漂泊の心性

僕の友人に、仕事がらみで、「日本人の漂泊の心性」に興味を持っている者がいます。
で、僕も、せっかくやまとことばのことを教えてもらったのだから、そのことと縄文人の生活を重ね合わせながら、まあ「日本的漂泊の起源」みたいなことをしばらく考えてみることにしました。
日本人は、客=旅人を「まろうど(まれびと)」として手あつく遇する。
まれびととは、よその世界からやってきた人、という意味らしい。
古来から、旅の僧や旅芸人たちは、そのようにして村人から手あつく迎えられながら、旅を続けてきた。それは、生まれてから死ぬまで一度も「外」に出ない人が多い時代であればあるほど、そうやってもてなされたにちがいない。
ネアンデルタールだって、そうでしょう。彼らは、狩をはじめとして、つねにチームワークで行動していた。にもかかわらず、激烈な寒さの中で、大人も子供もどんどん人が死んでゆく社会だったから、つねに人口の現象におびえていただろうし、減少すれば、群れの暮らしは成り立たなくなってしまう。であれば、どうしたって外の世界からの旅人は、歓迎しないはずがない。
日本人は、漂白する(さすらう)民族なのではない。こんな狭い島国で漂白したって、たかが知れている。漂白する(さすらう)ことにたいする憧れをせつないほどに持っている民族だ、というべきでしょう。したがって、漂白(さすらい)の文化は、旅の僧や旅芸人だけでなく、村人の暮らしそのものにも息づいている。旅をする者も、しない者も、誰もが漂泊(さすらい)に憧れている。
そりゃあ、江戸時代あたりから強化されてきた村落共同体の制度性というのは、いろいろあるでしょう。しかし、もっとむかしの日本人の暮らしを考えれば、村人の暮らしそのものが、すでに「無常感」という時間意識や死生観とともにあったはずです。おそらく「やまとことば」は、朝の道端で出会って「おはよう」と声を掛け合うことそのものに、一期一会の出会いである、という感慨がうまれてくるような構造になっていたはずです。
古代の日本人にとって、「他者」とは、すなわち「まれびと」だった。
「まれびと」の文化。
まれびととは、よその世界からやってきた「人間であって人間ではない」存在であり、だから手あつくもてなされた。そして誰もが「人間であって人間ではない」存在になりたがっていたのだから、同じ村人の「他者」にたいしてだって「人間であって人間ではない」存在として遇しようとする態度を、おたがいが持ち合おうとしていったはずです。
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で、「人間であって人間ではない」存在の象徴として、「天皇」が崇められていった。
天皇は、「人間であって人間ではない」ところの「まれびと」であり「神」であった。
軍神乃木希典、とか、日本では、かんたんに人が「神」になってしまう。それは、誰もが「神」になりたがっていたし、「神」とは「人間であって人間ではない」存在だったからでしょう。日本では、「神」は人間なのです。
欧米では、こうはいかない。キリストでさえ、「神(ゴッド)」ではない。
まあ、人間が神になれる社会となれない社会との「差別意識」の違いというのは、すでにどこかで語られているのだろうが、日本ではなぜかんたんに人間が神になってしまうのかという構造については、いったいどこまで問われているのだろうか。
「まれびと」の文化の光と影。
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日本人の神は「人間であって人間ではない」存在であり、したがって人間は神になれると同時に神になれない。そうして日本人は、神になれないと絶望しつつ、神になりたがっている。
死者は、人間であると同時に、もはや人間ではない存在である。ゆえに、死者は神である。まあ、そんな思考回路で、人間がかんたんに神なってしまうのでしょうね。
「まれびと」は、「神」であると同時に「さすらいびと」でもある。であれば、神になりたがっている日本人の誰もが、「さすらいびと」にもなりたがっている。「さすらいの文化」ではない。「さすらいに憧れる文化」なのです。
日本人は、さすらいびとになることに絶望しつつ、さすらいびとになりたがっている。
「幾山河 越え去りゆかば さびしさの 果てなむくにぞ 今日も旅ゆく」なんて、憧れの歌ですよね。さびしいのがいやだったら旅なんかするな、と突っ込みたくなるところです。
「漂泊」というのは、中国語なんでしょうかね。「漂う」なんて、まさしく「這う」イメージではないか、と思えます。
「白鳥は 悲しからずや 空の青 海の青にも 染まず漂う」・・・いい歌なのか、たいしたことないのか、よくわからないけど、なんか、日本人の「神」のイメージを表現しているようにも思えます。この漂う感じは、「這う」感じでもあり、「自然であって自然ではない」=「人間であって人間ではない」感じが、すなわち日本人の「神」なのではないでしょうか。
盆栽や日本庭園のエスプリは、まさに「自然であって自然ではない」というあんばいにある。日本人にとっては、盆栽は、ひとつの「神」であるらしい。だから、あんなしみったれた趣味のものに、ばか高い値段がついたりする。そして神であると同時に、さすらう旅の表現でもある。さすらう旅を、庭の隅でこさえあげ、床の間に置いて楽しんでいる。さすらい人だけが知っている深山幽谷の眺めを、どこにもいけないじじいがせっせと庭の隅でつくっている。それが、盆栽の精神(エスプリ)ってやつなのでしょう。
西行の「願わくば 花の下にて 春死なむ・・・」となれば、まあ名歌なんでしょうけど、このようにして日本人は、さすらいそのものよりも、憧ればかりを歌ってきたのではないでしょうか。さすらうことのできない島国だから、生きてあることそれじたいや言葉の文化を、「漂泊(さすらい)」として昇華(デザイン)していった。
ややこしくなってきたので、このへんでやめます。これ以上書くと、へりくつの袋小路に迷い込みそうです。
あしたからは、縄文人、という原点に戻って考え直してゆきます。