天皇と権力者の特殊な関係・「天皇の起源」53


天皇を神に仕立てて天皇に寄生してゆく。権力者のこの天皇に対する馴れ馴れしさはいったいなんなのかと思う。
また、国歌とか国旗を敬えと、どうして押し付けてくるのだろう。江戸時代までは、国歌も国旗もなかったではないか。それは、日本列島の伝統でもなんでもない。
日本列島は、国歌も国旗もどうでもいい歴史を歩んできた。国歌も国旗もどうでもいいような国のかたちの象徴として天皇が存在してきたのであり、それがこの国の伝統なのだ。
まあこの国の権力者は、国を守ろうとする意識はあっても、民衆を守ろうとする意識なんかさらさらない。国は彼らの既得権益だから、そりゃあ守りたいだろう。民衆なんか、税金を搾り取る対象だとしか思っていない。そうやって「税金を納めろ」という論理で、「国歌や国旗を敬え」という。
「国を守る」ということは権力者の意志であって、われわれ民衆の意志ではない。彼らは、国を守るためなら民衆の命なんかボロ雑巾のように使い捨ててもかまわないと思っている。そのあげくに「靖国神社の英霊」などといけしゃあしゃあという。権力者がそんなことをいってもいいのか。われわれは、権力者が国を守るためには民衆の命などボロ雑巾のように使い捨てる存在だということを、あの戦争で骨身にしみて思い知らされた。
いまどきの「靖国神社の英霊」などという権力者も、戦争になればまた同じように民衆の命をボロ雑巾のように使い捨てるだろう。彼らは、国を守るためなら何をしてもいいと思っている。この国の権力者は、伝統的にそういう人種なのだ。そして、みずからのそうした性癖を正当化するために国旗や国歌を敬えという。
日本列島の住民が、なぜ国歌や国旗を敬わねばならないか。われわれは、そういう伝統を持っていない民族なのである。
国を守ることが、どうして正義なのか。われわれは「国」などというものははよくわからないし、「国」を「憂き世」だと思っている民族なのである。
天皇陛下万歳!」と叫んで死んでいった特攻隊の兵士はいたらしいが、「日本万歳」と叫んだという話など聞いたことがない。
アメリカ人なら、「アメリカ万歳」と叫ぶだろう。フランス人なら「フランス万歳」と叫ぶだろう。
日本列島の住民が「天皇陛下万歳!」と叫ぶことは、「国」のことなど忘れてしまうことだった。天皇という「他者」のために死ぬことはあっても、誰も「国」のためには死ねなかった。
日本列島の権力支配は、他の集団や異民族との軋轢がない状況から生まれてきた。そのとき支配者には、他の集団や異民族の脅威から民衆を守るという責務を負っていなかった。彼らの仕事は、すでに存在する天皇と民衆の関係をマネージメントすることにあっただけで、具体的な集団の運営は民衆自身の連携・結束でなされていた。
この国の権力者は、その歴史のはじめから「民衆を守る」という責務を負っていなかったし、いまだにそのような意志は持っていない。ただもう、天皇の「赦す」という態度と民衆の「連携・結束」に「寄生」してゆくことが彼らの本能であり仕事なのだ。



リーダーになりたい人間は、理想のリーダー論やリーダー待望論を語りたがる。
人間社会には優秀なリーダー=支配者が必要なのか?
