他愛なくときめき合う関係・「天皇の起源」52


この国の天皇は、その発生以来2千年、つねに権力者に食い物にされてきたが、ともあれ一度も倒されたことがなかった。それは、世界にも例がないことだ。
世の中にこんなにもめでたい存在もないのかもしれない……という感想は外国人だって抱くらしい。何度も国が変わり王が変わる歴史を歩んできた彼らだからこそなおのこと、これはもう奇跡的なことではないか、と思うのかもしれない。
彼らは、そういう歴史を歩んできたからこそ、国にこだわり、国歌や国旗を祀り上げる。
しかしわれわれは天皇を祀り上げているから、国にも国歌や国旗にもこだわらない。国などは、どこかしらで「憂き世」だと思っている。われわれは、「憂き世」という歴史的な無意識を共有している。
「憂き世」だと思っている民族が、国歌や国旗を祀り上げようとなどするものか。この国には、江戸時代まで国歌も国旗もなかった。そのことの意味は考えるに値する。国歌や国旗など必要のない歴史を歩んできたからだ。国歌や国旗を必要としないのが人類の理想ではないのか。
江戸時代までは、国歌や国旗を必要とするような異民族との緊張関係がなかった。それだけではない、天皇を祀り上げていればそれでじゅうぶんだったのだ。そんな歴史を歩んできた民族がいまさら国歌や国旗を祀り上げよといわれても、戸惑うばかりだ。
われわれは、国歌や国旗が嫌いなのではない。ただ、ピンとこないだけだ。そういう歴史的な伝統を持っていないのだもの。明治以来のたかだか三代か四代続いた習慣を、この国の普遍的な伝統であるかのように押し付けられても困る。
この国においては、国歌や国旗を押し付けてくるのは権力者のエゴイズムなのだ。われわれはなんとなくそういうことを感じるから、「鬱陶しいなあ」と思ってしまう。
国歌や国旗は、われわれの「憂き世」という感慨になじまない。
そしてわれわれは、「憂き世」を生きるための形見として、天皇を祀り上げている。
ふだんは天皇なんかどうでもいいと思っていても、いざ目にすると、何か神々しく清らかな存在であるかのように見えてしまうのがこの国の人情だろう。
誰かがいっていた。車の中から手を振っている天皇が金色に輝いて見えた……と。そういう体験はたしかにありうるのだ。それが日本列島の住民の歴史的な無意識である。
天皇は、この国の「象徴」であるのではない。われわれにとって国なんか「憂き世」なのだ。
ただ、目の前に「あなた」が存在することへのときめきの形見として、天皇が存在している。
人として人を祀り上げることの形見として、天皇が存在している。
重ねていう。天皇は「国の象徴」ではない。人が人にときめき祀り上げてゆくことの形見として天皇が存在している。「国の象徴」ではないから、2千年も続いてきたのだ。人間の祀り上げずにいられない心の形見として存在しているのだ。
天皇は、「国」よりももっと根源的な存在なのだ。まあ陳腐な言い方だが、人間の尊厳の象徴として存在しているのだ。
だからわれわれは、国歌も国旗もどうでもいい。



人間は、何かを祀り上げずにいられない存在である。何かを祀り上げていないと生きられない。そういう「美意識」が人間を生かしている。
生き物の根源には、生き延びようとする衝動(本能)などそなわっていない。それでも生きているのは、何かを祀り上げずにいられない美意識を持っているからだ。すなわち、世界にときめいてしまうから生きているのだ。
意識が何かを認識するということは、「ときめく」ということだ。そういう意識の根源のかたちとして、われわれは、「ときめく=祀り上げる」という「美意識」を持っている。
人間のときめき祀り上げずにいられない心の形見として天皇が存在している。
天皇は、「国の象徴」として存在してきたのではない。そういう人間の根源的な衝動の形見として存在していたから、どんな権力者も天皇に寄生するばかりで天皇を倒すことができなかった。
彼らが天皇は国の象徴であるといっても、ほんとうはそうではないのだ。だから、江戸時代まで国歌も国旗も存在しなかった。
われわれは「国家」というイメージそのものが希薄な民族なのだ。
そして、だからといって国家のイメージを確かに持てばそれで問題が解決するというわけでもない。歴史はもう後戻りできないし、そういうイメージを確かに持つのが人間のたしなみでも本性でもない。
われわれには、この国をどんな国にするるかというようなテーマはない。日本列島の住民は、人と人はどのようにときめき合うか、というテーマで生きてきた民族なのだ。そのための形見として天皇が存在してきた。
