時代に踊らされる・神道と天皇(149)

秋葉原通り魔事件が起きたとき、知識人をはじめとする多くの大人たちからは、これからは若者が凶悪化してくるだろうといわれたが、現実は逆に「草食」化していった。彼らの多くは、社会にも人にも恨みなんかない。人生に希望がないということは、社会や人が悪いというのではなく、「世界の終わり」に立っている心地がするということ。そのとき事件の犯人に多くの若者たちが共感を示したらしいが、それは、社会や人に対する恨みを共有したのでなく、「世界の終わり」の心地を共有していったのだ。
バブル崩壊後のこの国には、「世界の終わり」という気分が蔓延していた。この国の「戦後」は、太平洋戦争のみじめな敗北にはじまって、全学連全共闘運動の敗北とか、オウム事件とか、このところの相次ぐ大震災とか、ひとまず「世界の終わり」を抱きすくめてそこから生きはじめるのがこの国の伝統的な精神風土になっている。「無常」とか「あはれ・はかなし」とか「わび・さび」の美意識だって、まあそういう終末観のひとつであり、そうやって過去を「水に流して」新しく生きはじめようとするのがこの国の伝統的な思考や行動の流儀なのだ。
しかし、もともと世界中どこでも人は「世界の終わり」から生きはじめる存在であるともいえるわけで、原初の人類が二本の足で立ち上がったことだって、まぎれもなく「世界の終わり」から生きはじめる体験だったのだ。
犯人の若者だって、社会や人が憎かったのではない。彼は人づきあいが下手で友達をつくれないような人間ではなかったし、仕事なんか何をしてもかまわないと思っていた。ただ、いちばんの愉しみであるネット社会での交流に絶望するところがあって、「何もかももうおしまいだ」という気分になってしまった。で、通りすがりの人々と「世界の終わり」を共有しようとしたわけで、それはもう一種の無理心中であり、「世界の終わり」に立ってどうしようもなく人恋しくなってしまったのだ。そしてそういう気分は大人にはわかるはずもないが、若者たちは心の底でちゃんとわかっていた。

まあ、人恋しさで人殺しをするというところに、人の心の不思議がある。そういうことを若者たちは直感的に察知したが、大人たちにはわからなかった。そしてこれは、日本人論でもある。良いことであれ悪いことであれ、日本的であるということは、「人を裁く」ことではなく「人恋しい」ということに由来する。日本人は、政治意識も宗教意識も薄い。政治や宗教は「裁く」ということの上に成り立っており、政治や宗教の観念から離れれば、「世界な輝き」にときめくという「人恋しさ」ばかりが残る。
文明発祥以降の人類の世界は、政治意識の上に成り立った権力社会の文化と、そこから置き去りにされた原始的な民衆社会の文化とに分かれてゆき、両者をつなぐものとして「宗教」という世界観が架橋されていった。ただ、古代の日本列島の民衆は、そのときすでに原始的な文化を高度に洗練発達させており、宗教(=仏教)すらも拒否し、原始的な世界観の上に成り立った「神道」をつくり上げていった。
日本列島の歴史は、権力社会とは別に、民衆だけの原始的な世界観の上に成り立った集団性の文化を守り育ててきた。そしてそれは、大人社会と若者や子供の社会との分立が伝統として流れているということであり、そのようにして「かわいい」の文化が生まれてきた。
というわけで、秋葉原事件の犯人は大人や権力社会の論理で人や社会を裁いたのではない。彼がどんなに人恋しかったかということは、若者たちにはわかった。もちろんその人恋しさの底にどんなに鬱屈した闇が隠されているかということは、もうひとつの問題としてあるわけだが。
とにかく人は、「世界の終わり」から生きはじめ、「世界の終わり」から「世界の輝き」にときめいてゆく。
秋葉原事件の犯人は「世界の終わり」を体験したかったし、「世界の終わり」を体験できないことによって人の心は病んでゆく。「神(ゴッド)=宗教」は「世界の終わり」を体験させないシステムであり、心の中に神との関係を持ってしまえば、天国や地獄や生まれ変わり等々の観念によって永遠に生き延びる思考を余儀なくされる。
文明社会のいとなみは生き延びようとするいとなみであり、その制度は人の心の生き延びようとする欲望を肥大化させ、「今ここ」に対する反応を鈍磨させる。秋葉原事件の犯人は、幼少期から家庭内で徹底的に生き延びるための思考や行動を押し付けられて育ってきた。しかし彼はその洗脳のままに生きることができずに、心の中には「世界の終わり」を体験することに対する願いがどんどん膨らんでいった。それはもう、人としての本能のようなものだった。
