人は旅(移動)をしようとする生きものであるのか

ネアンデルタールのことに戻る前に、縄文時代をもうちょいとつついてみます。
ネアンデルタールとクロマニヨンの連続性と、縄文人弥生人の連続性とのあいだには、共通する部分がたくさんあるように思えるからです。
また、クロマニヨンと縄文人とのあいだにも、閉じ込められて外部との接触がほとんどなかったという社会の構造において、似ているところが少なくないはずです。一方は氷河期の激烈な寒さに閉じ込められ、そして縄文人は、四方を海に囲まれた日本列島に取り残されて生きていた。
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氷河期の1万3千年前までの日本列島は、北海道の北と北九州と沖縄の三方でおおよそ大陸とつながっていた。
が、氷河期が明けて地球の海面が上昇してゆくと、それらのつながっていた部分がすべて水没し、2、3千年後には完全に孤立してしまった。
その日本列島で、縄文人の人口密度が高かったのは、北陸から青森にかけての北の方だといわれています。
それは、氷河期の寒さで北の大陸から南下してくる人が多かったからでしょう。
ここでひとつ、確かめておきたい問題があります。
その南下してきた人たちは、住みよい土地を目指してはるばる旅をしてきたのか、という問題です。
つまり、「移動しようとする衝動」によって南下してきたのか、という問題です。
もともとアフリカにしか棲息していなかった人類がやがて地球上のほとんどすべての地域に拡散していったのだから、「移動しようとする衝動」は人間の本性だ、と安直に規定してしまっていいのでしょうか。
もしそうやって移動しようとする衝動があるのなら、みんなが住みよい土地を目指して、けっきょくは赤道付近に人が集まってしまうことになったはずです。
しかしそうならなかったのは、住みにくい土地でも懸命に住み着こうとするのが人間だからでしょう。
だから、ネアンデルタールのような、とんでもなく我慢強くしぶとい人種も生まれてきた。
ネアンデルタールの祖先が、そんな苛酷な環境を目指したわけでもないでしょう。それでも彼らは、そこに住みついてしまった。
おそらく、住みにくい土地に住むこと、生きがたい人生を生きることにも、それならではのエクスタシーがあるからでしょう。むしろ、そこでこそより深く豊かなエクスタシーが得られる。そういうことがあるからではないでしょうか。
そして、そういう地域からやがて、住みにくさ生きがたさを克服しようとし、住みにくさ生きがたさと和解しようとして、より高度な文明や文化が生まれてくる。より高度な石器を持ってそれを克服してゆくことは、文明であり、和解しようとして芸術文化が生まれてくる。
ヨーロッパクロマニヨンが、人類史上最初に芸術文化を開花させた人たちだとすれば、それは、その当時の人類でもっとも住みにくい土地に住み、もっとも生きがたい人生を生きていたからでしょう。
そして言葉は、生きがたさを克服しようとする道具としてではなく、生きがたさと和解しようとする心の表現として生まれてきた。言葉の本質は、文化としての「表現性」にあるのであって、文明としての(コミュニケーションの)「道具性」にあるのではない。
生きがたさと和解して生きようとしたから人間は、言葉を生み、「神」を発見した。
人間は、生きがたさを克服しようとする衝動だけではなく、生きがたさと和解しようとする衝動も持っている。
人間は、ただ生きやすければいいというような生き物ではないのですね。だから住みにくい土地に住み着いていったのであって、「拡散しようとする衝動」とかいう安直なすけべ根性によるのではない。
いっちゃなんだけど、人類がなぜ氷河期の北ヨーロッパというとてつもなく住みにくい土地にわざわざ住み着いていったのかということをきちんと説明してくれている研究者なんて、僕が知っている範囲では、世界中にひとりもいないですよ。ほとんどの研究者が「それは謎である」と言っているだけじゃないですか。そういう研究者のことを、僕が、「あいつらあほだ」と言ってどうしていけないのか。
懸命に考えようとしている人、説明しようとしている研究者に対してなら、また別の言い方をする。しかし「仮説」を立てるのが仕事である古人類学の世界において、「それは謎である」なんて、思考の怠惰と低脳さ以外の何ものでもないじゃないですか。
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7万年前から1万3千年前までの氷河期のあいだに、大陸から日本列島にやってきた人たちがいた。そしてそれは、北からのルートが多かった。これは、まちがいないようです。だから、縄文人は、北の地域に多く住んでいた。
しかし、北に多くいたということは、縄文人もまた、住みよい土地を求めて移動してゆこうとするような衝動は希薄だった、ということを意味します。そんな衝動があったら、縄文人だって、きっとみんなして南に移動していったにちがいない。
司馬遼太郎氏は、「(そのころの)津軽は、まほろば(理想郷)だった」と言っているが、今も昔も、冬の津軽が住みやすい土地だったはずはないでしょう。
おそらくそれは、住みにくいところに住み着こうとするのが人間だからでしょう。彼らは、この見える景色が世界のすべてだ、と深く認識して生きていた。
最初に大陸からやってきた人たちにしても、はるばる旅をしてきたのではない。その生息域が、どんどんずれて南下してきただけでしょう。
人間は懸命に住み着こうとする生き物であるが、だからこそその息苦しさに耐えかねて群れをとび出してしまうものもかならず生まれてくる。住み着こうとして、集団がどんどん固まって(結束して)ゆく。その力に押しつぶされそうになって、たまらずとび出してゆく。これは、昔も今も変わらない普遍的な人間の習性であり、この習性によって拡散していったのでしょう。
まず、その生息域のいちばん外側に小さな群れが生まれる。すると、他の既成の群れから飛び出したものが、どんどんここに集まってくる。そしてこの群れも大きくなればまた、住み着こうと結束してゆくことによって、飛び出すものを生み出すようになってくる。こういう繰り返しによって、どんどん外にずれて新しい群れが生まれていったからではないか、と思えます。
はるばる旅をしてきた、なんて、とても信じられない。
原始人にとっては、見える景色が世界のすべてだった。人類は、つい数千年前まで、自分たちは数等の象の背に支えられた円盤の上で暮らしていると、本気で思っていたのです。
人類は、住み着こうとしたがゆえに、拡散していったのです。
旅(移動=拡散)をしようとする衝動を先験的に持っていたなんて、そんな安易なことは考えないほうがいい。