「やまぶきの」―中西進氏の場合―

<はじめに>

御訪問、ありがとうございます。
僕は、ふつうに社会人生活をしていれば、定年を迎えてひと仕事すませた気分になれるような年まで生きてきてしまいました。それなのに、どこをどう間違ったのか、自他ともに人並みと認められるような生活とは、もう20年以上縁がありません。そのあいだ、何をしてきたのかと問われても、ひと口に答えることはできませんが、ずっと考えてきたことがひとつだけあります。それが「人間とは何か」ということです。
人間とは何か、生きてあるとはどういうことか、その根源というか普遍に迫りたい、どうしても知りたいと思ったら、現代都会人の表層的な心象だけ考察して終わりというわけにはいきません。たとえば、今のわれわれ日本人は戦前の日本人の直系のせいぜいが二代目三代目の子孫で、生き物としてはまったく同じとしか表現のしようもないでしょうが、それでも戦前の祖先の生活や心象についてはよほど想像力をたくましくして思考実験をくり返してみない限り、ほんとうのところどうだったのか、なかなか見えてきません。
で、もっともっとと根源を問うてゆくうちに、とうとう直立二足歩行の起源に辿り着いてしまいました。
このブログは、直立二足歩行の起源やネアンデルタール人にまでさかのぼったところからはじめた、いわば人類論です。2006年の12月に書きはじめ、あちこち寄り道したり脱線したりしながらも、「人間とは何か」という一貫したテーマで書き続けてきました。
お手本のテキストもなく師も同伴者もいない孤立無援の作業だし、真実を確認することのできないテーマがほとんどだから、ときには足踏みしたり虚しくなったりしてしまうこともあるけれど、どこかで誰かも同じ問いを同じように途方に暮れながら宙に向かって問い続けているのではないか、という希望も捨ててはいません。そんな誰かに是非読んでもらいたいし、できればコメントももらって語り合いたいという気持ちを抑えきれず、思い切ってブログランキングに登録しました。興味を持ってくださる方は下のマークのクリックをお願いします。そうすることで少しでも多くの人の目に触れ、できれば建設的な反論や、論理的な穴や甘さの指摘などもしていただけるようになったら、望外のよろこびです。
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<本文>

「やまぶきの」―中西進氏の場合―



万葉集の半分は「詠み人知らず」の庶民の歌である。
とうぜんそこには、人の世の人情のあやが詠われている。
人情のあやがよくわからない学者に勝手な解説をされても困る。
折口信夫のように「古代人の暮らしは霊魂に対する意識の上に成り立っていた」などといわれたら、古代社会は人情のあやなどなかったことになるし、あるいは霊魂に対する無邪気な信仰こそ古代人の人情のあやである、という理屈になってしまう。
人間の生きた暮らしのいとなみは、無邪気な霊魂信仰で語ってしまえるのか。
現在の田舎のおばあさんが無邪気な信仰を持っているからといって、彼女の生きてきた人生の恋や生活の心模様は、それだけでは語れないだろう。人間の生きた暮らしのいとなみにおける人情のあやというのは、霊魂がどうのという問題設定だけで語りつくせるものではないだろう。
人の世の人情のあやがよくわかっていない人間が偉い学者になって万葉集を解説する。人の世の人情のあやがよくわかっていないから、古代人の暮らしを作為的な霊魂信仰のアニミズムに閉じ込めてわかった気になり、得々と解説している。そういうことが多すぎる。枕詞の研究の世界は、賀茂真淵以来、ずっとそうなのだ。



そして現代の万葉学の権威としては、中西進氏が有名らしい。
その一例を挙げてみる。
古代においては、紫は高貴な色だった。

紫は 灰さすものそ 海石榴市(つばいち)の 八十(やそ)の衡(ちまた)に 逢へる児(こ)や誰(たれ) (巻十二、三一〇一)
 