人間社会はリーダー=支配者がいないと機能しないのか?他人を支配したがり、他人の支配=庇護の中にもぐりこんでゆこうとするものはそういう関係しかイメージできないから、そういうことを考える。
リーダーといえば聞こえはいいが、ようするに権力支配者のことであり、自分の中の権力欲を正当化し満足させたくてそんなことを語っているだけだろう。
何はとあれそんなご立派な支配者などいなくても、民衆どうしがときめき合い連携してゆくことができる社会であれば、そのあとは何とでもなる。まずそのことが大切なのではないか。
この社会はひとりのリーダーでよくなったり悪くなったりするのか?そういう場合もあるだろうが、そういう社会であっていいというわけではないだろうし、それが社会であることの本質だということでもあるまい。
民衆がリーダーの意のままに動いている社会が、そんなにいい社会か。
リーダーによってよくなる社会は、リーダーによって悪くなるのだ。しかしそのような社会のかたちがこの国の伝統であるのではない。
つまり、リーダーが民衆を育てるのではなく、民衆がリーダーを育てるのがもともとのこの国の伝統であり、弥生時代奈良盆地の民衆と天皇の関係はそのようにして成り立っていた。
今だってこの国の天皇は、民衆の祀り上げる心によって育てられている。天皇になってから、天皇らしくなってくるのだ。
リーダー(支配者)によって民衆の連携・結束がつくられる社会は、あまりいいかたちだとはいえない。天皇は支配者ではないが、何はともあれこの国では、民衆自身の連携・結束が天皇の姿をつくってきたのであって、支配者の天皇崇拝によってではない。
この国では、天皇をもっとも崇拝するものが、もっとも天皇とはかけ離れた思考をする。
われわれ民衆にとって天皇はわれわれが世界を赦してゆくための形見である。それに対して権力者においては、自分が赦された存在になるために天皇が存在している。
この国の支配者は、天皇を権力支配の免罪符にしてきた。しかし、それだけがこの国に天皇が存在し続けてきた理由ではない。それはあくまで歴史の表層であり、それによって天皇が存在し続けてきた根源的な理由を見逃すべきではない。



いろいろ紆余曲折はあったが、民衆自身のむやみに権力欲は持たないで他愛なくときめき合いながら連携・結束してゆこうとする習俗が、2千年かけて今日の天皇の姿を育ててきたのだ。
権力者の天皇崇拝など、われわれの天皇との関係のなんのお手本にもならない。国を愛せとか国歌や国旗を愛せとか、よけいなお世話なのだ。われわれの国との関係も天皇との関係も、権力者の態度や思考などなんのお手本にもならない。
この国では、伝統的に、権力者にとって国は既得権益であり、民衆は「憂き世」だと思い定めて生きてきた。異民族との軋轢がなかった日本列島の民衆にとっての国は、既得権益にはなりえなかった。だからわれわれは、国歌や国旗を押し付けられることを鬱陶しいと思う。
日本列島の民衆は、国を「憂き世」として鬱陶しがっているからこそ天皇を祀り上げずにいられないのだ。われわれのそういう感慨は、国というみずからの既得権益に執着する権力者にはわからない。
愛国心などといいながら、国の制度に寄生しているだけではないか。
日本列島の住民にとっての国という単位は、祀り上げることのできる既得権益ではなかった。それでもみんなして祀り上げる対象を持たなければ集団の連携・結束はうまくいかないから、みんなして天皇を祀り上げてきた。われわれは、歴史的に愛国心などというものを持っていない。
天皇を祀り上げることと国歌や国旗を祀り上げることはほんらい矛盾するのであり、国歌や国旗を祀り上げないことの形見として天皇を祀り上げているのだ。
日本列島の住民は、外来のどんな文化にもひとまずときめいてゆく。それは、愛国心など持っていないからだ。愛国心など持っていないから、どんな外来文化も吸収する能力を持っている。
人は、愛国心でよその国の人間や文化と親しむことができるか?愛国心など捨てて親しんでゆくのだ。そしてわれわれは、伝統的にそういうことができる民族なのだ。明治の人々は、そうやって西洋文明を吸収していった。