人の心は、「世界の終わり」に立って世界の輝きにときめいてゆく。「世界の終わり」を体験するとは、「今ここ」の世界に対する反応として、世界の輝きにときめいてゆくということ。彼には、そういう体験に対する激しい飢餓感があった。オウム真理教の教祖以下の信者たちだって、「世界の終わり」を激しく希求していた。彼らの病理は「すでに世界の終わりの場に立っている」という感慨を持てなくて、それを激しく希求したことにある。そういう感慨がなければ、人は、「生きはじめる」ということができないのだ。つまり、世界や他者の輝きにときめくという体験ができない。
「ときめく」という体験の究極は、死の直前の一瞬の輝きにあるのだろうか。

今どきの右翼の思考は、なぜ戦前に回帰し、戦争を賛美しようとするのだろう。何はともあれそこには、権力者が民衆を、そして大人や男が子供や女を支配し監視しながら秩序を構築してゆこうとする構造があった。それはまあ、この国の伝統から逸脱したいわば欧米的制度的な神と人との関係であり、そのとき国家神道はまぎれもなくひとつの「宗教」だった。
しかし、もともとの(原始)神道は、仏教という宗教に対するカウンターカルチャーとして生まれてきた非宗教的で純粋な祭りの習俗だった。そのための神社だったのであり、そのときの民衆の歴史は、文明制度とは無縁の集団性や世界観や生命観をすでに洗練発達したかたちでつくり上げていた。つまり、文明制度や宗教を受け入れつつも、まるごとそれに洗脳されてしまうことを拒否した。
日本列島の民衆は、権力社会に従順であるが、けっしてまるごと洗脳されてしまうことはない。まあ、そうやって仏教を受け入れつつ「神道」を生み出し、漢字を受け入れつつ「ひらがな」を生み出していった。
したがって、今どきの右翼のような「権力志向」の思想が日本列島の伝統だとはいえない。いえないのだが、ともあれ現在の日本列島は、戦前回帰してさらに右翼化してゆくか、それとも民衆社会の伝統を守り通すか、そういう岐路に立たされているのかもしれない。
右翼的教育勅語的な道徳教育が現在の小中高校に深く入り込んできていると聞くが、子供たちはそれに洗脳されてしまうのだろうか。
国民が主権者であるという戦後の民主主義教育は、皮肉なことに民衆の権力志向を肥大化させた。そうして今、右翼思想が優勢な世の中になっている。民主主義教育が右翼思想を台頭させた。現在の右翼思想なんか、権力志向の産物でしかない。ほとんどの民衆はそれに染まっているわけではない。なりゆきがそうならそれでかまわない、と思っているだけだろう。ただ、「伝統」とか「日本(人)らしさ」という言葉に関心が集まっている時代であれば、右翼的な言説のほうが説得力を持つのかもしれない。
しかしまあ日本列島の民衆は、基本的には明確な政治思想を持っていないのだから、なりゆきしだいでどちらにも転ぶし、どちらにも転ばない。民衆だけの「伝統」があり「日本(人)らしさ」がある。そしてそれは、現在の右翼が考えているようなものではない。右翼は子供や民衆を洗脳しようとする。しかし、けっきょく戦後の左翼思想に染められなかったように、現在の右翼思想に染められることもないに違いない。
民衆の集団性の文化は、政治意識や国家意識の上に成り立っているのではない。
過去は「水に流す=忘れる」のが民衆の思考の伝統であり、戦前に回帰したいとなんか思っていない。民衆は、戦争が終わった直後からすでに新しく生きはじめていた。思い切り泣いて、何もかもさっぱり洗い流し、そこかから生きはじめる……良くも悪くもそういう精神風土の伝統が戦後復興のエネルギーになった。
「世界の終わり」に立って新しく生きはじめるということ、一日一日をそうやって生きる。眠りに就くことは「世界の終わり」の体験だ。そうして新しい朝を迎える。べつに特別なことでもなんでもない。世界中の人間がそうやって生きているわけで、世界中の民衆は「新しいもの」を待ち望んでいる。

大人たちのほうが、ずっと時代に踊らされている。
若者や子供たちのほうがずっと、時代や国家という現実世界の外の「異次元の世界」で遊ぶことを知っているし、彼らはそこで友情や恋愛をはぐくんでいる。
それでも彼らは、現在の右翼的道徳教育に洗脳されるだろうか。
日本列島の大人と子供、その基礎となっている親と子の関係はもともととてもカジュアルなものであり、子供たちはそうかんたんには洗脳されない。なんのかのといっても現在の社会から若者や子供たちが中心の「かわいい」の文化が生まれてきたことは、若者や子供には彼らだけの社会があり、まるごと大人たちに洗脳されていないことを意味する。
大人たちは洗脳しきれていないことに焦って、強引な洗脳教育をしようとしているし、その弊害として、いじめや発達障害等のさまざまな混乱が起きている。
