やまとことばという日本語・「よしの」の桜

「よしっ!」といってガッツポーズをする。
「よし」は、げんみつには「よい」という意味ではない。何かが成し遂げられたこと、完了したことの安堵や達成感をあらわすことばです。
「あおによし」という「奈良」にかかるまくらことばの「よし」も、「よい」という意味ではない。「あおに」という状態が定着している、あるいは広がり満ちている、というような意味だったのだろうと思えます。
では、「あおに」とは、どういう意味かといえば、よくわかりません。「青丹(あおに)よし」と表記されることが多いが、万葉以前の語源のところまでさかのぼれば、ただ単に「あおに」と発声する感慨があっただけでしょう。
「あ……」と気づく感慨がある。
「お……」というおどろきがある。
「に」は、「煮る」「似る」の「に」。「接近」の語義。なれなれしい笑い方のことを「にやりと笑う」という。
「あおに」とは、「まったくもって」というような納得の感慨のことをいったのかもしれない。あるいは、山の青さが心にしみてくる、といっているのだろうか。
いずれにせよ、ここでいう「よし」は、自然や神に対する最終的な感慨を意味することばだったはずで、「あおによし」が「奈良」にかかるまくらことばであるということは、「ここには神のありがたさが広がり満ちている」というような感慨の表出であるのだろうと思えます。
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奈良盆地の南の丘陵地帯を「吉野(よしの)」という。
「野(の)」は、丘陵地帯のこと。
では、この場合の「よし」は、どういう意味か。
「よ」は、「寄(よ)る」「世(よ)」「夜(よ)」の「よ」。「移動」「変転」の語義。世間は移り変わってゆく。昼間が移り変わって夜になる。
というわけで、「よ」には、「旅」という意味もある。
「し」は、「しーん」の「し」、カタストロフィー(消失点)、「孤独」「静寂」「終結」の語義。
「吉野(よしの)」の「よし」は、「旅の終わり」という意味だろうと思う。
奈良盆地から逃げ出してきた人の多くが、この地に住み着いた。
吉野は桜の名所だから、そういうことも古代人がここに住み着く契機になったのかもしれない。奈良盆地の都びとが桜の山を見に出かけることもしただろう。
長野のようにとくべつ急峻な山岳地帯でもないし、狩の獲物も多かったから、山歩きの醍醐味を満喫できるところだったのかもしれない。
縄文人のほとんどは、山で暮らしていた。平地で農耕生活をいとなむようになったのは、弥生時代になってからです。
平地で農耕生活をすれば、人が増えて共同体が生まれてくる。そうして、さまざまな制度によって個人を縛るようになってくる。そういうときに、やっぱり山で暮らしたい、といって共同体を逃げ出す人はとうぜんあらわれてくる。大和朝廷に対する「まつろわぬ(服従しない)もの」のさきがけです。
吉野や十津川の人は、今でも独立心が強く、権力にひれ伏すことを潔しとしない傾向がある。中世の京都を追われた吉野の南朝に殉じた楠正成の話は有名だが、江戸時代の十津川村は独立自治が許されていたそうで、明治維新のときの舞台にもなっている。
「吉野(よしの)」は、いろんな意味で、古来から「旅の終わり」の場所だった。
西行が「(吉野の)花の下にて春死なむ」と歌ったのは、象徴的だ。吉野は、旅の終わりの「カタストロフィー=カタルシス」をもたらす場所だったのだ。
また、古代の山伏は、吉野と東北の羽黒山を往還して修行していた。そのために吉野には、東北なまりの方言を持っている地域があるらしい。