何はともあれこの国では、他愛なく人と人がときめき合いながら連携・結束してゆく社会がイメージされてきたのであり、そのための形見として天皇がいるのだから、いまさら立派な支配者の出現など願っていない。天皇がいるのだから、いまさら愛国心など必要ないし、愛国心など持っていないから、他愛なく人と人がときめき合う関係をつくることができるのだ。
理想のリーダー論とかリーダー待望論などは、語る人間の権力欲が投影されているだけのこと。言い換えれば、愛国心とか理想のリーダーなどということばかり語っているから、この社会の人と人が他愛なくときめき合う関係が薄れてくるのだ。リーダーに動かされるだけの社会ならそうなるに決まっている。
人間は、教えなきゃ何もできない存在なのか?そんなことはあるまい。子供だって、ほおっておいても勝手に自分から学んでゆくのだ。
人間は、自分から学んでゆく存在なのだ。
人類は、神に教えられて知能が進化してきたのか?そうではあるまい。
優秀なリーダーが国をつくるだなんて、人間をなめている言い草だ。というか、そうやって人に寄生したり人を支配したりする関係の中でしか生きられないからそういうことを言い出すのだ。
天皇がこの国の民衆の姿をつくってきたのではない、民衆が天皇の姿を育ててきたのだ。
日本列島の住民は、海に囲まれて異民族との軋轢がない環境で、国なんか鬱陶しいばかりだと嘆きながら国をつくってきたのだ。
比べる対象のよその国など知らないのだから、自分の国が美しいとか愛しているとか、思いようがない。愛国心など、日本列島の伝統を知らない人間の言い草なのだ。
われわれに必要なのは優秀なリーダーではなく、われわれ民衆どうしの連携なのだ。そしてそれは、リーダー¬=支配者から与えられるのではなく、少なくとも歴史的には、われわれ自身の天皇との関係から見い出してきたのだ。
われわれは、みんなして天皇を祀り上げるということはしても、みんなして国を祀り上げるということなどしてこなかった。だから、江戸時代まで国歌も国旗もなかった。そしてそれはつまり、支配者に守ってもらって歴史を歩んできたのではなく、民衆自身の連携で歴史を歩んできたということだ。
支配者に寄生され支配者の搾取を赦しながら民衆自身の連携で歴史を歩んできたのだ。
われわれ民衆はリーダー=支配者に守ってもらう歴史は歩んでこなかった。あの戦争だって、けっきょく支配者からボロ雑巾のように使い捨てられただけだったではないか。
この国の支配者にはみずからの既得権益である国を守ろうとする意識はあっても、民衆を守ろうとする意識などはない。
また、民衆を守る優秀なリーダー=支配者が必要なのでもない。民衆は、支配者に守ってもらいたいとも思っていない。邪魔しないでくれ、と思うことはあっても。



権力者の天皇崇拝が天皇の姿を育ててきたのではない。それは、すでに存在する天皇の姿に寄生しているだけである。
歴史的には、民衆が育てた天皇に権力者があらわれ寄生していったのだ。彼らは、天皇に寄生してゆくというかたちで権力者になっていった。それが、古墳時代だった。
彼らだって、最初から権力者だったのではない。最初は、天皇のたんなる執事かマネージャーのような存在だった。
彼らの権力闘争の都合で天皇が生み出されてきたのではない。はじめに天皇が存在した。
権力闘争などということは、権力が生まれた後に起きてきたことだ。
古事記では、ひとまず権力闘争(=戦争)によって大和朝廷が生まれてきたことになっている。そのせいか、世の多くの歴史家も、人間の社会に最初から権力が存在していたかのような考え方をしている。
権力闘争に勝てば権力が得られるなどということは後の時代のことだろう。
まず、どのようにして民衆を支配するかという方法論を見つけ出したものが権力者になっていったのだ。
現代社会では、親になれば自動的に権力を獲得する。男は女に対して先験的に権力を持っているのか。人間はみな平等などといいながら、人と人のあいだには先験的に権力関係が存在しているという潜在意識が誰の中にもある。「伝達­=コミュニケーション」するということ自体が、ひとつの権力関係である。
