団塊世代の結婚

僕は、団塊世代の男たちにたいして違和感というか疎外感のようなものを感じていたのですが、試しに女の悪口を書いてみたら、この問題はもっと奥が深いぞ、とあらためて思い知らされ、すこし驚いています。
で、もうちょいと続けてみます。
団塊世代の上の世代は、戦争中の生まれだから、極端に人数が少ない。
一番多い世代と一番少ない世代がくっついて連続してしまった。
だから、団塊世代の女たちのちょうどよい結婚相手が不足してしまったため、彼女らの中には、同年代や年下の男と結婚する者も多かった。
そうして社会から、友達夫婦、という呼ばれ方をした。
ここまでは、さまざまな団塊世代論でよく言われているところです。
しかし、友達どうしのような、ということは、女が主導権を持つことが多い、ということです。
同じ世代なら、早く成長する女のほうが大人っぽいですからね。どうしてもそんな関係になってしまう。
であれば、女が男を捨てるようになったのはとうぜんのことだし、僕のようにいつも女から馬鹿にされたりののしられたりしていた男もけっこういたのかもしれない。そうたくさんではないでしょうけどね。僕はよく、男友達から、おまえはよほどろくでもない女ばかりとつきあってきたのだなあ、といわれたりしたものです。
たしかに、僕にとっての団塊世代の女は、ろくでもない女ばかりだ、という印象がある。
そりゃあ、いい女はいくらでもいますよ。しかし彼女らは、同世代の男ばかり見て育ってきたから、男を馬鹿にしているところがある。そして僕なんか、その同世代の男より、さらに馬鹿で幼稚だったのですからね。そりゃあ、ののしられても仕方はないのです。
もともと団塊世代は、男も女も同世代の仲間だけと遊んで育ってきた。地域社会のいろんな年代の子が混じった集団よりも、学校での同世代のグループとばかり遊んでいたのです。
だから女にしても、年上の男とつきあうのが苦手なところがあった。年上の男に憧れて胸をどきどきさせるよりも、同世代と仲良く語り合うほうが楽しいし、気が楽だ、そんな気分だったのでしょうか。
そして男だって、異世代の子供と遊ぶというトレーニングをしてきていないから、年下の女を敬遠するようなところがあった。
男も女も、まあそんなような傾向は、確かにあったのです。
というわけで、団塊世代の女が同世代で結婚することが多かったのは、単純に上の世代の男が不足していたからというだけの理由ではないのです。
彼女らは、べつに男にあぶれて同世代の男と結婚していったのではない。
下の世代からの団塊批判を読むと、まるで、団塊男は同世代のもてない女にたらしこまれて結婚した、みたいな論調になっているのだが、けっしてそうではない。
むしろ、いい女から先に同世代の男と結婚していったのです。
そういう男に不自由しなかった女だからこそ、結婚生活の主導権をもちたがるのだし、平気で男を捨てもする。まただからこそ、男の将来性を吟味するよりも、成り行きやなんとなくの相性や見てくれのよさなどで選んでしまうから、後で後悔することになる。
そうして男にしても、売れ残りではない女とくっついていったからこそ、女に歩調を合わせて「ニューファミリー」の家族ゲームに熱中していったのでしょう。
とにかく、団塊世代の上の男たちはよりどりみどりだったかといえば、べつにそんなことはない。僕のまわりでは、売れ残りそうな女が年上の男とくっついてゆくことのほうが多かったくらいです。そして、上の世代の男はライバルが少ないからわりと出世しやすい面があり、そういうかたちで「残りものの福」を拾ったあまりきれいでない団塊奥様は、けっこう多いのです。
男であれ女であれ、同世代と恋ができなければ、結婚からあぶれてしまう。そういう変な世代だったのです。単純に、世代の人口比がどうのという問題ではない。
まあ団塊世代の女の多くは、そういうわけで、あまり男にたいして胸をときめかせるという体験をしてきていないのです。ときめきよりも、仲良く語り合うことの愛と幸せ、そんな世界に充足していこうとして「ニューファミリー」の家族ゲームに熱中していった。
まあね、同世代とつるんでいてばかりいたら、そんなものしか得られないし、そんなものばかり願うようになってゆくだけでしょう。
そういう世界観を振り回してくる女が、団塊世代には、もううんざりするくらいあふれている。