出会いのときめきと別れのかなしみ「漂泊論B」64



新年だから、ちょっとくらい不謹慎な書き出しにしても許されそうな気がする。
僕は、「ちぇっ」と呟いて道端にたばこをぽいと捨てるような若者は嫌いではない。
生きていれば、誰にだってやりきれなさやいたたまれなさはある。若者が、そういう思いで胸がはちきれそうになっているとしても、不自然ということはあるまい。
人間とは「思い」が胸に満ちてくる生き物ではないのか。
善人ぶって公共心があることを自慢されても、こちらとしてはしらけるばかりだ。
人間は「公共心」とか「規範」などという「論理」だけでは生きられない。
何がいいか悪いかという論理以前に、生きてあることに対する胸に満ちてくる「思い」がある。
そういう「思い」が、人類の歴史をつくったのだ。
原初の人類は、まるで若者がたばこのポイ捨てをするような生きてあることのいたたまれなさという、「公共心」や「規範」ではすまない胸に満ちてくる「思い」を抱えながら地球の隅々まで拡散していったのだ。
そうして定住し、定住を守るために「公共心」や「規範」が生まれてきた。
公共心や規範を持つことが人間の本性であるかのようにいわれると困る。
「共生」することは、人間の普遍的な願い(衝動)ではない。原初の人類は、そんな猿の群れのような安定した関係を打ち捨ててたえず離合集散を繰り返していたから、地球の隅々まで拡散していったのだ。



漂泊こそ人間の本性である。
人間性の基礎というか、人間の行動の契機になっているのは「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」という胸に満ちてくる「思い」にあるのであって、共生するために規範という論理を紡いでゆくことにあるのではない。
そして日本列島の文化の基礎は「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」という「美意識」にあるのであって、共生するために規範という論理を紡いでゆくための政治や宗教にあるのではない。
そういう「思い」が胸に満ちてくれば、世界は新しく鮮やかな表情を持って目に映るだろう。人間の美意識は、そのようにして生まれ育ってきた。
原初の人類が地球の隅々まで拡散していったのも、そのような「世界が新しく鮮やかな表情を持って目に映る」というひとつの美意識が契機になっていたのだ。
人間は「身体の孤立性」を自覚している生き物であり、その孤立性が、身体の外に対する親密な感慨を生む。それが美意識であり、その感慨を携えて原初の人類は旅に出たのだ。
その美意識を携えて、原初の人類は二本の足で立って歩いていったのだ。
美意識こそ人間の本性である。
煙草のポイ捨てだって、ときには美意識のなせるわざなのである。
善男善女の公共心ばかりがえらいのではないし、そんなところの人間の本性があるのではない。
ときめきであれかなしみであれ、そこから人間は、世界がよりいっそう鮮やかに目の前に立ち現れてくる体験をする。
そういう美意識の体験が日本列島の文化の基礎になっているのであって、公共心や規範の伝統はない。だから、共同体(国家)や文字を持つのが、大陸よりも千年も二千年も遅れてしまった。



日本列島で共同体(国家)や文字を持つことが大幅に遅れたということは、日本列島の文化やメンタリティの基礎を考える上でとても重要である。
この国には、大陸のような「共生のための規範を持つ」という文化の伝統がないし、それが人間の本性だというわけでもない。
西洋人は言葉の本質を「規範」として解釈分析したがる傾向がある。それは、共生のための規範を持つことが人間の本性だと考えているからだろう。しかし、原始人の生はそのようにして成り立っていたのではない。
そこのところで世の歴史家はみんなつまずいてしまっている。
それはともかく、というわけで縄文人は「共生のための規範を持つ」という意識がとても希薄で、政治にも経済にもあまり関心がなく、一万年のあいだ、ついに共同体(国家)を持つこともなかった。
縄文時代の遺跡は、ほとんどが10戸から20戸ていどの小集落ばかりである。
それは、大陸よりも文化が遅れていたということではない。
人類が共同体(国家)を持ったことは、べつに知能の進化でも文化的な成熟でもない。それもまた歴史のなりゆきで、日本列島の縄文時代にはそういう状況はなく、ただもう規範とは無縁の美意識というか、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」が交錯する社会だった。
大きな集落(共同体)が規範とともに意識が内向きになって集団として完結してゆくのに対して、縄文時代のようなそれ自体として完結できない小さな集落ばかりの社会では、意識は集団の外や身体の外に向いている。
外部に対して緊張感があるか、それともイノセントな親密感を抱いているか、という違い。
日本列島には、異民族との緊張関係も、自然との緊張関係もなかった。だから、大きな集団をつくって閉じてゆこうとするムーブメントがなかなか起きてこなかった。
最初にあるのは、身体と環境(自然)との関係だろうか。といっても、縄文人にとっての自然がやさしいだけのものだった、ということではあるまい。山の中で暮らしてきた歴史を持たない人々が、ろくな文明を持たないままやっとこさ孤立した小さな集落をつくって暮らしていたのだから、危険や困難はいくらでもあったはずである。
それでも彼らは、その自然の中に飛び込んでいった。