現代社会では、権力に対する畏れが希薄になっている。だからじつに無造作に、先験的に権力が存在していたかのように考えてしまう。



縄文時代は、権力関係が希薄な社会だった。だから、共同体は存在しなかった。そしてそういう時代が1万年も続いた後の弥生時代の数百年でたちまち権力支配ができ上がっていったということも考えられない。
さらには、そのあとに権力支配の方法論が試行錯誤して模索されている過程段階の時代があったはずで、たぶんそれが古墳時代だった。
大陸から権力支配の方法論が入ってきてたちまち権力支配ができ上がっていったというのが、一般的な歴史解釈である。そして奈良盆地は九州・中国地方からは遠い地域の内陸部で大陸との関係が希薄な後進地域だったから、すでに権力支配を知っている九州・中国地方の豪族がやってきて大和朝廷という連立政権をつくったという説がある。
しかし、大陸の民衆と日本列島の民衆とではメンタリティ(文化)が違う。大陸の方法論がそのまま日本列島でも通用するわけではない。権力支配の方法論を持たない権力など絵に描いた餅にすぎない。
大和朝廷の権力支配が天皇に寄生してゆくかたちで成立していったということは、大陸の方法論とは違うかたちだったことを意味する。
天皇という権力がまわりを動かしていったのではない。まわりが天皇に寄生していったのだ。そのとき天皇は、権力でもなんでもなかった。ただたんに、民衆に祀り上げられていた「生贄」のような存在だった。
そのとき、「天皇に寄生してゆく」というかたちの、日本列島独自の権力支配の方法論が見い出されていった。
古墳時代奈良盆地は、大陸文化とは無縁だったからこそ、大和朝廷というもっとも強大な権力支配の組織が生まれてきたのだ。
日本列島の住民を支配するためには、日本列島の住民のメンタリティ(文化)の上に成り立った方法論でなければならなかった。
とにかく古墳時代奈良盆地では、天皇に寄生してゆくというかたちが、もっとも有効な民衆支配の方法論だった。
そのとき民衆は、すでにそれほどに深く天皇を祀り上げていたから、それはもう変更できなかったし、それを利用すれば支配がとても簡単だった。
彼らは、民衆による天皇に捧げものをする習慣をマネージメントしながらそれを私有化してゆくことを覚えていった。そうやってこの国の権力支配がはじまった。



天皇の原型は、弥生時代の巫女という舞の集団にあった。人々は、この集団の純粋性を守るためにを人里離れた山の中に住まわせ、捧げものをしながら育てていた。
舞は、彼らの祭りのもっとも大切な行事だったし、彼らの余剰の生産物は祭りや巫女集団を育てることなどに使われていたのであり、支配者がいて搾取をしてゆくという制度など存在しなかった。
そうして、やがて巫女集団の中からひとりのカリスマが祀り上げられてゆくことになる。これが、特別な巫女(みこ)という意味で「きみ」あるいは「きみこ」と呼ばれるようになった。そのようにして最初の天皇が生まれてきた。
やまとことばの「き」には、「完全」とか「唯一」というニュアンスがある。
そのとき人々は、「きみ(きみこ)」を祀り上げて暮らしていたから、もはや権力者がいちばん上に君臨することは不可能だった。「天皇=きみ」を追い出せば、民衆の心は離れてゆく。文字による契約関係で支配してゆくという制度を持たなかったその当時の奈良盆地で、民衆に祀り上げられていないものが民衆を支配することは不可能だった。
だから、天皇に寄生しながら民衆を支配してゆくという方法論が見い出されていった。
もしもそのとき天皇が存在しなかったら、権力者がそのまま王として君臨しながら支配してゆくことが可能だったのかもしれないが、ともあれそのときの日本列島には、権力者と契約関係を結んで生き延びようとするような外圧(異民族との軋轢)がなかったから、王=権力者を祀りげるメンタリティを持てなかった。
大陸の王は、異民族の侵略から共同体を守るということと引き換えに民衆を支配し君臨していた。なんのかのといっても、大陸ではそういう王=権力者を必要としていた。
