「まれびと論」・8  縄文時代にレイプはなかった

アメリカは、どうやら「レイプ」の国になってしまったらしい。
それにたいして日本列島の縄文時代には、強姦などなかったはずです。
なぜなら、縄文女なんか、みんな「やらせ女」だったからです。彼女らは、女子供だけの小さな集落をつくって、山野をさすらう男たちの来訪を待ち受けて暮らしていた。男たちはそのつど違っていた。しかし、そんなことはたいしたことじゃなかった。どうせ狭いこの島国に閉じ込められた似たような人間ばかりです。海の向こうからやってくる「異人」などいなかったのです。
この国には、そういう伝統がある。江戸時代には、どの宿場にも「飯盛り女」という「やらせ女」がいくらでもいた。「やらせ女」の国だからこそ、武士たちは「貞操」という観念制度をつくって、自分たちと庶民を差異化しようとした。幕末維新のころにやって来た西洋人たちは、この国の女たちの貞操観念の薄さに驚いたそうです。僕の父親の故郷である三重県の南にある海沿いの地方は、むかしから「やらせ女」が多いことで有名だった。現代のフーゾク産業だって、「やらせ女」の伝統の上に成り立っている。
アメリカ人は、ナショナリズムが強い。アメリカの自慢ばかりするし、彼らはみんな「仲間」だと思っている。それは、キリスト教の家族主義から来ているのだろうか。しかしその一方で、雑多な民族が集まっている国だから、他者と自己の峻別という「自我の確立」を目指している。「みんな同じである」という意識と「自分は誰とも違う」という自我の確立。その両義性の上に、アメリカが成り立っている。
みんな同じだったら、やらせてくれてもいいだろう、と思う。どうせ違う人間だから、やっちまっても知ったこっちゃない、と思う。そうやって「レイプ」の衝動が生まれてくるのだし、自我意識が強いから、白人は黒人を差別する。
・・・・・・・・・・・・・・・・
しかし縄文人は、男と女が別々に、しかも定住と漂泊という正反対ともいえる暮らし方をしていたから、「同じではない」という意識があった。そしてこの島国でみんな海に閉じ込められて暮らしていたから「たいして違いはない」という意識も持っていた。
アメリカ人が「同じ」と「違う」の両義性で生きているとすれば、縄文人は、「同じではない」と「違うのではない」という観念の両義性で生きていた。
われわれは、「同じ」という意識を持つ伝統がないから、公共心がない。西洋人のように「同じ」という意識を持たなければ公共心なんか育たない。そして「違う」という意識が希薄だから、主体性がない。「自我」が確立されていない、といわれなければならない。
しかしですよ。「同じ」という意識がないから、縄文式住宅のあんなちゃちな戸でも、勝手に押して入ってゆくということを男たちはしなかったのです。この国で戸の前に立って歌を交わすという「ツマドイ」の習俗が生まれたということは、女が入っていいよといってくれるまで入らなかった、ということを意味します。それくらい男は主体性がなかったし、男と女は「同じではない」と思っていた。そして「違うのではない」という合意とともに歌を交わしあった。
「やらせてくれよ」と必死にたのみ込めば、「ひと晩くらいいいわよ」と言ってやらせてくれる女がいた、ということです。公共心も自我もなく主体性もなかったから、「レイプ」もなかったのです。
しかし、必死にたのみ込むといっても、彼らには自我という主体性がなかったから、自分の「やりたい」という意欲なんか表現できなかった。ただ、「やりたい」と思えてくるほどの「嘆き」を表現しただけです。「訪(おと)なふ」とは、そういう嘆きを「綯(な)う=縒(よ)り上げる」行為です。
「やりたい」意欲をぶつけることは、「綯う=縒り上げる」とはいわない。
自我も主体性も希薄だから、「レイプ」もほとんどない。自我も主体性も希薄だから、「やらせ女」もたくさんいる。
立原正秋氏の小説に「好きな男にこだわるおまえなんかより、やらせ女のあいつの方がずっと清らかで清純だ」というようなせりふがあったのを思い出しました。
とはいえ、現在の高度資本主義の世の中では、アメリカ人のように「同じ」の仲間意識と「違う」の自我の強さや主体性で生きていったほうが有利です。現代のこの国にだって、そういう人種はいます。「団塊世代」という仲間意識と俺が俺がの自意識過剰な人たちです。彼らは、終戦後という、この国がもっともアメリカナイズされていた時代に生まれ育ってきた。
うすぎたない団塊世代に対しては言いたいことが山ほどあるけど、今はそんなことにかまけているときではない。
「まれびと」の文化は、良くも悪くも「やらせ女」の文化でもある、ということを考えたい。