氷河期明けの1万3千年前は、世界中のどこにおいても、異民族との緊張関係などというものはなかったはずである。どの集落でも旅人はよろこんで受け入れただろうし、大集団で旅をするとか遠征して侵略するというような習慣もなかった。
原初の人類の旅する習慣は、どこの集落も旅人を受け入れてやる、ということの上に成り立っていた。旅などということは、個人または小集団でしていたことなのだ。
4万年前のアフリカを出た大集団がヨーロッパ大陸に移住してゆくということなど、あったはずがない。
氷河期明け以降、大陸ではまず、人々が集まってきて大きな集落になってゆくことができる平地があった。そうして集落ごとの緊張関係が生まれ、それによってその大きな集落群は、「規範=制度」を持った共同体(国家)になっていった。
しかし縄文時代の日本列島は、大きな集落をつくれるはずの平地はすべて人が住めない湿地帯だった。
だから、山間地の小さな集落で過ごすか、山間地を旅し続けるしかなかった。男と女が定住して暮らせば集落はとうぜん大きくなってゆくのだが、山間地ではそれができるスペースはなく、男たちは旅に出ていった。
狭いスペースでひしめき合って暮らしていれば、とうぜん集団のけがれというか、関係のけがれが生まれてくる。おそらく縄文時代の男たちは、そのことに耐えきれなくなって旅に出ていった。
まあこのことは、人類が直立二足歩行の開始以来ずっと繰り返してきた「人間の自然」の習性なのだ。
そうやって男たちは、山間地の女子供だけの小集落を訪ね歩く習性になっていった。
氷河期明けの日本列島、すなわち縄文時代には、他の集落との緊張関係のもとに大きな集落をいとなんでゆくという状況は生まれなかった。
人々は旅をし、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」が繰り返される社会になっていった。
縄文時代の1万年は、「共生」というコンセプトで共同体(国家)をつくってゆこうとする衝動はなかった。日本列島の文化の基礎は、大陸的な状況や人間観・世界観は当てはまらないかたちで生まれてきた。
縄文人にとって人と人は、出会ったり別れたりする存在であって、「共生」する存在ではなかった。
日本列島の文化の基礎を「共生」というコンセプトで考えると誤る。



人間は、「共生」する生き物ではない。そんなものは、猿の群れのコンセプトなのだ。
人間は、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」をとても深く感じる生き物である。人類は、直立二足歩行の開始以来、つい5千年前まで。そういう感慨を体験するような歴史を歩んできた。そこにこそ、人間性の基礎がある。そして、そこから人間的な美意識が生まれてきた。
人類の歴史は、「共生」してきたのではなく、出会いと別れを繰り返して流れてきたのだ。
もともと人間は、群れの離合集散をダイナミックに繰り返している猿だったのであり、そうやって地球の隅々まで拡散していったのだ。共同体(国家)の発生以後にその習性が崩れて「共生」のコンセプトで集団をいとなむようになってきたのだが、縄文人はいぜんとして原始人そのままの習性で文化を洗練させてきたわけで、そこに日本文化の伝統の特異性がある。
日本文化は、原始的なのだ。そしてそれは、「共生の論理」ではなく、「出会いと別れ」すなわち「身体の孤立性」の上に成り立った美意識で集団をいとなみ生きることをしてきた、ということだ。
美意識は「身体の孤立性」の上に成り立っている。もともと人間は「身体の孤立性」を深く自覚している生き物なのだ。
人類は、ひりひりとした「身体の孤立性」の感覚の上に立って、この生や世界や他者とかかわってきた。
日本列島の文化は、そういう原始的な世界観や生命観をそのまま洗練させるというかたちで育ってきた。