たしかに現在は、若者や子供だけの社会が大人たちに侵蝕されている。そうして若者の保守化右傾化という情況になっているのだろうが、彼らは、大人たちの支配を受け入れつつ、大人たちに深く幻滅している。まあだから「かわいい」の文化がさかんになっているわけで、それは大人たちが押し付けてくるものとは、正反対のコンセプトの上に成り立っている。つまり、大人たちは世界や他者を善悪や正邪の価値基準で裁こうとしているのに対し、若者たちは「無主・無縁」が前提の他愛なくときめいてゆく関係を生きようとしている。そしてそれは、古代において仏教に対するカウンターカルチャーとして神道が生まれてきたいきさつと同じではないかと思える。
日本列島においては権力者が民衆を支配することはかんたんだが、最終的に民衆を洗脳してしまうことはかんたんではない。
文明国家は、民衆を宗教で洗脳しようとする。これはもう、世界中どこでもそういう歴史だったのだ。しかし日本列島においては、いまだに宗教意識が薄いままでいる。戦後のアメリ進駐軍天皇制を残すことによって宗教意識や国家意識がなくならないようにしようとしたが、民衆は、天皇を祀り上げたまま宗教意識も国家意識もどんどんを薄くしていった。
民衆にとっての天皇は、もともと宗教的な対象ではなく、宗教=仏教にまるごと洗脳されてしまわないためのよりどころとして機能してきた。
天皇を祀り上げることは宗教ではないし、政治=国家意識とも無縁であることのよりどころになっている。戦時中だって民衆の政治意識は極めて希薄だったからこそ、国家に引きずられてしまった。
死ぬことを厭わない精神風土だったから戦争にのめり込んでしまったわけだが、それはべつに政治意識でも宗教意識でもない。単純にいってしまえば、「あはれ・はかなし」の美意識、「無常」の世界観・生命観の伝統だからであり、今だって保守化右傾化しているといっても、政治意識や国家意識が高まっているわけではない。
現在の若者や子供たちは大人に対して従順だが、けっして洗脳されてはいない。
右翼の大人たちによる愚劣な道徳洗脳教育は、はたして戦前回帰を実現させるのだろうか。それに抵抗できるのは、「美意識」であって、「政治意識」ではない。若者の政治意識が高くなれば解決するというような問題ではない。醜いネトウヨはみんな政治意識が高いし、かつての全共闘運動にかかわった多くの中高年が現在はネトウヨになって暴れているという現実もある。
政治意識が高くなれば権力欲も膨らんでくるし、人を洗脳支配したいのなら、右翼になったほうが活躍の場は多い。
明治以来の帝国主義とは、民衆を洗脳支配する政治システムだった。

虚と実、政治経済が「実」の世界なら、民衆社会の人情の交わりや芸能文化は、政治経済とは別の「虚」の世界だといえる。世の中は「実」の世界として動いているし、民衆社会の暮らしは「虚」の世界を基礎として成り立っている。
日本列島の民衆社会の人情の交わりにおいては、相手を裁くことも損得勘定もない。「虚」の世界は「実」の世界とは異次元の世界であり、両者はつながっていない。だから民衆を洗脳することが難しくなるのだし、そうした両者をつなぐ装置として宗教が生まれてきた。宗教は、権力社会が民衆を洗脳するための装置として機能してきた。
国家神道もまた、そうした装置として権力社会と結託しながら原始神道から変質してきた。それは平安時代からのことだが、江戸時代まではまだまだ仏教が中心の支配制度だったわけで、仏教社会の退廃と入れ替わるようにして明治維新ともに一気に国家の中心に位置するようになった。
国家神道はもちろん天皇を国家の中心に据える政治制度であるわけだが、皮肉なことに歴史上もっとも天皇をないがしろにしていた江戸幕府が、じつはその思想をリードしてもいた。制度的には天皇をないがしろにしていても、天皇の権威をもっとも強く意識していたのはじつは江戸幕府自身で、親藩である水戸家の徳川光圀天皇中心の歴史書(『大日本史』)を編纂したし、やがては天皇家の娘を将軍の正室に迎えて外戚関係をつくるということをするようにもなっていった。
ともあれ権力社会が天皇の権威を切り捨てることができないというこの国の歴史は、権力社会がどうしても民衆の気持ちを無視することができなかったということを意味する。つまり、洗脳することができない民衆を支配するためには天皇の権威が必要だった、ということだ。
この国の権力社会は、本能的に民衆社会を忖度している。民衆を支配することはできても、宗教意識の薄い民衆を洗脳してしまうことはできない。それは民衆が非宗教の神道を持っているからで、明治政府はその神道国家神道という宗教にすることによってさらに強力な支配を獲得していった。
江戸時代後期には、国学を中心にして国家神道が盛り上がってゆく流れがあった。
