あおによし・「天皇の起源」73


枕詞について考えてみる。
古代人はなぜ枕詞が好きだったのかということをちゃんと問われているだろうか。
そして枕詞のほんとうの機能は解き明かされているだろうか。
一般的にはあってもなくてもよい飾り言葉のようにいわれたりもするのだが、何かそれをかぶせたくなる古代人なりの切実な感慨があったはずだ。そこにも、彼らの世界観や生命観が潜んでいるような気がする。
あおによし 奈良の都
あしひきの 山
たらちねの 母
これらの枕詞は、後世には、何か後ろの言葉を修飾する意味があるといわれるようになってきたのだが、どれも怪しげな解釈ばかりで、けっきょくは「現代人にはもう意味のよくわからない言葉である」という解釈で落ち着いている場合が多い。
たとえば、「あおによし」は奈良が「青丹(あおに)」という顔料がたくさんとれるところだったからとか、「あしひきの」は足を引きずりながら山を登るからとか、「たらちねの」は文字通り「垂乳根」だからとか、そういうことはあくまで後世の研究者のこじつけにすぎない。
古代の人々は、そんなふざけ半分みたいない意味づけを面白がりながら後生大事に枕詞を伝えていったのか。
そうではあるまい。
三流タレントのギャグのような意味づけなど半年で消えてゆくのが世の常だ。そんな他愛ない意味のおかげで枕詞が今日まで生きながらえてきたのか。
それでは古代人を甘く見過ぎている。人間をなめている。
枕詞という歌づくりの作法を定着させていった彼らの言葉に対するセンス、世界観、生命観がある。現在流布している枕詞の研究書は、そういうことがちゃんと問われているだろうか。



まず、具体的に考えてみよう。
「あおによし」は奈良が青丹(あおに)の産出地だったからだなんて、まったくいいかげんなこじつけだ。そうだったら、そう言い継がれてきている。そうしていまごろ奈良では、子供でも知っている常識になっていることだろう。
奈良の人々は、それを自分たちのアイデンティティとするほどにことさら深く青丹を愛し続けてきたのか。
べつに青丹は奈良にしかなかったわけではないし、それが奈良の奈良たるゆえんになっていたわけでもあるまい。
「あおによし」と発声する感慨がある。そこのところがが、現在までの枕詞研究ではまだ問われていない。
「あお」は「青空」の「あお」、「あ」も「お」も、はるかな感慨から発声される。「あ」と気づき。「お」と気づく。そして「ああ」と嘆き、「おお」と驚く。
語源としては、はるかに遠いものを「あお」といったのだ。それが、古代以前の人々の「あお」という音声を発する感慨だった。彼らにとっては、「海の青」も「空の青」も「はるかに遠いもの」であり、それを見る「かなしみ」も込めて「あお」といった。
「よし」の「よ」は「寄る」の「よ」、「接近」の語義。
「し」は「しーん」の「し」、「静寂」「孤独」「固有性」の語義。
「よし」は、気持ちがひとつに定まってゆくこと。
「あおによし」とは、はるかに遠い奈良盆地に対する想いひとつで胸がいっぱいになってゆくこと、すなわちそこには旅人の奈良盆地に対するやみがたい望郷の念が込められている。
そういう言葉の「姿」というものがある。
一般的には、現代語訳にするとき基本的に枕詞は無視してもよい、というということにもなっているらしいが、ほんとにそれでいいのだろうか。
枕詞は、ほんとに無意味なただの飾りだろうか。



万葉集でいちばん有名な「あおによし」の歌は、これに尽きる。
・・・・・・・・・
あおによし奈良の都は咲く花の匂ふがごとく今盛りなり
・・・・・・・・・
九州大宰府の地から故郷の奈良を想う望郷の歌である。
枕詞の原型は祝詞の序詞にある、ともいわれている。つまり前置き、だから初期のころは必ず歌の頭に置いていたのだが、のちに途中から出てくる歌も生まれてきた。
まあ、序詞でもかまわない。それにしたがえば、この歌は「望郷やみがたし、奈良の都は咲く花の匂うがごとくいま盛りなり」と読むことができる。
これでは作者が表現しようとしていたこととは違ってくるだろうか。違わない。おそらくこれこそがこの歌の正味の姿なのだ。
「あおによし」というやみがたい望郷の念こそこの歌の主題であり、のうてんきに奈良の都を賛美しているだけの歌ではない。「あおによし」と語りはじめることこそこの歌の魅力であり、この枕詞がなければ名歌として現在まで語り継がれてくることもなかったにちがいない。
枕詞は、たとえ歌の序詞であったとしても、歌の主題でもあるのだ。
まあこの歌の作者である小野老(おののおゆ)は、ひとことではいえない胸に溢れるさまざまな望郷の念をこの「あおによし」という五文字に込めたのだ。そしてそれに誰もが「なるほど、そうか」と納得できる社会だった。
枕詞は、ただの飾り言葉だったのではない。そしてそれが表現する感慨の姿は、次の言葉だけではなく、歌全体を覆っている。



