内田樹という迷惑・日本人の駄洒落好き

「駄洒落はレジャーだ」、だってさ。
内田氏によれば、駄洒落はちょいとした気分転換なのだそうです。自分のように言葉を深く専門的に分析している者とっては、そうやってばかなことを言ってみるのが頭の掃除というか、気晴らしになる・・・・・・のだとか。
けっこうなことだ。しかしそんなしちめんどうなことを考えていないわれわれ庶民にとって駄洒落は、それじたい生活の一部であり、人格(身体)の一部にもなっている。
日本人はなぜ駄洒落が好きなのか。
それは、日本語の問題でしょう。
空の雲(くも)と生きものの蜘蛛(くも)、橋(はし)と箸(はし)と端(はし)。こんなまぎらわしい言葉がたくさんあって、日本語は、駄洒落が出てきやすいような構造と機能になっている。
言葉の機能を「意味」の表現を第一義とするなら、こんなまぎらわしい使い方はとっくになくなっているでしょう。日本語(やまとことば)において「意味」の表現は、二次的な機能にすぎない。
日本語において「橋」と「箸」と「端」が同じなのは、同じ感慨から発せられる言葉だからです。それが、日本語(やまとことば)の一義的な機能になっている。
「はし」とは、他のものとつながる部分のことです。橋は対岸とつながり、箸は食い物とつながり、糸の端と端をつなげて一本にする。
他のものを前にした不安定な気分が静かに収束してゆく心の状態、そこから「はし」と発声される。「はし」とは、そういう感慨の表現なのだ。そういう感慨になったとき、しぜんに「はし」という発声になる。
「は」は、「はかない」の「は」、たよりない心地の発声です。「は」と発声するとき、大きく口を明けているのに、息が出てゆくような出てゆかないような、あいまいな空間に漂っている。声になるようならないような心もとなさがある。そういう感慨から、「は」と発声される。
「し」は、「静か」の「し」。「し」と息を吐き出せば、体の芯が静かに安定する。
そういう感慨で「はし」と発声する。「橋」や「箸」や「端」の意味なんか二の次の問題であり、やまとことばは、「意味」以前の根源的な表現なのだ。
そんな言葉を使っている民族なのだもの、駄洒落も次々に出てくるでしょう。
古代において「くま」という言葉は、動物の「熊(くま)」、そして「神(くま)」、そうして曲がり角の「隈(くま)」という意味にも使われていた。いずれも「怖れ」や「畏れ」の感慨から生まれてきた。そういう心の震えから、「くま」と発声される。
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やまとことばで「ひ」といえば、すべて「隠れる」とか「隠す」という意味です。「秘める」の「ひ」。
太陽は、雲や夜の向こうに隠れているものだから「日(ひ)」と言った。
「火(ひ)」は、暗闇ののなかに隠されてある。暗闇のなかでこそ、切に火(灯)が恋しくなる。「日」と「火」は、隠されてあるものの代名詞なのだ。
古代人は、太陽そのものを表現して「日(ひ)」といったのではない。太陽が恋しい感慨の表現として「日(ひ)」といったのだ。
「ひ」と発声するとき、息がぜんぶ抜けて、それと入れ替わりに体の中心(腹)にきゅっと力が入る感覚がある。そいう「力(=実存)」が秘匿される状態の感慨から、「ひ」と発声される。
古代における「人(ひと)」という呼び方は、めったにいない特別な人という意味だった。「やまと」とは、山の人という意味。人間一般のことは、ただ「と」と言っていた。その「と」に「ひ」をかぶせて、特別な人になる。
男の子のことは「ひこ」、女の子は「ひめ」。この呼び方は縄文時代からあった、という説もある。太陽の子だから「ひこ=日子」というのではない。大切な特別な子だから「ひこ」という。それに、生まれてくる前は、母胎の中に隠されていた。そういう意味の「ひ」なのだ。
やまとことばは、「意味」以前の機能(感慨)から生まれてきた原始的な言語です。
したがってそれは、国家が成立するずっと前の縄文時代から使われていたはずです。
国の名を「日本(ひのもと)」と定めたのは7世紀の養老律令によってらしいが、それは大陸からやってきてこの国をつくった者たちが「ここは大陸から見れば日が昇る方角にある」という主張をこめて命名したのだ、というようなくだらないことを言っている人がいます。
日が昇る方角にあるという主張はともかくとして、「大陸からやってきてこの国をつくった者たち」という解釈が気に食わない。そんなことを、確たる証拠もないのに勝手に決められたくはない。