海石榴市というのは当時市がたつので有名なところだった。市が立つのもここにたくさんの道が集まるところだったからで、人々があちこちからやってきて品物を売買したらしい。
そうしたところは、とうぜん男女が出会う場所だ。男はすぐに女の気をひいてみる。「あなたの名前は」と。
そのとき相手を乗せるセリフが、上の句「いい紫色を出すためには灰をさすものですよ」である。
灰をさすのは発揮剤としての紫色を美しくするためだが、もちろん、ここで紫の染め方を教えたってはじまらない。百も承知のことである。だからこの句は相手の女を「紫のように美しいあなた」とほめあげ、さてその紫だってきたない灰を入れてこそいっそう美しくなる、つまり私と恋をしませんか、という意味である。絶妙な誘いかけではないか。
しかも女は市の雑踏の中の女だ。その女に向かって「紫の女」といったところに大げさがあって、まわりを笑わせたのである。(『万葉時代日本人』より)


しかしこれは、そんなおふざけの歌なのだろうか。
海石榴市の雑踏の中では、いつも男女が集まる歌垣の場が生まれていた。まあ今でいう「街コン」みたいなものだ。
気のきいた「誘いかけ」は必要だろう。
では、それはほんとうに「絶妙な誘いかけ」だったのだろうか。
中西氏のいう通りなら、ただの小賢しい遊び人の歌だということになるし、そんな言いざまがそれほど有効だろうか。
今だって、「私と恋をしませんか」などというセリフは、あるていど親しくなってからの会話で出てくるものだろう。古代人は初対面の相手にそんな厚かましいことをいうような人種だったのだろうか。イタリアの下町のプレイボーイじゃあるまいし、女だっていきなりそんな馴れ馴れしいことをいわれたら、引いてしまうだろう。
またそんな「誘いかけ」をする前に惚れさせてしまえば、そんなことをする必要もない。それでこそプレイボーイだろう。
相手が自分に恋をしようとしまいと相手の勝手だし、上手にたらしこんで惚れさせようなんて、古代人にはそんな厚かましさなどなかったから、歌垣が生まれ、枕詞が生まれてきたのだ。
それは、「支配」とか「説得」というような人と人の関係が現代よりもずっと希薄だった時代の話である。ここのところ大事だ。これは、枕詞の本質の問題でもある。現代人の物差しでそれを語ることはできない。
「紫の女」というのは「大げさ」で、まわりは笑っただろうか。笑ってしまうほど「大げさ」だということは、女をばかにしているということだ。おまえなんか口説く気はないよ、という皮肉ならこういう言い方もあるだろうが、作者はきっと大真面目なのだ。
「やそのちまたで逢へるこや誰?」という表現は、おふざけではなく、緊張感の表出ではないのか。僕は、この一言にユーモアよりも緊張感を感じる。「あなたとの出会いは衝撃的だ」というような緊張感を。
古代人はまあ、そのつどの「いまここ」を人生のすべてのような感覚で生きていた。あとで心変わりが起きようと、それもまた人生の「いまここ」の問題だ。未来のために我慢するというようなことはしなかった。その「いまここ」の出会いに体ごとときめき、その別れに体ごと嘆いて受け入れていた。
雑踏の中の女を「紫の女」と思うことは、そんな大げさなことか。本気でそう思ったらいけないのか。
雑踏の中だからこそ「紫の女」に見えるといっているのだろう。この歌の「灰」は、「私」のことではなく「雑踏」の比喩なのではないか。
紫は灰をさしてより際立つように、雑踏の中だからこそあなたがいっそう美しく見えてしまう、あなたはいったい誰なのだ……と問うているのではないのか。
初対面だから知らないのは当たり前だが、それでも「あなたは誰だ?」と問わずにいられなかった。
古代人は、出会いのときめきを「嘆き」として表現した。それが、歌垣の作法だった。
彼らは、「私と恋をしませんか」というような厚かまし誘い方はしなかった。何が「絶妙な誘いかけ」か。くだらない。誰もが、「あなたと出会って驚きうろたえています」と告白していったのだ。現代人のようなそんな小賢しいたらしこみ方などしなかった。いや現代だって「何いってるんだか」と思われるだけかもしれない。
「やそのちまたに逢へるこや誰?」なんて、とても緊張感のある表現ではないか。それを聞いてまわりのみんなはハッとし、女も心が揺れた。だから、万葉集に採用されたのだろう。
ここでの歌垣は数えきれないほど催されたが、ベストの歌はなんといってもあれだろう……と語り伝えられていたのかもしれない。