他にもいくつか、「あおによし」の歌を万葉集の中から挙げてみよう。
・・・・・・・・・・
あをによし奈良の家には万代(よろずよ)に我れも通はむ忘ると思ふな

あをによし奈良の都にたなびける天の白雲見れど飽かぬかも

あをによし奈良の都に行く人もがも 草枕 旅行く船の泊り告げむに

あをによし奈良の大道(おほじ)は行きよけどこの山道は行き悪しかりけり

あをによし奈良の都は古(ふ)りぬれどもと霍公鳥(ほととぎす)鳴かずあらなくに

あをによし奈良にある妹が高々に待つらむ心しかにはあらじか

あをによし奈良の人見むと我が背子が標(しめ)けむ黄葉(もみぢ)地(つち)に落ちめやも
・・・・・・・・・
すべて、奈良から遠く離れた地からの望郷の歌である。二番目の「あをによし奈良の都にたなびける天の白雲見れど飽かぬかも」という歌も、「あおによし」から「やみがたい望郷の念」を読みとらなければただののうてんきな奈良賛歌になってしまう。しかしこれは、朝鮮の新羅に派遣されていった人の歌なのである。
つまり、すべてが「あおによし」が主題の歌なのだ。奈良盆地の住民がのうてんきにお国自慢している歌などひとつもない。「あおによし」は、ただ「奈良」という言葉を修飾しているだけの言葉ではないのだ。
「故郷の奈良に対するやみがたい望郷の念」を読みとらないで、どうして「あおによし」という枕詞の解釈になり得ようか。
心が、そのはるかに遠いものを思うかなしみ一色に染まってゆくことを、「あおによし」という。
「青丹(あおに)がとれたから」とか、枕詞はそんな他愛のないただの無駄な飾りだったのではない。千字費やしてもまだ書きつくせない思いをこの「あおによし」という五文字が表してくれているのだ。



枕詞は祝詞の序詞から生まれてきたということで、世の研究者たちは、枕詞は祝福賛美する言葉である、という解釈にこだわる。「あおによし」は「奈良」を賛美している、と。したがって最初の引用の小野老の歌は、作者の略歴やつくられたいきさつの知識がなければその望郷の念は読み取ることができないのだとか。
しかし、誰がそんな手前勝手な歌のつくり方をするものか。そんな舞台裏の知識など知らなくても当時の人々は、それを聞いてたちまちそのやるせない感慨を読み取ったのだ。
「あおによし」という枕詞に「奈良」を賛美する意味などない。
世の研究者たちはもう「意味」を詮索することばかりしているから、なおさら「あおによし」から「やみがたい望郷の念」という感慨を読み取ることができない。これは、こじつけでもなんでもない。「あおによし」という音声はそういっているようにしか聞こえないし、ほんとは誰もが無意識のところでそれを感じている。だから日本人は「あおによし」という枕詞が好きなのだ。
とはいえ、現在の研究者ばかりを責めてもしょうがない。この「言葉の意味に引きずられてしまう」傾向はすでに平安時代からはじまっていて、「枕詞とはただの決まり文句(常の詞)である」といわれたりしていたらしい。
だいたい「枕詞」という言葉自体が平安時代からのもので、初期万葉集のころは、それが特殊な表現技法だという自覚もないから、呼び名もなかったらしい。つまりただの飾りでもなんでもなんでもなく、それ自体が大切で独立した言葉だった。
日本列島の住民の言葉の使い方も、平安時代にはすでに「意味」偏重の意識になってきていた。
共同体の制度が発達して、そういう世の中になっていった。
そして、大陸文化の思考が知識層の教養として定着していったということもあるのかもしれない。
漢語は、漢字という文字の上に成り立った「意味の表出」の言葉である。
それに対して古代以前のやまとことばは、音声そのものがまとっている「感慨の表出」の機能が大きい言葉だった。そういうやまとことばほんらいの性格から枕詞が生まれてきた。
「あおによし」という文字から意味を汲みとろうとするなら、とうぜん「青丹(あおに)」という解釈も生まれてくる。
平安時代になればもう、「あおによし」という音声がまとっている感慨のニュアンスをまるごと抱きすくめるように感じ取る、という原初的な感性はすでに薄れてきていた。
そしてそれ以後言葉を研究する知識人はみな、「意味」を詮索することばかりに躍起になっていった。
やはり仏教伝来以後、いろんな意味で日本列島の住民の思考が少しずつ変質してきた。
江戸時代の賀茂真淵の『冠辞考』という枕詞研究は有名だが、もう枕詞本来の姿から離れて、「意味」という手垢でぐちゃぐちゃにしてしまっている。
「あおによし」という音声に耳を澄ませばいいだけなのに。
ひとまずむやみな「意味」のこじつけはやめようではないか。そうでないと、枕詞を身体化し共有していた古代以前の人々の心模様に推参できない。
「あおによし」という音声に癒されてゆく心模様があったのだ。
古代以前の人々は、われわれ現代人が考える以上に「癒される」という体験に対する切実な思いがあった。その体験なしにどうして人間が生きてあることができよう。しかも彼らは、現代人のようなもっといい暮らしがしたいという欲望は希薄な人々だった。彼らは、この生を嘆きつつ癒されながら生きていた。その「あおによし」という言葉=音声に対する感受性は、現代人よりもはるかに深く豊かだった。
彼らは、霊魂や呪術にすがって生きていたのではない。「癒される」という体験が彼らを生かしていたのだ。文明が未発達な社会を生きた人々にとってその体験がいかに切実なものだったのかということを、現在の研究者たちはなにもわかっていない。その枕詞に対する解釈などはみな、なんだか「古代人の知能ではこのていどの意味づけだったのだろう」とでもいいたげな、人をなめたような傲慢で思考停止したものばかりではないか。
賀茂真淵でも折口信夫でもいい、霊魂だのなんだのという彼らの枕詞の分析なんて頭悪すぎるよ。そうでなければ、自分を振り捨てて古代人の心模様に飛び込んでゆくという捨て身の思考態度があまりにもなさすぎる。
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