日本のことを「ひのもと」といったのは、日本人はそれほどに太陽に対する愛着が深い民族だったからでしょう。そして、夜や雲の向こうに隠れている太陽を切に恋うるというかたちで太陽を認識していたのは、日本人くらいのものだった。そしてそういう愛着は、縄文時代からのものだった。
遣隋使を派遣した聖徳太子が「こっちは日が昇る国なんだぞ」と威張ってみせたって、向こうからしたら、「そりゃあ東にあれば、そういうことになるに決まっている。べつにおまえらが太陽を所有しているわけでもあるまい。太陽はこの国にもある。この国の太陽はおまえらの国の太陽のようなちんけなものじゃないんだぞ」と思っただけだったのかもしれない。この国の太陽はおまえの国からやってくるのではない。この国の端から昇るのだ、と思っていただけでしょう。
隋の皇帝は、日本人ほどには太陽に対する愛着を持っていなかった。太陽に対する考え方が、まるで違っていた。日が昇る方角にある国だからえらいなんて、ちっとも思っていなかった。「日出る国」といばって見せたって、向こうはただの方角のことだとしか受け取らなかった。海から上がってくる太陽の裏側にある国だと思っていた。おそらくそのころの大陸では、朝日よりも夕日のほうに愛着があった。シルクロードの向こうの夕日が沈む地域に対する憧れや畏れがあった。だから、遣隋使が、その場で切り捨てられることなく迎えてもらえたのでしょう。
この国の名前を「日本(ひのもと)」にしたということじたい、「日出る国」というとんちんかんないばり方をしてみせたということじたい、この国をつくったのは、この国に昔(おそらく縄文時代)から住んでいる人たちだった、ということを意味するのではないだろうか。
大陸からやってきた人間がつくったのなら、大陸の言葉になってしまっていますよ。古代人は、漢字という文字をけんめいに換骨奪胎して、「かな」というやまとことばの表現に変えていった。彼らは、やまとことばによってしか暮らしてゆくことができなかった。換骨奪胎できるくらいやまとことばが身体化していた。それは、縄文時代からこの国に住んでいる人たちによってこの国がつくられたからでしょう。
奈良盆地大和朝廷は、奈良盆地に住んでいる人たちがつくったに決まっているさ。くだらない物語をあれこれ捏造して、どうして素直にそのことが信じられないのか。
そのころ奈良盆地は、日本中からたくさんの人が集まってくる地域だった。だから、日本中の風物や地名のことは、権力者よりも庶民のほうがよく知っていた。そういう知識の上に、「古事記」という物語が生まれてきたのだ。そういう知識の上に「神武東征」という話が語られたのであって、平家の落人伝説と同じようなものだ、と僕は思っている。
人間の集団が、自分たちは遠いところからやってきたのだという物語をつくりたがるのは、住み着くことの困難さと住み着こうとする衝動の強さによるのだ。ここが終の棲家である、という認識を持とうとする衝動からそういう物語が生まれてくるのであり、それは人間が死んでしまうことを自覚している生きものだからだ。
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「ひな」という言葉は、雛人形にも、鄙びた隠れ里のことにも、鳥の雛という意味にも使われるし、お菓子をつくるときのもとの木型を雛型といったりもする。雛人形とは、大事にしまわれている女の子の人形のこと。鳥の雛は、卵の中に隠れている。すべて「隠れる」という意味を持っている。
「ひ」は、もちろん「秘める」の「ひ」。
「な」は、「あなた」という意味の「汝=な」。「なあ」と呼びかける。「美しきかな」と感嘆するときの「な」。他なるものへの関心の感慨。
「な」と発声するとき、体の中が一瞬空っぽになってしまったような感覚がある。他なるものに心を奪われて「自分」が消えてしまったような心地、そういう感慨から「な」と発声される。
「ない」の「な」。日本列島の住民の「ない」ことに対する関心の深さが、「ひ」とか「な」という言葉に現れている。古代人にとっては、「ない」という状態やものこそ感動の対象だったのだ。
そこが、あくまで「ある」を止揚してゆく大陸的な心の動きと逆立している。そういう大陸文化との違いがある。
「ひな」とは、隠されているものへの関心の感慨、あるいは隠されていたものとの出会いのときめき。
「ひなぐもり」とは、空に薄い雲がたなびいて、その向こうに太陽が隠れていることがありありと感じられる天気のことを言う。隠されているものへのときめき、そこからやまとことばが生まれてきた。「意味」の奥に隠されている「感慨」を表現するのがやまとことばなのだ。