もうひとつ、この霊魂趣味は納得できない。

山振(やまぶき)の 立ち儀(よそ)ひたる 山清水 酌(く)みに行かめど 道の知らなく      
高市皇子(たけちのみこ)(巻二,一五八)


十市皇女(とおちのひめみこ)がなくなったときに高市皇子はこうよんだ。六七八年のことである。
歌の意味はわかりやすい。「山吹の花が美しく飾っている山の泉に、水を汲みに行きたいのに、道がわらない」というものだ。
そこをかんがえてみると、どうやらこの泉は生命復活の泉らしい。その水を飲むと死者がいきかえると信じられていたのだろう。もし泉にいけるなら、なくなった皇女をよみがえらせることができるのにといって、皇子はなげいたのである。
ちなみにいえば十市皇女とは、若くして未亡人になった先帝の后であり、高市皇子がひそかに思慕をよせていた女性だった。なげきはおおきかったであろう。


「その水を飲むと死者がいきかえる」ということが何度もあったのか?そうでなければ、誰が信じるものか。それとも、そんなことがなくても信じてしまうほど古代人は他愛ない人種だったとでもいいたいのか。
古代人はただの幼稚な霊魂かぶれだったのか。彼らは、そういう作為的な呪術ばかりで生きていたのか?
惚れた女が死んでいなくなるということは、そういうことなのか?
このとき作者は、あこがれていただけで、情を交わすことはできなかった。思い出したいけどその思い出がない、と嘆いているのではないのか。
「山振(やまぶき)の 立ち儀(よそ)ひたる 山清水」とは、とうぜん女のことを表しているのだろう。しかも、布団の中で裸になっている体のことだ。「山吹」は低木である。それは、寝屋の御簾(みす)というか屏風のようなものを表しているのだろう。
そして情を交わすとは、女の体の泉からあふれ出る水を汲み上げるような行為なのではないか。
この「水を汲む」という表現は、セックスを象徴しているのではないか。
そういうことをしたいけど、今となってはもう、そこに行く道すらわからない、と嘆いているのではないのか。あの世に行く道なんかわからないし、あの世のどこにいるのかもわからない、と。
この「やまぶきの」という言葉は、一筋縄ではいかない。古代人の歌に対する教養の深さを垣間見させてくれる。
これは、具体的な事物としての「やまぶき」を説明していると同時に、この歌の主題としての感慨を表出している枕詞でもある。
「やまぶきの立ちよそひたる」といって寝屋の御簾か何かを連想させる仕掛けを施しながら、さらには「やまぶきの」という感慨を表す枕詞の機能も持たせている。
「山」は、「遠いあこがれ」を表す言葉である。「や」は「ヤッホー」の「や」。「ま」は「まったり」の「ま」、穏やかに充足した心。
「吹き」は「伏す」でもある。風は、地上を這う(=伏す)ように吹き渡る。この「ふ」には心の底に漂っている感慨、というようなニュアンスがこめられている。
すなわちこの歌の「やまぶきの」は、「胸の奥に秘めている遠いあこがれ」という主題の感慨を表す枕詞にもなっている。
この歌の「やまぶきの」も「水を汲む」も、見かけほど単純ではない。
古代人は、人が死んだらもう、「死者をよみがえらせる」などという作為的なことばかりに頭の中がいっぱいになってしまったのか。それが古代人の嘆きの正味なのか。そうではあるまい。
古代人の「あの娘が好きだ」という想いにも、霊魂などという言葉の意味が関与する以前の、生身の人間としての純粋な「感慨のあや」というものがあっただろう。そこのところを表したくて古代人は枕詞を使っていたのだ。
古代人は、「やまぶき」という言葉の意味以上に、その音声の語感を大切にしていた。そしてそこに「ひそかなあこがれ」というニュアンスがこめられているという認識を誰もが持っていた。
そしてたぶん、現代人でも、心を無にしてその音声に耳を澄ませてみれば、きっと感じ取ることができる。われわれだってひとまず「やまとことば」を使って暮らしているのだ。
現在の辞典はすべて起源としての枕詞が具体的な事物を表す「意味」を持っていたかのような説明をしているが、はじめはそんな「意味」などなかった。ただもう、その「音声=姿」がまとっている「感慨のあや」が表出されていただけにちがいない。
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