しかし弥生時代奈良盆地には、そうした外圧はなかった。したがって、権力者=王は存在しなかった。その代わり、その大きくなりすぎた都市集落をいとなむための形見として「天皇=きみ」が祀り上げられていた。彼らには、自分たちを守ってくれる権力者=王など必要なかった。しかし、その大きくなりすぎた集団の混乱や鬱陶しさをなだめるための形見を自分たちの方から祀り上げてゆく必要があった。
弥生時代奈良盆地は、王=権力者がやってくる前に、すでに自分たちで祀り上げる対象を持っていた。このような民衆を新しくやってきた権力者=王が支配してゆくことは、けっしてかんたんなことではない。
アメリカ大陸に移住していった白人は、先住者を支配することの困難にいらだって大殺戮を繰り返していった。
弥生時代から古墳時代にかけての奈良盆地でそんな大殺戮が起きていた証拠など何もない。
外からやってきた権力者=王が代わりの新しい天皇になることなどあり得ない。
そのとき「天皇=きみ」は、舞の名手の若い娘だったのだ。天皇がただの権力者=王だったのならとって代わることもできるが、民衆はそんな権力者など必要としていなかったし、権力者が無理やり支配してゆくための外圧も存在していなかった。
日本列島の民衆は、伝統的に王=権力者を祀り上げる趣味など持っていない。
武力で押さえつけるなどといっても、弥生時代後期から古墳時代にかけての武器などたかが知れたもので、アメリカ大陸に移住した白人が機関銃でインディアンを蹴散らすというようなことをできたはずがない。
日本列島の民衆が天皇を守るためにどれほど強く結束して命知らずの戦い方をするかということは、ともあれ戦前の歴史が証明している。
弥生時代から古墳時代にかけての奈良盆地に権力者と民衆の戦闘があったという証拠など何もないし、あればきっと天皇を祀り上げている民衆の方が強かったはずである。
おそらくがん細胞のように天皇に寄生した権力支配が深く静かに増殖していったのだ。武力で制圧したのではない。



この国の権力者は、自分は誰よりも天皇を慕っていると自慢する。それはもう、大和朝廷成立のときから続いているこの国の伝統である。
奈良・平安時代藤原氏だって、その天皇崇拝競争に勝って天皇に寄生していったのだ。
そして明治から戦前までの権力闘争だって、つまるところ天皇崇拝競争だった。
いや江戸時代の徳川家だって、天皇崇拝は彼らの教養の中枢にあるものだった。徳川光圀がはじめた「大日本史」の編纂はまあ天皇を中心にした歴史の研究事業で、江戸時代のあいだずっと続けられていた。
彼らは天皇崇拝を民衆に押し付けているのではなく、民衆よりも熱く天皇を崇拝して見せないと民衆を支配できないことを本能的に知っているし、それを支配することの免罪符にしている。
この国の権力者は、民衆を異民族から守ってやるという使命を持って生まれてきたのではなく、ただもう民衆から搾取するだけのために登場してきたのだ。
この国の権力には、民衆のために何かをするというような伝統はない。搾取するだけで何もしないのが伝統なのだ。
古代の道や港をつくるというような土木事業はすべて民衆自身の連携でなされていたし、現在の東北における震災復興の事業だって、国家権力の冷淡さはよく聞かれるところである。けっきょくは、民衆自身の連携でやってゆくしかない。
言い換えれば、民衆自身の連携の伝統はほかの国以上に持っている。それが、みずから天皇を祀り上げてきた民族の伝統なのだ。
まあ民衆が、どんな権力者も天皇の上には立たせなかった、ともいえる。民衆は、何もしてくれない権力者を赦してきた。それは、天皇よりも上に立たなかったからだろう。
この国の権力者は、民衆のために何かをするという伝統を持っていない。何かをしようとする意欲も能力も持っていない。
いや、大陸の王=権力者が民衆を異民族の侵略から守るということをしてきたとすれば、この国の権力者は、民衆のために天皇を存続させるということをしてきた、といえるのだろうか。それ以外のことは何もしてくれなかったし、何も責任を取らなかった。



