やまとことばという日本語・「なる」の「な」は、親愛の語義

「柿の実がなる」、というときの「なる」に、あなたはどういう語感を抱きますか。
「やまとことばの人類学」を書いた荒木博之氏は、この「なる」は「無から有が生じる」ことをあらわしている、と説明してくれています。
そうだろうか。
僕は、このときの「なる」に、そんな語感を感じたことはない。
柿の木に柿の実が「なる」ことは、最初から決まっていることです。それは、柿の木の「運命」です。
柿の木には、春のまだ葉っぱだけのときでも、すでに柿の実が隠されている。そこに柿の木があるということは、そこに実がなっているのと同じです。われわれは、その木が秋になって実をつけるであろう眺めを、春のうちからすでに想像してしまっている。その木があるということは、すでに実がなっているのと同じです。
日本列島の住民は、実がなっている前からすでに実がなっていることを、すなわちそこに実が隠されていることを感じてしまう。
すべてのものに「神」が隠されている……これが、日本列島の自然観です。
そして実がなれば、「隠れていたものがあらわれた」と思うだけです。
「無から有が生じた」なんて思わない。
柿の木には、柿の実が隠されている。まだ実がなっていないのは、「無」ではなく、「隠されている」だけだ。
僕はもう、ほんとにそう思う。
したがって、「柿の実がなる」というときの「なる」には、「隠れていたものがあらわれる」、あるいは、ただ「柿の木に柿の実がくっついている」と思うだけです。
僕は原始人だから、「無から有が生じる」なんて、ぜんぜん思わない。
えらい学者先生は、たとえば「水呑み百姓の子せがれが豊臣秀吉という天下人になる」というような文脈で「柿の木に柿の実がなる」の「なる」を解釈するのだろうが、われわれは、秀吉は水呑み百姓の子せがれのときからすでに秀吉だった、と思っている。その水呑み百姓の子せがれは、すでに「秀吉」を隠し持っている、と。
それは、なるべくしてなった「運命」であったのであり、「無から有が生じた」なんて思わない。
それが、日本列島の歴史における、庶民の心の動きなのだ。
日本列島の庶民は、「運命」をおそれ、「運命」を受け入れている。「無から有が生じる」などということはない、と思っている。自分が運命をつくれるなんて思っていない。
「柿の実がなる」とは、「柿の木に柿の実がくっついている」、それだけのことじゃないか。それだけのことだがしかし、そこにこそ、日本列島の住民の伝統的な世界観・自然観が隠されている。
「無から有が生じる」なんて、われわれは、そんな立身出世の物語なんか連想しない。荒木先生、あなたの思考は、卑しい。まあ、世の中の大人は、たいていそんな思考回路を持っている。あなたの思考は、陳腐だ。その薄っぺらな脳みそでは、古代人の世界観・自然観はわからない。
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荒木氏はまた、「なる」には「可能」という意味もある、という。
つまり、「できる」ということ。
「出来る(できる)」の語源は、「いでくる」「でくる」。
「いでくる」とは「無から有が生じる」ことだ、と荒木氏はいうのだが、そうじゃないでしょう。それこそ、「隠されていたものがあらわれてくる」ことのはずです。
「出来る(できる)」とは、「出て来る(=あらわれてくる)」こと。
「できる」ことは、「無から有が生じる」ことではない。それは、西洋の世界観なのだ。
柿の木には柿の実が隠されている。だから、柿の実が「なる」のだ。
「なるほど」とは、疑問が解けること、すなわち「隠れているものがあらわれる」ことであって、未知のものを新しく知らされることではない。
「なるべくそのように取り計らってくれ」というときの「なる」は、隠れているものを隠さないことを願っているのであって、できないことをやれといっているのではない。
「鳴(な)る」とは、隠れている音があらわれることだ。誰だって、鐘には鐘の音が隠されていると思っている。鐘を撞いて、猫の鳴き声があらわれてくるはずもない。
「隠れているもの」に気づいてゆくことこそやまとことばのタッチであり、それこそが原初において言葉が生まれてくる契機だったのだ。
「なる」は、なるべくしてなること。隠れているものがあらわれてくること。荒木氏のいい方をを借りれば、「なる」ということばには、「必然」「運命」という意味が隠されている。
古代人には、未来のスケジュールにあくせくして生きている現代人と違って、未来のことはわからないという深い「嘆き」があった。だからこそ、いまここに隠されてあるものに対する親密な視線を持っていた。「なる」ということばも、そこから生まれてきた。
わかりますか、荒木先生。古代人は、「可能性」をうんぬんするような、現代的であさましい未来に対する欲望は希薄だったのですよ。
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「な」は、「愛着」「親密」の語義。原因と結果が親密な関係にあることを「なる」という。
「な」と発声するとき、体の中がやわらかくほぐれてゆくような心地がする。
「なつく」「なれる」は、人や事柄に親密になってゆくこと。
「なさけ」とは、開かれた(=裂けた)心、すなわち親愛の情。
「波(なみ)」は、水と水がじゃれあっているように見える。
「なまり」とは、土地に密着したしゃべり方。
やまとことばは、一音一音に固有の意味と感慨が含まれている。
「な・ま・り(る)」、ことばの起源は動詞が先で名詞はそのあとに生まれてきたはずだから、「なまる」が語源でしょう。