弥生時代になって人々は、盆地という平らな土地に移住し、農業をはじめた。
農業をはじめるために移住したのではない。地球気候が寒冷化して、山の環境が悪化してきたからだし、平らな土地へのあこがれもあったのだろう。そのころになってようやく湿地帯だった平地が干上がりはじめた。
まほろば」とはもともと「見はるかす土地」というような意味だが、それが「理想郷」という意味に変わってきたということは、それほどに縄文時代の1万年を平らな土地に憧れ続けてきたということを意味する。
つまり、そのとき人々が山を下りていった契機は、経済的な理由以前に美意識の問題があったということだ。
縄文・弥生人の行動を決定していたのは、美意識だった。もともと人間は、そういう生き物なのだ。世界が美しく見える体験によって人間は生きている。彼らは、農業ができる土地だから「まほろば」といったのではない。ただもう、広々した土地に感動しただけだ。
といっても、地平線が見えるだけの茫漠とした広さではない。山に抱かれてあるという景観が大切だったわけで、山の姿がより美しく見える見はるかす土地だったのだ。
多くの神社が山や森を神の形代(かたしろ)にしているということは、日本人はなぜこんなにも山が好きなのかという問題なのだ。日本列島の文化の根底には、山に対する感慨が横たわっている。
「故郷は遠きにありて想うもの」などというが、山を下りてきた弥生時代の人々は、そこではじめて懐かしさが胸に満ちてくる思いで山を眺めることができたのだろう。
俗な言い方をすれば、山は、日本人の心の故郷なのだ。
ことに弥生時代奈良盆地は、山を眺めるための絶好の土地だったし、しかもその山々はとても美しくたおやかな姿をしていた。そうしてほとんどが湿地帯だったから、山の色も、いまよりもずっと、しっとりと紫色にかすんでいたのかもしれない。そういう自然とのさまざまな偶然の邂逅(出会いのときめき)があった。
そういう土地だったから、さらにはまわりから人がたくさん集まってきて人と人の出会いのときめきも豊かに起きていた。



弥生時代奈良盆地では、美意識で集団をいとなんでいた。それは、政治的な集団でも、経済的な集団でも、さらには宗教的な集団でもなかった。そこのところで現代人の物差しは当てはまらない。
当てはめて語った方が説得力はあるのだろうが、僕はそうは考えない。
「出会いのときめき」とともに世界が美しく見える体験の、その祝祭性こそ、人類の集団を大きくしていったのだ。
政治も経済も宗教も、集団が大きくなってから生まれてきた二次的派生的な問題にすぎない。
そしておそらく、祝祭性の原点は「踊り=舞」にある。
一歳の赤ん坊でも、機嫌がよければ踊り出す。
人間がなぜそんなにもかんたんに踊りだすかといえば、二本の足で立ってそれだけ深く身体の不自由を抱えて生きている存在だからだろう。さらには、人間の赤ん坊は、他の動物以上にその苦難を背負って育ってきた。
人間は他の動物以上に身体を意識しつつ、その鬱陶しさから解放されたがっている。
歩くことはもちろん、踊ることはそれ以上に身体が解放される。
赤ん坊は、歩くよりも先に踊りを覚える。お母さんの真似をして手を叩く、などというが、赤ん坊にとってはそれだってひとつの祝祭の踊りであるのかもしれない。
人類が地球の隅々まで拡散していったのは、群れの外に出ていった知らないものどうしが出会ってときめき合う、という体験が繰り返されていった結果であろう。べつに、より住みやすい土地を求めて、というような経済的理由からではない。
そしてその出会いのときめきは、踊りで表現された。ときめけば、踊りださずにいられなかった。人間は、踊りださずにいられないような身体の受苦性を負った存在なのだ。
その、ふらふらと群れの外に出ていきたがる習性と、そこで人と出会ってときめき踊りだす習性はもう、直立二足歩行をはじめた直後からはじまっていたのかもしれない。
おそらく、言葉を交わすことよりももっと早く一緒に踊りだすという習性が生まれてきた。
直立二足歩行する生き物だから、踊るという習性が生まれてきた。



そして、氷河期明け以降の日本列島は、「共生」というコンセプトで共同体をつくってゆくのではなく、「出会いのときめき」が頻繁に起こる社会になっていた。
弥生時代奈良盆地だって、つねにまわりから人が集まって来て祝祭が繰り返される社会だった。
すでに一緒に暮らしている知り合いどうしなら言葉で関係を確認し合ったり盛り上がったりすることもできるが、知らないものどうしが出会えば、言葉を交わすよりもまず踊りが
生まれる。
つねにまわりから人が集まってきていた弥生時代奈良盆地では、踊りはとても大切なイベントだったはずである。まず踊りで盛り上がって、それから語り合うということが生まれる。
祝祭を何よりも盛り上げるのは踊りだった。
弥生時代奈良盆地はまだ、知り合いどうしが共生・結束して共同体をつくってゆくという段階ではなかった。湿地帯が少しずつ干上がって人口が増えてゆく時代だった。結束してよそ者を排除するというような段階ではなかった。無邪気によそ者を受け入れながら大きな集団になっていったのだ。
人間は、新しい人との出会いや世界との出会いに深い感慨を抱かずにいられないほどに「身体の孤立性」や「身体の受苦性」を抱えて存在している。そこから人間的な美意識が生まれ、文化が育っていった。
日本列島の文化の基礎は、美意識にある。そしてそれは、原初的な人間性の問題であると同時に天皇制の起源の問題でもある。
なんだか回りくどい前置きになってしまったが、じつはそこのところを問いつめたいのだ。
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