日本列島の住民は歴史的な無為意識として「人と人はときめき合うものだ」という前提を持っているから、外交交渉という駆け引きがいつまでたっても上手くならない。
しかしその「うまくない」ということがこの国を生き延びさせ、文化を洗練発達させてきた。
たとえば明治の人々は、西洋に対して駆け引きで対峙しようとする態度を捨ててひたすらあこがれていったから、ひとまず西洋人にかわいがられ、たちまち西洋文明に追いついてゆくことができた。
それに対して中国やインドや朝鮮はいつまでたっても駆け引きで対峙しようとしながら、けっきょく世界の流れから取り残されることになった。駆け引きということなら、彼らの方が日本列島の住民よりもはるかに上手い。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、ということわざもある。
この国も、駆け引き上手にならないといけないのか。そのためには国歌や国旗は必要だろう。人と人はときめき合うものだという前提は捨てないといけないのか。それは人間の自然ではないのか。
何はともあれ、国歌や国旗を祀り上げよと強制することは、この国の伝統を捨てよといっているのと同じなのである。
天皇は「国の象徴」ではない。天皇は、人と人がときめき合うことができる社会であるための形見として存在するのであり、われわれは国という概念がよくわからない。
国を存続するために天皇が存在してきたのではない。海に囲まれた島国の民にっとっての国は先験的に存在するものであって、存続させようと努力して得るものではなかった。そういう伝統を否定してわれわれに「国を存続させるために努力せよ」とか「国や国歌や国旗を祀り上げよ」といわれても、今ひとつその気になりきれない。われわれは、そういう伝統を持っていない。
国などいうものは、権力者のたんなる既得権益にすぎない。
政治家だけでなく、知識人や資本家だって、自分たちの既得権益として国のことを考えているにすぎない。
天皇を祀り上げているこの国いおいては、国のことを考えることなんか美徳でもなんでもない。いわせていただくなら、人間としてのあさましさがあらわれているだけのこと。
憲法には天皇は「国の象徴」であると書いてあるとしても、その意味はつまり、人が人にときめき祀り上げてゆくことの形見として存在している、ということだ。
何度も同じことを書いて申し訳ないが、人間は世界にときめき世界を祀り上げずにいられない存在なのだ。
「この世界のすべては赦されている」ということの形見として天皇が存在している。



大陸では、氷河期明け以降の5千年から1万年前ころ、他の集団や異民族との軋轢が大きくなってきて、その集団の成員の安全を守るためのリーダー=支配者があらわれてきた。
安全を守るためには他の集団や異民族と戦わねばならないし、そのためには成員どうし結束・連携しなければならない。大陸では、伝統的に集団=共同体のもとに民衆が連携・結束してゆく。これが、彼らのナショナリズムや公共心の基礎になっている。
それに対して海に囲まれた日本列島の歴史のはじめにおいては、そのような異民族との軋轢といった緊張関係は存在しなかった。そのためにナショナリズムや公共心の基礎が育たず、国家(=大和朝廷)の発生が大陸に比べると何千年も遅れた。
異民族との軋轢がなかった日本列島では、他者に対して疑心暗鬼になるメンタリティが育ってこなかった。そうして他愛なく人と人がときめき合う関係の社会ができていった。
西洋人が共同体のもとに連携結束してゆくとすれば、日本列島では、目の前の相手と他愛なくときめき合いながら連携・結束してゆく。異民族との軋轢がなかったから共同体に対する意識は希薄だが、目の前の相手はかんたんに信用してしまう。
言い換えれば、目の前の相手しか信用しない。国家という抽象的な空間はよくわからない。日本列島の歴史においては、まず見える範囲の小集団で連携・結束し、さらには小集団どうしで連携・結束しながら大きな集団になってきただけである。
われわれは、「外圧」というものを知らない民族である。人と人のあいだでも国と国のあいだでも、そういう緊張関係を生きるということが上手くできない。だから、追い詰められると、すぐヒステリーを起してしまう。そうやって明治以来の戦争の歴史を歩んできたし、現在でも緊張関係を生きられないためのさまざまな社会的な病理を生み出している。