この国の権力者に、権力者のたしなみなんか求めてもしょうがない。彼らは、民衆から搾り取ることしか頭にない。それが彼らの本能であって、身を挺して民衆を守ろうとする責任感など持っていない。それはまあ、海に囲まれた島国で、守る必要がない歴史を歩んできたのだから仕方がない。
戦時中の権力者にとっての守るべきものは、天皇がいるというこの国の姿(=国体)であって、民衆ではなかった。
彼らは、民衆の命をボロ雑巾のように使い捨てた。
そして戦後の彼らは、自分たちがなぜそのようなことができたのかと問うたとき、そういう避けがたい「なりゆき」あった、というところで思考停止していった。
「なりゆき」といえばまあそういうことなのだが、そういう「なりゆき」をつくったのは、彼らの誰もが天皇に寄生してしまっているという状況があったからであり、誰もが知らず知らず天皇を免罪符にしていた。
それが民衆の命をボロ雑巾のように使い捨てることだという自覚は、誰の中にもあった。ないとは言わせない。それでも、天皇がいるという「国の姿(=国体)」を守るためにはそうしてもいいと思った。
まあ、「姿」の文化の国なのだ。
そして、天皇がいるという「国の姿」こそ彼らの権力のよりどころだった。そういう「国の姿」に寄生して古墳時代に権力が発生し、それがそのまま現在まで続いてきた。それはもう、この国の権力者の本能だった。
この国の権力支配は、民衆を守るために生まれてきたのではない。民衆から搾り取ることを目的にして生まれてきた。それがこの2千年の伝統とともに培ってきた彼らの本能であり、彼らに民衆を守ろうとする本能などない。
民衆をボロ雑巾のように使い捨てることが、彼らの本能だった。その本能が、太平洋戦争のそういう「なりゆき」をつくった。
彼らにとって「国の姿」とは天皇が存在することであって、民衆が存在することではない。「民のために」といっても、民衆は天皇が存在するための大切な道具だというだけのこと、つまり権力を守るための道具だということ。彼らは、民衆が国を守るために命を投げ出さないことなどあり得ないと思った。彼らにとっては、民衆よりも「国の姿」の方が大事だった。
権力者が権力に執着するのは仕方のないことだろう。そしてこの国の権力は、民衆を守ることではなく、天皇に寄生することの上に成り立ってきた。


10
では、天皇がいなくなればその問題は解決されるのか?
そうはいかない。
民衆を守るという責任を持たないのが、この国の権力の伝統であり本能なのだ。天皇がいなくなっても、その伝統と本能はなくならない。2千年そうやって歴史を歩んできたのだもの、それがこの国の風土なのだ。
現在の官僚や政治家は、天皇崇拝者ばかりではないだろう。それでも彼らが守ろうとしているのは「国の姿」であって、民衆ではない。それはもう、左翼だろうと右翼だろうと同じなのだ。
「市民国家」だろうと「マルクス主義国家」だろうと、そういう「国の姿」が大事なのであって、民衆が大事なのではない。
原発反対」といっても、原発のない「国の姿」が大事なのだ。彼らにとって原発との関係を持ってしまった地域の人々のことはさしあたってたいした問題ではない。その地域の人々にすれば、今になって原発との関係を持ってしまったことを過失や罪悪のようにいわれたら立つ瀬がない。
その運動が盛り上がらなかったということは、民衆とのあいだの何かデリケートな感情の問題があったのだろう。
そりゃあ原発はないに越したことはないが、そうかんたんに正義ぶって大声で叫ばれても困る。
何はともあれ人間は死ぬことを覚悟して生きている存在であり、この国はことに、無常観とともに「いまここ」の「なりゆき」に身をまかせてしまう傾向がある。
権力者は民衆の命などボロ雑巾のように使い捨ててもいいと思っているし、民衆自身もわが身の「穢れ」を思いながら「生き延びる」などという「生命賛歌」に浸れない心を抱えている。そういう風土は、天皇がいなくなってもそうかんたんにはなくならない。
「生き延びる」などというテーマで盛り上がる風土ではないのだ。
日本列島のそうした無常感や「穢れ」の意識は、世界に対するアドバンテージになりうる美意識の基礎であると同時に、一歩間違えばただの「虚無(ニヒリズム)」になってしまう危うさも抱えている。