「な」は「愛着」。「ま」は「充足」、「ま」すなわち「間」、たとえばお母さんの腕のあいだに抱かれてある赤ん坊の「充足」の感慨。「ま」ということばには、生まれ育った土地という意味が隠されている。「る」は、動詞の接尾、行為および現象の完了。
「なまる(り)」の語源は、生まれ育った土地に対する愛着という意味からさらにさかのぼって、ゆったりとした親しみ、すなわち「安心すること」をいったのかもしれない。「なま」という言葉の原初的な語感は、「親しくなじんでゆく」ということにあったはずです。
ほっとすること、それは、何かが終わることであると同時に始まることでもある。だから「生(なま)る」、すなわち新鮮な体験や事柄に対する親しみの感慨の表出にもなった。たとえば新しい家に住むことや新しい服を着ることや新しく人と出会ったことのよろこび。
もともとの「なま」ということばに、ネガティブな意味はおそらくなかった。
柿の木に柿の実が「なる」とき、隠れていたものがあらわれてほっとする。うれしくなる。このときの「なる」には、そういう感慨がこめられている。日本列島の住民は、そういう感慨を共有しながら「なる」ということばを流通させていったのであって、「無から有が生じる」などというしゃらくさい「意味」を共有していったのではない。
ことばの起源は、「感慨」を共有することにあるのであって、「意味」を伝達することでも共有することでもない。「意味」はすでに共有されているところからことばが生まれてくる。ことばが地域によって違うということは、そういうことなのですよ、荒木先生。
「泣(な)く」は、対象に対する愛着ゆえに起こる悲しみや苦しみを表出する行為。「く」は、息が詰まるような発声。
日本列島の古代人は、泣くことは「愛着」の表現だと思っていた。
それに対して西洋では「クライ=暗い」という語感でその行為を表現する。頭が混乱してわけがわからなくなってしまうことを「クライ」というのでしょう。
しかしやまとことばでは「な」という愛着の音韻で表現されているということは、その語源においては、もらい泣きをすることも含めて人に対する親愛の情から起こる行為だという感慨があったことを意味している。
「もらい泣き」することは、人と人の関係の根源的なかたちのひとつです。何も知らない赤ん坊でも、もらい泣きをする。
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「奈良(なら)」という地名を語源までさかのぼれば、「人がたくさん集まって仲良くしているところ」ということになります。「ら」は、「かれら」「われら」の「ら」、「集合」の語義。
このことばは、たぶん弥生時代に生まれてきた。
古代の奈良盆地は、圧倒的にというか、奇跡的に人口密度が高い土地だった。
縄文時代から弥生時代にかけて、多くの男たちは旅をして暮らしていた。そんな男たちも、まわりをたおやかな姿をした山々に囲まれた景観のこの土地に立つと、もうどこにも行きたくない気持ちにさせられた。そうして女たちも、この土地に家を建てて住み着くようになっていった。
奈良盆地は、ほかのどこよりも古代人の心をひきつけてやまない景観を持った土地だった。彼らが奈良盆地のことを「まほろば(理想郷)」といったのは、うまいものがたくさん食える住みよい土地だったからではない。もう泣きたいくらいすばらしい眺めの土地だったからだ。山には「神」が宿っている。「われわれは神に抱かれてこの地に立っている」という感慨、その感慨を共有してゆくことによって、人と人のあいだに親しみが生まれ、大きな集団をつくって住み着いてゆく契機になっていった。
旅をして暮らしていた古代人を奈良盆地というひとつの土地に住み着かせたのは、「政治」でも「食い物」でも「気候」でもなかった。人と人が親密な関係をつくってゆける土地だったからだ。そんなこと、あたりまえじゃないですか。そうやってたくさんの人が集まり住み着いてゆく土地だったから、やがてそこに大和朝廷という共同体が生まれてきたのだ。
大和朝廷は、よその土地からやってきた権力集団が打ち立てたとか、お願いだから、もうそんな幼稚でくだらない物語をでっち上げて知ったかぶりするのはやめにしていただきたい。
少なくとも古代においては、人と人が親しみあって生きてゆける土地だから人口密度が高くなってゆくのであって、政治の力や食い物を餌に古代人を一ヶ所に集められると思っているのだとしたら、おまえらみんなあほだ。
氷河期の最盛期だった2万年前において、地球上でもっとも人口密度が高く、もっとも文化の水準が高かったのは、氷原に接した北ヨーロッパだったのですよ。人間が住み着こうとすることの契機としてそのことが何を意味するのか、学者先生も少しは考えてみてくださいよ。
人類が地球の隅々まで住み着いてゆき、共同体という大きな集団が生まれてきたのは、人間の歴史は親しみあって暮らせるということを第一義の問題としていとなまれてきたからですよ。政治や食い物や知能の問題で人類の歴史を語ろうなんて、俗物どもが、何をくだらないことをほざいていやがる。
ネアンデルタールが氷河期の極寒の土地に住み着いていったのは、極寒の土地であればこそ身を寄せ合い親しみ合って暮らすことのよろこびがあったからだ。それ以上の契機など何もない。
まほろば」とは、景色がすばらしい土地、という意味です。「ま」は「充足」「よろこび」。「ほ」は「見晴らし」、「やっほー」の「ほ」。「ろ」は「完結」の語義。「ば」は「場所」の「ば」。すなわち「まほろば」とは、「ここが世界のすべてだ」という感慨に浸される土地、という意味です。奈良盆地の人びとは、そういう感慨を共有しながらそこに住み着いていった。
「な」は、親愛・親密の語義、人間存在の根源に、そういう願いが疼いている。