美意識の伝統・「漂泊論B」63



一年の終わりはありがたい。
人間は、「これで終わり」というしるしを持たないと生きられない。
生きるとは、「これで終わり」というしるしをつけてゆくことかもしれない。
生きていればいろいろわずらわしいこともあるし、元旦といっても一日が変わるだけだといえばまあそうなのだが、それでも、この日以上に「これで終わり」という気分になれる日はほかになれない。そのようにして人は死んでゆくのだろうか。それは、すっきりするというよりも、何か混沌に溶けてゆくようなことかもしれない。
日本的な「なりゆき」の解決は、物事をすっきりさせるというより、混沌に溶けてゆく感じのことだろう。
それでいいのだ。
とりあえず一年が終わった。
1年のはじまりのめでたさは、「終わった」という感慨とともにある。
はじまることの解放感ではない、「終わった」ことの解放感なのだ。
はじまることなんか鬱陶しいだけだが、「終わった」ことの解放感は、とりあえず三が日くらいは味わえる。
めでたさも中くらい……かな。



おさらいをしておこう。
いまいちばん気になっていることは、天皇の起源は弥生時代奈良盆地にいた舞の名手の巫女だったのではないか、ということです。
こんなことをいきなりいってもただの「トンデモ説」として一蹴されるだけなのはわかっているのだけれど、天皇が政治的あるいは宗教的な存在として生まれてきたという世の歴史家の説に一撃を加えたいという思いがどうしてもあるわけです。
しょせん蚤の一撃でしかないのですけどね。
起源としての天皇家は「舞の家」だった……なんて、唐突すぎるでしょうか。
まあ僕としても、それをいうための考古学的知見を持っているわけではありません。
ただ、政治的宗教的存在として生まれてきたというのでは、どうしても納得できない。それでは、歴史的にすべての政治権力も宗教勢力もこのシステムを屠り去ることができなかったということの説明はつかない。
それが残ってきたということは、人間存在の根源に届いている何かを持っているからでしょう。そしてそういうことは、政治や宗教では説明がつかない。
みなさんは、政治や宗教の説明で納得できますか?
僕は、納得できない。
こんなことは世界史的にも異例で、もしかしたら人類の起源までさかのぼって考える問題というか、人間性の根源の問題をはらんでいるのではないのか。
天皇制は、どこかしらで人間の自然(ヒトのネイチャー)と通底しているのではないか。
そしてこれは、原始神道の問題でも、神道はなぜなくならなかったのかという問題でもあります。
古代にはひとまず仏教が国の宗教になったはずなのに、庶民と天皇神道を手放さなかった。
そして日本列島の伝統的な美意識は、ほとんど神道の上に成り立っている。



ヨーロッパは、ローマ帝国キリスト教を国の宗教にして以来、ほとんどキリスト教一色になってしまった。
日本列島の支配者がなぜ神道を手放さないことを許したかといえば、それがもともと「宗教」といえるようなものではなかったからでしょう。
もともと宗教といえるようなものではなかったから、仏教を輸入した。
それはまあ、たんなる「祝祭」であり、美意識でしかなかった。
仏教には生き延びるための規範があったが、神道は、たんなる「いまここ」の祝祭であり美意識でしかなかった。
奈良時代平安時代において、美意識を表現する文学は、日本列島が世界で一番進んでいた。日本列島においては、文学とは美意識を表現するものだった。
紀貫之が、女のまねをしてかな文字で土佐日記を書いたのは、そのときすでに文学が美意識を表現するものになっていたからであり、かな文字でなければ上手く美意識が表現できなかった。
日本列島の住民は、美意識を表現したくてかな文字を生みだしたのかもしれない。
日本列島の心性の伝統は、美意識の問題でもある。
そしてそれは、文学だけの問題ではなく、生活感覚の問題でもある。