原発反対運動のリーダーの多くは、戦後の左翼知識人として生きてきた人たちだった。彼らは天皇制の廃止を前提に思考してきたわけで、いわば天皇がいなくなった社会を生きる人間のひとつのサンプルである。
その彼らですら、民衆を置き去りにして「国の姿」にこだわった。そして、そのとき民衆が何を祀り上げようとしているのかということが見えていなかった。どんな社会運動であれ、祀り上げるものを共有してゆくことを組織できなければ、大きな盛り上がりは生まれない。
彼らからすれば、AKBにうつつを抜かしている民衆は愚かだということになるのだろうが、それはそれで良くも悪くも祀り上げる対象を共有してゆくことが組織されたムーブメントなのだろう。
彼らは「生き延びる」という「生命賛歌」を組織できると思った。しかし、「穢れ」とか「憂き世」とか「無常」という風土のこの国の民衆は、彼らほどには「生命賛歌」を持っていなかった。それが、彼らの誤算だった。
この国の風土においては、「生命賛歌」は「虚無(ニヒリズム)」なのだ。それは、この国の住民の実感ではない。空疎なたてまえにしか感じられない。そんなたてまえで民衆の心を揺り動かせると思っていたとしたら、それはニヒリズムとしかいいようがない。彼らには、この国の風土に身を浸した体ごとの実感というものがない。
この国の大人たちを覆っているニヒリズムは、戦後市民主義の「生命賛歌」とともにじわじわと広がってきた。
原発反対を叫んで自分たちが正義のつもりでいられるなんて、ニヒリズムである。正義で民衆を説得できると思っているなんて、ニヒリズムである。
民衆は、生きてあることの感慨と美意識を共有しながら連携・結束してゆく。しかし戦後の左翼知識人たちは、そういう感慨や美意識を捨てて市民主義や生命賛歌というたてまえの正義に心を売り渡してきた。それは、ニヒリズムなのだ。


11
たとえば原始時代においては、みんなして洞窟で語り合うとか、広場で踊って笑い合うとか、埋葬のときにみんなして故人を追憶して泣けてくるとか、そのようなことを繰り返しながらいつの間にか集団が大きくなってきたのであって、べつに生き延びる戦略として集団を大きくしようという目的があったのではない。
人間の集団を組織するのは、そのような生きてあることの感慨や美意識なのだ。原発反対を叫ぶ彼らは、「生命賛歌」という正義を振りかざすだけで、そういう感慨や美意識に対する視線が欠落していた。
権力者をはじめとする多くの右翼が天皇に寄生してゆくこともまた、じつは天皇を喪失しているひとつのニヒリズムなのだ。「国を守る」というスローガンであれ「命を守る」というスローガンであれ、そんな正義など、この生の実感や美意識を喪失したニヒリズムなのだ。
権力者や右翼は、天皇から恩恵を受け取っている。天皇に寄生して天皇の生き血を吸っている、といういい方もできるかもしれない。戦時中の右翼軍人などはまさにそうだったのだろう。彼らにとって天皇は免罪符だった。戦争を遂行することも、民衆の命をボロ雑巾のように使い捨てることも、天皇はぜんぶ赦してくれた。
彼らが民衆を支配することの正当性は、民衆の安全を守っていることとひきかえにあるのではなく、先験的に天皇から与えられているつもりでいる。
海に囲まれた日本列島には民衆を異民族の侵略から守るという契機がなかったから、なかなか支配者があらわれてこなかった。
天皇とはすべてを赦している存在であり、権力者はそのことに寄生していった。
しかし日本列島の民衆にとっての天皇は、そういうニヒリズムを正当化するための存在ではなく、人間存在の根源(自然)を生きるための形見として機能してきた。人間は、根源的には「国を守る」ということも「命を守る」ということもしないとても危うい存在なのだ。その危うさを生きるための形見として天皇が機能してきた。
われわれからしたら、「国を守る」ことも「命を守る」ことも、人間存在の根源=自然から逸脱したニヒリズムなのだ。
それでも人は生きている。その人間存在の「危うさ」を共有しながらときめき合って生きている。人と人がときめき合うということは、その「危うさ」を共有してゆくということなのだ。
