あしひきの・「天皇の起源」74


もう少し枕詞を具体的に検証してみよう。
「あしひき」は「山」にかかる。
「あし」の「あ」は、「あ」と気づき「ああ」と嘆く感慨。「あ」は、脳において最初に発生する意識である。われわれの意識の運動は、「あ」と「気づく」ところからはじまる。「あ」という音声には「先端」「はじまり」のニュアンスがある。
「し」は、「しーん」の「し」、「静寂」「孤独」の語義。「しみじみ」の「し」。
山に向かった瞬間、しみじみとした感慨が胸にわいてくる。「あし」という音声は、そういうニュアンスを表している。
「ひき」の「ひ」は、「秘密」「ひっそり」の「ひ」。隠れているもの。
「き」は、「きりり」の「き」、あいまいさがないさま。「昔、男ありき」の「き」、「完結」「決定」の語義。
気持ちが引き込まれてゆくことを「ひき」という。
「あしひき」とは、山を前にするとしみじみとした感慨がわいてきて思わず立ち尽くしてしまう、というようなニュアンスなのだ。
石川啄木の歌の「ふるさとの山に向かひていうことなし……」というフレーズは、まさに「あしひき」の感慨を表している。



「あしひきの」ではじまるもっとも有名な万葉集の歌は、柿本人麻呂のこの歌だろうか。

あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む

「山」という言葉に「あしひきの」をかぶせるのはひとつのお約束だが、「あしひき」という感慨を詠っていなければこの枕詞は使わない。
この場合、「山」という言葉に「あしひきの」をかぶせたのではない。はじめに「あしひきの」という言葉=感慨があって、そこから山が連想されていった。
山鳥の尾のしだり尾の」などという表現はいかにも巧みで、柿本人麻呂はこのあと和歌が良くも悪くもどんどん技巧的になってゆくことの先駆的な役割を果たした人だが、それでもこの歌に関しては、「あしひきの」という感慨に対する強い思い入れが込められている。
この歌の主題は、あくまでその長い長い夜をひとりで寝ないといけないことのわびしさ・さびしさ・やるせなさにある。そしてその想いは、ひとことやふたことでは語り尽くせない。だからそれを「あしひきの」という枕詞に託した。
この「わびしさ・さびしさ・やるせなさ」は、「あしひきの」のという枕詞以外のどこにも表現されていない。「あしひきの」という感慨が読み取れないのなら、現代人のただの不眠症の歌だと解釈しても間違いではないだろう。
そこで研究者は、この歌をつくったときの柿本人麻呂の人生模様にに対する知識がなければそこに表現されたほんとうの感慨は読み取れない、などという。
そうじゃないのだ。「あしひきの」という枕詞が、溢れるほどにその感慨の姿を表してくれている。
「枕詞=祝福・賛美する言葉」という解釈にこだわっているかぎり、「あしひき」という言葉に込められた人麻呂の嘆きは永久にわからない。
だいたい万葉集は、圧倒的に「嘆き」の歌が多いのだ。枕詞が祝福・賛美するための言葉であるのなら、あんなにも多用されることはないし、そぐにその存在意義を失っていったことだろう。



柿本人麻呂がこの歌をつくるときにまず頭に浮かんだのは、おそらく「あしひきの」という枕詞だった。そこからはじまっているのだ。
「あしひきの」の「し」は「孤独」の感慨のニュアンスもある。「しんみり」の」し」。山に向かえば、自分ひとりが山に向かっているような孤独感が胸に迫ってくる。それを「あしひき」という。たちまち孤独感がやってくることを「あし」といい、その感慨が胸に迫ってくることを「ひき」という。
さびしさが胸に迫ってくることを「あしひき」という。
山は、この身体の孤立性をひしひしと思い知らせてくれる。日本列島の住民は伝統的に山が好きで山を美しいと思うといっても、その感慨の根源にはそういう「嘆き」が潜んでいる。そして人は、その身体の孤立性の嘆きを拠点にして他者にときめいてゆく。
さびしいと思えば思うほど、「あなた」がいとしくなる。
静かでさびしいこの長い長い夜は、まさに「あしひき」の感慨だと柿本人麻呂は思った。
「あしひきの」という枕詞は、「山」に従属しているだけの言葉ではなかった。
「あしひきの」という感慨が独立してあり、それを人々が共有していた。「あしひきの」といえばどういう感慨か、誰にでもわかった。
古代人は、言葉を「意味の表出」と「感慨の表出」の両方のニュアンスで使っていた。そうして、その「感慨の表出」の機能に導かれながら枕詞を生みだしていった。
時代が進んで共同体の制度が整備されてくれば、言葉は「意味の表出」の機能がだんだん大きくなってくる。しかしやまとことばは、どうしてもそれだけではすまない性格を持っていたし、日本列島の住民自身が「意味」で説得し合うだけではすまない人間関係の「あや」を持っていた。
そのように言葉の姿が「意味の表出」だけになってしまうことに対する抵抗として、枕詞が生まれてきた。
「わびしくてみじめでやりきれないなあ、こんなにも長い夜をひとりで寝ているなんて」という歌なのだ。「あしひきの」という枕詞が、すでに歌の全体を覆っている。
柿本人麻呂作のこんな歌もある。
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あしひきの 山川の瀬の 響(な)るなへに 弓月が嶽に 雲立ち渡る
・・・・・・・・
どこかで川の瀬音が響き、彼方の山には雲が湧いてきている……という力強い情景描写の歌だといわれている。
しかしこれも、ただの無駄な飾りで「あしひきの」という枕詞から歌いはじめているのではあるまい。読むものはこの枕詞から「この世界に自分ひとりで立っているという孤立感」を無意識のうちに感じ取っているから、なおさら勇壮な趣が際立つのだ。
この「あしひきの」という枕詞の感慨も、歌全体を覆っている。
まあ、あんな女々しい歌とこんな勇壮な歌の両方をつくってしまうところは人麻呂がいかにテクニシャンだったかということがわかろうものだが、そもそも万葉歌人の誰もが現代人が考えている以上に歌に技巧を凝らしていたからこそ、枕詞という技巧の道具が多用されていたのだ。



