内田樹という迷惑・ノラ犬の思想

「近傍と確からしさ」さんが、このブログのことを「雪かき仕事」だと言ってくれました。自分ではそんなこと一度も思ったことはないが、言われればすごくうれしいです。
内田氏は、「私は思想のセントバーナード犬(救助犬)である」とか「私は人類の歩哨(センチネル)として雪かき仕事を引き受けている」などと自慢たらたらに吹きまくっているが、心ある人はみな鼻で笑っている。
もしかしたら「近傍と確からしさ」さんは、かつて内田氏の噂を聞いたとき、一瞬そういう人かなと思いかけたのかもしれない。しかし書いたものをじっさいに読んでみたら、とんでもない食わせ物だった。それが悔しくて、僕にそんなふうなお世辞を言ってくれたのかもしれない。
巧妙に自慢すれば、ナイーブな読者をたらしこむことはできるが、彼のようにさらに知的な人たちは、そうかんたんには騙されない。
ほんとに僕は、「雪かき仕事」だなんて思ったことなど一度もないですよ。書きたいことを書き散らしてきただけです。でもそれを自認する内田氏の言説よりも、僕の言うことの方にそれを認めてくれた人がいる。僕から見たら、内田氏のシンパよりもはるかに知的なその人がです。
ざまあみやがれ、です。
僕の言うことなんか幼稚な言葉の羅列に過ぎないけど、思想的に内田氏に負けているとはぜんぜん思っていない。あんな頭の薄っぺらな知識人より、言葉の貧しいわれわれ庶民の方が、しかし思想的にはずっと格上なのだ、と思っている。
文句がある人は、どなたでもどうぞ。
と言っても、文句がある人はこのブログなんか見ていないのでしょうね。「イカフライ」氏のように内田氏のブログに乗り込んでいって集中砲火の嵐をはねのけている人のことを思えば、片隅の僕がこんなことを言ってもお気楽なたわごとにすぎない。
しかし、もし「おまえの言うことなんか幼稚なたわごとにすぎない」と言われるのなら、それは甘んじて受け入れます。ほんとに、自分自身そう思っているのだから。「雪かき仕事」だなんて、ぜんぜん思っていない。自分なんか、勝手なことをわめき散らしているただのゲス野郎だと思っている。
とはいえ、だからこそ、自分で「雪かき仕事」だといって清らかぶっているやつと出会うと、めちゃめちゃむかつく。名もない庶民ならまだかわいげもあるが、れっきとした有名人の大学教授がそう言って庶民をたらしこむことに浮かれているなんて、ほんとに愚劣で卑しい態度だし、悪辣だと思う。他人を愚弄するのもいい加減にしろ、と言いたい。
清らかぶって自分でそれを言うなんて、とんだ茶番劇だ。
誰も自分の人生を選ぶことなんかできない。そのようにしか生きられない人生を生きているだけだ。そのようにしか考えられない人間になってしまっているだけのことだ。そのようにしか考えられないだけのくせに、正しいことを選択して考えているつもりでいやがる。そのようにしか生きられないだけのくせに、「雪かき仕事」を選択しているつもりでいやがる。
「東大脳」とは、そういうものですかねえ。僕なんか、このようにしか考えられないという思いと、このようにしか生きられなかったという思いがあるだけですけどね。僕のこの考えがどういうものであるのか、それはもう、他者に問うしかない。だから、ささやかにこんなブログを続けているのであって、じぶんの考えが自分で正しいとも思えないし、「雪かき仕事」をしているともさらに思えない。
しょせん僕なんか、ただの野良犬です。野良猫でもいい。粗大ゴミだと言われたってかまわない。
しかし内田樹のごときあほな大学教授とは思想の格が違う、という確信はある。あんな卑しい思想と一緒にされたら困る。この確信は、そうかんたんには崩れない。崩せるものなら崩してみせてくれよといいたい。
われわれ野良犬は、他者の侮蔑を受け入れて平伏することをためらったりはしない。もともと自分なんかただのごみだと思っているから、受け入れて一から出直すだけです。
自分なんかしょうもない人間だという思いは、いつもある。
おまけに僕には、知識なんか何もない。このみじめでくだらない人生と人格だけが、僕のカードです。
しかしそれでも、内田氏には負けない。あんなゲスな思想に負けるわけにはいかない。