「玉床(たまどこ)」―折口信夫の場合―


枕詞の問題を考えるとき、現代の研究者たちは、折口信夫の影響が強すぎるのではないかと思える。
折口信夫を無視して枕詞の問題は考えられない、と思っているらしい。
あんないい加減で百害あって一利なしの言説をありがたがっているなんて、ほんとに愚かなことだと思う。
折口信夫が、現在の枕詞研究をゆがんで停滞したものにしてしまっている。
前回のこの記事では、「たまゆら」とは「玉(宝石)が触れ合う音のことである」という解釈になんの説得力もない、それは「出会いのときめきやセックスの余韻のように、穏やかに充足した心や時間がゆらゆら揺れていることだ」と書いた。
ところが折口によれば、「玉」とは神秘の力を持った霊魂のことで、その触れ合う音に古代人は神秘の力を感じていた、という。玉=霊魂という前提をちゃんと持てば万葉集の理解はもっと深く豊かになるのだか。
何いってるんだか。
そうやって折口が何もかも霊魂の問題にしてしまったから、現在の枕詞研究が底の浅い停滞したものになってしまっているのだ。
まあ彼は、現実世界から離れて死ぬまで霊魂という概念と戯れ続けた人だからそういうことにしてしまいたいのだろうが、それでは自分を捨てて古代人の心に推参するという態度になっていない。何もかも彼の霊魂趣味の都合のいいように解釈しているだけである。
この世の中は誰もが彼のように霊魂趣味に浸っているわけではないし、ましてや古代人が彼の思いたいような存在だったとはかぎらない。
霊魂という概念で人間性の普遍が解き明かせるか?冗談じゃない。日本列島の美意識の伝統は、古代以前の人々がそんな概念など知らなかったことを引き継いで育ってきたのであり、枕詞が生まれひらがなが生まれしてきたのだ。そういう「姿」の美意識、「姿」とは霊魂などつまっていない「からっぽの身体」のことだ。まあこのことは、一口にはうまく言えないのだが。
とにかく「万葉集に現れた古代信仰 ―たまの問題―」と題された彼の講演の中から、「たまゆら」のことに触れた部分をここに引用しておこう。

日本人は霊魂をたまといひ、たましひはその作用をいふのです。そして又、その霊魂の入るべきものをも、たまといふ同じことばで表してゐたのです。
…中略…
それから又、古事記日本紀万葉集には、玉が触れ合ふ音に対する、古人の微妙な感覚が示されています。我々なら何でもない音だけれど、昔の人は、玉を通して霊魂の所在を考へてゐるし、たまの発動する場合の深い聯想がありますから、その音を非常に美しく神秘なものに感じてゐるのです。それを「ぬなともゆらに」という風に表現してゐます。みすまるの玉が音をたてゝ触れ合ふ時、中から霊魂が出て来ると信じてゐたのです。結局、たまの窮極の収容場所は、それに適当する人間の肉体なのです。其所へ収まる迄に、一時、貯へて置く所として玉を考へ、又誘ひ出す為の神秘な行事が行はれました。


はた迷惑な物言いではないか。
語源としての「たましい」とは、「自分固有の心」というようなニュアンスであって、霊魂など関係ない。
「しい」の「し」は「しーん」の「し」、「静寂」「孤独」「固有」の語義。「い」はその強調。「しいて挙げれば……」といえば、「ひとつだけ挙げれば」という意味だろう。そういう「固有性」のことを「しい」という。
自分だけの心だから「たましい」という。「しい」という言葉に、「作用」というニュアンスなどない。「作用」のことは「たまはたらき」とか、そんな言い方をするだけだろう。
折口信夫には、自分を捨てて古代人の心のあやに推参するという態度など何もなく、自分の霊魂趣味で勝手なこじつけばかりしている。
「たま」とは端正で穏やかに充実している心、それだけのことさ。
記紀万葉集にそんな記述があるとしても、それは、当時の人々が、大陸から入ってきた「神」や「霊魂」という概念をどのように解釈して受け入れてゆけばいいのかと試行錯誤していたことの表れであり、古事記はまさに、神を知らない人々の心の混乱、すなわち良くも悪くもそのくるおしさの結晶としてあんな奇想天外な神が次々に生まれてきたのだ。そんな奇想天外な神が縄文・弥生時代からイメージされていたわけではないし、そのころは「神」や「霊魂」という概念そのものがなかったのだ。
折口はどうせその「ぬなともゆらに」が「たまゆら」になったとこじつけたいのだろうが、「たま」を霊魂だと思っていたのなら、最初から「たまゆら」といえばいいだけではないか。そうやって終始自分の霊魂趣味に都合がいいようにこじつけばかりしているのが彼の論法である。
古代人の「たま」とは、ただもう「まるいかたち」のことであり、心のことでいえば、「穏やかあるいは端正に充実している心」のことをいったのだ。そう解釈するのは、愚かであさはかなことか?現在の枕詞研究は、そのような裸一貫の場所に立って解釈できないから底の浅い停滞したものになってしまっているのだ。
純粋にその「まるいかたち」を愛でるのが、日本列島の「姿」の美意識なのだ。
その「姿」に霊魂などという不純で通俗的なものなどつまっていない。ほんとうに「からっぽ」なのだ。その「からっぽ」であることの清浄な姿にこそ「みそぎ」がある。
折口信夫は、そうやってすべてを信仰心の問題に回収してしまうことによって、古代人の生きた日常の「心のあや」というものをことごとく見失ってしまっている。
万葉集は、古代人の信仰心を表現したものではない、生きた日常の心のあやが表出されているのであり、そこから枕詞が生まれ、われわれが思うよりもずっと豊かにに枕詞が機能しているのだ。
この講演はほんとうに大家のエゴイズム丸出しの不愉快な言いざまばかりだが、もうひとつ、彼がいかに「生きた日常の心のあや」に疎いかという例を引用しておく。

