戦後社会が失ったもの・神道と天皇(36)

神道は、仏教伝来を契機にして生まれてきた。日本列島土着の宗教だったのでもなんでもない。それ以前の日本列島に、土着の宗教(=アニミズム)などというものは存在しなかった。
つまり、「神」をあらわす言葉は存在しなかった。
もしも土着の宗教があったのなら、何はともあれ神は特別な存在なのだから、それ専用の言葉があってしかるべきだが、やまとことばの「かみ」はもともとそういう言葉ではない。
「かむ」という一般的な動詞の体言として「かみ」という。「走る」を「走り」と言い換えるようなものだ。
神道の神はもとと「存在」ではなく森羅万象の「はたらき」を指しているのであり、最初は、「かむ」という言い方のほうがなじみやすかったのかもしれない。今でも「神」と書いて「かむ」と読んだりする。
「かむ」とはひとつの「はたらき=現象」をあらわす動詞であって、存在そのものをあらわす名詞ではない。そこに、日本的な「かみ=かむ」の「姿=かたち」がある。
日本列島には、「神」専用の名詞はない。「神」という漢字はたしかに神そのものをあらわしているが、平仮名で「かみ」というだけなら、「紙」でも「髪」でも「上」でもかまわない。それに対してキリスト教「ゴッド」は、「ゴッド」以外の何ものも意味しないのであり、「かみ」というような、そんな軽い言葉でも融通の利く言葉でもない。
平安時代の文献では、仏教伝来に際して仏教と神道が対等の立場で呪術的な効果を争ったというような記述をしているが、それだったら、神道の「かみ」という言葉に仏に帰依した存在にすぎない「神」という字を当てることはしない。
神道は、仏教伝来のあとに、仏教説話の中の「神」という存在を借りて生まれてきたにすぎない。
われながら何度同じことを繰り返しているのだろうと思うが、とにかく仏教伝来以前の日本列島に宗教(アニミズム)がすでにあったなどとかんたんにいってもらっては困るのだ。
宗教があったのではない。純粋な「祭り」の場があっただけだ。
ある集団が、誰かをカリスマあるいは集団のシンボルとして祀り上げたり、その対象に「捧げもの」をするというようなことは、宗教などなくても生まれてくる。それは、「祭り」の場から生まれてくる。「祭り」とは「蕩尽」の場であり、それによって生きてあることの「けがれ」をさっぱりと洗い流そうとする。べつに、神にすがってこの生を充実させようとしているのではない。
この生の充実に満足することよりも、他者も含めたこの世界の輝きにときめいてゆくことができればそれでいい。それは、「この生=自分」なんかさっぱりと洗い流すことによって体験される。「かみ」とは、この世界の輝きのこと、この世界の輝きに気づきときめいてゆく体験のこと。
この生の充実なんかどうでもいいということ、すなわち古代以前の日本列島の住民は、この生やこの世界を支配しようとする呪術を持っていなかった。その「無常観」はすでに縄文時代からはじまっていたのだし、それが神道のコンセプトなのだ。

おそらく神道が生まれてくる前から天皇は、すでに民衆から祀り上げられているカリスマのような存在だった。呪術ができる存在だったからではない。そのころの日本列島の住民は呪術なんか知らなかったし、現在に至るまで天皇が呪術師として機能してきた歴史などない。天皇は、最初から呪術師でも支配者でもなかった。
一般的な世界史においては、起源としての王は呪術師でもあったらしく、魏志倭人伝にも卑弥呼が呪術師であるかのように記述されているが、それはあくまで中国の歴史に当てはめて勝手にそう推測しているだけなのだろう。
もしも天皇奈良盆地で自然発生してきた存在だと解釈するなら、天皇は呪術師でも支配者でもなかった。まあだからこそ、天皇を操る支配者が生まれてくる余地があったのだ。
古代および古代以前の天皇は「おほきみ」と呼ばれていたのだが、漢字を輸入したときにそれに「大王」という字を当てたから、なんだか支配者として登場してきたかのようなイメージが付与されてしまった。
しかし天皇は、本質においてそういう政治的な存在ではない。
「おほきみ」の「おほ」は、大奥様とか大旦那様というときの「おほ」。
「きみ」は、卵の「黄身(きみ)」、「中心」というようなこと。「忘れ気味」とか「離れ気味」というときの「きみ」は、「中心」がそのような方向にずれていっていることをあらわしている。
「おほきみ」とは、「中心の大切な存在」というようなこと。それは、支配者のことか?