たとえば、日本列島の田舎の一部の地域には、「一回の食事で梅干しを二つ以上食べるのは邪道である」という言い伝えがあります。
梅干しがもったいないというのではありません。そういうことは「はしたない」というのです。つまり、昔の人にとっての梅干しは、栄養の補給とかということ以前に、「食事をした」という満足の「形代(かたしろ)」になっていた、ということです。
まあ、貧しさから生まれた知恵とか、いろいろ解釈はあろうかと思うけど、それだってひとつの美意識だったはずです。その丸くて赤い果実が、物事の終わりを示す「形代」になっていた。それはもう、この世界の終りの感慨であり、この生の終わりの感慨でもあった。そういう日本的な美意識です。それだって「もののあはれ」の美意識なのです。
子供のころ、僕の家では、梅干を食べるのは七五三みたいなひとつの通過儀礼でした。そして、いい気になって二つめの梅干しを取ろうとしたとき、母親から「みっともないことをするもんじゃない」といって箸を持った手をぴしゃりと叩かれました。
「終わりを知る」ということは、日本列島のひとつのたしなみでした。それは、宗教的な道徳ではない。美意識なのです。
日本人は季節の「初もの」が好きだということだって、「(季節の)終わりを知る」ということの「形代」の意識なのです。「はつ」は「果つ」、「終わる」ということ。
正月の「初春」は、冬が終わったことのめでたさをあらわす言葉でもある。
消えてゆくことの美しさ、そして消えてゆくとは、混沌の中に溶けてゆくこと。
もののあはれ」の「もの」は「混沌」、「あはれ」は「消えてゆく」ことを意味している。
古代人にとって生きることは、美意識であって、宗教ではなかった。それは、縄文以来の原始神道の伝統なのです。



天皇制の起源を政治や宗教の問題で語ってもらっては困る。
日本列島の住民の美意識の問題だと僕は思うわけです。
そのとっかかりとしてひとまず「天皇家の起源は<舞の家>だった」というアイデアを提出してみました。
僕は、美意識を語るのは苦手だし、できれば避けて通りたい問題だったのだけれど、やっぱりもう、天皇制の起源に通じる扉は、ここをこじ開けるしかない。
原始神道の祝祭性と美意識、という問題。そのことで、なぜ「舞」にこだわるかというと、それがもっとも原初的な感覚を揺さぶる表現だろうと思えるからです。
まず「舞=踊り」があって、それから歌が生まれてきた。
原初の人類が直立二足歩行をはじめたこと自体が、ひとつの「舞=踊り」だった。
世界(自然)や他者にときめいて心が浮き立てば、思わず知らず体が動いてくる。そういう人間としての本性から原始神道が生まれ、天皇制が生まれ、日本的な美意識が育ってきた。
西洋人は自然や他者との緊張関係から政治を生み、宗教を生み、深く徹底した論理思考を育ててきた。
はたして人間は、根源において、自然や他者との緊張関係を持っている存在なのか。これがおそらく、西洋的な世界(自然)観であり人間観でしょう。現在の歴史家はみな、この物差しで歴史を考えています。たとえ日本においても、です。みな、そのようにして原始時代や古代を語っている。
現代においては、ひとまず西洋人の世界(自然)観や人間観が世界のスタンダードです。彼らは、そのようにして政治や宗教や論理思考から「共生」という思想を紡いできた。
はたして人間は「共生」しようとしている生き物か。それを、疑う余地のない真実だということにされたら困ります。
この国の美意識の伝統においては、人と人の関係は、「共生」しているのではなく、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」の上に成り立っている。
西洋人にとっての人と人の関係は、「共生」しようとする合意のもとに「つくる」ものであり、政治や宗教はそういう風土から生まれてくる。
この国の伝統においては、人と人の関係は「なりゆき」として生まれてくるだけであり、関係をつくって共生しようという意識はない。したがってそこからは政治も宗教も生まれてこない。少なくとも弥生時代以前の日本列島の住民は、政治も宗教も知らなかった。



この記事は暮れの夕方から書きはじめたのですが、ぐずぐずしているうちにとっくに年が明けてしまっています。
それでもまだ話がまとまらない。
人類の美意識の起源はどこにあるのか、というところから考えはじめないといけないのかもしれない。
おそらくそれは、人との出会いにときめいたり、出会いがないことにさびしがったり、別れることにかなしんだり、そんなとき、世界がいつもと違うように見えるわけじゃないですか。そのようにして「美」に気づいていった。
共生していたら、いつもと違う見え方にときめいたり涙したりすることはない。
たとえ共生していても、人間存在は「身体の孤立性」の上に成り立っている。「身体の孤立性」の上に立って世界や他者と向き合うから、いつもと違う見え方をして心が揺れる。
すなわち「出会いのときめき」や「別れのかなしみ」が起きているところから美意識が育ってくる。縄文時代弥生時代は、そうやって美意識が特化してくる社会の構造になっていたのです。
そしてそうやって心が揺れたところから舞が生まれ、舞に魅せられる美意識が生まれ育ってきた。
原始人は、みんなでただ気持ちよく踊っていただけでしょう。だけど、弥生時代奈良盆地では、舞に魅せられる美意識が生まれ育ってきた。そこが問題です。その美意識が、舞の名手の巫女を登場させ、そこから天皇という存在があらわれてきた。
まあそんなようなことをいま考えているのだけれど、これをどのように詰めてゆくか、このことが、僕にとっての2013年のスタートです。
あけましておめでとうございます。
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