右翼だろうと左翼だろうと、「生き延びる」などという論理を押し付けて、天皇を祀り上げてきたこの国の民衆を支配しようとしても、そうそううまくいかないだろう。そのような正義では、戦後社会のニヒリズムを生きてきた大人たちを支配することはできても、あたりまえに考えてそれは人間存在の根源=自然に響いてくるスローガンではない。
われわれはあの戦争で、「国を守る」というスローガンを掲げて「国を守る」ことに失敗した。そしてそれまでの歴史においては、「国を守る」ということを忘れて国を守ってきた。
「国を守る」ということを忘れないと、国は守れない。これは、人類史の普遍的な生態である。原初の人類は、「テリトリーを守る」というテーマなど存在しないかたちで棲み分けをしていた。そんなテーマなど持ってしまったら、人と人が他愛なくときめき合うという関係をつくれない。何はともあれ日本列島では、そういう関係の文化を洗練させてきた。それは、われわれの世界に対する文化的なアドバンテージではないのか。


12
人間は、猿以上に大きな集団をつくってしまう存在であると同時に、猿以上に棲み分けをする存在でもある。むやみに「共生」しようとしないのが人間なのだ。
ジョン・レノンのように「国境のない世界を想像してごらん」といってもはじまらない。かつてこの国は、朝鮮とのあいだに国境など存在しないという思い込みで朝鮮を侵略支配していった。それはたぶん、この国の支配者は、民衆のような他者の存在に「他界性」を見るという「棲み分け」の視線を持っていないからであり、民衆のような天皇との関係を持っていないからだ。
日本列島の民衆は、その歴史のはじめから「里と山の中」というかたちで天皇と棲み分けてきた。それに対して権力者は、天皇を寄生できるほどに身近な存在にしながら生きている。そうやって大和朝廷が発生した。それは「棲み分け」をしない思考だ。彼らのそういう生態から「人類みな兄弟」という発想が生まれてくる。そういう人に対する馴れ馴れしさで、朝鮮を侵略支配していったのだろう。その馴れ馴れしさは、日本列島の伝統的な民衆のメンタリティではない。
民衆は、できることなら朝鮮の人々とは別々に暮らしていたいと思ってきたし、別々に暮らしているからときめき合うことができる。
日本列島の住民ほど棲み分けをしたがる民族もいない。棲み分ける生き方の形見として、天皇が存在している。われわれは、権力者のような天皇に寄生してゆくほどの馴れ馴れしさは持ち合わせていない。
ほんとに、三島由紀夫のあの天皇に対する馴れ馴れしさはいったいなんだったのだろう。
彼らの、国歌や国旗を敬えと押し付けてくるあの馴れ馴れしさは、いったいなんなのだろう。
まあ、世界中の支配者が人間に対して馴れ馴れしいから、うまく棲み分けるということができない。馴れ馴れしくなければ、支配するということなんかできない。
人間は、棲み分けをする生き物である。人と人の関係は、たがいに他者を「他界」の存在として思うことの上に成り立っている。そうやって身体レベルですでに棲み分けているから、猿以上にときめき合う関係が生まれてくる。
人間は「よりよい暮らしがしたい」とか「生き延びたい」というような動機で二本の足で立ち上がったのではない。群れが密集しすぎて、生き物としての「身体の孤立性=身体の輪郭」をうまく確保できなくなったからだ。普通の猿はそんなとき余分な個体を追い払うが、そのとき人類の群れは何らかの事情でそれができなかった。そうして、群れはそのままで「身体の孤立性=身体の輪郭」を取り戻そうとしていった。それが二本の足で立ち上がるということであり、そうやってたがいの身体を「棲み分ける」ということをしていった。
人間が二本の足で立っていることは「棲み分ける」姿勢なのだ。いいのか悪いのかはよく知らないが、ともあれ憲法第九条は、そういう人間の根源とリンクした問題でもある。
妙な馴れ馴れしさを捨てて「棲み分ける」ということができなければ、人類はいつまでたっても戦争をしていないといけない。
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