主(タマヌシ)に玉はさづけて、かつがつも 枕と我は、いざ二人寝む(六五二)


これは、自分の娘を嫁にやつた母の気持ちを詠んでゐるのです。「かつがつ」といふ言葉が、二人寝るといふ条件を、完全には具備してゐない事を示してゐるのです。つまり、枕と自分とだけでは、やつと形だけ二人寝るといふ事になるので、もつと何か特別な条件がつかないと、完全な二人寝ではないのです。たまの本来の持主にたまを授けた、保管せらるべき所にかへつた、といふのが「玉主にたまは授けて」といふ事なのですが、この意味が、はつきり訣れば、「かつがつも」が解けるのです。これは唯、今まで二人寝て居て淋しくは思はなかつたが、これからは、それが出来ないから、枕と二人寝しようよと言ふ事だけでは訣らないと思ひます。つまり、枕べに玉を置いておくのは、そこに、その人の魂があるといふ事なのです。其で完全な一人なので、そこへ自分を合せて二人となるのです。旅行とか、外出し又、他の場合、死者の床――の時には玉を枕べに添へて置く。さうすると、「たまどこ」といふ言葉で表される条件が整つて来ます。「たま床の外に向きけり。妹がこ枕」と言ふのは、もう魂がなくなつてゐる事を言つてゐるのです。この場合は、嫁にやつた娘と私と、二人分を表すものはないが、これくらゐで二人寝てゐるのだと条件不足だが、まあ、さう思うて寝ようと言ふ意味です。だから、枕辺に玉を置くマジックがあつた事を、考へに入れて解かなければ、此等の歌は訣らないのです。
……中略……
とにかく、かういふ風に、神の霊・人の霊・旅行中の霊魂と、霊魂を考へて行けば、いろんな古代の信仰問題が訣つて来ると思ひます。万葉集の歌にも、従来の研究では、半分位しか意味の訣らないものも沢山ありましたが、さうした点も追つて、十分理会が出来る様になるでせう。


「たまどこ」とは、「(パートナーがいて)充足した寝床」とか「きれいで豪華な寝床」とか、まあそんなようなことで「霊魂」など関係ないし、枕元に「玉」を置くままごとのことをいっているのでもない。
娘の心がすでに男のもとに行ってしまっているのならその男にくれてやろう、といっているだけじゃないか。
「枕辺に玉を置くマジックがあった」のなら、「かつがつ(やっとこさ)」などという言葉を使うものか。もうそれでひとり寝のわびしさは解消されているじゃないか。
「いざ二人寝む」と強がりを言いながら、「やっぱり一人寝はさびしいなあ」と嘆いている歌なのだ。そのわびしさがわからないで、「枕辺に玉を置くマジック」でそれを解消していただなんて、何をくだらないことをいっているのだろう。
折口信夫自身はそういう作為的なことばかりしながら霊魂趣味にふけって生きていたかもしれないが、古代人は、そんなごまかしなどしないで、さびしいことはまるごと「さびしい」と受け止めて生きていたのだ。ただもう「娘の心はあの男のもとに行ってしまったのだなあ」と嘆いていただけだ。そこにこそ万葉集の豊かな情趣があるわけで、それを汲み取らないで霊魂信仰でごまかして生きていたと勝手なこじつけばかりして、それで誰よりも万葉集を理解しているつもりでいやがる。あほくさ。
まあ現代人は、自分の心の安定を得ることを第一義の問題として生きているのだろう。だから、多くの研究者が折口信夫にしてやられる。
万葉集の歌は、そんな作為的な手続きを表現しているのではない。彼らは、ただもう無防備にときめき嘆いていたのだ。
「枕と二人寝だなあ」とさびしく苦笑いする。そんな気持ちは、ナルシズムというかミーイズムたっぷりの現代人である折口信夫にはわかるまい。
万葉集の理解は、霊魂の問題ではない。