まあ、江戸時代までは異民族からの外圧をほとんど体験しなかった。
天皇がいるこの国では、目の前の人と人はときめき合うものだ、という前提で歴史を歩んできた。伝統としてというか歴史の無意識としてそういう前提を持ってしまっていることは、不幸なことだろうか、不自然なことだろうか。



人類はもともと目の前に見えるものしか信じない歴史を歩んできた。
猿の集団はライバルとテリトリーを接しているが、原初の人類はライバルとも天敵ともできるだ遠く離れて隠れて暮らす習性があった。まあそういう習性だったから地球の隅々まで拡散していったのだが、それは、外部の敵に対して警戒心が強いことを意味するのではなく、外部のことなど忘れて暮らしてきたということを意味する。忘れていられるくらい離れていようとしたのだ。
外部の敵に対する警戒心は、猿の方がはるかに強い。
外部の敵のことなど忘れて目の前の見える相手とときめき合って暮らしてきたのが原初の人類の歴史である。なぜなら、二本の足で立っている姿勢は、ときめき合っていないと成り立たないからだ。外部の敵から離れていないと、ときめき合って暮らすことができなかった。
日本列島の縄文時代は、そういう原初の形態をそのまま引き継いで成り立っていた。彼らは、氷河期明け以降に山で暮らすことを余儀なくされていった。日本列島の山間地は起伏が多く、すべての集落は山や峠で隔てられており、それぞれが孤立していた。しかも山の中では、大きな集落をつくることができない。
彼らもまた、目の前の見える相手と他愛なくときめき合って暮らしていた。そして山の向こうからやってくる旅人にも、他愛なくときめいていった。そんな暮らしが、1万年も続いた。であれば、日本列島の住民のメンタリティの基礎は、ほとんどもうこのときにつくられているはずである。
このメンタリティの上に弥生時代の大きな集団で農業をいとなむという暮らしがはじまったのであり、そういう暮らしを成り立たせるために天皇が祀り上げられていった。
彼らは、人と人がときめき合ってさえいれば集団の運営は「なりゆき」でなんとかなる、と思っていた。そのための形見として天皇が祀り上げられていた。
天皇という存在の「他界性」、人々は、死者を祀り上げるような心で現世の天皇を祀り上げていった。
原初の人類は、ライバルのテリトリーから遠く離れてそこを「他界」と思い定め、外圧など忘れて暮らしていた。そうして「他界」からやってくる旅人にときめいていった。だから、いちばん外の集落ほど旅人がたくさんやって人口が多くなり、人口が多くなるから群れがばらけやすかった。そのようにして人類は、地球の隅々まで拡散していった。そしてこの生態はそのまま縄文・弥生時代の日本列島の生態でもあった。ただ弥生時代は、群れをばらけさせない装置として天皇が存在していた。
二本の足で立っている人間は、たがいに他者を「他界」の存在として、死者を祀りげるような心でときめき合っている。他者は「現世の中の他界」の存在である。人と人のそういう関係の形見として天皇が祀り上げられていた。
天皇の問題は、国のかたちの問題ではない。人と人の関係の根源のかたちの問題なのだ。



人類の二本の足で立つ姿勢はたがいに向き合うことによって成り立っていると同時に、たがいにけっして干渉しないという「他界性」の意識がないと成り立たない姿勢である。それは、不安定である上に胸・腹・性器等の急所をさらして攻撃されたらひとたまりもない姿勢である。それでもたがいに警戒することを忘れて他愛なくときめき合ってゆく。弱みをさらしているのにあえてなぜそんな関係になるかといえば、そうやって向き合っていないと二本の足で立つという姿勢が安定しないからだ。目の前のそこに他者の身体があるということが心理的な壁となってその姿勢を安定させている。そうやってたがいに他者に対する「他界性」を意識しながらときめき合っている。
人と人がときめき合うことは、けっして馴れ馴れしく一体化してゆくことではない。たがいの「他界性」をはさんでときめき合っているのだ。「他界性」を意識するからこそ、死者を祀り上げるようなあこがれにも似た気持ちでときめいてゆくことができる。二本の足で立っている人間は、そういう関係になるような条件を先験的にそなえている。
二本の足で立ち上がった原初の人類は、身体能力において猿よりも弱い猿になった。しかもたがいに弱みをさらして向き合ったまま、この世とあの世ほどの決定的な隔たりを意識し合う関係になっていった。