いや、縄文弥生時代の日本列島に、支配者が生まれてくるような風土はなかった。そこには、この生やこの世界を支配しようとする「呪術」が存在しなかった。そんな習俗があったのなら、とっくに国家的共同体の支配がはじまっている。大陸ではそれが5千年前からはじまっていたが、日本列島ではそこから3千年も遅れている。大陸の制度を輸入して、はじめてその歴史がはじまったのだ。

今のところ、古代以前の日本列島にはなぜ支配制度が生まれてくる風土がなかったのかということを本格的に考えている歴史家はほとんどいない。彼らは、階級や共同体の支配制度(=文明)なんか自然に生まれてくると考えているらしいが、世界中にはいまだにたくさんの未開の地域が存在するように、それは、「自然に生まれてくる」というようなことだとはいえない。
日本列島なんか、石器時代からすでに世界最先端の知能文化を持ちながら、共同体の成立が大陸よりも3千年以上遅れ、しかも自力でそんな制度を生み出すことができずに、ほとんどすべてが大陸のまねごととしてはじまっている。それが生まれてくることが人類史の普遍的な法則であるなら、その当時の日本人の知能レベルをもってして3千年もあれば自然に生まれてくるだろう。
いわゆる四大文明発祥の地では、「国家制度」も「文字」も「宗教」も、すべて自然のなりゆきで生まれてきたが、日本列島では、それらの地よりも文化的に劣っていたわけでもないのに、そういうなりゆきにならず、すべて自力で生み出すことはできなかった。
国家(=共同体)という文明制度は異民族との軋轢を持っている地域から生まれてきたのだとすれば、四方を荒海に囲まれた日本列島にはそうしたものが生まれてくる風土にはなっていなかった。
大陸の文明発祥の地における集団は、「結束・秩序・安定」に向かうかたちで膨らんでいった。そしてそれが、宗教や国家制度が生まれてくる契機になってもいた。
しかし、四方を海に囲まれ異民族との軋轢がなかった古代以前の日本列島においては、そうした集団としての目的を持つ必要がなかった。集団は無目的で、ただもう人と人の出会いのときめきが生成している範疇で成り立っていた。集団としての目的がないから、縄文時代においては、たとえば三内丸山遺跡のように、膨らみすぎると必ず解体していった。
平地で農業をする弥生時代になって、ようやく奈良盆地などで都市的な規模の集団が生まれてきたが、それでも集団としての目的は希薄なまま、「祭り」における人と人の出会いのときめきを基礎にして集団が成り立っていた。だから、「国家制度」も「階級」も「文字」も「宗教」も生まれてこなかった。生まれてきたら、輸入する必要なんかなかったのだ。大陸のほうが進んでいたから輸入したのではなく、存在しなかったから輸入したのだ。
そのとき大和朝廷の支配者たちは、宗教的な観念だけがあって、宗教を持っていなかった。だから、輸入した。
大和朝廷といっても、最初は「税」を徴収する制度などなく、権力者たちは、民衆による天皇への自発的な「捧げもの」を管理運営していただけだった。管理運営しながら彼らは、みずからの財産と権力を形成していった。
あの巨大前方後円墳だって、権力が強制的に使役して造らせたものではなく、民衆による自発的な「捧げもの」だった。だからそれを「陵(みささぎ)」という。
日本列島の歴史においては、中国のような絶対的な権力を持った皇帝など存在しない。ひとまず律令制という支配体制が完成した時代のあの大仏造営だって、民衆の労働力が思うように集まらなくて苦労したのだ。