ともあれ民衆がそうかんたんには洗脳されないのがこの国の伝統なのだ。だから、時代の文化潮流は、権力社会から下りてくるのではなく、民衆社会から上に上がってゆくというかたちで起きてきた。
万葉集の和歌といっても、もともと民衆社会で流通していたものが権力社会に上がっていったわけで、だから、たくさんの「詠み人知らず」の歌がおさめられている。
「無常」や「あはれ・はかなし」の世界観や生命観や美意識だって、民衆からはじまっている。無常感は東国の武士から生まれてきたようにいわれているが、実際は武士に支配されていた民衆の嘆きから生まれてきたのだ。そうして民衆の視線に耐えるための「名を惜しむ=武士のたしなみを持つ」というのが鎌倉武士のプライドで、そのころの能は、民衆芸能から出発して武士の世界に受け入れられていった。
江戸時代の江戸や上方では武士が町人のような意識になってゆき、体制側の「実学」を批判しつつ廓通いや俳諧や戯作などを通して「虚」の世界で遊ぶことに傾いてゆくようにもなった。
文人気質というのだろうか、体制の内側のものが反体制的な「虚」の世界で遊ぶようになってゆくという傾向は、大和朝廷の発祥以来ずっと続いてきているともいえる。それは、天皇その人がもともと「虚の世界」の住人だったからだ。民衆と天皇が結び付いているのなら、とうぜん権力社会でもそこに引き寄せられてゆくものはあらわれてくる。
西行在原業平は権力社会の住人だったし、藤原定家も「紅旗征戎わがことにあらず」といって政治の世界に背を向けていった。
永井荷風夏目漱石も、権力社会の子弟でありながら権力に背を向けて「虚の世界で遊ぶ」という文人気質の継承者だった。

この国の伝統においては、民衆は権力社会から洗脳されない。権力社会は本能的に民衆社会の動向を気にしており、権力社会のほうが民衆社会の影響を受けるような構造になっている。
民衆にとって国家という社会はつねに「憂き世」であるが、それは「反体制」であるのではなく、「嘆きつつ受け入れている」ことを意味する。だから戦争も明治以来の帝国主義もそうやって受け入れてきたが、あのころに戻りたいとなんか思っていない。戻りたいと思うのは、既成概念に感化されやすいからであり、進取の気性がないのだ。この国の伝統はつねに進取の気性で歴史を生きてきたことにあるわけで、ただの既成概念=既視感(デジャヴュ)にすぎないものを伝統だといわれても、なんの説得力もない。ようするに彼らは洗脳されやすい人間だから、既成の知識や価値に執着してしまう。
まあ自意識過剰だから、自分の存在理由を保証してくれるものが欲しいのだろう。
「あはれ・はかなし」の国においては、自分の存在理由なんか問わないのであり、すべては消えてゆくのだし、消えてゆくことのカタルシスにこそこの生のカタルシスがあり、この生を活性化させる。国家の存在理由も自分の存在理由もどうでもいいのであり、自分が生まれてきて存在してしまっていることこそが「世界の終わり=あはれ・はかなし」なのだ。つまり、「消えてゆく」ことによって「永遠」という「常なるもの」があらわれる。
日本列島の住民は、茫漠とした青い空を見上げるときのように、「消えてゆく」その先の「異次元の世界」に対する遠い憧れを生きている。その、自分も国家も忘れた果てた思考習性を持っているから洗脳されないのであり、人は自分や国家に執着することによって洗脳され時代に踊らされてしまう。
今どきの右翼の人たちの、その自意識過剰の「執着心」はいったいなんなのだろうと思ってしまう。われわれはそうした執着心など捨てて歴史を歩んできたはずなのに。皮肉なことに、彼らこそ誰よりも西洋的な近代合理主義に洗脳されてしまっているわけで、まあそうやって明治維新から敗戦までの歴史を歩んできたのだ。文明開化にかぶれていったそのままの雑駁な心が、今どきの右翼に乗り移っている。
日本列島の伝統の精神風土、すなわち民衆の無意識は、彼らのいうようなかたちにはなっていない。もちろん一部の左翼だってそうした自意識過剰によって思考停止に陥っているわけで、その論理のみすぼらしさが右翼をのさばらせている、ともいえる。
いやもう、どっちでもいい。どうなってもいい。日本列島の住民は、「憂き世」と嘆きつつすべてを受け入れてゆく。その「しょうがない」という感慨の精神風土は今なお「伝統」として機能しているのであり、人はそこから生きはじめ、命を活性化させてゆく。
自分たちの正しさをどれほど声高に並べ立ててもむなしい。人の世は情と情の交わりを基礎にして活性化してゆくのだし、原初以来のそういう関係の文化は今だって世界中にちゃんと残っているにちがいない。
日本語は、人情の交わりを活性化する道具として、説得のための意味の伝達の機能をできるだけ抑制している。
政治制度以前の人情の交わりをなおざりにして社会が活性化するわけもないだろう。