「まれびと」論・2  「まれ」にこだわる

ナンバーワンよりオンリーワン」などといやらしいことをいう。
われわれは、「オンリーワンになる」のではなく、すでにそういう状態で存在してしまっているのだ。「オンリーワン」でもかまわないけど、「オンリーワン」ではこの生が完結しないように存在させられている。「オンリーワン」であることの嘆きを抱えながら生きている。「オンリーワン」であることのアイデンティティなどというものはない。アイデンティティを喪失していることが「オンリーワン」なのだ。
「オンリーワンになる」ということは、「まだオンリーワンではない」、ということである。
プラトンの「アンドロギュノス(両性具有)」の話じゃないけれど、われわれは、あらかじめアイデンティティを喪失した状態で存在させられている。われわれに必要なものは、アイデンティティを獲得することではなく、アイデンティティの喪失と和解することだ。喪失している場に立ちつづけることだ。満足することではなく、欲求不満でありつづけることだ。そこで、「出会いのときめき」が生まれる。欲求不満でなければ、ときめいたりなんかするものか。
「まれびと」の文化は、アイデンティの喪失と和解する文化。アイデンティティの喪失を嘆く文化。嘆くことと和解し、嘆くことに充足を見出す文化。この世界とあの世界の「間(ま)」に立って、アイデンティティを喪失しつづける文化。「オンリーワン」であることを嘆く文化。
だから、「粗末なものですが」と言って贈り物を差し出す。
そしてその「粗末なものもの」をありがたがる。
古代の神が蓑笠をまとった乞食姿で村を訪れたことは、「粗末なものですが」と言って贈り物を差し出す態度なのだ。
そして村人は、その蓑笠をまとった粗末な姿をありがたがる。
「まれびと」の文化に、折口氏が言うような、「尊い」とか「唯一(オンリーワン)」であることを止揚する心の動きなどないのです。
「オンリーワン」であることを嘆く心の動きから、「まれ」という言葉が生まれてきたのだ。「まれ」であることを嘆く「まれ」、というのでしょうか、あえていうなら、「まれ」という言葉は、「唯一」というより「ない」に近い。「ないでもない、あるでもない」というときの「ない」。それは、すでに「ない」を知っているということです。そうして「ない」と「ある」の「間」を探索している。そういう「まれ」です。
そういう「まれ」という言葉をですよ、「尊い」とか「唯一」などいう粗雑な概念で語ってもらいたくないのです。
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序論の部分から、さらに引用を続けます。
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 くすり師は常のもあれど、珍(まら)人の新(いま)のくすり師 たふとかりけり 珍(めぐ)しかりけり(仏足石の歌)
常は、普通・通常などを意味するものと見るよりも、この場合は、常住、あるいは不断の義で、新奇の一時的渡来者の対立として用いられているのである。「まら」は、「まれ」の形容屈折である。尊・珍・新などの連想をともなう語であったことは、この歌によくあらわれている。
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問題は、「珍(まら)人」の「まら=まれ」が、はたして「尊・珍・新などの連想をともなう語」であったか、ということです。「珍(まら)人」といってそれらが連想されてしまうのなら、あらためて「新(いま)の」とか「尊かりけり、珍しかりけり」ということもないでしょう。ただの蛇足じゃないですか。これは、そんなに稚拙な歌なのですか。
「まら人のくすり師」といっただけでは「いまのくすり師」という連想を起こさないから、「まら人のいまのくすり師」といわなければならなかったのでしょう。
「まら=まれ」という言葉が連想させるのは、「来訪する」とか「祝福する」ということだけであって、「尊」も「珍」も「新」も関係ないのだ。
むかしの「くすり師」は店を構えて売っているだけだが、今の新しい「くすり師」は、向こうから持ってきてくれる、貴重でありがたいものだ、という歌ではないのですか。日本列島の伝統的な心性である、異人が祝福しにやってくることのよろこびを表現した歌でしょう。たぶん、どちらかというと凡庸な歌なのだろうけれど、その訪れ祝福するというモチーフに、当時の人に共通の深い思い入れがあったから取り上げられたのではないかと思えます。
この場合に「珍(まら)人」と言うときの「まら」は、「思いがけず来訪する」という意味があるだけで、その言葉じたいに「珍(めぐ)し」という感慨は含まれていない。つまり、「珍(まら)人」だから、「めったにいない」というわけではない、ということです。
「まら=まれ」という言葉に「尊」も「珍」も「新」も連想するような社会的背景など何もなかったから、このような表現が成り立つのだ。
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「まれ」という語のさかのぼれるかぎりの古い義において、最小の度数の出現または訪問を示すことであったことはいわれる。「人」という語も、人間の意味に固定する前は、神および継承者の義があったらしい。そのがわから見れば、「まれびと」は来訪する神ということになる。「人」について今一段推測しやすい考えは、人にして神なるものをあらわすことがあったとするのである。人の扮した神なるがゆえに「人」と称したとするのである。
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何のことはない。ちゃんと自分で「まれ」という言葉は「出現または訪問を示す」といっているじゃないですか。「最小の度数」という部分だけ、折口氏が勝手にでっち上げている。
また、「人の扮した神なるがゆえに人と称した」なんて、こじつけもいいとこです。だったら、ほんものの神は、神に扮した人をまねているのか。まねているだけだから、神もついでに「人」と言っておいてやろう、ということですか。とにもかくにも、折口氏の論においては、はじめに来訪する神の観念だけがあって、そののちに人が神に扮する祭りが生まれてきたのでしょう。そういう祭りが生まれる前は「まれびと」という言葉はなかった、ということになりますよ。
そのとき古代人は、神を表現したかったのではない。神なら、ちゃんと神というのだ。すくなくとも「まれびと」という言葉には、人と人が出会うことのよろこびが表現されているだけだ。「尊い神」だから祝福するなんて、それだったら、現代人の「正しい人」や「美しい人」や「身分のある人」だから祝福するという意地汚い身振りと一緒じゃないですか。
備後国風土記」に記されている海の向こうからの来訪神である武塔(むとう)の神は、蓑笠をまとった汚い乞食姿だった。その身なりが、古代における来訪する神のユニホームだった。古代人は、それらの来訪神を、「尊い人」や「正しく美しい人」だと思って祝福していたわけではない。来訪者と出会ったというその体験そのものを祝福していったのであり、そういう「驚き」や「ときめき」という感慨を「まれびと」という言葉で表現したのだ。
折口氏がそうやって「貴人」とか「神」とか「唯一」という意味にこだわっていったことは、戦前の、天皇制を強化しようとする国策に加担してゆくことになる。そのことはまあいい。しかし彼は、そういう価値概念とは無縁の、人と人が「出会う」ということそれじたいがはらむ実存的な契機については、あまり考えていなかったように思えます。
歴史をさかのぼればさかのぼるほど、そうした価値概念は希薄になってゆく。古代人(あるいは原始人)は、そういう価値概念で「神」をイメージしたわけではないのだ。
神は神であり、人は人であり、まれびとはまれびとなのだ。もちろん「まれびと」は、神でも人でもあるのだが、人でも神でもない存在でもある。そういうややこしい「間」という空間(概念)を、われわれ現代人より古代人のほうが、ずっとすっきりと直感的に把握していたのだろうと思えます。なぜなら彼らは、われわれほど「ある」という概念に冒されていなかったから、もっと柔軟(ニュートラル)に世界を把握できたはずです。