日本列島には、強大な権力が生まれてくる基礎がなかった。それは、異民族の脅威がなかったからだ。明治維新のときにはじめて大きな外圧にさらされ、それに対抗するための強い支配体制が、ときの権力者たちによって模索されていった。彼らはもう、本能的に強い権力の必要性に気づいていた。そうして「国家神道」による絶対的な支配が生まれてきた。そうやって天皇を「神という絶対的な支配者」に仕立て上げていった。べつに天皇自身がその権力を行使していたわけではないが、ひとまず天皇の命令ということにすれば誰もが死ぬこともいとわないような時代状況になっていった。
その絶対的な「神性=支配権力」は、しかし古代における起源としての神道天皇を「神(かみ)」として祀り上げていったコンセプトとはまるで異質なものだった。それは、「この生=自分」を充実させようとする強迫観念的な欲望と、「この生=自分」をさっぱりと洗い流して世界の輝きに他愛なく豊かにときめいてゆこうとする願いくらいに違う。
日本列島の無常観の伝統や古代神道のコンセプトは、この生がはかなければはかないほどこの生のはたらきは豊かになる、というパラドックスの上に成り立っている。

天皇の「畏き姿」は、すべてを許していることにある。
戦前の天皇よりも、戦後の天皇ほうが、起源としての「神(かみ)」の姿に近い。「畏き姿」をそなえている。
ここでいう「畏き」という言葉は本居宣長の『古事記伝』から拝借したものだが、「かしこき」とは「本質的」とか「根源的」というようなニュアンスで、世の神道オタクがいうような「畏れ多くてひれ伏す」とか「この世界のヒエラルキーの頂点にいる」というようなことではない。日本列島の住民の伝統的な天皇に対する想いは、あくまで「親密さ」にあるのであって、「崇拝」というようなニュアンスではない。天皇は、民衆に対して、何をしてくれるのでも支配しているのでもない。それはあくまでやまとことばの「かみ」であり、絶対的な支配者である「神=ゴッド」ではない。
権力者にとっては、天皇を絶対的な支配者である「神=ゴッド」に仕立て上げることは、そのまま自分が絶対的な支配権力を手に入れることでもある。どうせ天皇は、何もしないのだ。何もさせないのだ。天皇のいうことは何でも聞く態度を見せながら、天皇には何も命令させない。それが、古代以来ずっと続いてきた権力者の手口なのだ。そりゃあ、中にはそのことに抵抗しようとする天皇もいたかもしれないが、権力者からすれば天皇の首をすげ替えることなんかかんたんだし、べつに後ろめたいとも思わない。権力者の道具にならない天皇なんかいらないのだ。
現在でも、天皇の退位の是非を権力者たちで決めようとしている。よくそんな厚かましいことができるものだと思うが、彼らは、民衆の立場に立って天皇に要求し、民衆には天皇の名を借りて命令してゆく。
天皇は民衆を許しているし、民衆は天皇に無条件に従う。そういう関係が出来上がっている。天皇と民衆は、おたがい相手に対して何も要求しないし、相手のすべてを許している。そういう一方的な関係なのだ。それが、神道における人と「神(かみ)」との関係であり、じつは日本列島の人と人の関係の基礎にもなっている。
戦後左翼の人たちはいまだに天皇の戦争責任がどうのこうのとこだわっているが、少なくとも民衆は、そんなことを問題にするつもりはさらさらない。天皇に責任があろうとなかろうと、最初から天皇を許しているし、天皇もまた民衆を裁くというようなことはしない。権力者のような、そういうはしたないことは民衆も天皇もしない。
権力者は、民衆と天皇のたがいの一方的な関係のあいだに立って、両方を支配しにかかる。うまくできているというのかなんというのか、この関係構造によって国がひとつにまとまり、アジアではいち早く近代化を成し遂げていった。しかしこれは両刃の剣で、権力者の心掛けしだいであの太平洋戦争末期のような最悪の状況をもたらしもする。

