊張関係を消去するかたちで二本の足で立ち上がり、無邪気に無防備にときめき合っていった。そのダイナミズムで地球の隅まで拡散してゆき、やがて大きな集団になっていった。
そして大きな集団になった結果として、ときめき合う関係と緊張関係を併せ持つようになっていった。
それ以来人間は、猿以上にときめき合い、猿以上に排除し合う関係を持つ存在になった。
「共生関係」の発生。人間はもともとときめき合っても関係に執着する存在ではなかった。そうやってかんたんに集団をばらけさせながらダイナミックに拡散していった。
人と人の関係は、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」の上に成り立っていた。それが、「共生関係」に執着しつつ、その外部とのあいだに「緊張(敵対)関係」を持つ存在になっていった。
そういう「三角関係」を強く持つようになっていったのが、一夫一婦制の発生であり、共同体(国家)の発生だった。
そしてその契機はひとまず集団が大きくなり過ぎたことにあるのだが、そのような関係性の根源がどこにあるかということについては、もう少し考える必要がある。


13
それは男と女の関係が変質してきたことにあるのだが、セックスの関係ではなかった。セックスの関係ではないということは、人と人の全般的な関係の問題だということだ。そこが変わってきたから、男と女の関係も変わってきたのだろう。
「共同体(国家)の発生という、人類の歴史を変えるような、その最初の関係とはどんなかたちだったのだったのだろうか。
フロイドなら「性衝動が根源にある」ということになるのだろうが、女は基本的に性衝動を持たない存在なのだ。性衝動だけで、人間の意識や人と人の関係の根源のかたちを語ることはできない。
女には性衝動はない。表層的なセックスの欲望を持つことはあっても、それは存在の根源としての性衝動ではない。女にはそのような性衝動はない。そこが問題だ。
精子卵子の関係のように、根源的には、男は「寄生する性」であり、女は「寄生される性」である。
だからすべての生き物は、オスがメスに「やらせてくれ」とお願いする。メスにも性衝動があるのなら「寄生」という関係は成り立たない。メスの方から「セックスしよう」と寄ってゆく生き物の種があるなら教えていただきたいものだ。
まあ、男と女の関係なんて、「寄生」の妙、というところに味わいがあるのだろう。
性衝動は男だけに存在し、女にはない。女はただ、種として寄生させるほかない状況の中に置かれて存在しているだけである。
男だって女だって、完結できない個体だから、そういう関係はもう避けられない。
いまどきの女たちの「婚活」の多くが「男に寄生してゆく戦略」としてあるのなら、それは人間の自然であるとはいえない。
少なくとも原始社会の男と女の関係においては、女が主導権を握りながら「男に寄生させる」というかたちで動いていた。
原始社会の女たちは、男を放し飼いにしていた。
放し飼いにするのをやめて、「共同体(国家)」が生まれてきた。
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