折口信夫は、「枕詞はあとにかかる言葉の霊魂である」という。この説に多くの研究者が惑わされ、その「霊魂=意味」を探すことに躍起になってしまっている。
枕詞は、そのようにしてあとの言葉を修飾しているのではない。それは、それ自体で独立している歌の「衣装」であり「主題」であり「通奏低音」なのだ。
起源としての枕詞は、霊魂などという通俗的な機能を持った言葉ではなかったし、あとの言葉を修飾しているのでもなかった。あとの言葉は枕詞から連想される言葉を持ってくる、というお約束になっていっただけのこと。あとの言葉は、あとから生まれてきたのだ。
あとの言葉が枕詞よりも先にあったのなら、それらはすべてひとつの言葉に決められているはずだ。あとから生まれてきたから、いくつもの言葉があとにかかるようになっていったのだ。
柿本人麻呂が「あしひきの」という枕詞のあとに「山鳥の尾」という言葉を持ってきたから、そのあとは「尾」という言葉をつけてもいいことになっていった。このことは、あとの言葉が枕詞にくっついてゆくようにして生まれてきたことを物語っている。
枕詞は、あとの言葉の霊魂として発想されていったのではない。
はじめに枕詞があったのだ。
霊魂といえば聞こえはいいが、あとにかかる言葉にもったいをつけるために枕詞が生まれてきた、と折口はいっているのだ。
そういうことではない、はじめに枕詞を差し出し、そこでいったん切りながらあとの言葉を探してゆくのが古代人の歌の作法だった。
言葉に霊魂が宿るとは、その霊魂が言葉の本質だということになる。それはつまり、その言葉に宿る「意味」が本質だ、ということである。そうやって現代の研究者たちは、枕詞の意味探しに躍起になっている。
しかし枕詞の本質は、言葉に宿る「霊魂=意味」ではなく、言葉の「衣装」としての「音声」がまとっている「感慨」のニュアンスにある。
古代人は、歌によって「霊魂」を表現しようとしたのではない。「感慨」すなわち「心のあや」を表現しようとしていた。
枕詞に「たま」のつく言葉が多いからといって、それは「霊魂」のことではない。
人の心のあやよりも、それを支配する霊魂という何やらわけがわからないものの方が大事だというのか。
古代以前の人々は、霊魂など知らなかった。知らなかったから心のあやを表現しようとし、枕詞が生まれてきたのだ。
たとえば「たまかつま」という枕詞に、「美しい籠」などという具体的な意味などなかった。枕詞がそんなひとつの意味に限定されてしまったら、それはその歌の「情趣=心のあや」の表現になんの役にも立っていないということになる。その枕詞が存在意義を持つためには、その歌の主題を表現したものでなければならない。
枕詞はただの飾りではないし、あとにかかる言葉の霊魂になっているのではない。
だいたい、枕詞のあとにかかる言葉は、その歌の情趣にはあまり大きな役割を持っていない。作者のいちばんにいたいことは、最初の枕詞と最後の句にある場合がほとんどなのだ.
したがって、枕詞がかかる言葉に霊魂を吹き込んでも、あまりその歌の成果にはならない。
とにかく「たま」という言葉はやっかいだ。
「たま」とは、「胸に満ちてくる思い」。そこに踏みとどまって解釈できるかどうかでわれわれの想像力が試されているのだ。
霊魂などという安易なこじつけに走ったら、そこで思考も想像力も停止してしまう。
折口信夫が、おかしな思考の筋道をつくってしまった。その「玉=霊魂」という発想の影響力が、現在の枕詞研究を停滞させている。そういうことにこだわっていると、古代人が「たま」という言葉によって表現しようとしていた豊かな「心のあや」を見失ってしまう。
折口信夫なんて、どうしようもなく下品な俗物だなあ、と思う。
いやこれは、折口信夫に個人的な恨みがあるとか嫌いだということではありません。いまどきの研究者がそろいもそろって折口信夫の亡霊を引きずっていることが気に入らなくて、ついそういう言い方になってしまっただけです。あしからず。
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