江戸時代の武士による農民支配と現在のブラック企業とどちらがひどいのかということなど僕にはよくわからないが、人が良くも悪くもかんたんに支配されてしまうということは、日本列島の住民の歴史の無意識のかたちの問題であると同時に、人類普遍の問題でもあるのだろう。
人は、猿よりももっと他愛なくときめいてゆく存在であると同時に、猿よりももっとかんたんに支配されてしまう存在でもある。そういう愚かさや弱さを「人間性」というのだし、じつはそれこそが人間的で高度な知性や感性の源泉にもなっている。
まあ僕は、今どきの左翼が「人間とは何か」という問題をよくわかっているとは思わないし、今どきの右翼が「日本人とは何か」という問題をちゃんと心得ているともぜんぜん思わない。
天皇とは何か」という問題にしても、左翼のように否定することも、右翼のように盲目的に崇拝することも、どちらも違うと思う。
ここでは、天皇制が大切だとか無用だとかというような議論をするつもりはない。「天皇とは何か」という問題を客観的包括的に考えてみたいだけだ。僕は、「天皇オタク」でも「天皇嫌い」でもない。とりあえずわれわれは、「天皇とは何か」という問題を抱えて「今ここ」に存在しているわけで、誰の心の底にも、歴史の無意識として、天皇に対するある「親密な感慨」が息づいている。それが、われわれの知性や感性のかたちをつくっている。それが、われわれの「他愛ないときめき」や「自意識の薄さ」になっている。それが、「無常」という世界観や生命観の基礎になっている。
明日のことを勘定に入れずに生きるということ、「無常」なんか、原初の人類が二本の足で立ち上がったときからすでに抱いていた世界観や生命観にほかならない。戦後社会は、高度経済成長と引き換えにそれを失ったのかもしれない。社会が目まぐるしく変化するということは、明日を先取りすることばかりして生きているということだろう。目まぐるしく変化しながら、かえって無常ということを見失ってしまっている。そうやって未来を先取りしながら、「今ここ」に反応しときめく心がどんどん停滞衰弱してゆく。そうやって「今ここ」のうつろい流れてゆく時間に身をまかせて生きるという作法を失っていった。われわれは今、たえず未来を先取りしながらめまぐるしく変化してゆく社会に身を置きながら、心はかえって停滞衰弱してしまっている。
心が健やかに移ろい流れてゆくということは、未来のことなど勘定に入れずに「今ここ」に身を浸してゆくことなのだ。
戦後の成長戦略や進歩史観近代主義等々における「よりよい未来の社会を構想する」ということそれ自体が、心が病んで停滞衰弱してしまっている証拠なのだ。
ネトウヨ」も「シールズ」も、まあ勝手にやってくれればいいのだが、それが世の中を動かす力になるとはかぎらない。どちらに正義があるかというような問題でもない。正義そのものが無意味だ。
いつの時代も、世のエリートであれ無名の庶民であれ、この国の歴史風土においては、政治にも経済にも宗教にも無関心なまま、身の回りの「今ここ」に体ごと反応しながら生きている人たちが一定数存在している。彼らは、他愛なくときめいてゆくことができるタッチを持っている。彼らは、かんたんに支配されてしまう存在であるが、政治や経済や宗教に頼っていないし、政治や経済や宗教に対する拒否反応がある。じつはそこにこそ天皇制の問題があり、そうやって古代神道が生まれてきたのだし、その伝統は今なお続いている。
ともあれ、何が人間性の自然・本質かと問うなら、政治や経済や宗教ですべての問題が解決されるというわけにはいかないのだ。