閑話休題・ミニスカート考

ミニスカートはなぜ流行るのか。
最初の流行は、1960年代の後半でした。
戦後日本の50年代までは国づくり町づくりに邁進していった時代だった。だから、映画や流行歌も、その象徴としての「東京」という名のつくタイトルが多かった。
60年代に入るとその動きが軌道に乗って一段落し、個人のアイデンティティが模索されていった。たとえば「私」とか「若さ」とか「僕たち」とかそんな言葉が止揚されていった。
そして60年代後半になって安定した繁栄の時代を迎え、そういうアイデンティが屈折してきて、すねたり反抗したりいらだったりする「若さ」が表現されるようになってきた。
そんなときに、ミニスカートが登場してきたのです。
ミニスカートは、いわば時代や大人たちに対する反抗の象徴であると同時に、時代の繁栄にまどろんでしまいそうな自分を処罰するファッションだった。
若者は、時代の繁栄に安住したくなかった。ひりひりした気分を持ちたかった。
それまで太腿をさらすというスカートなどなかったのだから、それをはいて街を歩けば、それなりの緊張感があったはずです。
もともと急所をさらして二本の足で立ち上がるという姿勢そのものが緊張感をもたらすものであったわけで、人間はそうやって緊張感とともに生きている存在だから、文明を発達させてきたし、戦争をするようにもなった。
時代が安定したり停滞してくると、緊張感を求めてスカートの丈は短くなる。
衣装はほんらい、直立二足歩行の緊張感を和らげるために生まれてきたのだが、なくなっても困る。そうして平和で豊かになった現代ではむしろ、緊張感を生み出す装置として機能している。
破れたジーンズとか胸の開いたTシャツとかへそだしルックとかミニスカートやショートパンツとか、みなひりひりした気分で街の中に立とうとする衝動の上に成り立っている。
とくに女子高生のミニスカートは、大人になることを拒絶している表現ではないかと思えます。彼女らは、真冬でもストッキングをはかない。それは、ひりひりした緊張感がそのファッションの生命だからでしょう。
肌を見せるというより、肌をさらす、という感じ。自己処罰の恍惚です。
そしてそのひりひりした緊張感が、「出会いのときめき」をもたらしてもいる。
彼らは、この社会でみんなと「共生」しているという自覚を拒否し、ひりひりした緊張感を持ったひとりの個体として街の中に立とうとしている。誰もがミニスカートをはいているとしても、ミニスカートの共同体をつくっているわけではない。誰もがひとりであり、そのひりひりしてひとりで立っている気配を「すてき」だと思ってミニスカートをはいている。
現代の若者は、大人になりたいという意欲を捨て、「大人とは違う」ということに個人としてのアイデンティを見出す。大人たちがみんな一緒じゃないかと言っても気にしない。そんなことより「大人とは違う」ということが自分であることの証しなのだ。
彼らにとって自分であることの証しは、みんなと一緒ではないということにあるのではなく、ひりひりした緊張感で街に立つ、ということにある。
ミニスカートは、連帯=共生するファッションではない。ひとりの個体として他者と「出会う」場に立とうとするファッションなのだ。
共生する「愛」よりも「出会いのときめき」が求められている時代なのではないかと思えます。
まあそれが気に入らないという大人もいるのだけれど、それこそが直立二足歩行する人間の本性なのだもの。