団塊世代本からの感想

僕は、舌ざわりのいいことなんか書くつもりはありませんよ。自分の人生なんて、現在も昔も、ろくでもないことだらけだし、そんな自分を偽って何かおしゃれなことを書いて人をたらしこもうとする趣味もない。
僕は、氷河期の北ヨーロッパを生きたネアンデルタールの、生きることはひどいことだといつも嘆きながら無謀な狩に挑んだりセックスしまくったりというような生き方を、しんそこ尊敬し憧れています。そしてそんな豊かな生を生きた人たちが、人間とは何かということもろくにわかりもしないし考えようともしない低脳な研究者によって、この地球上からすっかり滅び去ってしまったことにされている現在の状況にうんざりしています。
いや、せつなくて、悔しくてたまらない。
だから、このブログをはじめたのであり、何かを書いてみたくなったのです。
中高年のおやじがつくるブログのことを、「ヤジログ」というのだそうです。
そして僕のように俺にもひとこと言わせてくれというタイプは少数派で、たいていは、自分の現在の暮らしをさりげなく自慢して見せびらかしながら、そういう生き方に対する共感をまわりと分かち合う、という趣向なんだとか。
この世の中には自分の人生や現在に満足している階層というのがあって、団塊世代には、とくにそんな人が多いらしい。そしてそんな人たちを代表して書かれたのが、「団塊ひとりぼっち」(文春新書)という本です。
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まあ、よくできた本です。あの時代を生きた当事者の実感に則しながら、団塊世代のことがとてもよくわかるように書かれてある。
で、そのなかで、こんなことをいっています。
団塊世代は、移動する世代である」、と。
集団就職や大学進学など、つまり高度経済成長とともに日本人が本格的に「故郷」を捨てることを開始したのは、この世代からだったのだ、というわけです。
1960年代の日本には、まだ古い因習が残っていた。団塊世代は、そういうものに拒否反応を示し、異をとなえていったのだとか。
著者も団塊世代のひとりらしいのですが、彼が大学進学にさいして故郷の静岡を出るときには、ほんとにせいせいした、と語っています。
ただね、そのせいせいした気分は、親兄弟から離れることではないのですよね。
そこのところが、僕などからすると、いまいちわからないところなのです。
彼もふくめて団塊世代は、あんがい家族が好きだった。
60年代の団塊世代の若者には、やさしい家族があり、親しい同世代の仲間とのつながりがあったから、そういう集団とは異質な「故郷」という共同体には、少なからず違和感や反発心を抱かせられた、ということらしい。そしてそれが、のちの全共闘運動につながっていった。
ただ、僕個人のことで言えば、親の仕事の関係で小さいころからいつも転々としていたから「故郷」などなかったし、いつもよそ者だったから、そういう土着の「因習」などというものはよくわからなかった。
僕が大学進学で九州の博多から東京に出てきたのは、これ以上親や兄弟といっしょに暮らすことなんかごめんだったし、そうするのがとうぜんのことだと思っていたからです。べつに、東京に憧れたのでもない。
僕だって、家族や同世代の仲間に不足していたわけではないが、親しみなんか、どちらにたいしてもなかった。むしろ、不足がないというそのことが、少々鬱陶しかった。つまり、故郷とか共同体という空間よりも、人と仲良くすることが鬱陶しかった。
さびしい思いがしたかったのではない。さびしいなんて、僕だっていやですよ。ただなんとなく、そういう親しい関係が鬱陶しく、逃げ出したかった。
だから、逃げ出して、さびしさに耐えられなくなって、あっさり「神田川(=同棲)」なんてばかなことを始めてしまった。
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団塊ひとりぼっち」の著者は、団塊世代は、共同体を否定し捨てて移動していった、といいたいらしい。しかしそれは、大好きな家族とか親しい同世代の仲間という集団にたいする帰属意識の上に立ってやったことなのです。
団塊世代の共同体否定なんて、そのていどのことです。「ひとりぼっち」なんていいながら、ちゃんとそういう「仲間」を確保している。仲間を確保しているから、「ひとりぼっち」でいられる。
僕のようなだめな人間は、いつだってひとりぼっちでいられなくて、ばかにされたりののしられたりしながらもつい女にしがみついてしまっていた。
僕は、共同体を否定しない。すべて共同体が正しくて、僕が間違っている。ひとりぼっちじゃいられない人間なんだもの、僕に共同体を否定する資格はない。否定する資格はないけど、鬱陶しくてたまらないから、俺をそっとしといてくれ、とときどき言いたくなるだけです。
60年代に、「ああ上野駅」という歌が流行しました。集団就職で東京に出てきた若者が、故郷の家族を懐かしむ歌です。
集団就職だろうと大学進学だろうと、団塊世代は、いつも家族や同世代の仲間とともにあることの安心に漂って生きてきた人たちです。そりゃあ、そういう安心があれば、「ひとりぼっち」で生きることも共同体にたてつくこともできるでしょう。
それは、そういう歴史のめぐり合わせの中で生まれてきた団塊世代の、ある意味で特権です。そしてそういう特権にあぐらをかいて書かれたのが、「団塊ひとりぼっち」という本らしい。
俺たち団塊世代だもんね・・・軽妙といえば軽妙だけど、終始一貫そんな語り口だから、読むほうとしてはもう、こちらの疎外感をたえず逆なでされているようで、なんか「やめてくれよ」と言いたくなってしまう。
しかし「ひとりぼっち」の人が、こんな本を書くかなあ。