もう少し万葉集の中の「あしひき」の歌を挙げてみよう。
大津皇子(おおつのみこ)が石川郎女(いしかわのいらつめ)に贈った歌。
・・・・・・・
あしひきの山のしずくに妹待つと わが立ち濡れし山のしずくに
・・・・・・・
「山のしずく」とは山霧のことだろうか。なぜこの言葉をわざわざ無粋に二度も繰り返し使ったのかといえば、最初の「山のしずく」は視界がままならない霧のような不安とともに待っている気持ちと重なり、あとの「山のしずく」は逢えないかなしみで涙してゆくさまをあらわしている。そういう不安が落胆になってゆく心の推移を表現している。そしてそのかなしみのドラマは、最初の「あしひきの」という言葉が通奏低音になっている。
次に大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の男に贈る歌。
・・・・・・・
あしひきの山にしをれば風流(みやび)なみわがする業(わざ)をとがめたまふな
・・・・・・・
「なみ」は「なき」。ただ人里離れた山に住んでいるから無風流だというのではない。「あしひきの」という枕詞が示す通り、いつもひとりぼっちでさびしい思いで暮らしているせいでついわがままであけすけな態度にもなってしまうのだからどうか怒らないでください、といっているのだ。この作者は、じつは奈良の都から遠いひなびた山里に住んでいるのではない。佐保という都に近い里の住人である。つまりこの歌の「あしひきの山」とは、山のことではなく、「さびしくてたまらない状況」を表している。
「きみ、恋人いるの?」
「いいえ、あしひきの山の暮らしですわ」
そのころは、そんな会話もあったのかもしれない。
「あしひきの」が「山」にかかるといっても、山の「意味」を説明しているのではない。山を前にしたときの「感慨」を表している。
もうひとつ。
・・・・・・・・
あしひきの 山に生(お)ひたる菅の根の ねむころに見まく欲しき君かな
・・・・・・・・
「ねむころ」は「ねんごろ」、ねんごろにお世話して差し上げたい、という歌。
この場合の「あしひきの」は「しっかりと根を張った菅」と関係があるわけで、うっとりして根が生えたように男のことが忘れられなくなっている状態を表しており、それは山の姿に魅入られて立ちつくしている感慨でもある。「あなたのとりこです」という告白。
「あしひきの」といっても、たださびしいことだけを表しているのではない、あくまで山を前にした心模様を象徴している。さしあたり、祝福・賛美するとかしないとかということはどうでもいい。
そしてこの歌の場合は、それだけでなく、あなたのお世話ができなくてさびしくてたまらないとも訴えている。ここでも「あしひきの」という感慨は、歌全体にかかっている。
「あしひき」の「ひき」は、気持ちが引き込まれてゆくこと。
そして「あし」という感慨にしても、しみじみとしているときもあればうっとりしているときもある。
したがってこの歌の現代語訳は、「あなたのことばかり思ってさびしくてたまりません、山に生える菅の根のようになってあなたをねんごろにお世話して差し上げたいのです」というようなかたちになるはずである。
この歌は、見かけ以上に「あしひきの」という枕詞のニュアンスを豊かに表現している、したたかで高度に技巧的な歌なのだ。選者はたぶんそれを読み取ったからこの歌を採用したのであって、「お世話して差し上げたい」という心根に感動したからというだけの理由ではあるまい。そういう心根を詠えば秀歌になるというわけではない。歌の「姿」の美しさというものがある。その「お世話して差し上げたい」という「心根=歌の肉体」よりも、その上にまとった「衣装(=姿)」の着こなしのセンスに対する感性=美意識を、古代人はわれわれよりもずっと高度にそなえていた。
この歌は、現代人が思うほど単純な構成の歌ではない。なんでもないようでいて、「あしひきの」という枕詞の効果がとても豊かで複雑に表現されている歌であり、選者はたぶんそこに感心したのだ。