決定的な隔たりがあるからこそ、猿よりももっとときめき合う関係が生まれてきた。たがいに、弱みをさらしていることも相手が自分を攻撃しようとしているかどうかということも忘れてただもう他愛なくときめき合っていないと、この二本の足で立って向き合うという関係はつくれない。
これは、憲法第九条の精神ととてもよく似ている。こんな憲法は今のところ日本しか持てないのかもしれないが、原初の人類が二本の足で立ちあがったとき以来の伝統でもある。
そしてこの原初的な関係が、縄文社会の人と人の関係になっていったのだ。
山の中の縄文集落は、女子供だけの構成だったから、とても不自由な暮らしをしていた。男のいないその小さな集落は、けっしてそこだけで完結することができなかった。
そして集落にやってくる旅する男たちも、起伏の多い山道を歩きまわって疲れ果てていた。
彼らは、そうやって相手に弱みをさらしながら他愛なくときめき合ってゆく関係をつくっていった。
彼らは、この生を完結したかたちにしようとしなかった。完結できない生の「嘆き」こそ彼らのすみかだった。人類は、直立二足歩行の起源以来、そうやって歴史を歩んできたのだ。
弱い猿だったからけんめいに生き延びようとしてきたというのではない。弱い猿であることの「嘆き」それ自体を生きることの糧として歴史を歩んできたのだ。
べつに頑張って生き延びようとしたのでも強い猿になろうとしたのでもないが、気がついたらそうなっていた。弱い猿であることの嘆きそれ自体を生きることが、結果的に生き延びることであり強い猿になることだった。
そして、強い猿になってしまったらもう、生き延びようと頑張ることが本能であるかのような生き方になってしまう。だからいまどきの歴史家はみな、人類の歴史は生き延びようと頑張ってきた歴史だというのだが、そうじゃないのだ。。
人間は、生き延びようとしてきたのではない。そんなことは、たんなる結果にすぎない。ただもう、いまここでときめき合っていることができればよかった。それほどに生きてあることに嘆きながら歴史を歩んできた。



人類は、生き延びようと頑張って歴史を歩んできたのではない。そんなことはどうでもよかった。
われわれが二本の足で立っている存在であるかぎり、根源的には生きてあることの嘆きを共有しながらときめき合ったり集団をいとなんだりしている。そしてそういう人間であることの根源が日本列島の伝統文化に残っている。
そういう歴史のいたずらが日本列島で起こった。それは、原初の直立二足歩行がサバンナの中の孤立した森で起こったのと同じように、そのとき日本列島もまた海に囲まれて孤立した島国だったからだ。まあそれだけではないが、とにかく氷河期明けの日本列島は、人類史の原初の森を再現するような環境になっていたのだ。
そういう原初的な状況から天皇が生まれてきた。日本列島の住民は、その歴史のはじめから天皇を支配者=王として恐れてきたのではない、ただもう他愛なくときめき祀り上げてきたのだ。そうでなければ2千年も続くはずがない。日本列島の住民は、天皇のいない国家を持ったことがない。どんな強大な権力者も天皇を倒すことができなかった。
天皇はこの世界のすべてを赦し、民衆はそんな天皇を二千年も他愛なくときめき祀り上げてきた。
人と人が他愛なくときめき合う関係を持つことができるということは、人類の希望にならないのか?
人間は、根源においてときめき合う存在であり、その関係は、二本の足で立ちあがったときからはじまっている。
しかしそれは、わかり合うとか一体化するとか共生・共認の観念を持っているとか、そういうことではない。人と人は、わかり合うことも一体化することも共生・共認の観念を持つことも絶対的に不可能な「他界性」の関係の中に置かれているのだ。その「他界」に向かうように赦し合いときめき合っている。
天皇という存在の「他界性」は、原初の人類が二本の足で立ち上がったときに見い出していったものでもある。
そのようにして日本列島の民衆と天皇のあいだには、人間性の根源が横たわっている。
なのに彼らはなぜ平気で天皇に寄生してゆくのだろう。天皇は神だといいながら、こんなにも現世的通俗的な関係もない。天皇を神だと崇拝している人間ほど、天皇の「他界性」が見えていない。天皇に対するその馴れ馴れしさはいったいなんなのだ、と思う。
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