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日本列島の古代人は、「ない」に心を動かせた。多分そこに、大陸の「神」という概念との決定的な違いがある。それは、この国に昔から住んでいた人たちがこの国をつくったことを意味している。この国では、「ない」こそが神なのだ。だから、神は存在するか、というような議論はしない。存在しないことが、神の存在証明なのだ。
太陽=日が、この国の古代人の信仰の原点であるとすれば、「空(そら)」という言葉にも、「かみ」に対する感慨が含まれているにちがいない。それは、天の空だけでなく、「そらで覚える」とか「そらんじる」とか「うわのそら」、というかたちでも使われる。
「そら」という言葉は、何もないことに対する感慨から発声される。
「何もない」が、しかし「そら」には何かが詰まっている。「そら」で覚えた心の中に知識がいっぱい詰まっている。
何もないように見える「空(そら)」だって、夜になればたくさんの星が輝いているのが見える。
何もない「空」には、何かが詰まっている。
その「何か」こそ、この国の「神(かみ)」なのだ。
この世界のすべてのものには「神(かみ)」が詰まっている。
空も太陽も雲も鳥も獣も、人と人が抱き合う行為にも、泣くという行為にも、さらには人が人を殺すという行為にも、この世のすべての現象に「かみ」が隠されている。
あの山もあの鳥も、「かみ」が隠されている。彼女が泣いているのは、彼女の中に、泣く「かみ」が宿ったからだ。
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「かみ」の「か」は、口の中で息が弾けるもっともクリアな音声。確かなものにたいする感慨。確かなものだと気づく感慨。
「み」は、体の輪郭に「気」がゆきわたる感じの発声。「かたち」、「内容」の語義。
「かみ」とは、空っぽの中にある確かなものが詰まっている、という感慨。
対象に心を奪われて茫然自失しているときの身体感覚、そこからこの国の「神」という概念が生まれてきた。
「上」のことも「かみ」という。何もない空には、確かなある何かが詰まっている。「髪(かみ)」は、体のいちばん上にあって頭を包んでいるからだ。いや、「髪」が包んでいるのは、たんなる頭だけではなく、それ以上の「ある何か」がある。知識や、心のはたらきとか情念とかといわれている「ある何か」をも包んでいる。そういうことに対する感慨が、髪の毛のことも「かみ」といわせた。
「紙」だって、文字を知らない古代の庶民にとっては、単なる包むものだった。しかし包まれてあれば、その中に何が隠されているのだろうというときめきがある。というか、紙が輸入される前から、包む用途を持ったの薄物のことを「かみ」といっていたのでしょう。そしてそういう「かみ」に対してとくべつな感慨があった。
英語で「ゴッド」といえば神のことだけしか指さないが、やまとことばの「かみ」は、神以外のものも含んでいる。やまとことばの「かみ」は、神そのものというより、「かみ」と発声してしまうような「感慨」のことをいう。何かを隠して包んでいる状態や物に対する感慨のことを「かみ」といっていただけなのだ。
いや、「だけ」という言い方は、正確ではない。その「隠されてある」ことこそ、この生や世界の根源のかたちであるという感慨があったのだ。
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日本語は、「意味」を解体してもなお成立することのできる性格を持っている。そこから、駄洒落の醍醐味も生まれてくる。
日本人の駄洒落には、日本人の実存意識が関与している。
そういうことを考えると、言葉の専門家を自認する人が、「駄洒落はレジャーだ」なんておちゃらけているだけだなんて、あまり見映えのよい態度ではない。言葉に対する思考の底の浅さが丸見えだ。
この人には、言葉の「意味」をもっともらしく分析することはできても、ことばの「内容」に分け入ってゆく能力はない。しょせん、そのていどの俗物さ。
もっとも僕だって、言葉に対するこのような関わり方は、このブログにコメントしてくれた「都市に棲む山姥」というハンドルネームの人から教わっただけです。この人は、やまとことばに関してなら内田氏よりはるかに深く広い知識を持ちながら、それでも言葉に対して、子供のようにまっすぐ寄り添ってゆくということができる。「こんなことばかり考えていると文盲になりそうです」というこの人の言葉は、ことに印象的だった。気取って知ったかぶりするだけの能しかない内田氏とは、えらい違いなのだ。