やまとことばという日本語・「咲きはふ」

現代の万葉学の権威であるらしい中西進氏は、古代において「さく=咲く」とは「幸せ」という意味であった、といっておられます。
「咲きはふ」=「さいわい」=「しあわせ」、古代人はそういう心の動きをもっていたのだとか。
何いってるんだか。
それは、ことばは時代とともにそういうふうに変化してきた、というだけのことであって、古代人が「さきはふ=しあわせ」というイメージを持っていたわけではないはずです。
古代に「幸せ」などということばはなかったし、それは、古代人に「幸せ」などという概念はなかった、ということを意味する。
「さきはふ」は「さきはふ」、花が咲き満ちることをいっているだけだ。古代人がそこからどんなことを想像していったかは、「しあわせ」などということではない。
「しあわせ」なんて、現代人がいじましく執着しているだけのものであって、人間の根源的普遍的なイメージでもなんでもない。「しあわせ」なんて、つい最近できたことばじゃないですか。
「し・あわせ」、「し」は「孤立」「静寂」の語義。「あわせ」は「合わせ」、独りぼっちの人間どうしが寄り添うことを「しあわせ」というのでしょう。
人間と人間がくっつくことを「しあわせ」という。
共同体は、人間と人間をくっつけ、まとめて支配していこうとする。「しあわせ」は、共同体の要請によって生まれてきたことばでもある。
また、人類の歴史において、共同体の制度が発達してくると、個人の疎外感が強くなり、自我(自意識)が肥大化してくる。その疎外感が、人と人を必要以上にくっつきあったりいがみ合ったりする関係にしてゆく。これが、「近代意識」のひとつのかたちでしょう。
そうして、さびしいものどうしが寄り添い合う「しあわせ」という概念が止揚されてゆく。
しかし古代において止揚されていた人と人の関係は、ちょうどよい「すきま」をあんばいしてゆくことだった。
たとえば、古代の男と女の関係は、男が外をほっつき歩いて、女は家を持って子供を育てる、という「通い婚」だった。つまり彼らは、そういうかたちで、男と女のあいだにちょうどよい「すきま」をつくっていた。
「しあわせ」ということばがさびしさを否定してさびしさから逃れようとしているのだとすれば、「すきま」を止揚(祝福)していった古代人は、さびしさそのものからカタルシスを汲み上げてゆく心の動きを持っていた。
それが、時代を経るにつれ、男女が恒常的に同居して一夫一婦制の家族をつくってゆく、というかたちに変わってきた。「しあわせ」ということばは、そういう制度の強化の上に生まれてきたのであって、古代人が後生大事に抱えていた夢でもなんでもない。
したがって、古代の「咲きはふ」ということばに「しあわせ」などという意味はなかったはずです。
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字の並びが似ているからといって、ほんとに「さきはふ」が「さいわい」になったのかどうかわからない。
学者とはじつにくだらないこじつけを平気でする人種だということは、折口信夫の書いたものを読んで、よくわかりました。あの折口信夫ですら、そういう薄っぺらな言葉遊びを平気でしている。
「さきあい」が「さいわい」になったのでしょう。しかし、「さきはふ」の「はふ=這う」と、「さきあふ」の「あう=合う・会う」は、ぜんぜん違う言葉です。それは、「空間」と「物質」くらい違う。
「さいわいにもうまくいった」といえば、その「さいわい」は「結果的によかった」というようなニュアンスでしょう。「さいわい」とは、「うまくいく」ということです。つまり「先で合う」、あるいは「先で会う」、「結果的にうまくいく」ということ。
キリストの「貧しきものはさいわいなり」ということばだって、そういうニュアンスでしょう。
それは、花が咲き満ちることとは、ぜんぜん別のニュアンスなのだ。
また「咲き合う」とは、たとえば、「桜と梅が咲き合う」とか、そういうように使われていたのであり、そこからさびしいものどうしが寄り添い合う「しあわせ」につながっていったということはありうる。「さきあひ」が「さいわい」になったのでしょう。
中西氏は、「さきはふ」と「さきあふ」を混同している。
ようするに人生がうまくいくことを「しあわせ」というのでしょう。でも、古代人が「さきはふ」といったのは、そういう意味ではない。
中西氏は、「さきはふ」ということばの意味や感慨をわかっていない。
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「咲きはふ」の「はふ」は、「這う」。「這う」は、語源すなわちやまとことばの性格を考える上で、とても重要なことばだろうと思えます。
動けなかった赤ん坊は、「這う」ことを契機に歩けるようになってゆく。
ただの動かない「物体」であった赤ん坊が、「這う」ことによって「空間」を獲得してゆく。空間的な存在に変わってゆく。
「這う」ことは、「すきま」に入ってゆくことである。
茶室は、這う姿勢になって入ってゆくようにできている。
お辞儀をする姿勢は、「這う」姿勢である。昔の人のお辞儀の姿勢は、今よりはるかに深かったし、座って額を畳にこすりつけんばかりにするときはもう、「這う」姿勢そのものだった。
それらは、「這う文化」なのだ。
古代人にとって「舞う」ことは、「這う」ことだった。日本列島の舞は、伝統的に足を高く上げたり飛び上がったりしない。立っていても足は、地面を這っている。能の舞を見れば、よくわかる。そして「ナンバ歩き」とは、這うように歩くことだ。
「ま」は、「充足」の語義。「まったり」の「ま」。「這(は)う」ことの充足・充実を、「舞(ま)う」という。
「咲きはふ」ことが充足・充実すれば、「咲きたまふ」という。「たまふ」とは、「立(た)ち舞(ま)う」こと、すなわち神の気が下りてきて地上にしみわたる(=這う)こと。古代人は、そのような感慨の表現として舞っていたのだ。
満開の桜は、花々が枝を「這う」ように咲き満ちている。だから、「さきはふ」というのだろう。
花畑だって、「咲く」が這っている気色だ。
神の気が地上にしみてゆく(這ってゆく)ように花畑があらわれている。
満開の桜や花畑は、「土=地面」という物体ではない。その物体の上にあらわれた「空間」のかたちなのだ。
満開の桜や花畑が持つ「空間性」、それを「さきはふ」といった。
花の数だけ「すきま」という空間がある。花が咲き満ちることは、「空間」の色やかたちがあらわれることだ。
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人間は、空を飛べない。であればもう、地上を「這う」かたちで「空間」を獲得してゆくしかない。
計測することを、「はかる」という。
「は」は、「這う」の「は」。古代人は、地上に縄やひもを押し当てて(這わせて)広さや長さを計っていた。
「かる」は「離(か)る」、「離れる」とはすなわち「空間」のこと。そのとき古代人は、土を計っていたのではなく、その上に家や田畑や古墳などが現れる「空間」を計っていたのだ。
「這う」とは、「空間」に入ってゆくこと。「「空間」に気づいてゆくこと。だから「は」は、「はかない」の「は」でもある。「はかない」とは、広さや長さを測ることができないくらいたよりないこと。
「は」は、空間に気づいてゆく感慨からこぼれ出た音声。
「空間」に気づいてゆくことを「這う=はふ」という。
古代人は、「さきはふ」ということばから「しあわせ」などといういじましい概念をイメージしていたのではない。もっと具体的で、もっと深いところを思っていたのだ。
「さきはふ=しあわせ」だなんて、そんな読者を甘く見るような物言いはやめてくれ、といいたい。それとも、中西氏自身がそのていどだ、ということだろうか。