ついでに「たらちね」という枕詞のことにもちょっと触れておこう。
「たらちね」の「たら」は「たらたらとこぼれてくる」の「たら」。「持続」「継続」の語義。
「ち」は「血」の「ち」、「ちぇっ」とふてくされる。「出現」「流出」の語義。
「ね」は、「根」の「ね」、「ねえ」と親しく呼びかける。「親密」「根源」の語義。
「たらちね」とは、「汲めども尽きぬ情愛」というようなニュアンス。まあ、母親から聞かされる愚痴はとどまることを知らないし、そういう鬱陶しさも込めて「たらちね」といったのかもしれない。母親との関係は、死ぬまでたちきれない。母親は、死ぬまで子供のことを思っている。まさに「たらちね」だ。
「たらちね」と十回声に出して見ればいい。そしたら、「たらちね」という音声のニュアンスがわかってくる。おっぱいが垂れているからとか、そんなことはまったく関係ない。あとの時代に誰かが面白がってそういう字を当てただけなのに、因果なことにそれが受けて、なんだか定説のようになってしまった。
「乳がいっぱい出て満足させてくれる存在だから」といっている研究者もいる。しかし「たらちね」の「ち」は、「乳」という「意味」ではない。あふれ出る「感慨」を表している。そしてその「感慨」は、「ね」という「親密さ」なのだ。
それが「母」という言葉にかかるといっても、母を説明・修飾しているのではない。母という存在が象徴している感慨の姿が表されている。
「たらちね」とは「母は子に対して死ぬまで親愛の情を差し出し続ける」というようなニュアンスだ。
母が持っている感慨、母に対する感慨。しかしそれによって母という存在を賛美・祝福しているとはかぎらない。そこのところの感じ方は、歌の作者それぞれの個性がある。
・・・・・・・・・
たらちねの 母が手離れ かくばかり すべなきことは いまだなさなくに
・・・・・・・・・
この歌は「たらちねの母」という慣用句からはじまっているのか。
それとも、まず「たらちねの」といっておいて、それから「母が手離れ……」と続けているのか。
後者の詠い方でないとは言い切れない。
「たらちねの」のあとに続く言葉は「母」でなければならないという決まりはない。「親」でも「父」でもかまわないし、それらの言葉がなくてただあきらめきれない自分の気持ちを詠っているだけの歌もある。
「たらちねの」は、あくまで「継続する愛」の表出なのだ。
この歌は、「やっとうるさい母の手を離れたというのに、こんなにも人を想い続けて途方に暮れてしまうことなど今までにはなかった」と詠っているわけで、「たらちねの」はあとのほうの感慨の枕詞にもなっている。いちおうお約束にしたがってそのあとに「母」という言葉を置いてはいるが、それだけのために「たらちねの」と詠っているのではない。もっと普遍的に、人が人を想い続けることのさまを問うている。
つまりこの歌の「たらちねの」は、「うるさい母のおせっかい」と「人を想い続ける自分のやるせなさ」との両方にかかっているわけで、これもまた見かけ以上に高度で技巧的な歌なのだ。それが意図した技巧か無意識のうちにそうなっただけなのかはわからないが、ここには人間性の普遍を見つめようとしている態度がある。そしてその態度は、この歌の「かくばかりすべなきことはいまだなさなくに」という「心根=歌の肉体」にあるのではなく、「たらちねの」という枕詞に二重の感慨を吹き込んでいる「歌の姿=衣装」にある。
まあなんにせよ、古代人がただ単純に神や霊魂を祝福・賛美することにうつつを抜かして生きていたと決めつけると間違う。
枕詞のことは、意味に対する意識を捨てて、その音声が持っているニュアンスを問うてゆかないといけない。その音声がどのような感慨から発せられ、どのような感慨を表出しているように聞こえるか、という問題なのだ。
おそらくそういうニュアンスはもう現代人にはちょっとわかりづらいのだが、古代人はきっと誰もがあたりまえのように感じ共有することができていたのだろう。
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