団塊女とやまとことば

僕じしんは、「やまとことば」の何たるかさえよくわかっていない人間ですが、「都市に棲む山姥」さんから、団塊世代以降にやまとことばが崩れてきた、と教えてもらったので、それについて考えてみることにしました。
結論から先に言ってしまえば、日本人における人と人の関係と、この生にたいする感慨のかたちが、団塊世代を境にして変わってしまった、ということでしょう。
では、どう変わったか。
団塊世代は、小学校のころからもう、学校の同世代の仲間とばかり遊んで、地域社会の年長の子や年少の子と一緒に遊ぶということをほとんど体験していない。したがって、地域社会の大人との接触も少なかった。
団塊世代が、のちに全共闘運動に熱中していったのも、もともとそういうかたちで大人にたいする親しみが薄かった、ということもあるのだろうと思えます。
反抗する世代である、なんていっている人もいるが、それだけ同世代の仲間意識が強い、というだけのことなのですよね。ナショナリズムの強いアメリカ人が戦争好きなのと、まあ似たようなものです。団塊世代って、なんかアメリカ人っぽいですよね。アメリカ人も団塊世代も、自分たちがいちばんだと思っている。
彼らは、「三丁目の夕日」のようなしみじみとしてあたたかい家族と、わいわいはしゃぎ合える同世代の仲間と、つねにそうした予定調和的な集団の中で育ってきた。
親と話をするのと、地域の大人と話をするのとでは、関係がちょっと違う。
親が相手なら、多少のなれなれしい口の聞きかたも許されるが、地域の大人にたいする場合は、子供なら、どうしてもある種の「おそれ」みたいなものを抱きながらむきあわねばならない。また、年長の子や年少の子と遊ぶときだって、それなりにこわごわになる部分はある。
たぶん、そういう「おそれ」とともにやまとことばが身についてゆくのであり、団塊世代は、家族や同世代と遠慮なくはしゃぎあうばかりで、そういう体験をしてきていない。
団塊世代は、つねになれなれしさをともなった予定調和的な集団の中にいた。それは、はじめからなかよくすることがあたりまえの集団だから、なかよくできるかという不安や、なかよくしてもいいのかという心配とは無縁だった。
人と人は、まず出会いがあり、そこから言葉をかわし合いながらちょうどよい関係をあんばいしてゆく。
お隣さんと三軒先はちょっと違うし、大人と子供の関係と大人どうしも、友達と恋人どうしも同じであるはずがない。それらは、まず「出会い」のかたちが違う。
しかし団塊世代の予定調和的な集団では、すでに一緒にいるのだから「出会い」などなく、その関係も仲良くするに決まっているという合意ができている。
「出会い」がない、ということは、人にたいする感慨がない、ということです。なかよくするに決まっている団塊世代の関係は、「出会い」の「おそれ」もないかわりに「ときめき」もない。
たとえば、韓国語や中国語と日本語の違いのひとつとして、日本語は、人と人の関係をあんばいする言葉のニュアンスが、圧倒的にデリケートで多彩である、ということがあります。
極端な言い方をすれば、団塊世代が、人と人の関係を韓国や中国みたいにしてしまった、ということですね。
たとえば、朝、「おはよう」というあいさつをする。そのとき、団塊世代の子供どうしなら、あたりまえのように微笑みあって仲間であることを確認するだけだが、町内の大人と出会ったのなら、こうはいかない。大人のほうにも子供にも、一瞬のためらいがある。しかしこのためらいがあるから、そのあとの笑顔と「おはよう」という声に感慨が生まれる。
団塊世代以前の人と人の関係には、どんな間柄であっても、この出会ったときの一瞬のためらいがあった。これが、日本人の人と人の関係であり、そういう関係が豊かなニュアンスの「やまとことば」を育ててきた。
僕らの子供のころ、おとなたちのお辞儀の仕方というのは、そりゃあもう、めちゃくちゃ大げさでしたよ。お歳暮なんか持っていけば、長屋のお隣さんどうしでも、どちらも畳に額をこすりつけるようにしてひれ伏していた。
親しきなかにも礼儀あり、というのか、むやみになれなれしくしないということか、日常のなかにも、つねに「出会いのときめき」をあんばいしていこうとする意識があったのですね。それはたぶん、日本人が伝統的に持っていた生きてあることそれじたいにたいする嘆きや無常感に由来しているのだろうと思えるのだけれど、ここから先はもう小林秀雄の「本居宣長」を読んでくれというしかないです。
とにかく団塊世代はなかよくする関係を止揚してゆき、むかしの日本人は、なかよくすることにどこかしらためらいがあった。
団塊世代は、同世代の仲間となかよく遊ぶことは天才的にうまかったが、そのぶん異世代の人間にたいするというか、人間そのものにたいする「感慨」が希薄なまま育っていった。おそらくその特性が、「やまとことば」が滅びてゆく歴史の傷口を押し広げてしまった。